033 捜索する者たち①

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 ロンショット少佐は焦っていた。


 彼も紋唱術師のはしくれとして、行方不明の令嬢を発見するべくありとあらゆる手を尽くしているのだが、何ひとつ上手くいかないからだった。


 探索系の術をいくつも試したが、そのどれもが方角すら満足に示してはくれない。

 針型の紋ならぐるぐる回ったあと上や下などのありえない位置を指し示し、地図状の紋なら溶け崩れてしまい、動物型の紋ならその場で立ち止まって小首を傾げてしまうのだ。


 理論上、そういう結果になるのは、探している対象物がこの世に存在しないときだけだった。初めから実在していないもの、あるいは物や道具なら壊れてしまったり既に処分されている場合。

 そして、人や動物なら、死んでいるという意味でもある。


 だが、そんなことをあの頑迷固陋なクイネス将軍に正直に言おうものならロンショットの首が飛ぶ。下手をすれば物理的にも飛びかねないとさえ思う。


 それにロンショットも、これをそのまま事実としては受け入れがたかった。


 クイネス将軍には他に子どもがいない。本人があまりにも忙しいからか、あるいは奥方の身体の問題かは知らないが、何にせよ伯爵家の後継ぎはたったひとりの娘だけである。

 しかしマヌルドの社会に女性の地位を認める向きはあまりなく、令嬢の許婚であるヴァルハーレ子爵が実質の後継者と言えるだろう。


 よって将軍と世間が求めているのは、令嬢がヴァルハーレと結婚して最低でも一子生すこと。それ以外には何も必要とされていない。

 しかもそれは単に彼女が女であるというだけではないと、ロンショットは知っている。


 はっきり言って令嬢には紋唱術師としての才能がなかった。

 父親があまりに偉大な存在だっただけに、初めは周囲も期待していたが、彼女はそれに応えるだけの力を示せなかった。周りは勝手に落胆し、失望したが、父であるクイネス将軍はそんなものでは済まなかった。


 彼は激憤し、結論づけた。己が娘には胎以外に価値がない、と。


 だから令嬢は是が非でも将軍家を継がせるにふさわしい地位の人間と結婚し、後継者を産まなければ、誰にも存在意義を認めてもらえない。しかも産んだ時点でもはや用済みになる。


 ──そして自分は、そのためだけに彼女を連れ戻すように命じられている。


 ロンショットは下くちびるを噛んだ。あんまりだ、と思った。


 もちろん貴族社会における女性の責務はそれ一点であることを、ロンショットとて理解している。

 政治にも経済にもほとんど関わることのない彼女らは、基本的にお飾りで、後継者を産むことだけが唯一にして最大の職務である。当人たちも生まれたときからそのように教わり、そのいうものとして生きている。


 男であるロンショットはそれを嘆いているわけではない。そういう人生を厭い自ら爵位を放り出した例も知っているし、それを受け入れてなお幸せに生きた女性もいるのだ。

 必ずしもみんな不幸になるわけではない。彼女たちの幸せを決められる人間がいるとしたら、それはただひとり、生涯を共にする夫だけだろう。


 失踪した令嬢の許婚であるヴァルハーレ子爵は、マヌルド社交界でも名の知られた美丈夫である。

 軍人でもある彼は、帝国軍においては史上最年少で大佐の地位を持ち、ロンショットからすれば上官にあたる人物。さらには帝国立学術院卒の優秀な紋唱術師でもある。肩書き、地位、名誉のすべてが揃っており、将軍の後継者としては完璧だろう。


 しかし社交界で知られているという彼の名は、いい意味で流布したものばかりではない。

 浮名というやつである。中にはやっかみや誇張も多分に含まれていようが、それでも火のないところにこれほどの煙が立つだろうか。


 そんな男と、子を産むためだけの結婚をせねばならない宿命の少女。


 ロンショットは令嬢のことをよく知っている。士官になりたてのころからクイネスの世話になってきて、個人的に邸に招かれたことも少なくなかったのだ。そこで──庭の隅や人気のない書庫の奥でよく見かけた、あの泣き虫の少女のことを、ロンショットは忘れない。


 ──ごめんなさい……ごめんなさい……また、失敗してしまいました……。


 うずくまって、声を押し殺して泣く彼女は、ほんとうにただの女の子だった。


 他の貴族の子息とは決定的に何かが違う。父親の部下であるロンショットに対してさえ遠慮深く、ドレスを着ていなければ下働きの小娘かと思うくらいだった。彼女がわがままを言うところなど一度だって見たことがない。

 彼女が他の令嬢のように奔放に振舞うことができる娘だったなら、ヴァルハーレのような男を婿に入れようが、今回のように失踪しようが、ロンショットは何も思わなかっただろう。


 ほんとうに彼女は自分の意思でいなくなったのだろうか。

 将軍夫妻の言うように外から来た人間に誑かされたのかもしれないが、誘拐の線もまだ消えてはいないとロンショットは考えている。若い女ならなんでもいいという輩で、彼女の振る舞いのせいで良家の子女とは思われずに攫ったという可能性は充分にある。


 なんとなれば、……彼女はとても、かわいらしい人だった。


 外からきた男と恋をしたのならそれでいいとも思う。あの子がそれを望み、実行したというなら、ロンショットはその邪魔をしたくはないのだ。彼女をよく知るからこそ思う。


 一度くらい、わがままを言わせてあげてもいいじゃないか。


「──やあロンショット、顔色が冴えないね」


 突然声をかけられてロンショットは慌てて振り向いた。

 紋唱場の柱に背をもたれた恰好のヴァルハーレが、何か面白いものでも見たような顔をしてこちらを見ていた。


 相変わらずの見事な金の巻き毛に、鼻筋の通った美しい顔立ちで、黙っていればとても本性など見抜けない。女が次から次へと寄っていくのもわかる。

 自分が女だったとしても、この顔で甘い科白のひとつでも囁かれたら、頭では嘘だと思っていても信じたくなるだろう。


「スニエリタを探しているそうだね。そのようすじゃ、あまり進展はなさそうだが」

「お恥ずかしいかぎりですが、そのとおりです」

「それは探索紋唱か。……へえ、あのお嬢さまに探索妨害をするような機転があったとは知らなかった。

 それとも間男の入れ知恵なのか? きみはどう思う、ロンショット?」


 ヴァルハーレのねちっこい言いかたは、まるでロンショットも共犯ではないかと疑っているかのようだった。


「わかりませんが、お嬢さま自身のお考えとしても、私は驚きません」

「……ふうん。いや、嫌な訊きかたで悪かったね。僕よりきみのほうがお嬢さまと付き合いが長いもんだから、どうしても嫉妬してしまうんだ。他意はないよ」

「気にしておりません。それより、ヴァルハーレ卿は何か私に用があるのでは?」

「ああ、そうだった。将軍にきみの手助けをするよう言われてね。やはり父親としては心配なのだろう。

 僕としても愛しのスニエリタには早く戻ってきてもらいたいんだ、できるだけ……そう、他の男とは一緒にいてほしくはないしな。

 もちろん僕は気にしないが、世間の眼はそうはいかないだろう? そうなると彼女が可哀想だし……」


 べらべらとよく喋る。ロンショットは腹の底にふつふつと沸いてきた苛立ちが、喉元にせり上がるのをぐっと堪えた。

 抑えて、飲み込んで、それから代わりの言葉を引っ張り出す──ありがとうございます、あなたにご助力いただけるのなら大変心強い。


 ヴァルハーレは頷いて、嫌味なくらい高級な手袋をした手を出すと、ロンショットが今やっていた紋唱をかき消すようにその上から紋章を描いた。癪だが腕は確かなのだ。


 マヌルド帝国軍は能力のない者に地位を与えない。どんなに家の位が高かろうと、どれほど器用に立ち回れようと、紋唱術が巧みでない者に未来はない。

 むろん、逆に、どれほど才能があったとしても、家柄に不足があれば一定以上の昇進は望めないが。


「──捜弓そうきゅうの紋。我が名において、いかなる妨邪も禁ずる」


 朗々と読み上げる声に応え、紋章は煌きとともに弓型の紋様を引き絞った。そこから光の矢が発射され、彼方へと飛んでいく。

 矢は、はるか西のほうへ。空に呑まれてすぐに見えなくなった。


「やあ、速いな。これはもう国内にはいないぞ」

「なんですって?」

「近場ならもう少しのろく飛ぶものなんだ。あれだけ速いとなると、ワクサレア西部、下手するとヴレンデールの東端ということもありうるな」

「……失踪なさってからもう二週間近くになりますし、それもおかしなことではありませんが……とにかく追捜隊をワクサレアに向かわせます」

「間に合うのか?」

「もともと高速部隊ですし、現在すでにカナルヴァにいますので、二日もかからないでしょう」


 そうか、とヴァルハーレは頷いた。


 高速部隊というのはとくに移動速度の高い遣獣を選抜して編成した部隊であり、部隊員もそれらの遣獣を使いこなせる者で構成されている。

 半月で大陸を一周できるとさえ言われる速度を誇る彼らを、ここアウレアシノンより西のカナルヴァ地方に待機させているので、そこからならヴレンデールなどすぐだ。逆に追い抜かないように気をつけたほうがいいくらいだろう。


 説明している間に描いた紋唱で追捜隊の人間に連絡をとる。


 この技術があるためロンショットは直接出向かなくてもよいのだが、逆にそれが恨めしかった。

 捜索部隊の人間すべてがロンショットに忠実なわけではない。ましてや、上手く誤魔化してなんとかお嬢さまを逃がせ、などと含めるわけにはいかないのだ。


 自分が行けたなら、直接彼女から事情を聞けたのに。……私はあなたの味方だ、と言えたろうに。


 ロンショットが部下に指示を出している間、ヴァルハーレは隣に留まり、まるで監視しているかのようにじっと彼を見つめていた。


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