027 大祭ルーディーニ・ワクサルス③ - 地母神の導き
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やっぱりロディルとミルンは似ていない、とララキは思う。
大祭ルーディーニ・ワクサルスのさなか、兄弟はついに再会を果たした。とはいえ実際に言葉が交わされたのは儀礼の一時中断を待ってから。
それまでミルンは突っ立っていたが、どんな顔をしていたのかは、背中側にいたララキには見えなかった。
しかも休憩時間に入ってもミルンは口を聞かない。どうするつもりなのだろう。
こちらもどうしていいのかわからなかったララキは、スニエリタとともに兄弟を見守るしかできない。
ちなみにスニエリタには、兄に向かって歩いていくミルンを追いかける間に、簡単にだが事情を説明しておいた。
彼ら兄弟がハーシ連邦の小さな部族の長の家系で、兄が一族の期待を背負って留学し、その後失踪してしまったこと。それでミルンは探していたということ。
マヌルドがどうとか白ハーシがどうとかいうややこしい部分は省いた。部外者であるララキには上手く説明できるとは思えなかったからだ。
しかもマヌルド人であるスニエリタにミルンのマヌルド人コンプレックスの説明をするというのは、なんというか今後の旅に変な精神的支障が生じそうで気が引けた。
「久しぶりだね、ミルシュコ」
先に沈黙を破ったのはロディルのほうだった。彼は微笑み、それからララキのほうを向いて握手を求めてきた。
「あと、きみはこの前訓練場で会ったね。ミルシュコの友だちかい? そっちの子は初めましてかな」
「あ、あたしララキっていいます。お友だち……ではないけど、旅の仲間っていうか」
「スニエリタと申します。今日からご一緒させていただくことになりました」
「あれ。……あっ、名乗ってなかったね、僕はミルンの二番目の兄のロディルです」
なんというか、ものすごく穏やかな自己紹介だった。
悲壮な手紙を残して失踪した張本人のはずだが、追いかけてきた弟を見ても少しも慌てていないし、罪悪感を感じているふうでもない。まるで単にちょっと出かけた先で会ったかのような気楽さだった。
だが、ミルンはそうではない。暗い顔のまま、呪いでも吐きそうな声音で言った。
「ジーニャ……ずいぶん元気そうだな、てめえ」
「……おまえはかなり怒ってるみたいだね」
「当たり前だろ」
言うなりミルンはロディルに掴みかかった。ララキはそれを見て額を押さえる。
ああ、喧嘩はするなと念押ししたけど、やっぱり無理だったか。
少しは思うところがあったのか、ロディルはさほど抵抗もせずにそれを受け入れる。
ロディルの襟首を締め上げてミルンは詰め寄った。周りの観光客たちがざわついているのも気に留めず、腹の奥から搾り出したような声で、唸る。
「親父やトーリィにどんだけ迷惑かけたと思ってんだよ。あんな手紙寄越しやがって、お袋やリェーチカが、どんだけてめえの心配してると思ってんだよ……!」
「それは、まあ、おまえの言うとおりだ」
「わかってんなら今すぐ帰れ!」
「帰れないからここにいるんだよ」
帰れないんだ。
ロディルは静かにそう繰り返した。ちょっと困っているような言いかただった。
ミルンはロディルの襟首を掴んだまま、顔だけ伏せた。そして、怒りのためか、それとも別の理由があったかはわからないけれど、震える声で訊いた。
──マヌルドで、何があったんだよ。
その言葉を聞いてスニエリタがララキを見た。彼女にはロディルの留学先までは教えていなかったからだ。
ララキはなんと言えばいいかわからず、黙って頷くしかできなかった。
対するロディルの答えは、大したことはなんにもないよ、だった。これも静かな声だった。
何もなかったということはないのだろうが、敢えて言いたくもない、という風情だった。それが逆に重かった。言いたくないほどのことがあったのだと言っているのと同じだった。
でも、どうしてだろう、それを聞いたミルンはなぜか、ふっと息を吐いた。彼の中で何か納得ができたのだろうか。
「ジーニャ、俺、アンハナケウを探す旅をしてんだ。そこのララキってやつはクシエリスルに因縁があって、だから絶対に見つけられるって踏んでる。
おまえのやりのこしたことは俺がやる。"神の紋唱"を手に入れて水ハーシを守る。そのためならどんなことだってやってやる。
だから、ジーニャ、おまえは帰ってくれよ。帰って……みんなに謝れ」
なんというか、ミルンは変だった。
ララキの眼から見てだが、なんだかこのときのミルンは、怒っているようでも、泣いているようでも、笑っているようでも、疲れているようでも、はたまた楽しそうでもあったのだ。
正直見ていて気持ちが悪かった。言っていることはこれまでと一貫しているのに、何かが違うような気がした。
もしかして。もしかすると彼は、本心では、兄と一緒に旅をしたいのではないだろうか。
ほんの一瞬だが、ララキの中にそんな考えが浮かんだ。もちろんなんの根拠もないただの憶測だ。
ただララキの直感が、ミルンの手を見てそう告げた。
顔や声はいろんな感情がぐちゃぐちゃに混ざっていてどれが正しいのかわからないが、ロディルの襟を掴んで震えている彼の手だけは、どうしても泣いているように見える気がした。
なんだかすごくミルンが小さく思える。単に彼よりも背の高い兄と並んでいるせいかもしれないが。
「……神の紋唱なんておいそれと口に出して言うものじゃないよ。それにおまえはちょっと勘違いしてるね」
ロディルはミルンの肩にぽんと手を置いて、今度は穏やかな声で言った。
「僕は強くなりたいんだ。もっと強くならないとハーシには帰れない。だからおまえの頼みは聞けない。
でも……おまえの言いたいこともわかるよ、ミルシュコ」
ミルンは。
その言葉を聞いたミルンは、一瞬泣きそうな顔をした。
それからロディルを離して、距離を置いて、頭を一回ぐしゃぐしゃ掻き回してから、大きな溜息をひとつ吐いた。
そしてまだ何か吐き出したりないとでも言うように、あー、と小さく叫んだ。
「わかってたよ、説得なんか無理だってのは。一応言ってみただけだ」
「逆に僕がおまえを止めるのも難しそうだね。アンハナケウか……ずいぶん壮大な目標だけど、何か手がかりでも掴めてるのか?」
「いや……まだ」
「おいおい」
そこで初めてロディルが表情を険しくした。
といっても元が相当おっとりしているので、少しばかり眉間が曇ってやっと凛々しくなった程度だったが、ララキはそれを見てはっとした。
この顔だとミルンに似ている。いや、顔というよりは、纏っている雰囲気のほうかもしれない。
なるほど、ワグラールが見たのもこんなロディルだったのだろう。
ロディルはまず時計台のほうに眼をやって、それからミルンに向き直った。先ほどまでの穏やかさはなりを潜め、冷たささえ感じるほど鋭い眼差しで、硬い声で、ミルンに告げる。
──もうすぐ紋言開きの主儀礼が終わる。そうしたら少し付き合え。
ミルンもその気迫に呑まれたのか、黙って素直に頷いた。
そのまま時計の鐘が鳴っても四人はその場を動かず、儀礼の再開を見守った。
祭司たちはいっそう力を込めて儀礼を行い、力強い声で祝詞を詠みあげる。これで今日の祭りのすべてが完結するのだ。
今まで大道芸などを見にいっていた観光客たちも、出し物をしていた人たちも、みんな広場に戻ってきた。かなりの混雑だ。
額縁の間を祭司たちが舞う。舞踊の動きのなかに紋唱が含まれており、ときどき彼らの手元がきらきらと光る。
ここに神ルーディーンが降りるのだ。降りて、紋唱を残すとされている。
実際には祭司たちが予め用意した紋章があり、緻密な紋唱によって意図したタイミングで浮かび上がらせているらしいが、一応用意する時点で神託を受けたりはしているそうなので、神の意思であることに変わりはない。
その時が近づいている。ララキは思わず鞄の紐をぐっと握り締め、じっと額縁を見つめた。
──どうしよう。ルーディーンに語りかけてみようか。彼の名前を出してみようか。
もしかしたら協力してくれるかもしれない。逆に、ヴニェク・スーのように攻撃されるかもしれない。
これだけたくさんの人が集まっている場で攻撃されれば、周囲の大勢に被害が及ぶだろう。
でも、何もしないで、何の危険も負わないで、アンハナケウに辿り着けるはずはない。
ここにはミルンのほかにスニエリタもいるし、相当腕が立つというロディルもいる。他にもたくさんの紋唱術師が見にきているはずだ。
ルーディーンが怖い神だったとしても、数で対抗すればなんとかできるかもしれない。
……そういえば。
ララキはふと、疑問を覚えた。今さらの疑問だった。
それはジェッケの街でヴニェク・スーの使いと思われる幻獣のハヤブサに襲われたときのことだ。
どうしてあのとき、ヴニェクは直接ララキたちを襲わずに、一般人の子どもを狙ったのだろう。
そもそもカムシャール遺跡の時点で襲ってこればよかったのに、あの時点では局地的な地震があっただけでそれ以上のことは起こらなかった。
もしかしてシッカが守ってくれていたのだろうか。いや、きっとそうだろう。
ララキは眼を閉じて、ふう、と息を吐いた。
──ワクサレアの神ルーディーン。あたしの名前はララキ……"呪われた民"の生き残りのララキです。
周囲に何か異変が起きたようすはない。今度は深く息を吸う。
──あたしは、ヌダ・アフラムシカという方の嘆願のためにアンハナケウを目指しています。
どうかあなたがあたしたちを赦してくれるなら、あたしに幸福の国への道筋を示してください。
もう一度、息を吐く。
──もし怒っても、他の人を攻撃しないで。狙うならあたしひとりにしてください!
周囲が、しんと静かになった。
もちろんおかしい。さっきまで、人混みのざわざわいう音や、祭司たちの祝詞の声でいっぱいだったのに、急に夜になったみたいに音がすべて消えてしまった。
恐る恐る、眼を開けてみる。
するとそこは、もうフィナナの広場ではなくなっていた。
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