026 大祭ルーディーニ・ワクサルス② - 家出人

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 なんかどっと疲れたな、とミルンは思った。


 急にスニエリタが仲間になりたいとか言い出してきて、どうやって断ったものかと四苦八苦していたが、結局彼女の申し出を受け入れることになった。というか、した。


 正直言って、ミルンは彼女のことがちょっと苦手だった。

 見た目こそ文句のつけようがない美少女だが、芯が強いというか矜持が高いというか、存外自分の意思を強く主張してくるタイプらしい。

 そのへんは、恐らく実家がそれなり名家だか良家だかで、そこで何でも与えられて育ったからなのだろう、とミルンはやや卑屈な気持ちで推測している。


 たぶん本人には一切悪気はないのだろうが、正直こういう人間の相手は面倒くさい。


 きっとこれからいろいろな場面で彼女の意見が押し通されることになるだろう。

 それが単なるワガママだったらまだいい。こういう人間は、本人が心底正しいと思って提言するので、下手に否定するとこちらが悪いかのような雰囲気になるのだ。

 旅の途中で出逢ってすぐ別れる相手ならいいが、ずっと行動を共にするとなると気が重い。


 とはいえ腕利きの術師が仲間になってくれてありがたいのも事実だった。ララキは成長しているが、それでもまだ何もかも安心して任せられるとは到底言えない。


 これから出逢う神がヴニェク・スーのように攻撃的ではないという確証はないし、むしろ逆で、もっと激しい攻撃をしてくる可能性もある。

 ミルンの求める"神の紋唱"にしたって、ひとりでは扱えない代物かもしれないのだ。

 そう考えると戦力が多いに越したことはない。それがスニエリタのような実力者なら願ったり叶ったりだ。


 もやもや考えながら、そっとララキ越しにスニエリタを見る。ふたりはけっこう仲がいいようで、さっきからずっと何かしらくっちゃべっていた。


 ……顔はな。顔はいいんだよな、眼の保養になる程度には。

 ミルンひとりが暗く考えても仕方がない。できるだけ前向きに考えよう。かわいい子が仲間になってラッキー。


「マヌルドにも紋言開きってあったの?」

「ええ。毎年春に帝都のアウレアシノンで、秋には北部のシェンナ・ヴィーラという街で行われますわ。わたくしはどちらも見たことがあります」

「へー、あたしはハブルサのしか見たことない」


 にこやかに談笑する姿からは、先ほど同行を申し出てきたときの気迫は想像できない。


 ただなあ。と、ミルンは思う。

 懸念事項は彼女の性格だけではない。それよりもっと厄介かもしれないのは、彼女の背景のほうだ。


 スニエリタはまだ自分がほんとうはどこの誰なのかミルンたちに教えてくれていない。ぶっちゃけスニエリタという名前が本名なのかもわからないわけだ。

 まあ今後は認定証を見せてもらう機会もあるだろうから、名前に関しては別に急いで聞き出す必要はない。


 ただ、この溢れ出ている気品、仕草、言葉遣い、服装、その他もろもろの情報から鑑みるに、彼女がどこかのお嬢さまなのは間違いない。

 貴族と付き合いのある豪商かもしれないが、貴族そのものである可能性もある。

 その場合おかしいのは誰も付き人がいないことだ。いくら腕が立つったって、良家の子女がたったひとりで国外をふらふらしていいわけがない。


 恐らく彼女はきちんとした手続きを踏んでここにいるのではない。つまり、家出人だ。正体を明かさないのもそのあたりが理由なのだろう。


 どんな理由で家出をしたのかは知らないが、飛び出してきたであろう実家が良い家柄であればあるほど、家の者は絶対にそんな人間を放っておくことはない。


 たぶん今もどこかで捜索されているはずだ。

 マヌルド人だというのが嘘ではないと仮定して、国外に出ているからまだ追手が来ていないだけで、向こうが性能のいい探索系の紋唱を駆使していれば見つかるのは時間の問題だろう。


 というかほんとうにマヌルド人で貴族だとしたら出てくるのは軍隊という可能性もある。

 マヌルドは軍事大国で、貴族のほとんどは軍人でもあるからだ。ミルンがロディルを追うのとは規模が違う。


 そうなったらミルンとララキだけで彼女を匿うのは難しい。最悪、そこで彼女とはお別れになるかもしれない。


 まあ、そうなっても仕方がないだろう。


 それにたぶん、そこもミルンが彼女にひっかかりを覚える点のひとつだ。

 誰の了承もとらずに家を飛び出すという行為そのものが、ミルンはどうしたって置いていかれた側の気持ちを考えてしまって、受け入れがたいものを感じずにはいられない。


 スニエリタにきょうだいはいるだろうか。両親は健在だろうか。

 いるのなら、今ごろどんな気持ちでスニエリタの帰りを待っているのだろう……。


 そう思うと、胸の奥が軋む。


「ね、ね、ミルン」


 考え込むミルンの袖を、くいくいとララキが引っ張ってきた。なんだと訪ねると、彼女は広場の遠くのほうを指差して、あの人、と言った。


「こないだあたしが訓練場で会った、たぶんミルンのお兄さん」

「どうされました?」

「あ、スニエリタは知らないよね。ミルンはお兄さんのこと探してるの」


 言われた方角を見ても、人が多すぎてパッと見ではわからない。ララキのやつ相当視力いいな、と思いながら、じっと眼を凝らしてそれらしい人物を探した。


 ……長い銀髪の男。


 いた。やっと見つけた。

 遠くからでもわかる、なぜならミルンの眼には、彼の周りに故郷の森が広がっているように見えるから。


 そう思うなりミルンは歩き出した。何も言わなかったし一度も振り返らなかったが、あとからララキとスニエリタがついてきているのはわかった。

 人混みを掻きわけて、先ほどいた場所から広場の中心部を挟んでほとんど反対側といっていいところまで、僅かにも立ち止まることなく進む。


 たぶんかなり険しい顔をしていたのだろう、たまにミルンを見てぎょっとしている人がいたが、そんなものはどうでもいい。


「ミルン、ちょっと、ねえ、どうすんの」


 後ろからララキが訊いてきた。もう兄のすぐ近くまで来ている。


「喧嘩とか、騒ぎになるようなことはダメだからね。他の人の迷惑になるし」

「わかってる」


 わかっている。わかっているとも。


 だから、兄の背が見えたときも、まず深呼吸をした。拳が先走らないように意識して指を伸ばした。


 前に一発殴るとか言った覚えがあるが、それは言葉のあやで、ほんとうにそうしようと思って言ったわけではないのだ。

 それでも兄の回答次第ではわからない。激情に任せて手が出るかもしれない。

 ──そんな喧嘩、子どものころはさんざんやった相手だから、お互い加減は弁えている。


 それでもいざロディルを前にして、何と言えばいいかわからなかった。


 記憶にあるよりも背が伸び、髪も伸び、それでも背中には昔の面影を湛えている。髪なんて伸ばしっぱなしなら結えばいいものを。

 ミルンが覚えている実家にいたころの兄は水ハーシ族の伝統的な結髪だった。

 そのころはミルンも結っていたが、旅に出るとき邪魔だと思ったので自分で切ったのだ。


 辿りついた今もわからない。ロディルが何をしたくて彷徨っているのか、彼の中に故郷への気持ちがどれくらい残っているのか。

 そして、ミルンが兄に対して何を求めたいのかすら。


 ララキには、兄の代わりに世界を変えると答えた。

 それは正しいが、間違ってもいる。

 実際のところミルンは兄のことをすべて推測で語り、世界を変えたいという思いの出どころも、ほんとうはミルン自身の願いなのだ。自分が首都で嫌な思いをしたから。


 ひいては兄に、自分と同じことを考えていてほしいと思った。


 なぜならロディルが紋唱術師だったから。自分以外のきょうだいで唯一、同じ紋章を描いて、同じ詩を詠んで、同じ道をミルンの前に歩いていた人だから。彼がミルンに紋唱の世界を教えてくれたから。

 だから、この先もずっとそうなのでないかと、勝手に思っていたのだ。


 独り善がりだという自覚があったからこそ人前では絶対にそんなことは言えなかったし、これから確かめるのがひどく恐ろしくもある。


 いや、きっと違うだろう。きょうだいといえども別の人間なのだから。

 ミルンは、どこか諦めたような気持ちで兄の肩に手をかけた。



 ロディルが振り返る。


 驚いたような顔をして、まずミルンを見て、それから後ろの少女たちを見て、果たして彼は何を思ったのだろう。

 兄の眼に、弟はどんな顔をして映っていたのだろう。


 言葉はなかった。ただ、ロディルは笑っていた。

 微笑んで、そして、自分の前方で行われている祭司たちの儀礼のようすを指差してから、そっと自分の口の前に指を一本立ててみせた。


 言葉なんてなくても聞こえた気がした。懐かしい、あの優しい声で兄がこう囁くのが。


 ──儀礼が終わるまで、ちょっと静かにして待ってて。


 結局そのあと、儀礼がもう一度祭司たちの休憩のために中断されるまで、ミルンはその場に立ち尽くしていた。


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