014 ヤンザール・クラブの一夜①

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 途中、昼食のために適当な駅で降り、別の列車に乗り換えるなどして、ようやく首都フィナナに着いたころにはすでに日が傾きかかっていた。

 ずっと座りっぱなしでくたびれてしまったので、身体を伸ばしながらのろのろと駅を出る。


 さすがに首都だけあって建物がどれも立派だ。今まで田舎町ばかり立ち寄っていたせいでなおさら大きく感じる。


 それにララキの体感としては、同じ首都のハブルサよりも全体的に高さがあるように思う。

 そのへんはお国柄の違いだろうか。たしかにハブルサの夏の暑さを考えると、背の高い建物はそれだけ太陽が近い感じがして嫌だ。


 ミルンは前にも来ただけあって安い宿の場所を知っていた。

 こういうところでは宿もピンからキリまであり、安い宿はそれだけ質もそれなりだが、良いところにいけば十倍の値段にもなるという。


 安宿だけあって客室は寝る以外の用途には使えない狭さ、当然食事も風呂もなく、しかも立地が見るからに治安の悪そうなところにあった。

 ほぼ屋根と床つきで野宿するような感じだ。


 とりあえず部屋を確保して荷物を置き、念のため扉に鍵をかけたうえで紋唱でも施錠の術をかけ(ララキは知らなかったのでミルンに教わった)、ふたりは再び市街へと戻る。


 さすがに首都の夜は長そうだ。日が暮れかけても閉じている店はほとんどない。


「それで、これからどうするの?」

「ひと稼ぎしにいこう。ただ注意しないと一文無しになるけど」

「……ほんとにどこ行くつもりなのそれ……」


 久しぶりに嫌な予感がした。残念なことに、ララキのこうした予感はほぼ確実に当たる。

 行けばわかるよ、という回答がなおさら不安を煽るのだが、ミルンはさっさと歩き出してしまった。


 しかも方向は街の中心部ではなく、薄暗い裏通りを歩いていく。

 地面は泥のようなものにまみれていて汚いし、なんだか変な臭いはするし、角に野良犬がうずくまっているし、嫌な感じだ。


 挙句の果てに野良犬より大きいのもうずくまっていた。人間である。

 ララキたちに手を伸ばそうとしてきたが、ミルンに無視するよう言われたのでそのとおりにすると、手はすっと引っ込められた。


「今のなに?」

「物乞いだろ。都市だってみんなが裕福なわけじゃないよな」

「そっか……あたしたちみたいに紋唱術が使えたら、旅しながらでもいろいろやりようがあるけど……そうじゃない人はどうするんだろう」

「元から金がなくて学校に行けない層は肉体労働しかない。それで病気にでもなったら、ああなる」

「このあたりはそういう人たちが住んでるところ?」

「そうだよ。ごくふつうの貧民街だ。で、そういうところは憲兵の眼も届きにくいんで、いろんな商売をやってるんだ」


 たとえばこういう。

 と、ミルンが指差したのは、何の変哲もないただの民家だった。


 看板などがないので何かの店には見えなかったが、ミルンは平気でその中に入っていく。

 ララキも恐る恐る後を追う。


 中にはちょっと柄が悪い感じの若いお兄さんがいて、ふたりを見るなりつかつかと歩み寄ってきた。


「なんだ、あんたら」

「飛び入り参加を希望したい。あ、出るのは俺で、こいつは見学」

「じゃあ認定証を見せてくれ。

 ……はい、たしかに。ご利用ありがとうございます。ちなみにご参加は初めてでしょうか?」

「いや、これで四回目かな」


 紋唱術師の認定証を見るなり、お兄さんは急に丁寧な口調になった。


 なんかもうやばい感じがする。

 そもそも中に入る前から憲兵の眼がどうとか言っていたし、お兄さんの態度の急変ぶりも怖いし、これって絶対非合法の何かだ。


 ミルンは見たところまだ未成年なのに、何かいかがわしい商売に関わってるんじゃなかろうな。

 そんなのお母さんクマが許さないぞ、たぶん。


 ビビりつつ、置いていかれるのも嫌なので、さらにミルンについていく。


 隣の部屋に入ったかと思うと、ついてきたお兄さんがテーブルと絨毯を退けた。

 その下から出てきたのは怪しげな扉だった。


 もちろん床にある扉なので、行き先は地下であろう。


「なんか怖いんだけど、ねえ、これほんとに大丈夫? あたしたち生きて出られる?」

「大丈夫だよ、たぶん」

「たぶん!?」


 今いちばん聞きたくない言葉だった。


 どうぞ、と言われてミルンが地下へ続く階段を降りはじめ、ララキも嫌々あとに続く。


 数メートル下ったところで頭上から扉が閉められる音がして、思わずぎゃあと叫んで泣いた。

 いちおう先に灯りは見えたが、階段まわりは真っ暗だったし、閉じ込められたような気持ちしかしなかった。


 おまえビビりすぎだよとミルンが半笑いしているのが聞こえたが、何も説明せずに連れてきたおまえが言うなとララキは思った。


 それにしても暗いと思ったら、一番下はまた扉だった。灯りはその先の部屋から漏れているだけだったのだ。

 ぎいぎいとこれまた不穏な軋みをあげながら、扉が開く。その向こうはやたらに明るい。眩しくて何も見えない。

 そしてだんだん眼が慣れてくるにつれ、ララキの想像しえない世界が見えてきた。


 そこは、ものすごく広い部屋だった。入ってきた民家などすっぽり収まるどころか、もう数軒入るくらいの大きさだ。

 中にはたくさん人がいて、半分以上は手袋を着けている。ざっと見ただけでもいろんな国や地域から集まってきたようだった。


 部屋の中央部は円形に開けていて、そこには誰もいない。


 この感じは見たことがある。

 ライレマが故郷のヤラムという街で紋唱術の授業をするのに使っていた部屋も、こういう円形の作業場が設けられていた。円は紋唱の基本だからだ。


 でも紋唱術の練習場、というわけではなさそうだ。さすがにララキもそれくらいわかる。


「そろそろ説明してよ。ここって何するとこなの?」

「簡単に言うと、紋唱術師限定の賭け試合をやる場所だよ。試合は一対一で、術は何を使ってもよし、相手を気絶させるか手袋を奪えば勝ちになる。一試合から参加可能で、何試合か連続して勝てば報酬が上がる仕組みだ」

「それって……その……非合法なの? こんな地下でやるっていうのは」

「ワクサレアは賭博禁止だからな。内容的には金さえ絡まなきゃ表でもできるだろうけど」

「そうなんだ。でもよくミーちゃんが許したね」

「いや許してもらってないから、ここじゃ呼び出さないことにしてる。絶対言うなよ」


 案の定だった。

 そうだろうな、ララキがミーの立場でも絶対やめろって言う。


 そこへ、新しく入ってきたふたりの姿を見とめたのか、従業員らしい服装の男性が近づいてきた。入り口にいたお兄さんのように強面ではなく、見た目はどこにでもいそうなふつうのおじさんだ。


「ようこそ〈フィナナ・ヤンザール・クラブ〉へ。参加者の方ですか?」

「あ、俺が参加で、こいつは見学。今日は何試合ある?」

「次の試合から数えて五試合予定されております。しかし今日は飛び入りが多い。調整しますので、一度あちらのカウンターにお越しください」

「わかった。じゃあララキ、おまえはそのへんで適当に座って見てな。きっといい勉強になるぜ」


 そう言ってミルンが行ってしまい、見知らぬ場所でひとりぼっちになってしまったララキは、寂しさと不安を誤魔化すべくおじさんに話しかけることにした。


「あの、おじさんはここで働いてる人?」

「これでも一応支配人です。マルジャックと申します。お嬢さまはこういったクラブは初めてですか?」

「あ、ララキです。そうなの、何の説明もなしに連れてこられちゃって……要は紋唱術を使って喧嘩するところなんだよね? で、見てる人はお金を賭けるの?」

「ふふ、簡単に言えばそういうことです。試合後、負けた側の賭け金が勝った側で分配されます」

「試合に出る人は? 負けちゃうとどうなるの?」

「参加時に一定額お預かりしますので、それを没収させていただきます」

「……負け続けたら?」

「そういう方もいらっしゃいますね。もちろん、その都度お支払いいただきます」


 つまり、一度負けると文無し。負けが続けば借金が増える一方。というシステムらしい。

 やっぱりやばいところだった。マルジャックは人当たりもいいし言葉遣いもきれいで紳士的だが、なんとなく眼が笑っていないというか不気味な感じがする。


 大丈夫なのかミルン……心配するララキをよそに、音響系の術を使ったらしい放送が室内に響いた。


『お待たせいたしました。これより夜間の部、第一試合を始めます。

 まずご紹介いたしますは青の席。本日は初参戦、遠くハーシ連邦より飛び入り参加の──ミルン少年!

 続きまして赤の席。皆さまご存知、"石頭シャルツレッガー"、ワグラール氏です!』


 始まりましたね、とマルジャックは楽しそうに言う。


 放送はさらに続く。

 それぞれの名前の後に金額らしいものが発表されたが、相手はミルンの三倍近い額を提示されていた。どうやら現在ふたりに懸けられているチップの合計額らしい。


 ワグラールなる人物は、ご存知、とか二つ名らしいものを言われていただけあり、このクラブでは常連の参加客らしかった。

 やがて円形の闘技場の両端にそれらしい人物が現れる。かなり屈強そうな体つきをした男性だった。紋唱術に体格はあまり関係ない気もするが、やはり見た目が勇ましいと強そうに思える。


 ほんとうに大丈夫なのか、ミルン。

 まだ飲み込みきれていないララキの気持ちをかき消すように、試合開始を告げる鉦が高らかに鳴った。




 ミルンは相手の表情を見逃さなかった。対岸に立つ自分を一目見るなり、ワグラールとかいう男はかすかに右眉を顰めたのだ。

 しかしミルンには彼に見覚えはない。少なくとも以前このクラブに参加したときの試合では当たらなかった。


 アルヌを呼ぶ紋を描きながら、問う。──俺の顔になんかついてるか?


「……いや。髪を切ったわけじゃないようで安心したぜ」

「髪?」

「前に当たった相手が、てめえによく似てたのさ。ただそいつは女みたいな長髪だったんでな」


 苦々しい顔で言うあたり、その人物には負けたのだろう。


 長い髪をした、ミルンによく似ているという男になら、ミルンも覚えがある。この男にはあとでいろいろ聞かせてもらう必要がありそうだ。

 ただそのために、そして何より財布のためにも、まずはこいつに勝たねばなるまい。


「"我が友は切磋する"!」

「"健勝にて我に応えよ"!」


 クラブの常連闘士だけあり、当然相手も招言詩は略式である。

 紋唱からは身の丈二メートル近い赤毛のサルが飛び出し、もう随分慣れたようすでワグラールの顔さえ見ずにこちらへ疾走してきた。むろん、こちらもアルヌが走り寄ったので、両者は思い切り激突することになった。


 衝突の瞬間、アルヌが大きく咆える。石造りの床であっても土煙が舞い上がる。


 アルヌの持つ属性は岩である。突進するど同時に顔の前に術を展開し、そのまま相手に身体ごとぶつかっていくのが彼の基本戦法なのだ。

 持ち前のスピードがそのまま威力に上乗せされ、彼の体躯と同じ大きさの岩玉が転がってきたような衝撃を与える。

 たいがいの相手はそれである程度ダメージを受けてくれるが、さすがに相手も無策で突っ込んではこない。予想はしていたが、サルにも身を守る術があったらしい。


 土煙が引いて、アルヌの前に佇むサルの姿が再び見えると、その身体は装甲のようなもので覆われていた。

 どうやら向こうのサルも属性は岩であったらしい。岩石を体表に纏い、防具のようにしている。なるほど、これが石頭とかいう二つ名の由来か。


 もちろんミルンも遣獣たちのぶつかり合いを黙って見守るわけではない。横目に見つつ、手と口は休むことなく紋唱を行う。まずは様子見をかねて水流の紋。


 ちなみにこうした闘技場は、内部で発動した術が円の外に出ないように防御系の紋が予め施されている。

 つまり、どんな大きな術を使っても観客が巻き込まれないし、ましてやこの地下空間が壊れるようなことはない。遠慮なく好きなだけぶちまかせるのだ。


 水流の紋によって起きた奔流がワグラールを襲う。直接当たれば円の外にはじき出されるが、そうなるとペナルティが発生し、彼が勝った際に受け取るチップが減額される。

 その差額分はクラブ側に入るので直接ミルンの利益にはならないが、意味がないわけでもない。さて、どう出るか。


 相手も同じく術を発動している。紋章は、──見たことがある。

 確認した直後、ミルンはすばやく横に転がった。

 さっきまで立っていた場所に亀裂が入る。いや、地面が隆起し、鋭い岩石の棘が瞬く間に屹立した。その大きさは、ゆうにミルンの身長に届くほどである。


 さすがに血の気が引いた。これは、人間相手に出す術ではない。


「こんなもん当たったら死ぬじゃねーか!」

「あ? だからなんだよ」

「いや、死なせるのはご法度だろ、そういうルールだって……」

「いつの話をしてんだよ、坊主」


 ワグラールはそこでにたりと笑って、言った。


「ルールは日々変わる。

 ヤンザールじゃ、先月から殺してもいいことになってんだよ。そのほうが張り合いが出るってな!」


 なるほど。元々非合法でやっている賭博試合クラブなど、堕ちるのも早い。

 それに以前から、死なないまでも再起不能なくらい痛めつけられた参加者はいたと聞く。


 ミルンが最後に参加したのは前にフィナナに滞在した数ヶ月前。先月のルール改正など知る由もない。


 参加前に確認しておくべきだったな、と反省しながらすぐさま走りだした。

 相手が一切手加減をする気がない以上、一箇所に立ち止まっているとまたあの攻撃が来るはずだ。単調な動きだと先を読まれる可能性もある。


「アルヌ、おまえも同じ場所に留まるなよ!」

『言われるまでもねえぜぇぇぇ!』


 問題がひとつある。紋唱術は、空間に模様を描くという行為が必須であるため、走りながらではやりづらい。

 できなくもないが手元がぶれてしまい、線が歪んだり図形が破綻してしまうのだ。

 攻撃を避け続けているとこちらが何もできなくなる。いずれは疲れて足が止まり、そこを狙い撃ちされる。


 相手もそれを狙っているのだろう、案の定同じ術を連発してくる──もうそちらを見る余裕はないが、岩柱の紋、という詠唱の声が聞こえる。

 こちらを走らせ続けるため、また短期間に続けて放つために、恐らく威力はさほど上げていないだろうか、それでも当たれば怪我は必至。足が傷つけばその時点で相手が勝ちが決まったようなものだ。


 走りながら考える。


 さて、この状況、いったいどうしたものか。


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