中央の国 ワクサレア

013 首都フィナナへの鉄道の旅

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 ワクサレア共和国のいいところは、交通機関の整備が行き届いていることである。

 本数は少ないものの国境沿いの小さな町にもきちんと列車が通っている。馬車に比べて速度が出るぶん遠くにも行ける。ただ、値段は相応。


 手持ちのお金を両替してから、まず列車の路線図を購入した。しばらく線路沿いの移動が続きそうだ。


 また近場の宗教施設からちょこちょこあたっていこうと思っていたララキだったが、ここへきてミルンはまず首都まで出ようと主張した。

 初めて行き先についてふたりの意見が割れた瞬間だった。いや今までが同行者でもなかったのに合致しすぎただけなのだが。


 ミルンが言うにはこうだ。


 まだまだ所持金が少ないので仕事を探さねばならないが、田舎より都会のほうが種類も豊富で報酬もいい。

 さらにワクサレアの首都フィナナには、紋唱術師を対象にした施設が多くある。そこでもう一度勉強しなおしてスキルアップを図るべきだ。次にどこかの神に襲われても対処できるくらいになっておく必要がある。


 言っていることはもっともだったが、襲われる前提なのもどうなのだろう。

 カムシャールのように不用意にシッカの名前を出さなければもう少し穏便に行けるのではないだろうか。まさかミルンは自分の目的のためにわざと神々を挑発するのではないか、とまで思ってララキはまたも不安になった。


 だいたい神に襲われて対処できるレベルってどのあたりで、ララキがそこに到達するのにあと何年かかるのだ。


「いやおまえは俺の足を引っ張らない程度でいいよ。俺が強くなりたいんだ。……それに」

「それに?」

「俺もう前にひととおり見てんだよ。ワクサレアの教会とか遺跡とかそういうの、前来たときにぐるっと」

「あたしは見てないんだけど!」


 そんな理由かーい!と憤慨するララキをよそに、ミルンはなにやら地面に向かって描き始めた。見たことのない紋章だった。


 閉じていない中途半端な雫模様を十字に並べ、その隙間に変わった意匠の剣印を描き込み、最後はよくある円ではなく菱形で囲っている。さらに囲いの外にも剣印を足していた。何の術だろう。


「探刃の紋──我の求めたる先を示せ」


 紋章は白い光を放ち、菱形の中で雫模様の部分だけがくるくると回った。回転が止まると、四本あったはずの雫模様はひとつだけになっていた。


「もしかして、これが物探しの紋唱?」

「ああ。一応人間にも使える。兄を探すのに必要なんで急いで覚えたけど、そのぶん精度は高くない」

「たしかにざっくりした方角しかわかんないね」

「しかもある程度距離が空いちまうと追えないんだ。で、今のところ首都方面にいるらしい」


 なるほど、それで首都に行こうと言い出したらしい。

 今まで術を使っているところを見かけなかったのは、たぶん宿の部屋とかララキがいないところでやっていたからだろう。あと急ぎたがっていた理由もこれか。


「でも最終的にあたしたちはアンハナケウに向かうわけじゃない? ずっとお兄さんを追いかけてるわけにはいかないよ」

「わかってるよ。でもその前に一発殴る」


 兄弟喧嘩にあたしを巻き込まないでよ……と思わないでもなかったが、やめた。

 ララキの旅にはもはやミルンが必要不可欠な存在となりつつあるのだ。同行してもらえるのはありがたい。それなら多少は彼の要望にも応えてあげないといけないだろう。


 それに彼の兄の力を借りられないかと思っているのも事実だ。ララキも一度は会って話をしてみたい。


「……わかった。首都に行こう。その代わりもうちょっとお兄さんの話を聞かせてよ」


 よくよく考えたら名前も聞いていなかった。



 国境の町で一泊してから、翌朝ふたりは朝一番の列車で首都に向かった。コンパートメント式の席に向かい合って座り、くるくる景色の変わる窓を眺めながら、朝食用に買ったパンを齧る。

 首都までかなり時間がかかるということだったので、その間にミルンの家族の話を聞いた。


 一番上の兄がヴィトレイ。若いがすでに水ハーシ部族長として働いている。ミルンの両親は健在だが、今は首都に住んでおり、水ハーシの里と首都カルティワを繋ぐパイプ役の立場にあるそうだ。


 二番目の兄が現在失踪中のロディルで、下の妹がアレクトリア。

 このロディルがたまたま里を訪れた旅の紋唱術師によって才能を見出され、その人物の口添えでカルティワの紋唱学校に入学。そこで成績が優秀だったため学校の全面的な援助を得て大国マヌルドへ留学することになった。

 ちなみにミルンが彼から紋唱を習ったのは、彼がカルティワの学校に通っている間、たまに里帰りしてきたときらしい。


 ミルン曰く、性格はいたって温厚で、素手の喧嘩は苦手だったくらいの弱腰。そのかわり弟妹の面倒見はよく、妹も懐いていた。

 それだけに彼の失踪を誰より悲しんだのも妹で、連れ戻してくれとミルンに泣きついたのだそう。


 ──ジーニャ、帰ってこないの? もう会えないの?

 そんなのやだ、やだよ。ミルシュコ、探しにいって。ジーニャを連れて帰ってきてよ。

 お願い……私、いい子にするから……。


「他に紋唱術を使えるやつが里にいないんで、俺に白羽の矢が立ったってわけだ。まあ俺も次兄ジーニャには言いたいことが山ほどあるんでリェーチカに言われるまでもなかったけど」


 ロディルは里の星だった。近代化していく他の地域から取り残され、政治、経済、あらゆる面でどんどん弱っていく水ハーシの里にとっては、たったひとりの希望だったのだ。

 彼の存在によって水ハーシ族は救われるはずだった。


 紋唱術師として認定されるということは、それだけ大きな意味を持つ。

 とくに軍などでは資格の有無で階級が決められる。それも認定証の発行元が地方と首都の国立学校出身者とでは扱いも段違いである。

 それが今なおこの大陸で権勢を振るう大国、ハーシにとっては永らく支配下に置かれた地域があったマヌルド帝国ともなればさらに別格だ。


 留学を終えて帰ってきたら、首都でどんな地位だって望めるようになる。それに上手くすればマヌルド貴族と繋がりを持てるかもしれない。

 もう水ハーシ族は田舎の弱小部族の地位に甘んじて、他の有力部族に遠慮して生きる必要はなくなるのだ。


 ミルンたちは幼いころから部族長としての父の苦労を見てきた。


 里から首都への交通整備にかかる資金を国費から出してもらうために、時間のかかる山道を何度も越えて首都と里とを往復し、それなのに会議ではいつも他の部族の意見が優先されてしまう。

 それだけではない、いつだって水ハーシ族の声は無視されてきた。

 たまに他の部族が多く暮らす都市に行って、その豊かさに愕然としてきた。こちらがたった一本の道を整備するのにかかった年月の間に、いったいどれほどの建物が建ち、何本の街道と線路が設けられてきたのだろう。


 苦労のために父は身体を壊し、まだ若いヴィトレイが後を継いだ。

 下の三人のきょうだいはみんなで彼を支えなくてはいけない。そのためにロディルは遠くの学校に行くのだとヴィトレイに言われた。


 ──学校に行かせるにも金がかかる。ミルシュコ、おまえは短期の学校しか行かせてやれないが、ジーニャは優秀だから外国にも行けるんだ。

 しかも国が金を出してくれる。こんな機会は二度とない。

 あいつが大物になってくれれば、父さんや母さんも、俺も、おまえも、リェーチカも、もっと楽になる――。


 たぶん、ミルンは恨んでいる。

 兄にそれほどまでの才能があり、かたや自分にはなかったこと。


 それだけの才能と期待を背負いながら、兄が帰ってこなかったこと。


 その兄を、兄の心を挫いたであろうマヌルドの人間のこと。


 いったいマヌルドで何があった。たしかに気が強い男ではなかったが、そのぶん優しくて家族想いだった兄を、誰が変えたのだ。

 何があったとしても留学した事実は変わらないのに、どうして兄は帰郷することをやめてしまったのだ。


 今でも妹の泣き声が頭から離れない。手紙を受け取ったあの日の、妹の泣きじゃくる声が。


「……おまえにはわからんかもしれんが、ただ兄弟が家出したってのとは違うんだ。

 あいつが帰ってこないっていうのは里全体の問題なんだよ。個人のワガママで済む話じゃない」


 里を見捨てたも同然の行いなのだ。ミルンは部族の代表として、その罪を兄に問わねばならない立場にあった。


「まあ、なんていうか、大変な状況だってのはわかった……かな」

「ある意味おまえよりはずっとマシな状況だけどな。おまえはおまえで大陸中の神を敵に回してるうえ、"外の神"にも追われかねない状況だろ」

「そうなんだよね。身体の紋章、せんせーとシッカがいろいろやってくれて、かなり薄くはなったんだけど、完全に消えてはないんだ。それでも十年経ってまだ見つかってないのが不思議」


 それともとっくに見つかっているけど放っておかれているだけだったりして。

 いや、かつては何十何百と生贄を取り続けてきた荒神らしいから、そんな生ぬるいことをするわけがないか。見つかったらその場で八つ裂きにされるか、あるいはまた結界に連れ戻されるだろう。


 ララキの味方はシッカだけだ。そのシッカが力を失ってしまえば、もうどうすることもできない。

 だからどのみちララキには旅に出る選択肢しか残っていなかったのだ。じっとしていてもいつか外の神に見つかり、シッカを頼ることができなくなる。

 アンハナケウに行けば状況が変わるかもしれない、という一縷の望みに懸ける他に、ララキがとれる術などない。


 たまに、思う。どうしてシッカはあのとき、ララキを殺さなかったのだろう。

 ずっと訊いてみたいと思っているのだが、残念ながらその疑問が浮かんだときにはもう、彼は言葉を失っていた。


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