012 ネズミ退治

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 すきっ腹で慣れない作業をしていたせいもあってすでにララキはくたくただったが、差し入れに冷たいお茶と麺料理まで出してもらえたのですべて許した。

 美味しかった。

 ミルンはちゃんと仕事を見つけてお昼ごはんを食べられただろうか、と少しだけ心配になったが、たぶん彼なら大丈夫だろう。何の根拠もないが、少なくともララキの何倍も旅慣れていることだし。


 その後も延々整理整頓を続けて、いつしか机の上が見えるようになり、結局やはり机は三つあった。


 だが、片付くとともに新しく判明したのはそれだけではなかった。視界の端を何度も小さな影が横切るのを見たのだ。

 床の板材が見えるたび、影の出現率も増えた。確実にここには何かがいる。小さな生物が棲んでいる。それも一匹や二匹ではない数の。


「エッシェルさん、何かいるんだけど……」

「ネズミだよ。前から気にはなってたが、わしが留守にしてる間にまた増えたみたいだな。

 そうだ、嬢ちゃん、ついでだから駆除してくれよ。書類はもういいから」


 紋唱術師さん、ちゃちゃっと頼むよ。と、エッシェルはめちゃくちゃ他人事のように言ってきた。

 そんな簡単なことのように思われては困るのだが、そういう頼みかたをされると、ララキとしても断るわけにはいかない。


 紙の多い事務所で水属性のプンタンを出すのはまずかろうし、ここは一人でやらなければ。


 それにネズミだって獣には違いないので、うまくすれば遣獣として使えるかもしれない、という気持ちも多少はあった。また小動物かよと言われそうだが、ミルンはでかいのばっかりだから小回りが利かなそうだし、差別化ってことでならいいんじゃないか。

 というわけで、さっそく小さな紋唱を描いてネズミが出てくるのを待ってみる。


 すると不思議なことに、さっきまでガサガサちょろちょろ動き回っていたネズミたちが、突然ぱったり姿を見せなくなった。獣の勘で危険を察したのだろうか。エッシェルの使っていない机を動かしてみたりしても、ネズミたちは足音ひとつ立ててはくれない。


 ならばとエッシェルに頼んでチーズの切れ端を持ってきてもらい、ちぎって床に撒いてみる。

 自分は息を殺し、待つこと数分。まだまだ小物が散らばっている床の物影から、ついにネズミが一匹、満を持して姿を現した。


 淡い茶色の毛並みに飛び出た前歯、しわしわの鼻面。お世辞にもかわいいとは言えない外見だった。これだったら少し癖はあるもののスニエリタのニンナのほうがよっぽどかわいい。

 遣獣を外見で選んでもしょうがないが、プンタンでさえげんなりする長ったらしい招言詩を唱えてこれを召喚するのかと思うと、しかもそのためにカエル以上に数も質もなさそうなネズミの詩を調べるのかと思うと、やる気が失せた。


 よし、契約はやめてストレートに倒そう。


 ネズミがチーズを拾って臭いを嗅いでいる隙に、すばやく紋唱を行う。

 が。

 動きが見えたか声が聞こえたか、術が発動する直前にネズミに気づかれ、すんでのところでかわされてしまった。思いのほか身体能力が高い。


「傘火の紋! あっちょっ逃げないでよ! 傘火の紋! 傘火の紋っ!」

「お、おいおい嬢ちゃん事務所を壊さんでくれよ……」


 騒ぎに気づいたほかのネズミが動揺して飛び出してくるようになったので、そこからは多少やりやすかったが、何度も連発してやっと一匹当たったころには床が何箇所も焦げていた。外した術が炎系だったからである。

 とはいえ水では濡れるし、雷でも焦げるのは同じだろうし、他の術は水よりもっと得意でないし。


 かといってネズミのすばやさを考えると、一匹ずつ狙いをつけて倒すのは不可能に近い。群れているところに連発してどうにか一発逃げ遅れた個体にあたるかどうかという感じだ。

 しかもこの戦法、相手の数が減るほど命中率が下がるという問題も抱えている。


 事務所内のネズミの総数はたぶん二十匹そこそこくらいだろうか。この調子では何日もかかるし、終わるころには事務所の床板をすべて取り替えることになりそうだ。


 どうしたものかと考えていたら、なにやらいい香りがしたのでララキは振り返った。

 すると事務所の戸口に見覚えのある少女が佇んでいる。ふわふわのロングヘアを風に遊ばせた、ただいま女神説浮上中のスニエリタだった。


「スニエリタ! どしたのこんなところに」

「ララキさんがこちらにいらっしゃると伺いましたので、ご挨拶に。わたくし、一足お先にワクサレアに向かいますので、ここでお別れですわ」

「そっか。方向同じだし、またどこかで会えるといいね」

「そうですわね。ところで何をなさってるんですの?」

「あ、これ? ネズミ退治……あっ!」


 ララキが床の焦げあとを指差したところ、ちょうどネズミが駆けていった。

 急いで紋唱を行うがもちろん間に合わない。外れた術が今度は椅子の脚に当たって、ぶすぶすと煙を上げた。エッシェルも悲鳴を上げた。


 くっそーまた外した、と悔しがるララキを、スニエリタは不思議そうな顔で見ている。


「……ララキさん、その紋唱、初めから床に描いたらよろしいのでは?」

「床に?」

「ええ、先にたくさん描いておいてネズミさんが通ったときに発動させるんです。そのほうが当てやすいかと」

「なるほどー! 地雷作戦ってやつね、やってみる!」

「ふふ。がんばってくださいまし。では、わたくしはこれで。ごきげんよう」


 美しい所作で会釈して去っていくスニエリタを見送り、ララキはさっそく提案どおりに小さな紋をたくさん床に描きこむ作業に移った。

 焦らなくていいぶん多少丁寧に描けるので、ミルンに言われたことにも留意する。円はきちんと繋げて描くようにする、っと。


 そこからは楽だった。スニエリタの言うとおり、ネズミが通った瞬間その一面を発動させることで、かなり高確率で当てることができたのだ。着々とネズミの数は減り、ミルンが迎えに来るころにはほぼ全滅まで追い込めていた。


 ただ難点がひとつあり、ネズミと同じく床材も、全滅とまではいかないまでもぼろぼろになってしまっていた。


「……なんでおまえ床焼いてんだ? どういう依頼だそれ?」

「ネズミ退治してんの」

「他にやりようなかったのかよ。これじゃ床の修理代引かれてプラマイゼロかマイナスだろ」

「いや、いいよ……わしがネズミ退治なんて頼んじまったんだからな……」


 エッシェル氏はすでに諦観状態だった。目の前で床が焼き壊されていくのを小一時間も見続ければそうもなるだろう。


「ララキ、おまえ樹の紋唱できる?」

「あるにはあるけど……制御が苦手だからあんまり自信が……」

「見てやるからやってみろ。何ごとも経験だよ。ほれ」


 それスニエリタにも言われたなあと思いながら、ララキは紋章を描いた。


 ただ、ほんとうに樹は難しいのだ。

 火や水や雷と違って、ある意味生きものだから成長段階というものがある。術者の制御次第で芽生えたばかりの若葉から、樹齢数百年級の大樹にまで操作できるのだ。

 そしてそのへんの匙加減というやつがララキのもっとも苦手とするところなのである。


 過去何度やったかしれない。ちょっと若木を生やそうとして、ばかでかい樹を出現させてしまったことが。

 屋内でやった日には天井を突き破って屋根を一部損壊させたものである。


 ましてや生きた樹を生やすのではなく床板の修繕なんてやったことがない。


 不安でぐるぐるしながら指もぐるぐるして、紋章は描けた。

 発動させる前にミルンに確認してもらい、ちょこちょこと手直しすること数箇所。


「恵生の紋……うわわ縦には伸びないでやめてやめて!」

「落ち着けって」


 ミルンは言う。──紋唱は、術師の思ったとおりのことしか起こらない。床がちゃんと直ることだけ想像しろ。そうすりゃどうにかなるよ。世の中だいたいどうにでもなる。


 かなり雑なアドバイスだったが、その雑さがいい具合に肩の力を抜いてくれた。


 上へ伸びそうだった樹の繊維がへろへろと垂れさがり、床材の焦げて傷んだところまで降りてくる。そのまま床を覆うように伸びていく。

 ララキは一生懸命に頭の中で床がきれいに直ったところを想像して、ひたすらそのとおりになれと祈った。


 祈りながら、少し思った。あたしはどこの神さまに祈ればいいんだろう、と。


 クシエリスルの神々にはたぶん嫌われている。シッカは今はとても弱っていて、こんな場面では頼りたくない。

 それ以外の神というと、昔ララキを結界に閉じ込めていた、身体の紋章の主しか思いつかなかった。──"それ"に頼るのはもっと嫌だった。


 それならもう、自分の力でやり遂げるしかない。


「まあこのへんでいいだろ。やればできんじゃねーか」


 ミルンの言葉にはっとすると、床材は焦げた部分がすっかり見えなくなっていた。

 上から繊維を這わせているので少し凸凹しているが、そこは削って整え、あとは蝋でも塗ればきれいになるだろう。ララキがやったにしては上出来だ。


 恐る恐る机の向こうから覗いてきたエッシェルも、まともな様相の床にほっと胸を撫で下ろしている。


 無事にお給金もいただけたのでここで事務所ともお別れすることにした。

 国境越えの手続きをしてから三日以内にワクサレア領内に移動していなければならないという規則があるため、これ以上こちらに長居していられなかったのだ。

 しかも馬車も時間厳守の定期便しかないため、乗り遅れるわけにはいかない。


 少し時間がぎりぎりだったので小走りで馬車に乗り込み、国境へ。

 そういえばこの旅で初めてのまともに屋根と椅子がある馬車だった。


 しかしここから気を引き締めなくてはいけない。なにせ今現在、馬車での移動中に何か起こらなかったためしがないからである。

 最初のようにイノシシ一匹が道を塞ぐぐらいならまだいいが、あのハヤブサが出てきたらと思うと気が気でない。ミルンの怪我だってまだ治りがけだというのに。


 できればシッカを呼ぶのは避けたい。

 力を使わせれば使わせるほど、彼の気配が弱くなっている気がするから。


 そんな不安が顔に出ていたララキを見かねたのか、ミルンのほうから話しかけてきた。


「ネズミの駆除、どうやったんだ」

「え? ああ、床にたくさん小さい紋章描いて、ネズミが通ったら発動させて、ってしてた。地雷作戦」

「へー。意外と頭使うんだな」

「……いや、その、女神の入れ知恵というかね?」


 スニエリタに教わったと話すと、そうか、と得心顔になるミルン。あと意外は一言余計である。


「ていうかなんだよ女神って」

「スニエリタがあんまりにも親切だから勝手にそう思ってるの」

「ふーん。ちなみに彼女が来るまではどうしてたんだ」

「一匹ずつ地道に……」

「無理だろ。相手ネズミだろ」

「うん、無理。なんとか一匹二匹はやれたけど」

「そりゃおまえの描く速さがあってこそ奇跡的に出した数字だな。でもって、相手がネズミだからこそ当たって効果あったレベルだろうな」


 おおむねミルンの言うとおりなのだが、なんか楽しくない会話だ。


 ほんとうはミルンだったらどうするか聞きたかったが、それより話題を変えたい気持ちのほうが強くなってきたので、ミルンは何やってたの、と訊く。

 怪我人だから肉体労働なんかはできなかっただろう。まさか広場で大道芸もあるまい。


 すると、あっちこっち掃除してた、と返ってきた。


 ──ついでに建物とか家具の補修したりとか、失せ物探しも幾つか。


「わー、何でも屋だ。物探しの紋唱もできるの?」

「あんまり精度高くないやつだけどな。都会だったらもっと紋唱術師らしい仕事も見つかるけど、まあ田舎町じゃ便利屋がせいぜいだから、小銭が多くてぶっちゃけ稼ぎはよくない。おまえのは運いいほうだぞ」

「そうなんだ。やっぱり女神の加護かな」


 なんて話をしているうちに周りの雰囲気が変わってきた。あたりが明るい。

 窓から顔を出してみると、馬車は森を抜け、大きな橋の上を走っていた。


 そういえばイキエスとワクサレアの国境は大きな河が流れていると聞いたことがある。


 昔はよく河を挟んで両国の軍隊が睨みあったとか。そのころララキは結界の中にいたと思われるので、今の平和な世界を見ていると不思議な感じだ。

 歴史書にはしょっちゅう戦争の文字が出てくるが、そんな荒れた世界の想像がつかない。いや、神々が見かねてクシエリスル合意なんていうものを決めるくらいだから、そりゃあひどい有様だったのだろうけれども。


 水面は穏やかで、何かが起こりそうなようすはない。


「大丈夫……かな?」

「このあたりはカムシャール遺跡の、なんだっけ、ヴニェク・スー? その神の領域じゃないんだろ。近場のロカロから、たぶん国境付近までシッカの信仰地域だったんじゃないか。だから別の神は手出しができない」

「そうかな。そうだといいけど」

「太陽神の化身が鳥だったり翼のあるものだっていうのは類型が多いから、恐らくそうだ。あのハヤブサはヴニェクの使いで、あの上空の紋が……いわば一種の『神の紋唱』だろう」


 その言葉を口にするときのミルンの表情は固い。彼が探し求めているものが、どれくらい手の届かないところにあるのかを、まざまざ思い知らされた心地なのだろうか。


 ただ、ララキは今の言葉で、どうしてミルンが自分とともにアンハナケウを目指すつもりになったのか、改めて理解した。


 どこかの神がララキを妨害しようとすれば、必ず神の紋唱が現れる。彼はそれが見たいのだ。

 どんな形でもいいから神の紋唱に触れる機会を増やすことで、それを手にする方法を探る腹なのだ。

 たとえそのために自分がどんなに傷ついてもいいという覚悟で、今ここにいる。


 すごい人だと思う。元はといえば彼の兄が失踪したというだけで、どうしてそこまでやれるのか。

 本来それは彼の兄の望みであって、ミルン自身が求めるものではなかったはずなのに。


 もしかしたらまだララキの知らない事情があるのかもしれない。

 聞いていいかどうかわからないけれど、気にはなる。


 果たしてララキは踏み込んだ質問ができないまま、馬車は順調に河を越えて再び森に入った。


 ララキにとってはほとんど初めてとなる国境越えを果たしたのだ。呪われた民の土地とイキエスの間のことは、基本的に国境などとは呼ばない。


 さて、ワクサレアはどんな国だろう。

 ララキはここで何を得るだろう。


 アンハナケウへの手がかりか、あるいは更なる神の怒りに触れるのか。


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