011 国境の町ピテフ
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スニエリタのお陰で快適な空の旅になった。
一行はその日の昼下がりにはピテフの町に到着し、国境を越えるための手続きもできたし、夜は教会で寝かせてもらえることにもなった。いいこと尽くめだ。
ちゃんとした宿に泊まるスニエリタとはここで別れ、ふたりは教会へ。
夕食だけはどうにもならなかったが、ララキの持ってきた携帯食料で最低限の腹ごしらえをした。
ぱっさぱさの乾燥食料を川の水でふやかしたもので、味はお世辞にも鶏の餌より美味くないような代物だが、何もないよりはマシである。
ちなみにミルンの感想としては、これまでの人生で食べたもののなかでいちばん不味いとのこと。でもこれ、不味いかわりに水にさえ触れさせなければ十年くらい保つという超長期保存食料なのだ。
明日はきっとお金を稼いで美味しいものを食べよう、とふたりは固く誓った。ジェッケの夜が今はただ懐かしい。
「ところで改めて確認しとこう。俺は水属性の紋唱が得意だ。
遣獣はミーが炎の属性で、基本的には攻撃より守りに特化してる。アルヌは岩属性で、あの性格だから喧嘩っ早い。シェンダルは氷属性で冷静なやつだけど、ある意味こいつも性格に少し難がある」
「あたしはしいていえば炎属性が得意かな。プンタンは水属性。ほかに遣獣は持ってない」
「……おまえにも得意とかあるんだな、ちゃんと」
「失礼な。あのね、スニエリタに言われたんだけど、描くのは速いって」
胸を張りぎみに言うと、そりゃわかってるよ、という意外な返事が返ってきた。ミルンもそう思ってくれていたのか。
「速いかわりに何もかもがクッソ雑だけどな」
そしてスニエリタが言っていたのと同じ意味合いの言葉を何倍にも汚くして返された。おまえもそう思ってたんかい。
「むーっ……じゃあどういうとこ気をつければいい?」
「お、前向きだな。いいこった。
そうだな、まず線の太さを均一にするように心がけたほうがいい。こう、円を描いたときに出だしが太くて後半が細くなると、それだけで繋がりにくくなるだろ。円の破綻は初歩的だが起こりやすいミスだからな」
「なるほど。そういやスニエリタにも円が繋がってないって言われた」
「彼女けっこうしっかり見てるな。遣獣も立派なの連れてたし、ありゃマジでどっかのいいとこのお嬢さまなんだろうが、どこの学校で学んだんだろう。一回ちゃんと紋唱を使うところを見たかったな」
なんかやたらとしみじみとした口調でミルンが言う。
どうもミルンは彼女に心酔しているようだ。まあ、気持ちはわからないでもない。あれだけかわいくて、しかもたった二日でかなりいろいろ世話になってしまったのだから。
そういえばマヌルドの出身だと言ってたな、と思ったララキは、マヌルドの学校じゃないのとそのまま口にした。
ミルンが固まる。──マヌルドだって? 聞き返す声が少し震えているような気がした。
そういえば、彼の兄もマヌルドの学校に留学していたのだった。そしてそこで、何か嫌な思いをしたせいで失踪した、というか、終わりの見えない旅に出てしまったと考えられている。
そのせいか、ミルンは自分がマヌルドに行ったわけではないのに、マヌルドに対して強いコンプレックスがあるのかもしれない。
あるいは兄を探す旅の過程でマヌルドにも行ったのだろうか。
「マヌルド人なのか、スニエリタさん」
「うん、そう言ってたよ。マヌルドのどこらへんかまでは聞いてないけど。身なりよかったし都会の人っぽいよね」
「そうか。……俺が水ハーシ人だって言ったら、どんな顔したかな、彼女」
「どうだろ。すっごくいい人だし、ぜんぜん気にせず優しくしてくれるんじゃないかなあ」
だといいけどな、と呟くミルンは、まるで失恋でもしたみたいな顔をしていた。
ちょっとした夢が失われたようだった。これは黙っておいたほうが正解だったな、とララキは少しだけ反省した。
でも、それを言ったらララキだって、イキエス人のふりした"呪われた民"出身者なので、身元を明かしたら誰にどんな顔をされるかわかったものではない。
もっともこちらの場合はすでに滅んだとされている民族なので、そんなことを言ったところで信じてくれる人はそういないだろう。笑えない冗談扱いされて終わるのが落ちだ。
ともかくその日はミルンが意気消沈してしまったので、それ以上教わることもなく就寝の時間を迎えた。
なぜかミルンは気を遣い、ララキを扉に鍵がかけられる内側の部屋に寝かせ、自分は隙間風の入ってくる外側の部屋で寝ると申し出た。
一応女の子として扱ってくれたようだった。そういえばこの人男だったな、とあまりにも今さら思いながら、ララキはちょっと申し訳ない気持ちで扉を施錠する。ほんとうなら怪我人を温かい部屋に寝かせたほうがいいのに。
なかなか寝付けなくて、ぼんやりといろんなことを考えた。
アンハナケウのこと。
どうやって辿り着けばいいかは置いておいて、そこでクシエリスルの神々にどうやってシッカへの制裁を解くように嘆願すればいいだろう。どんな言葉で説得すれば聞き入れてもらえるのだろう。
ミルンのこと、というより彼のお兄さんのこと。
いったいマヌルドの学校でどんな目にあったのだろう。彼は今どこにいて、何を見て、……アンハナケウのことをどこまで掴んでいるのだろう。
もしこの旅の中で会えたなら、どうにかして協力してもらえないだろうか。神童とまで呼ばれた人ならきっと頼りになるはずだ。
そういえばどんな人なのかは聞いていない。ミルンはちょくちょく「あいつ」なんて言っているから、きっと仲がよかったんだろうけれど。
いつの間にか眠っていて、いつの間にか朝が来ていた。扉をノックする音で眼が醒めた。
服装をきちんと整えてから外へ出ると、教会の椅子に腰かけて待っていたミルンが、今日はどうする、と聞いてきた。
これまではララキが聞いてきた言葉だ。ほんとうに一緒に旅をするんだなと改めて思い、なんだか嬉しかった。
「手続きは済んでるから今日中ならいつでも国境は越えられる。先に金稼いだほうがいいんじゃないかと俺は思う」
「そうだね。……ああそっか、そりゃあ朝ごはんもないよね。乾燥草粥ならまだあるけど」
「あれは当分食いたくねえ……それくらいなら俺は朝飯抜きでいい」
味を思い出したのか、ミルンはげんなりとした顔で言った。そんなに嫌だったのか。
とりあえず国境越えの道筋を確認していると、ここの教会の祭司がやってきた。泊まらせてもらったお礼を言って、ついでに何か仕事がなさそうか聞いてみると、それならいいところがある、と返ってきた。
ここまでトラブルの連続だった旅が、なんだかスニエリタに会ってから幸運に恵まれている気がする。彼女はそういう風をも運んでいるのだろうか。
そこでララキはふとアンハナケウのおとぎ話の定型パターンを思い浮かべた──旅人に親切にしてあげたら実はその人の正体は神だった、というやつだ。
スニエリタさん女神説の誕生であった。
だが、親切にされっぱなしでこちらは何もしてあげていないのが気になる。あとですごい返礼を求められる落ちが待っているかもしれない。
ともかく祭司の案内で、ふたりは町中のとある建物へ連れていかれた。
どうやら室内には机がふたつほどあるようだが、そのほとんどは大量の書類で埋まっているので、もしかしたら影にもうひとつ隠れていてもおかしくない。
そんな雑然とした何かの事務所だった。書類の整理が追いついていないのか床にまで散らばっている。
人がいるようには見えなかったが、祭司は誰かに向かって呼びかける。──エッシェルさん、連れてきたよ、と。
すると書類の山ががたがた揺れて、その中からひょっこり人間の頭が飛び出したので、ララキは驚いて思わず一歩下がった。こんなに気配のない人間は初めて見た。
一方ミルンはララキほどは驚かず、人いたのか、と呟いた程度だった。
エッシェルという頭の寂しいおじさんは、この事務所の主であり、雑用をやってくれる人を探していたらしい。
「しかし二人も来てくれるとはね。うちはとりあえず一人いりゃあいいから、うーん……もう一人は広場で大道芸でもやったらどうだね」
「ああ……それあんまり儲からないんですよ」
ミルンが実感のこもった感じで返したところから、どうも彼にはそんなような経験があるようだ。
町の広場で儲からない大道芸をする彼はちょっと見てみたい気がしなくもない。アルヌが火の輪をくぐったりするんだろうか。
ともかく一人で充分だというので、ミルンは出て行ってしまった。
雑用だったらララキでもできるだろ。俺は別で探してくるわ。……という捨て台詞を残して。
「相変わらず棘のある言いかたするね……まあいいけどさ、紋唱使う必要もなさそうだし。エッシェルさん、雑用って具体的に何すればいいの?」
「見てのとおりだよ。まずこの書類の山をどうにか片付けんのさ……」
なんだかエッシェルは遠い目をしていた。
この事務所は、昨日ララキたちが国境越えの手続きをした事務所の隣にある。よくわからないがその関係でこんなことになるらしい。
彼が説明してくれたところによると、手続きに使用した書類は一定期間隣の事務所で保管して、そのあとまとめてこちらに移されるので、エッシェルが改めて保管するか処分するかなどを決めているとのこと。
こんなに溜まってしまったのはエッシェルがここ最近しばらく体調を崩して休んでいたのと、他の業務に追われて書類整理を後回しにしてしまった結果らしい。
とにかくララキに出された指示としては、まず全部の書類を「特定のマスに判が捺してあるものとそうでないもの」に分ける作業だった。
しかもそれを手続きを受けた人の国籍別に並べる、色つきの付箋があるものとそうでないものも分ける、日付の古いものから順になるようにする、という作業が後から後から追加されていた。
エッシェルさんは指示を出すのがあまり得意でないらしく、最初に全部言ってくれればよいものを、いったい何回「あっ言い忘れてたけど」と言われたことか。たぶん誰かに手伝ってもらうことが普段あまりないからだろう。
とにかくララキはそんな調子で昼まで振り回され続けた。
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