第1話 春の宵(後編)
あれからあっという間に三ヶ月が経過して、式典と舞踏会の当日を迎えた。本当に、月日が経つのは早い。
昼間は式典。ということで、各国の大使と国の貴族や要職者を招いた治世十周年式典は、厳かに始まり和やかに終了した。恩赦だの褒章だのも気前良く与え、目出度い空気を醸したところで終了。各自解散したら、次は夜に向けての準備だ。
城内の奥に戻ると深緑色をした露出の少ない正礼装を脱ぎ、ガウンを羽織ったままで軽食をつまむ。この後コルセットで縛り上げるので、そんなに量は食べられない。というか、ゆっくり食べている暇なんて無し。その分、お風呂に入らされ、体を磨かれ、揉まれ、今度は純白のイブニングドレスに大急ぎで着替える。この十年で徹底的に仕込まれた女王としての立ち居振る舞いも、支度部屋ではかなぐり捨てる勢いだ。自分一人で着ることなど到底できないドレスを幾人もの侍女の手を借りてなんとか着て宝飾品もつけると、控えの間に向かう。この時点ですでにもう、夜の九時を回っている。ここで宰相と待ち合わせて、広間に行くのだ。
「女王陛下のおなりです」
女官の宣言と共に部屋に入ると、宰相が頭を垂れてこちらに挨拶をした。
「今宵は陛下のエスコート役を務めさせていただく栄誉に与り、誠にありがとうございます」
そう慣例の台詞を口にすると、宰相が顔を上げる。その流れるような所作の美しさに、つい唸り声を上げそうになって必死に止めた。なんなの、この大人の色気。女王と崇められたって、自分がまだまだ小娘だという事実を突きつけられるみたいで辛くなる。
「今宵はお願いいたします」
それだけを小さく言うと、宰相が一歩近づきこちらの顔をのぞき込んでふっと笑った。
「な、なんですか」
「いえ、大人になったなと」
「なんですか、その親戚の小父さんみたいな言い方」
子供扱いされているようでなんとなく腹立たしい。けれど私の不機嫌さを気にすることもなく、宰相は従者から小箱を受け取り私に見せた。
「これはそんな陛下に、家臣からの贈り物です」
そう言って開いた小箱には、ピアスが入っていた。アクアマリンの小粒でシンプルな意匠。ネックレスのそれと色が合っていてとても素敵だ。頭の上にはティアラ、首元にはネックレスと非常に綺羅綺羅しいので、耳元にはこのくらいのさりげなさが丁度よい。
「でも、すでにネックレスを贈ってもらっていますが」
もったいなくて、つい発言が及び腰になってしまった。
「アクアマリンはブルーサファイアに比べてお安いので、お気になさらず」
にこやかに微笑まれて、またもや唸り声を押し殺す。
「もしかして、根に持っています?」
「なんのことでしょうか」
微笑んでいるのに、目が笑っていない。うわぁと思っていると、宰相が小箱を持ち上げ聞いてきた。
「つけてもよろしいですか?」
「……お願いいたします」
私からも一歩近づき、首を傾ける。宰相の指が私の耳たぶに触れ、反射的にビクリとした。手袋越しなのに、やけに指先が熱く感じられる。今つけているピアスを外してもらっているうちに、鼓動が速くなってきた。頬まで火照ってきそうで、私は目をそらして別のことを考えようとする。
「今宵の段取りなんですけど、このあと入場して私が開催を宣言したら、宰相と踊りますよね」
「そうです。一曲私と踊ったら、あとは各国の大使からお誘いされますので、踊ってください。踊る順序はお教え済みだと思いますが」
耳元で聞こえる低い声が、やけに響いて聞こえる。宰相のつけているフレグランスの香りが良くて、くらくらした。色気の無駄遣いだ。
「出来た」
宰相のその一言で、侍女がすかさず手鏡を私に渡してくれる。確認すると、ピアスとネックレスのセットはとてもしっくりと自分におさまっていた。
宰相の瞳と同じ、アクアマリン。
「綺麗……」
つい見とれてつぶやくと、くすりと笑い声が聞こえた。
「ネックレスの代金を肩代わりするだけでは、格好がつかないからな。自分で選んだものを贈れて、良かった」
周りに聞かれないくらいの、小さなささやき声。まさかそんなにこだわっていたとは思わず、私もくすりと笑ってしまう。
「気にしていたんですね」
「まあ、それなりに」
そんな短い会話にちらりと宰相の表情を伺うと、しっかりと外面の良いよそ行きの笑顔が張り付いていた。私的なお喋りはここでお終い。ここからは公人として、十年の集大成としての宴が始まる。
「陛下、宰相殿、よろしいでしょうか」
衛兵隊長が声を掛けてくる。
「良いです。扉を開けて」
私の言葉に扉が開き、私達は広間へと踏み出した──。
◇◇◇◇◇◇
舞踏会は打ち合わせ通り、私の宣言によって始まった。
今回が自分にとっての社交界デビューとは言うものの、女王主催の舞踏会は今まで何度も行われている。会の宣言をするだけして、子供だからとさっさと退場するのだ。あとは宰相が采配をふるっていた。それが今回からは宣言して、最初のダンスをお披露目して、招待客達との社交に興じるようになる。
緊張していたダンスは、失敗もなく踊り切れた。元々、ダンスと乗馬、そして護身術は日々鍛錬しているのだ。女王業は体力勝負なところもあるので、日頃の運動がこういう時にものをいう。リストに記載されていた貴人達と踊り、女性陣とも笑顔で挨拶を交わし、一通りやることは終了した。流石に朝から活動し通しで日にちもまたぐと、へとへとになってくる。招待客に紛れている衛兵に目配せをすると、広間の一角、女王専用として特設された場所に私は戻ることにした。そこに置かれた長椅子に腰を下ろすと息をつく。
「陛下、よろしければこちらを」
すかさず女官が果実水を差し出してくれた。一口飲むと、体中に水分が染み込んでいくようで生き返る。もう一度深く息をつくと、ふわりと風がなびいた。
「扉を開けさせました。お寒くはないですか」
目の前に宰相が立ち、ショールを私に差し出しながら、そう声を掛けてくれた。風が入ってくる方、右側のバルコニーを見やる。開け放たれたガラス扉の向こう、ただ暗いだけかと思いきや、白くぼんやりと霞んでいた。
「アーモンドの花?」
庭園のアーモンドの木々がちょうど花の季節を迎え、満開に咲き誇っている。そういえば毎年この季節の舞踏会は、ここを主賓の女王の場所と決め、ここから花を眺めていたのを思い出した。
「バルコニーに出ても良いですか」
宰相を見上げて言ったら、すっと手を取られた。
「エスコートいたしましょう」
ほんの数十歩の距離なのに、とても丁寧。なんだかくすぐったい思いがして、くすりと笑うと、彼に手をあずけて立ち上がった。
広間から庭園を眺めることができるように張り出されたバルコニー。特に春のこの場所からの眺めは、満開の花が咲き誇る様子が見られて美しい。宵闇の中、広間から灯りを受けて白く浮かび上がる花が、風に揺れるたびにはらはらと落ちてゆく。
ため息とともに、花の舞う光景を眺めいる。背後では、楽隊の奏でる音楽。客達のさざめく笑い声が聞こえるけれど、バルコニーには私と宰相しかいない。侍女や衛兵達はガラス扉の向こうで私達を見守っていた。
「シモーナ、舞踏会は楽しかったか?」
バルコニーの手すりにもたれかかり、グラスを片手に宰相がそう聞いてくる。低い声。他の人達に聞こえない距離だと分かって砕けた口調だ。私も緊張感を解くと、手すりに上半身をあずけて伸びをした。女王らしからぬ態度かもしれないけれど、このくらいの動作、柔軟運動と言い張れば許容範囲だろう。
「楽しいかどうかは……」
正直、よく分からない。けれどなにか一山越えたような充実感はあった。いややっぱり、
「楽しかった、ですね」
そう言って宰相を上目遣いで見上げると、にこりと微笑まれた。たまにしか見ることの出来ない、宰相の飾らない笑顔。でもその理由が子供の成長を見守る大人の満足感なんだとしたら、なんだか悔しい。
「これからはよりいっそう、女王としての立ち居振る舞いが注目されるのでしょうね」
「まあそれは」
「次は、私はなにをすれば良いですか?」
にこやかに、邪気のない笑みを浮かべて聞いてみる。
「は?」
虚をつかれた様に口がぽっかりと空いて、それから宰相の眉が盛大に寄った。
「どういう意味だ?」
「どういう意味も……」
「なんでも俺の言う通りにするもんじゃない」
和やかな雰囲気が一転する。私達の空気の変化に、扉の向こうの従者達もこちらを伺う気配を見せた。私は単なる世間話だと知らせるように彼らに向かってうなずくと、宰相をまっすぐ見据える。
「私はただの傀儡です。貴方の望む方向を示していただかないと」
そう言って、ゆっくりとバルコニーの端へと向かう。その場所だけアーモンドの枝が伸びて、花に触れることが出来た。
「ただの傀儡が、そんなに聡い訳がないだろう」
苦々しげにそう言う彼。でも十年前、先代王に潰されかけたこの国を立て直そうと、当時六歳だった私を傀儡として利用したのは宰相だ。
いつからか、変化していった二人の感情。不本意ながら女王となった私は、十年経った今でも女王であることに居心地の悪さを感じている。それでもこの椅子に座り続けているのは、宰相が私という存在を必要としているから。そして一方の宰相は、私を単なる傀儡ではなく一人の人間として扱うようになっている。それは日々を重ねるに連れ、自然に変化していったものだけれど。
だから今宵、この気持ちを吐露してしまおう。
そう、決意した。それは十六歳となり、大人として扱われる様になった自分への景気付けだ。
「ひとつ提案を」
「なんだ?」
距離を詰めようとバルコニーの端に寄り、訝しげに聞き返す彼の肩にそっと顎を乗せる。この位置なら、従者達の死角に入って見咎められることもない。私の思いもかけない行動に、宰相の体が一気に強張る。そのささやかな振動で、また彼の香りが立ち上った気がした。
くらくらして、ドキドキする。
自分の精一杯の背伸びに気付かないでほしい。そんな祈りにも似た気持ちを抱え、彼の耳元で言ってみた。
「傀儡の仕上げとして、女王にはそろそろ王配が必要な時期になったと思いませんか?」
誰とは言いませんけど。ね、宰相殿?
はっと息を呑む音がして、また体が強張った。次第に、彼の耳が赤くなる。本人は、自分の反応に気付いているのかしら。
今はまだ無理でも、いつか、必ず。
精一杯の虚勢を張って、私は小さくくすりと笑った。
いつかあなたを、落してみせる。
不本意ながら女王になった少女と、傀儡として利用しようとしてハマる宰相 櫻屋 かんな @cherry_k
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