不本意ながら女王になった少女と、傀儡として利用しようとしてハマる宰相

櫻屋 かんな

第1話 春の宵(前編)

 新年が明けたばかりの冬のある日、執務室で女官達と打ち合わせをしていると、控え目な扉を叩く音が聞こえた。


「陛下、宰相殿がお見えになりました」


 扉が細く開き、衛兵からの伝言を受け取ると、女官の一人が私にそう告げる。


「通して良いわ。お茶をお願い」

「かしこまりました。このテーブルの上は」

「このままで」


 色々な種類の生地見本が広げられた状態をあえて片そうとはせず、私はうなずく。程なくして宰相が部屋へと入ってきた。


「女王陛下におかれましてはご機嫌麗しゅう、……ってなんですか、これは」


 眉間に寄せられた皺。片方だけ上がった眉。宰相は顔の些細な動きだけで、不審と不快を表現する天才だ。


「なにって、私の治世十周年の式典とその舞踏会のドレス選びです。」


 侍女に出された紅茶を飲むと、私は負けずににこりと微笑む。流石に十年も一緒に組んでやっているのだ。これが彼の通常なのはよく分かっている。顔だけ見れば男らしさの中にも繊細な美しさのある、なかなかに良い部類に入ると思うのに、正直もったいない。


「式典……。ああ、春の」

「よもや、まだ先のこととか思ってはいないでしょうね」


 宰相の悠長な態度に、今度は私の眉がピクリと上がる。


「あともう三ヶ月もすれば春が来て、そしてあっという間に式典の当日ですよ。今やらなくてどうするのですか」

「そんなに祝って欲しい」

「んな訳無いでしょ」


 いけない。つい地が出てしまった。私は気を取りなす様に紅茶を一口飲むと、宰相を真っ直ぐ見つめた。


「私が女王となって十年目ということは、内乱が治まり平和が訪れてから十年目、ということです。そして年齢も十六歳という、成人としての仲間入り、社交デビューの歳を迎えます。国民のみならず諸外国の招待客も、あの時あんなちっさかった女王様がこんな大きくなってねぇ。と、誰もが好意をもってこれまでの道のりを振り返ってくれる最大の舞台が、式典と舞踏会!」

「はあ」

「個人の意思ではありません。エルヴェティア国の女王として、この行事をやり遂げなくてはいけないのです! 」

「はあ」


 やる気のちっとも感じられない淡々とした態度に苛立ちは増すけれど、ここで感情的になってはこの眼の前の男の思うツボだ。普段は多忙を極める宰相がなんの用事でだか知らないけれど、こうして珍しくこちらを訪れて来たのだ。これを機についでに打ち合わせできるものは打ち合わせなくては。


「ということで宰相、私のネックレスは貴方の瞳に合わせてアクアマリンにしようかと思っているんですけど」

「は?」


 呆気にとられた様な顔でこちらを見返す宰相に、私は肩を竦めてみせた。


「お忘れのようですが、舞踏会での私のエスコート役は貴方です」

「まあ、後見人ですから」

「舞踏会の衣装はどこか必ず、エスコートするお相手を連想させる物を身に着けるのが礼儀だと聞きました」

「どこからそんなことを聞いたんですか」


 宰相が、こめかみを押さえて唸り声を上げる。部屋の隅から視線を感じそちらを見ると、女官と侍女達が震えていた。扉と宰相を交互に見て、明らかに逃げたがっている。私は宰相に気付かれないように軽く手を降って、彼女達を下がらせた。


「例え女王といえども、社交デビュタントは純白のイブニングドレスというのが慣習。必然的に装身具で宰相を表現しなくてはと」

「私の話を聞いていますか?」

「そういう訳で、このネックレスです」


 ぱかっと、ベルベットが内張りされた箱を開けた。中に入っているのは綺羅綺羅キラキラしいネックレス。中央に大ぶりのアクアマリンを配置し、その周りを彩るように小粒のダイヤモンドが取り囲んでいる。


「宰相の瞳がもうちょっと濃い青ならサファイアだったんですけど、アクアマリンだったので助かりました。ブルーサファイア、お高くって」

「ちょっと」

「なんとか予算内で収まりそうなんで、これでいきたいと思います」

「陛下」

「なんでしょう」

「相手を連想させるのは、夫婦や婚約者間においてだけでございます。後見人は含まれません」

「……はい?」


 夫婦や、婚約者? 私と、宰相が?


「え? いえ? ええええー?」


 ぼんっと火が着いたように顔が熱って、私は慌てて辺りを見回した。私に嘘情報を教えた女官に侍女達、どこ行った?!


「まあさすがにエスコート役が二十も歳が離れていれば、周りも誤解しようが無いとは思いますが。ただ、女王にとっては父親と同年代がエスコートというのもやり辛いでしょう。アランを呼び寄せますか」

「それは駄目です!」


 宰相の一人息子の名前を出され、私は慌てて却下した。


「アランは今、国費でルーツェルに留学したばかりです。そんな彼を式典の、しかも舞踏会のエスコート役のためだけに呼び戻すなんて、もったいない!」

「もったいない……」


 頭の中で、ものすごい勢いで数字が唸りを上げる。山に囲まれた、酪農と林業が主要産業の小さなこの国。それにも関わらず、先代の王様は享楽で国庫を空にし、さらに内乱でその後の収入を著しく低下させた。ハッキリ言ってド貧乏なのだ。あれから十年経ち、ようやく国費で留学生を送り出せるまでには回復したけれど、送り出した人間を国費を使ってほいほい呼び戻すなんて、有り得ない。


 焦りのあまり腰を浮かせた私を見て、宰相はまぁまぁと手を上下に動かす。こういう時でも淡々としているのが憎らしい。


「まあ確かに、同世代をあてがって下手に勘繰られるのも面倒くさいですね」

「アランは私にとって兄の様な存在であって、決してそういう対象にはなりません」


 六歳でこの王宮に連れてこられてからつい数ヶ月前まで、アランはずっと私の世話役としてそばにいてくれた。宰相も当時、妻を病気で亡くして息子が残り、持て余した同士を一緒にしておけば良いと思ったらしい。お陰でアランとは兄妹の様に育ち、一番気心は知れている。だからこそ、私の配偶者選定とは別枠の存在だ。


「それに私は、宰相にエスコートを頼みたいのです」


 背筋を正し、すっと目線を合わせ、私は宰相に言った。


 十年前、先王の刺客によって殺されそうになり、ただ泣き叫ぶしかなかった私を助けたのが、この人だ。まあその後は助けてくれた本人に脅されて、椅子に座るはめになってしまったのだけれど。王だけが座ることを許された、あの椅子に。


 この十年、色々と言いたいことも思うこともありました。でも椅子から俯瞰して眺めていて、次第に見えてきたものがある。あの時、私が女王となる道を選ばなければ、椅子に座らなければ、家族と思っていた養父母達もあの場所も、今は存在していない。この国を立て直す力を持っているのは、宰相である彼。そしてそれを表に示すのは、女王である私。……決して、私が欲している役割では無いけれど。


「分かりました」


 宰相が小さくため息をついて了承する。それは嫌々なのか、それとも他になにか思うところがあるのか。いつもながら、この人の考えていることは分からない。


 ぼんやりと眺めていると不意に目が合う。その真剣な表情にドキリとした。


「シモーナ」


 役職ではなく、名前呼び。これはあれだ、個人的にどうしても言いたいときの合図みたいなものだ。こうなると、口調ももっと雑に変わる。


「なんですか」

「式典も舞踏会も、つまるところは単なるお祭りだ」

「まぁ、そうですね」

「お前は、楽しみではないのか?」

「楽しみ……」


 問われて、初めてそんな考えもあるのかと思った。確かに幼い頃、秋の収穫祭は楽しみな行事だった。村の広場に屋台が出て、楽団が音を奏で、みんなで踊って。でも、今は、


「式典も舞踏会も、今のエルヴェティア国の平和を内外に示す良い機会だと捉えています」


 それ以上のことを考えたことも、感じたこともなかった。だって私は女王だから。この宰相の傀儡なのだから。


「そうか」


 短く唸るようにうなずいて、宰相が立ち上がる。結局、彼がなにを意図してこんな問い掛けをしたのかは、分からないままだ。というか、そもそもなんでこの忙しい日中に私の部屋を訪れたんだろう。


「なにか用事でもあったんですか?」


 聞いた途端、宰相が苦虫を噛み潰したような表情になった。聞かれてまずい事でも聞いたのかしら、私。


「宰相」

「……なにか欲しいものは無いのかを聞きたかっただけだ」

「はい?」


 つい聞き返したらじろりと睨まれ、そして突然宣言された。


「そのネックレスは公費ではなく、俺が購入する」

「どうしたんですか?」


 宰相がさらに苦虫を噛み潰し続け、もっと苦々しい顔になる。


「デビュタントをエスコートするのに、なにも贈らないわけにはいかないだろう」

「はい?」


 言いたいことがよく分からずに聞き返すと、宰相の耳が次第に赤くなってきた。あれ? もしかして出だしの発言、「そんなに祝って欲しいのか」じゃなくて、「そんなに祝って欲しいなら」だったのか。


「ありがとう、ございます」


 それにしても、そこからなにを贈れば良いかを聞くには遠すぎる。分かりにくいよなぁと思いつつお礼を言ったら、私と視線を合わせようとせず目をそらされた。


 これってもしかして、照れている?


 彼の精一杯の思いやりが、照れてうまく伝えられず、カラカラと空回りしている。そんな音が聴こえた気がした。遠い。遠すぎる。でも……。


 結局、こういうところに、ほだされちゃったのよね。


 不本意ながらも私が女王を続けている理由がこれだ。いつも無愛想だし、まだ子供だった私に平気で女王としての責務を乗っけてくるし、人を利用することにためらいがない。そのくせ、要所要所でこんな不器用で可愛い姿を見せてくる。しかも無自覚。たちが悪い。


 ついくすりと笑うと、よけいにムッとしたような顔になったので、慌てて咳で誤魔化した。


「用は済んだので、帰ります。陛下、貴重なお時間をありがとうございました」


 そう言って、優雅にお辞儀をして去ってゆく。その後姿はこの国で最高位の貴族に相応しい気品に満ちている。


「本当に、外面そとづらとの差が激しい……」


 そうつぶやくと、私はすっかり冷めてしまった紅茶を飲み干した。あの姿、初めて出会った時と変わらない。


 六歳の子供の私が十六歳になるのと、すでに大人の二十六歳の宰相が三十六歳になるのとでは、成長の度合いが違う。私の中の彼は、最初の出会いで私にひざまずき名乗ってくれた、あの青年のままだ。いや多少は変わったか。年をとるにつれ、あのニヒルさ加減がどんどんと渋味に変わって、さらにいい感じになっている、……かな? かも。


 そんな取り留めもないことを考えていると、恐る恐るといった様子で女官達が部屋に戻ってきた。


「陛下、申し訳ございません」

「冗談が過ぎました」

「偶然選んだ宝石がたまたま宰相殿の瞳の色と同じだったので、つい」


 そう口々に反省の弁を述べる女官達をじろりと睨み付けてみる。けれどお互いに、口元の笑いが隠しきれない。本音をいうと、あんな宰相を見ることができたのだから彼女達はよくやった。


 あれ、でも。相手の特徴に合わせた装具を身に着けるのは夫婦や婚約者間においてだけ。そう言っておきながら、結果として自分の瞳の色の宝石を私に贈ってしまうのって、どうなんだろう?


「ふふ」


 こらえ切れずに笑いだしてしまった。またさっきの、顔付きは険しいのに耳だけ赤い宰相の姿を思い出す。こんな風に笑ってるって知ったら、宰相は嫌がるだろうけれど。


 不本意ながらも女王をやっているのだもの。このくらいのささやかな楽しみは、許されるでしょう?

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