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「ごめんなさい」


 出版社の人とはじめて電話で話したとき、わたしは言った。


「わたし、実はもう長くないんです。遠からず病気で死ぬんです。もって数カ月と言われています。それに、それよりもっと早く寝たきりの状態になると思います」


 むかしから、体が弱かった。特に小学生の頃は入院生活が長く、学校に一度も登校できない年度もあった。


 死はいつもわたしのすぐ隣にあった。


 隣のベッドがある日突然「から」になったことも、一度や二度の経験ではない。次は自分の番だ、といつも震えていた。眠ったら二度と目覚めないような気がして、消灯時間を過ぎても、かっと目を見開き、暗い天井を見つめていた。


 しかし、わたしは何が恐ろしかったのだろう。


 何を奪われることを恐れていたのだろう。


 外で自由に遊び回ることも、旅行もできず、食べ物にさえ制限がかかる生活の中で、どんな希望を持って生きていたのだろう。


 十年にも満たない人生で見出した希望とはなんだろう。


 わからない。


 わたしはただ漠然と死を恐れていた。


 自分のようではない子供、学校に通えているような子供はきっと希望に満ちた人生を送っているのだろうといつも思っていた。


 学校に友達がいなかったわけではないし、その子たちにもその子たちなりの悩みやコンプレックスがあることは知っていたけれど、最後に登校したのがいつかもわからないほど入院生活が長引き、同級生の顔も思い出せなくなってくると、世界は病院とそれ以外の二つでしかなくなってくる。


 病院には死と絶望が、外の世界には生と希望が満ちている、という風に。


 自分が長生きできるとは思えなかった。


 だから、わたしは別の願いを持つようになった。


 あれは五年生から六年生にかけての時期だ。また長期の入院生活をすることになって、病院で年度を跨ぐことになった。


 秋に修学旅行があったが、たとえ退院できても参加できそうにないということがわかってきた。旅行は体力を使うし、かかりつけの病院から離れたところで容態が急変したら、命に関わる。


 別に修学旅行を楽しみにしていたわけではない。けれど、「健康」な子たちはきっとそれを楽しむのだろうと思うと、腹の底から暗い願いが沸き上がってきた。


 同級生たちを乗せた電車――あるいは新幹線でも、バスでもいい、それが何らかの事故に遭ってしまえばいい。みんな死んでしまえばいい。そう思ったのだ。


 そのことに自分でもびっくりしたが、すぐに、自分にはそう望むだけの権利があると思った。


 彼女の言葉を借りるなら、「夢は失われた。残ったものは、慰めだった」ということなのだろう。


 生きることが叶わないなら、せめて、他人の望みを奪いたかったのだ。みんなが自分と同じなら、慰めになると思ったのだ。


 不思議なことに、当時のわたしには自分が五年、十年と生きる可能性よりも、同級生たちを不幸な事故が襲う可能性の方がまだ望みがあるように思えたのだった。


 結果的に、同級生が事故に巻き込まれることもなかったし、わたしはあれから十年以上生きた。治療が奏効して退院してからは学校にも通えるようになったし、就職して独り暮らしも経験した。


 定期的に検査を受け、体を酷使しなければ案外長生きできるかもしれない、と思う一方で、やっぱりいつか急に病気が再発して死んでしまうのではないかという不安は絶えずあった。


 そんな人生を、命をどう使うべきなのか。いつか急に終止符が打たれてしまうかもしれない人生で何を残せるのか。そんなことを考えていた頃、彼女と出会い、小説と出会った。


 病院で児童書の類いを読むことはあった。しかし、両親が与えてくれるのはどれも希望に満ちた物語ばかりだった。わたしを気遣っていたのかもしれない、けれど、それはわたしにとっては他人事にすぎなかった。一時の気晴らしにはなっても、心奪われるほど熱中したことはなかった。


 彼女が教えてくれたのは、死や絶望、悪意と向き合う物語だった。彼女とは小学校が別々で、わたしの境遇をよく知らなかったせいもあるかもしれないが、とにかく、彼女は何の遠慮もなくそうした世界を見せてくれた。


 自分の絶望も、他人に向けた悪意も、人間なら持って当然の感情なのだと小説は教えてくれた。


 そうした弱さが表現の種となることも。


 だから、それがわたしの新たな夢となった。

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