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 彼女はいったい何のために、わたしを誘ったのだろう。電話が切られた後、そんな疑問が浮かんだ。


 半ば、答えに見当がついている疑問が。


 彼女の最新作の主人公もまた作家志望の若い女性だった。彼女は公募で落選を続けるうちに小説を書く意義を見失いつつあった。そんな中、書店で目に留まった小説が、旧友の作品であることを知るのだ。


 主人公が気づいたきっかけは、巻末に記載された作者の略歴だ。自分と同郷でかつ同い年の作者、自分がよく知る旧友と同じ大学を出た作者。まさか――と彼女は店頭で凍りつく。作者の正体に興味を持ちつつ、嫉妬と劣等感からその本をレジまで持っていくことができない。しかし、手放すこともできず、彼女は店員の目を盗んで本をバッグにしまい、そのまま店を後にするのだ。


 家に帰って読み進めるうちに、彼女は確信を持つ。自分はこの作者を知っている。この作者の小説を読んだことがある、と。そして、久しぶりにその作者と連絡を取ることにするのだ。連絡先が変わっていたら、そのときはそれ以上追求するのをやめよう――そう心に決めて。しかし、幸か不幸か電話がつながってしまう。主人公は旧友を祝い、そして再会の約束を取り付ける。


 約束を取り付けた時点で、主人公に害意はなかった。少なくとも、具体的な計画は存在しなかった。しかし、旧友とカフェで再会したとき、自分がなぜ彼女と会おうとしたのかを悟るのだ。


 旧友が作家になったと知ったとき、主人公は絶望した。


 単に先を越された、というだけなら妬みはしても、歯を食いしばって負けじと次の作品に取り組むだけだったかもしれない。


 しかし、彼女は気づいてしまったのだ。

 

 


 それが正しい認識かどうかは神のみぞ知るだろう、しかし、彼女はそう思い込んだ。


 自分は決して作家になれない。心のどこかでそう思っていたことに気づき、絶望したのだ。


 彼女の夢は、子供が見るような夢だった。アイドルになりたい。あるいはプロのアスリートに。あるいは魔法少女に。


 プロの小説家は、彼女にとって夢の世界の住人だった。自分とは違う世界の存在だった。同じ小説投稿サイトから書籍化を果たす書き手がいても、それは遠い国のニュースのように聞こえるだけだった。


 彼女が漠然と抱いていた絶望、諦めは、夢の非現実性によってやわらげられていた。誰も魔法少女なんかになれない、と。


 でも、「おままごと」は楽しいものだ。だから、書き続けてきた。叶わない夢とわかっていても、絶望はしなかった。


 しかし、自分がよく知る人間、ともに学生生活を送った同級生が小説家になったとなれば、話は違ってくる。小説家も自分と同じ人間なのだと認識せざるを得なくなる。小説家は実在するのだと。


 しょせん「おままごと」だから本物の小説家になれないのではなかった。単に、自分の力が、才能が、努力が足りないから小説家になれないのだと彼女は気づいた。


 生身の「小説家」に、かつての友人に再会したとき、主人公はいっぺんにそのことを悟った。


 実際に夢を叶えた存在を目の当たりにすることで、かえって希望を失ったのだ。


 そして、散り散りになった心が、目の前の友人を焦点に収束した。自分のすべきことがわかったのだ。


 主人公は旧友に招待され彼女のアパートに上がる。自分がしようとしていることへの抵抗感は、丁重に飾られた新人賞の副賞――トロフィーを見て吹き飛んだ。彼女はおもむろにそのトロフィーを握りしめ、旧友の頭に振り下ろすのだ。


「夢は失われた。残ったものは、慰めだった」


 それが最後の一文だった。


 殴り書きのごとく荒々しい筆致で描かれたその作品は、公開されてすぐに非公開になった。彼女はそのことに関して何の説明もしていない。筆を折ると宣言しながらなぜそのような作品を公開したのかも。活動報告は例の断筆宣言を最後に更新が途絶えている。


 あの主人公に彼女自信が投影されているのは間違いないだろう。彼女はきっと断筆宣言でも吐き出しきれなかった負の感情を主人公に託したのだと思う。


 もしかしたら、彼女にとってそれは小説ですらなかったのかもしれない。妄想を書きなぐっただけだったのかもしれない。感情が任せるままに筆を進め、ろくに推敲もせず公開した。そして、すぐに引っ込めた。


 彼女はそれで少しは気が晴れただろうか。


 主人公と同じ状況に置かれても、早まった行動はしないと確信が持てたのだろうか。


 だから、主人公と同じように旧友に連絡することにしたのだろうか。


 それとも、逆に自分の殺意が抑えようがないものだと悟ったのだろうか。


 わたしは一人悶々と考え込んだ。彼女を疑う自分を恥じながらも、恐怖を抑えることができなかった。


 わたしはいま独り暮らしをしている。近いうちに仕事を辞め実家に戻る予定だが、彼女と再会する日の方が早いだろう。


 わたしは体が弱いし、殺すだけなら簡単だ。つまり、逃げ切ることを考えなければ。自分の人生を捨てる覚悟さえあれば、それは容易になされるだろう。


 小説と同じようにカフェで待ち合わせたとしても、そこから後をつけられる可能性がある。


 それでも、なぜだろう、わたしは彼女と会って話がしたいと思っている。


 何も知らないふりをしてきた罪悪感があるからだろうか。


 これを機にすべてを告白すべきなのではないか。そう思っている。わたしはずっと、彼女の夢を知っていたのだと、彼女に面と向かって告げるのだ。


 あるいは、そこですべてはわたしの勘違いだったとわかるのかもしれない。筆を折った彼女と、旧友の彼女はまったくの別人かもしれない。そういう希望もある。その方がずっといい。


 それに、あの小説とは違うところもある。


 まず、わたしが入選したのは小説投稿サイトのコンテストであること。


 そして、ネットのコンテストでトロフィーなんてもらえないということ。


 何より、どのみち、わたしは遠からず死ぬということだ。

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