おそれられぬ神

私誰 待文

山の神

 むかしむかし、あるところに、とても恐ろしい山の神様がいました。


 山の神様は毎年の秋に、ふもとの村から一番美しい娘をいけにえとしてささげさせ、代わりに村の畑へ豊かな実りとさわやかな風を送ることを約束しました。

 村の民は神様を恐れつつも、娘を供物くもつにした後は必ず村が豊かになったので、恩恵をさずかるために秋には、村中で一番の娘を捧げていました。


 ある年も同じように、木々の葉がえるように色づく秋がやってきました。

 しかし、山の神様の下に、村で一番美しい娘は捧げられませんでした。



 山の神様は人間との約束を破られたことにいきどおり、村の畑の実りが悪くなるようにしました。

 これですぐにでも娘がささげられるだろう。山の神様は少しだけ眠りました。


 ぱちっ、と神様が目を覚まします。だけど、いけにえはどこにも見当たりません。

 きょろきょろと神様は周りを注意深く見ましたが、娘どころか人の影すらないのです。


「人間め、我への敬神を忘れおったか」


 いきどおった神様は次に、ふもとの村へせきが止まらなくなる疫病を蔓延まんえんさせました。これは風邪のようにゴホゴホと咳が止まらなくなる病ですが、もちろん娘を自分に捧げてくれれば、すぐにでも治してあげるつもりでした。


 再びいけにえを待っていた神様ですが、それでも捧げらえることはありませんでした。神様はさらにおこって、はるか昔に一度だけ村にもたらした災いを再びもたらそうかと思いました。


 その時、神様は今までに捧げられたいけにえの姿を思い出しました。

 見た目が美しく、覚悟を決めたひとみをした数々の娘たち。すすり泣く村の人々。豪勢に用意された儀式のかざり。えきれず洪水のような勢いでわめきながら、娘をきしめ引き留める村民の姿も、一人や二人ではありませんでした。

 

 はるか遠くの思い出、なつかしい彼らの姿を思い返した神様は、最初は下等でおろかだと人を見下していた自分の心に、いつしかいつくしみを感じていたのを自覚しました。


 神様は「きっと村にも事情があるのだ」と一人納得し、村の民を信じて待つことにしました。



 それから神様はずっと待ちました。


 山の木々が葉をつけなくなった夏も待ちました。

 空が重い黒雲につつまれ、弾丸のような雨が降る秋も待ちました。

 木々がて、城郭のように雪が降り積もろうとも待ちました。

 春先に目覚めるはずのくまやミミズの姿が、一匹も見えなくなっても待ちました。


 神様はずっといけにえを待ち続けました。自分の力が日に日に弱くなって、自らの存在がうすれようとも、きっといけにえがくると信じて、ただただ待ち続けました。


 そして、押しつぶされそうなくもり空のある冬。


 いけにえが、山へやってきました。 



 ● ● ●



 いけにえは、土まみれの白い服にぶかぶかの上着を着た女の子でした。他に人はおらず、一人でやってきた少女はかみはだもぼろぼろで、今にもその場に倒れてしまいそうでした。


 今までささげられたいけにえの中で、最もみすぼらしい見た目でしたが、待ち望んだいけにえが来たのです。神様は大喜びでいけにえの下へ姿をあらわしました。


「そなたが今年のいけにえか」


 まさか神様が現れるとは思ってなかったのか、いけにえの少女はちょっとだけ両目を見開きました。ですが、すぐに落ち着きを取り戻すと、少女は神様をまっすぐに見つめながら、はっきりと言いました。



「神様、私を殺してください」



「……何?」

 神様は何かの冗談かと、少女の様子をうかがいました。今までおとずれたどのいけにえも、覚悟は決めていたとはいえ、殺してくれと言った人はいなかったからです。

 ですが少女は、真面目まじめな顔で神様を見つめ返していました。


「いけにえよ。我は神である。神は人々の信仰があって初めて存在しるのだ。我が秋ごとに娘を求めるのは、強い信仰心を持つ存在を体に取り込むことで力を高め、豊穣ほうじょうの祝福をふもとに与えるためだ。決して娘をあやめたいからではないのだぞ」

 すらすらとさとす神様の言葉をさえぎるように、少女はきっぱりと言いました。


「じゃあ、私が死んだら神様も消えてしまうのですね」


 神様は不思議に思いました。娘は村から差し出されたいけにえであるはず。自分の存在は確かにうすれてはいるが、まだ村には信心深い村人もいるだろうし、現にいけにえはここにいる。

 そんな疑問をいたかのように、少女は言いました。


「ついてきてください」


 ● ● ●


 神様は少女の後を追って、ふもとへ続く山道を降ります。空は溶岩のような重苦しい雲におおわれ、せぎすの老人のような木々は点々と、かろうじて生えていました。


「神様。私はあなたの言う“麓の村”の人ではありません」


 少女は清流のようにさらりと言います。神様は何故村の者でもない少女がいけにえに選ばれたのかを、少女にたずねました。


「目覚めた時に、残っていた資料からここを知りました」


 熱心な村人が書物に我の存在をのこしてくれたのだろうか。神様は表情にこそしませんでしたが、少しだけほこらしく思いました。


「歩いて44キロと近かったので、死ぬ前におとずれようと思ったんです。見ず知らずの兵器に殺されるぐらいなら、山でえた方がましだと思って」


 神様は不思議に思いました。寒さにふるえ、千鳥足になりながら弱々しく下山する少女は、一体どこからきたのだろう。

 どうして少女は身の丈よりも大きな、ボロボロの上着を羽織はおっているのだろう。

 何故いけにえのひとみは、今までのどの娘よりもにごっているのだろう。


「道の途中、蔵書施設に立ちよってまだけてない本をかき集めました。それで知ったんです。毎年の秋、若い娘をいけにえにささげることで実りの加護を与える神様がいることを」


 山道を下り続け、少しづつふもとが見えていました。神様がいた山の上よりも、どんどんれきった木々の姿がなくなっていきます。雪も積もらない山肌には、虫の一匹も見当たりません。


 神様は少女に質問しました。


「そなたはどうして身に合わない衣服を着ている?」

「落ちてたのを拾いました」


 山道に風が吹きました。十年分の冬をめたような寒さです。


「そなたの眼は年に合わないほどに濁っているな」

「現実を見続けたら、皆そうなります」


 ふもとの村が近づいてきました。神様は数千年ぶりに降り立つ村の姿はどんなものかと、ちょっとだけわくわくしていました。


「そなたはどこからきたのだ?」

「44キロぐらい先にある、緊急避難用施設です。それ以前の記憶はありません」


 それから、少女はふと足を止めました。道の終点に立つ少女は、ぽつりと。


 ● ● ●


「これが現代です」



 神様は何も言えませんでした。視線の先には


 記憶の中にあった村の形は跡形もなく消えていました。すみで染めたような厚い雲の下は、ただただ赤茶に禿げた大地と小高い丘、みじめに崩れた建物がぽつぽつと、はるか遠くまで続くだけです。


「私はあの建物の地下にある、コールドスリープ施設から目覚めざめました」


 少女が指差す先を神様も見ますが、同じような瓦礫がれきがいくつも遠景に見えるだけで、どれがその施設とやらかは分かりません。


「核の発射後、種の保存のため私をふくむ数人の若い人が眠らされました。百年経った後、私は目覚めた。けど、私以外の人は皆、事故や施設の爆撃ばくげきで生き返らなかったそうです」


 神様は何も言い出せませんでした。いくら待ってもかわいた大地に人の姿はおろか、くまや羽虫の姿も、声も聞こえません。


「お願いです、神様」


 少女が振り向きます。れたひとみふるえながら、神様を見つめていました。


「私を殺してください」


                                   〈了〉



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