きっと瞬く暇もなく

赤上アオコ

きっと瞬く暇もなく

「だから放火だって。絶対。」


 私はビールをぐいと煽った。画面の中のタムは呆れたように笑う。

「馬鹿だね、そんな事してどうするのよ」

「スカッとするでしょ」

「…授業の課題なんでしょう?」

 彼女の顔の横には、別窓で文章ファイルが開かれていた。

 題名は「明日世界が終わるとしたら、一日をどのように過ごしますか」。

 今期受講している少人数授業では、毎回グループごとテーマに沿った課題が出る。名目上は社会学系の講義だけれど、一般教養扱いのせいかほとんど教授の趣味のような内容だ。前回の課題は「自分が不機嫌になる要因を考察する」。ちなみに私が不機嫌になる時は、好きな映画が評論家にボロクソ言われていた時だ。

「別にいいでしょ、あんなライター被れ」

「いや捕まるんじゃない?」

「大丈夫だよ、終末前夜だもん」

 とりあえず各々の行動を考えて、次回のグループミーティングで報告し合おうという流れになったのだ。そこまでは良かったけれど、どうにも内容がまとまらない。

 もう一度ビールを飲む。苦味のある泡が舌をシュワシュワと叩き、消えていった。

「美味しそうね、ビール」

 羨ましそうに見てくる彼女に「タムも買ってくれば?」と缶を振って見せる。タムはつまらなそうに「飲めないもの」と拗ねたようウーロン茶をすすった。

 ふうと一呼吸ついて、こっちを見やる。

「本当にそんな事でいいの?一日しかないのに」

 だって通常なら絶対無理だし、と言おうとして口を噤んだ。

 手に持った缶がチャプンと音を立てる。

 確かに貴重な最後の一日を、ムカつくライターに消費するのは勿体ないのではないか。

「それもそうだ、止め止め。それなら映画館に一日中籠った方がマシ」

「非常事態時に映画館って開いているの?」

 知らないよーとか言いながら、箸でポテトチップスを摘まむ。キーボードを油まみれにするわけにはいかない。

 タムが興味深そうに聞いてきた。

「てかさ、どうやって滅亡するわけ?」

「えー。隕石とかじゃない?」

「そこ決めてないの?」

 そういえばなんでだっけ。前回のグループミーティングの議事録やレジメを引っ張り出す。だらだらとスクロールを動かしてみるが、滅亡理由はどこにも書いていない。

「決めてなかった…」

 明日グループチャットで相談しなきゃ。隕石前提で話そうと思っていたのに、これでは練り直しだ。なんだか面倒になり、タムへ話題を振る。

「タムだったらどうやって世界を終わらせる?」

「すごい質問ね。」

 苦笑しながらもうーんと考え込んでくれる。彼女の眉間に寄った皺が、なんだか懐かしくなった。ぱっつんな眉より上のそれは、高校時代から全く変わっていない。

「世界が終わるって、地球が無くなる前提で決めなくちゃいけないの?」

「ええ?ちょっと待って。」

 レジメを見やる。特に地球限定とは書いていない。

「じゃあ例えば、自分が大切にしていた世界が終わるとか…。自分の寿命の最後の日とか」

 タムはゼリーの蓋を開けながら案を挙げた。よくおばあちゃんちにあるような、まん丸の背の低いゼリー。私は固くてあまり好きではない。

「そこまで重くなくても、好きな本を読み終わるとか、通っていた美術館が閉館するとか。地球規模で考えなくてもいいんじゃない?」

 なるほどね、とメモをとる。世界=地球としか考えていなかったから、終末エンドばかり考えてしまった。

 でもさ、とタムは続ける。

「明日世界が終わるって知ってるの、すごく幸福なことだよね」

 カラン、とマイクがスプーンの音を拾った。空のゼリー容器が画面から消える。

「ええ、なんでよ。明日死ぬって分かるの嫌じゃん」

「でもさっきみたいに、最後に何が出来るか考えられるでしょう?」

 そりゃ、ね。私がやろうとした事はウさ晴らしだったけど。ああ、ポテチを食べ終わってしまった。

「突然世界が終わることだってあるもの」

「突然隕石が降ってきて吹き飛ぶとか?」

「隕石から離れてってば」

 笑うタムにふと興味がわいて、私は身を乗り出して問うた。

「タムだったらどうする?最後の一日」

「ええ?突然だなぁ」

 彼女の眉間に再び皺が寄った。

「やっぱりあんたじゃないけど、やりたい事やるかな。北海道にも行きたいし、読みたい本もあるし。多分一日で無理全部終わらせる」

「ええ、北海道とか高校の卒業旅行で行ったじゃん、どうせなら沖縄にしようよ」

 タムは困ったように笑った。そして、「あとあんたに会いに行きたかったよ」と言った。

「こんなご時世じゃ無理ね」

「今年は帰れないの?」

「帰りたいけどなぁ」

 ふああ、と大あくびをする。

 そろそろ寝たら、と言う声が遠くに聞こえた。

「うん、また来年会おうね」


 タムの笑顔がぼやけて見えた。




 起きると、体がミシミシ軋んだ。ちゃぶ台につっぷしたまま完全に寝落ちしてしまったようだ。鈍痛持ちの頭には、差し込んでくる光が眩しい。

 手元のリモコンでテレビを点けると、左上に「7時53分」の文字が浮かぶ。アナウンサーが笑顔で気温を告げ、熱中症注意を呼び掛けていた。

 今年の海開きが無いことを嘆く芸人を後目にチャンネルを変えると、横転したトラックが映った。先ほどの情報番組の雰囲気とは真逆に、知らない会社員が意識不明の重体で運ばれたことを、淡々と報じている。

 手元からカラン、という音がしたと思ったら、なんと缶が倒れて中身がこぼれているではないか。慌ててパソコンをどかすと、下から濡れた葉書が顔を出した。


「田村~~の三回忌を~ぶ会」「3年~~クラス会」「中止のお知ら~~~」


 アナウンサーの無機質な声が、いつの間にか賑やかなドラマのオープニングに変わっていた。

 私はただ黒く滲み、じっとり冷たく見えなくなった文字を見つめ、指でなぞった。

 濡れたちゃぶ台から床へ避難させ、パソコンを起動させる。いつも使っているビデオチャットツールを開き、履歴を漁った。大学の級友ばかり名前が並ぶ中、彼女の痕跡は何もなかった。


 それでも、確かに。あの時。


「また来年ね」


 彼女の声が聞こえた気がしたのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

きっと瞬く暇もなく 赤上アオコ @AkagamiAoko

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ