最終話 夢の続き
あれから2か月がたった。
身を切るくらいに冷たかった風もだいぶ暖かくなり、満開になった桜もほとんど散ってしまった。
学校では年度が替わったので、クラス替えがあった。腹が立つことにあの今田とまた同じクラスだ。
ことあるごとに俺にいちゃもん付けてきやがるんだが、どうにかならんものなのか。
……まあ、つまるところほとんど学校に行っていなかった俺だが、なんとか2年に進級することができたということだ。
なんでも出席日数的にはギリギリで、かなりやばい感じだった。
俺の進級については教員の間でもいろいろと言われていたようだが、担任とクラス委員長の香川さんがなんとかうまくやってくれたらしい。
あの日、姉ちゃんに無理やり引っ張られていなかったら危うく留年していたところだった。
そして。
「もうすぐ退院ですね、碧さん」
「うん、なんとかねー。
それはそうと、聞いたよ美作君。進級、やばかったんだって?」
「あー、まあ……。でもなんとかなりました。香川さ……結菜さんのおかげもあって」
「いや、私は何もしてないよ。ちょっと先生と掛け合っただけで……」
「でも、よかったね!」
今日、俺は香川さんと一緒に碧さんの見舞いに来ていた。
今は病院の中庭を3人で散歩中だ。
香川さんが病院から呼び出されたあの時、碧さんは一時は本当にまずい状況になっていたらしい。
でも、何とか持ち直すことができた。
そしてその後の回復は医者も驚くようなもので、ついに明後日退院することになった。
……まだ完治したわけではないけれど。
「それにしても、ふたりとも高校2年かあ……。私にとっての未体験ゾーンだ」
空を見上げて愁いを込めた眼で、碧さんは呟いた。
「私は2年に上がる前に中退しちゃったし……、ふたりに先越されちゃったね。
あー、どうしようかな……。この際だから私も、高校行き直してみようかな……。」
「いいじゃないですか! ぜひ一緒にウハウハ青春ライフを満喫しましょう!」
「ははっ、なにそれー。
……まあでも行くとしても通信制か……あー、お金のこととか考えると高認取るほうが現実的かなあ。体が治りきっているわけでもないし」
「お姉ちゃん、そしたら音大行きなよ。夢だったんでしょ?」
「でも、今さら行ってももう遅いよ。私、もうすぐ22だよ? もし今年高認取って来年入学できたとしても、同い年の人たちはもう卒業してるよ」
「大丈夫です。ちょっと待っててくれれば、俺がその大学入りますよ。そして一緒に甘酸っぱキャンパスライフを満喫しましょう!」
「美作君、音楽なんてやってないでしょ」
香川さんに即座に突っ込まれた。
「そこは、ほらあれだ。音楽以外にもいろいろ専攻とかあんだろ」
「まあ、大学によってはだけどね……」
「それにです、年なんて気にすることはないですよ、碧さん。うちの親父なんて中卒で少年院出で35までパチプロとか無職でぶらぶらしてて、今は弁護士ですから!」
「美作君のお父さんって、なんかすごいんだね……」
そんなふうに俺と香川さんがやり取りをしていると、碧さんはアハハと屈託なく笑い出した。
「美作君って、やっぱり面白いね」
いやー、それほどでも。
…………俺たちはそんな他愛もないことを話しながら、そこそこ広い中庭を歩いていく。
碧さんは元気になったと言っても、まだ万全の体調とは言いにくい。
だから休み休みといった感じで、進んでいく。
「あー、なんかちょっと疲れちゃったなあ……。このベンチで座って話そうよ」
碧さんはすぐそばにあったベンチを指さして言った。
「あ、じゃあ私なにか飲み物買ってくるね。お姉ちゃんと美作君は座って待ってて」
「ああ、それなら俺が行くよ、香川さん」
「ううん、大丈夫」
そう言って、香川さんは小走りで病院内へと入っていった。
碧さんはそれを見届けるとベンチに着席して、
「美作君も座ったら?」
隣を手でポンポンして着席を促してくる。
「は、はい……」
碧さんとは何度か会ってだいぶ打ち解けてはいたけど、ふたりきりだとなんとなく緊張する。俺はとりあえず端っこのほうに座った。
「もう、どうしてそんな遠くに座るの美作君」
そしたら、不敵な笑みを浮かべた碧さんのほうからこっちに詰めてきた。
やばい、体が触れ合いそう……。あ、汗臭くないかな俺……。
そんな男の子な自意識に苛まれる俺のことなど知ってか知らずか、碧さんは俺のほうを向いて言葉をかけてきた。
「ねえ、美作君。書いてる小説って、もうできた?」
「いや、まだです。あ、そうだ。今日ちょうど持ってきてるんですよ。ちょっと途中ですけど」
俺はリュックの中をまさぐって、印刷した小説を取り出す。
「前に話したように、俺が見た変な夢の内容をほとんどそのまま書いたんです。
もうその内容はほとんど覚えてないんでメモ頼りですけど……、足りない部分は一応想像で補ったんです。
碧さんさえよければ読んでもらってもいいですか」
「うん」
快く承諾してくれた碧さんは、俺が手渡した小説をぺらぺらとめくる。
「ふーん、『境面世界にて』ってタイトルなんだ。この『境面』ってなに? 美作君の造語?」
「あー、それは……」
子供のころに好きだった物語のオマージュだ。
その物語では、主人公が現実世界にそっくりな鏡の世界と現実世界を行ったり来たりして、大冒険をするんだ。
元ネタの鏡の世界と違って、「境面世界」は人もいないし自由に往来できるわけでもないから、ちょっと漢字をもじってタイトルにしてみただけで、実は大した意味はなかったりする。
「もしかして、適当に付けただけとか?」
にやにや顔の碧さんは俺のほうに流し目を向ける。
ぎくっ。見抜かれてる。
「だめだよー、それじゃ。しょうがないから今決めちゃいなさい。後付のこじ付けでもいいから」
「タイトルの意味をですか?」
でもまあ、この際だからそれっぽい意味を付けてもいいかもしれない。
うーん、そうだなあ……、うーん。
「…………」
何も思いつかねえ……。
「思いつかない? じゃあ、お姉さんが決めてあげよう」
碧さんは口に手をやってしばし黙考する。
そういえば、この仕草って癖なのかな。碧さんは考えてるとき、いつもこうしている。
「……じゃあ、こういうのはどうかな。『境』って字には、分かれ目って意味があるよね」
「まあ、そうですね」
「で、『面』は、あれだよね。顔とかお面とか」
「はい」
「この主人公は、夢の世界と現実世界を行ったり来たりしている。そのうちに、現実も変わってきてしまったし、夢に対する向き合いかたも変化していっている。
ヒロインのほうも生と死とか、現在と過去とかに向き合うことになっている」
「はあ」
「つまり! その世界ではふたりとも何らかの分かれ目に直面していることになるわけじゃない」
「うーん、まあ、はい」
「ほら、こう考えれば境面世界、ちょっとそれっぽくならない?」
「あー、んー、まあ、はい……」
「ちょっと、なにその微妙な反応!」
だって、そんなこと言われても。
でも、ぷんすかと怒る碧さんは、ちょっと年齢よりも幼く見える。
まるで、同い年の女の子と話しているみたいな感覚だ。
…………。
…………。
なぜだろう。今、何かの記憶が脳裏をよぎった。
他には誰もいない、上ヶ崎高校の1年10組の教室。そこに、碧さんはいた。
その記憶の中では、碧さんは高校生だ。俺と同い年の。
「まあ、それは置いておいて。……でも、いいんじゃないかな、これ。結構よく書けてると思う」
「ホントですか!?」
「うん。続き書けたらまた読ませてね、智也君――」
「はい…………、えっ?」
不意に、碧さんに名前で呼ばれる。
俺は驚いて、碧さんの眼を見つめてしまう。
碧さんの微笑み。吸い込まれるようなその表情を見て、俺の中に走馬灯のようにいくつものイメージが流れ込んでくる。
それは、大人になった碧さんのそれじゃなかった。高校生の姿をした、倉敷碧だった。
俺と碧、ふたりだけの世界。
図書室で自習して、一緒に弁当を食べて……。そして教室で想いを告げあって。
なぜ、今まで忘れていたんだろう。
「……碧」
クラスの雑魚キャラで引きこもりだった俺は、いつの間にかヒロインと出会っていたのだ。
こうして、夢は続いていく。
碧い空が、どこまでも続いているように。
境面世界にて ~クラスの雑魚キャラで引きこもりな俺氏、ついにヒロインと出会う~ 巻人 @makipiment
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