第36話 本当の想い

 俺はどこか、碧のことを夢の世界で出会った理想の天使のように見ていた節があった。

 でも、碧もひとりの人間に過ぎなかったんだ。

 そうでない碧の姿を見て、俺はどこかで幻滅しかけていた。そんなの、当たり前の話のはずだったのに。

 窓の外を見れば、紅蓮に染まった空はさらに色鮮やかな光を放ち始めた。

 それはまるで、鮮血のようでもあった。 

 碧は席を立ちあがり、窓際に立っていた俺の元へと歩み寄ってくる。

 そして、窓の外に見える空を見て、


「綺麗な、色だと思わない? たぶん香川碧の終わりと一緒に、この世界も、私も、終わるんだと思う。この光は最期の輝きってところかな」


 そう、微笑みつつ淡々と語った。

 ……でもその微笑みは、心の奥底にある感情を隠すために作っているようにしか、思えなかった。

 それは、夢も希望もすべてを諦めて、それでいて全て受け入れようとしているからこその、儚い笑みだ。


「あのさ智也君。ひとつ聞きたいことがあるんだけど、いいかな」

「ああ、なんだ?」


 碧は一呼吸ののちに、俺の眼を見据えて言葉を紡ぐ。


「君は、これが夢だってこと、最初からわかっていたんだよね?

 なら智也君。なんで、この世界にまた来てしまったの?」


 その碧の憂いのある眼が、俺の胸の奥をきつく締めつける。

 俺はなぜこの世界に来てしまうのか。

 この現実世界にそっくりで、俺と碧以外には誰もいないこの世界に。


「私、あれからずっと考えていたの。ここは、行き場を失った私のような人間が来るところなんじゃないかって。

 でも、智也君は違うでしょ?」

「…………」


 今までずっと謎だったその答え。多分だけど、今ならわかる。

 碧は、この世界の碧は、ずっと誰かを求め続けていたんだ。

 ……そして俺もまた、夢のようなこの世界を求めていたんだ。

 でも、何よりも。


「それは……碧と、この世界で出会ったこの世界の君と、もう一度だけ会いたかったからだ。俺は君に会いたくて、ここに来たんだ!

 俺は君ともっと一緒に居たいと思っているし、眠ってまでわざわざ碧に会いに来ているのは、そういうことなんだ!」


 それが俺の嘘偽りのない本心だった。

 碧はそんな俺の眼を見つめてくる。


「ここは私が作り出した自分勝手な世界に過ぎないし、智也君も無理して付き合ってくれなくてもいいんだよ。

 それに私は碧じゃない。しょせん私は、碧に似ているだけの別のなにかだよ」

「いいんだよ! 俺は香川碧さんが好きなんじゃなくって、君のことが好きなんだよ! だからどこへだって付き合ってやるよ! それくらいわかれ!」


 俺は碧を指さして、愛の告白をまくしたてた。

 碧は少し面食らったようにしばらく俺の顔を見ていたが、そのうち目から大粒の涙をぼろぼろとこぼし始めて、


「…………ありがとう」


 零れ落ちた雫をぬぐって、静かに呟いた。



「ごめんね、なんか急に感情的になっちゃって」


 少しの間ののち、碧は落ち着きを取り戻すことができたようだ。笑みを見せてくれた。


「いや、いいんだ。ていうか、碧が俺に本心見せてくれたのって、もしかして今のが初めてだったりする?」

「もう……智也君のバカ」

「あと、笑ってたほうが可愛いよ?」


 照れ笑いする碧は可愛い。なんだかんだ言っても、やっぱり天使。マジ天使。


「あのさ、ひとつだけ聞かせてくれ」

「ん? なに?」

「この間、俺の部屋に碧が来た時のことなんだけど……」

「えっ、……あの、キスのこと?」


 碧は少し視線を横にずらして、顔を真っ赤に染めていた。それは空から差し込んでくる紅い光がそう見せているのか、それともそれくらいに照れているのか……。


「えっと……その……それは、秘密」


 碧はちょっと困惑したようなそぶりを見せたが、口に人差し指を当てて、悪戯を楽しむ子供のように微笑む。たぶん、照れ隠しなんだろう。

 ……なんだか俺まで恥ずかしくなってくるじゃないか。


「そんなこと言わないで、教えてくれよ」

「あー、うん……。まあ、その……そうすれば満足してくれるかなーって……」

「へ? どゆこと?」


 俺がまぬけな返答をするなり、碧は少し苛立つように眉尻を上げて、


「だから! 私も智也君のことが好きだったからだよ!」


 それっきり、碧はそっぽを向いてしまった。

 ぷんぷんと怒っているその姿はなんだか、俺より5つも年上のお姉さんの反応とは思えないな。ちょっと意地悪したくなってくる。


 …………。

 え、今なんて?

 俺のことが好きって言ったよな?

 …………。


 生きててよかった。

 ホントによかった!!

 俺は天を仰ぎ、幸せをかみしめてみた。

 そんな俺のことを流し目で見た碧は「もう……」と、ちょっとあきれ顔だ。

 でも、そんな楽しい時間は長くは続かない。

 不意に碧が窓の外を見て、


「そろそろ、時間みたいだね……」


 そう、呟いた。

 紅く色づいた空が、ふたりだけの教室が、だんだんと白く輝き始める。


「えっ!? ちょっと待って。まだまだ話したいことがたくさんあるんだ! 君と一緒に居たいんだ!」

「ごめんね。智也君。最後にいい思い出ができた。今までありがとう……。

 あともう一つだけ、いいかな。眼、瞑って」

「え……?」


 碧は、俺の眼をじっと見つめてくると、潤んだ瞳でそう口にする。

 戸惑っていると、碧はちょっとムスッとした顔になって、


「眼、瞑って!」

「は、はい!」


 俺が眼を瞑ると、


「…………!」


 唇に唇が重なる感触。

 時の流れが、ほんの少しだけ止まったような気がした。

 でもそれは一瞬のことで。


「好きだよ、智也君。愛して――――」


 唇を離した碧は、白の中へと吸い込まれていく……。

 待ってくれ、碧!

 俺は碧を強く抱きしめる。ぬくもりが伝わってくる。

 確かに、生きているんだ。彼女は、ここに。


「――――!!」


 碧が何か言っているのか、声が聞こえる。

 それさえも白に飲み込まれ、遠のいていく。

 ふたりだけの世界が。

 終わっていく。

 ………………。

 …………。

 ……。



 気が付くと俺は暗い天井を見上げていた。

 今何時だ……。時計を見ると、夜の6時を少し過ぎたくらいだった。

 なんだか、長い夢を見ていたような気がする。

 でも、内容がよく思い出せない。

 学校で誰かと会ったような……そんな感じの夢だ。


 …………。


 まあ、いいや。

 それより、まだ夕食までは時間があるし、小説の続きでも書くか……。

 俺はベッドから起き上がると、机に向かった。

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