第35話 碧い空の下でⅣ
家と高校を往復するだけのこの生活、果たして何日目だろうか。
おそらく、半年分は経っているはずだ。
なのに、季節は一向に進む気配がない。
夏の終わりを感じさせる空気も太陽も、今だに私の体にまとわりついてくる。
普段の私がすることと言えば、図書室で本を読んで過ごすことくらい。
というより、それ以外にやることが思い浮かばなかった。
それにここでこうしていれば、またあの少年――美作君――が来てくれるかもしれない。
あれ以降も、指で数えられるくらいではあるけれど何度か出会うことがあった。
もっとも彼は出会うと一言二言かわすだけで、すぐに倒れちゃうかどこかへ行ってしまったりする。
しかも必ず私との記憶をなくしてしまうのだけれど。
それでも、彼との出会いは私の唯一の楽しみとなっていた。
その日も、私は朝から学校に来ていた。
いつもは図書室に直接行くのだけれど、なんとなく図書室ではなく10組の教室に行ってみた。
まあ、ただの気まぐれだ。
教室の窓を開けると風が入ってくる。なんだかんだで9月だし、朝方のそれはわりと涼しい。
私は風に吹かれながら、自分の席に座って本を読んでいる。著名な心理学の本だ。
なんでも、夢というものはその人間の心の奥底にある欲望に応じた形で作り出されるものだという。
だとしたら、この夢は碧の欲望が形になったものなんだろう。たとえたった一人きりでも高校生活の続きがしたい、というわけだ。
そして、私は碧の代わり。
そういえば、唯一の例外が美作君なんだよね。そんなことあるのかどうかはわかんないけど、もしかしたら夢の登場人物とかじゃなくて、私と同じ夢を見てくれているどこかの誰かなのかも。
そんなことを考えつつ私が本を読み進めていると、遠くからガラガラと音が聞こえてくる。
――ああ、また美作君が来たんだな——。
私は少し心を弾ませつつ、1組の教室に向かう。
扉の所から教室の中を覗いてみると、やっぱり彼がいる。なんだか机を持ち上げて、何かしようとしている。
大体彼がすることといえば、黒板に落書きするかロッカーを漁るかのどちらかなんだけど、机を動かしているのを見たのは初めてだ。
またどんなしょうもないことをやらかすのか。……なんて思って見ていたら、彼は机を窓の外に放り投げた。
………………。
想像以上にしょうもなかった。
いやここ4階だし普通に危なすぎるし……他に人もいないからいいけど。
たぶん、あの机は気に入らないクラスメイトのものとかだろう。
これはさすがに、きつく言っておいたほうがいいかもしれない。
「なにしてるの?」
私が呆れつつそう声をかけると、ビクッと肩を揺らした彼がこちらのほうに顔を向けてくる。
そしてすぐに「あ、い、いや、これは、その……」と、お決まりの言い訳が始まった。
私は彼にお説教をしようと口を開こうとする。
すると彼は、
「なん……」
いきなり白目をむいて倒れ伏した。
「ちょっと、美作君!? 大丈夫!?」
私は慌てて駆け寄る。こうなったら、この後すぐに彼は消えてしまうのだ。
…………まあ、いつものことだけどね。
でももう少しくらい、話し相手になってくれてもよくない?
私は倒れた彼の傍らで、茫然と立ち尽くす。
でも、いつまでたっても彼は消えたりはしなかった。
どうしたんだろう。いつもなら、もう消えていてもおかしくない頃合いだ。
でも彼は消えることなく、私の目の前でただ眠り続けていた。
もしかして、今回は消えることがない?
そうだとしたら、ここでこのまま寝かし続けるというわけにはいかない。保健室に連れて行ったほうがいいだろう。
そう思い立ち、私は横たわっている彼をお姫様抱っこして、保健室へと連れて行った。
……でも、なんでこの子こんなに軽いんだろう……。
私にいきなり変な力が付いたからとかじゃあなさそうだし、もしかしたら完全にはこの世界の住人ではないから、とかそういう理由でもあるのかもしれない。
もちろん私の勝手な妄想だけどね。
私は彼を保健室のベッドの上に寝かせる。
とりあえず、このままちょっと様子を見てみよう。そのうち消えちゃうかもしれないけど、もしかしたら起きるかもしれないし。
でも、……こうして見ると結構可愛い顔してるなあ。線が細くてなんだか女の子みたい。もしかしたらお母さん似なのかもしれないなあ。
私は彼の寝顔を上からそっと覗き込む。
…………。
なに考えてるんだ、私。いい年して、高校1年生の男の子のことをこんな目で見るなんて。
私はそんな自分にちょっと自己嫌悪する。首をぶんぶん振って、正気を取り戻そうとする。
……でも、今は私も高校生なんだよね。少なくとも見た目だけは。
私は彼のことをちらっと見やる。
今まで見せた言動からして、まあ初心なんだろうな―……。
ちょっと頼りなさそうで、思わず守ってあげたくなるような感じ。
なんとなく脳裏にいろんなイメージがよぎる。頬が上気していくのを感じる。
いやいや、やめておこう。こんなことを考えるのは。
第一、私の見た目の年齢がどうとかいう問題でもないし。
きっと、こんな世界でずっとひとりだったから気がどうにかなっているんだ。
そうに違いない。
私は保健室を出ることにした。このまま彼の傍にいたら、なにしでかすか自分でもわからないから。
私は廊下を歩きながら思う。それより! もしこのまま目を覚ましてくれたら、これからどうしようか。
そうだなあ、とりあえず、高校生活っぽいことをしよう。ひとりで本を読んでいるよりかは、リアリティーも出るはず。たぶん。
具体的には、うーん……。授業?
でも先生いないし生徒しかいないし……。じゃあ、自習だ。
確か図書室に問題集があったから、それをやればいいよね。
あとは、そうだなー。やっぱりお昼だよね。
学食で一緒に食べよう。結局今まで食事を共にすることはできていないし、あんまり話す機会もなかったから、ちょうどいいよね。
メニューはどうしようかな……。まあ、無難にカレーでいいか。
もし明日も一緒にってことになったら、家でお弁当作ってこようかな。そしたら腕によりをかけよう。
あとは、なにをしようかな……。
…………なんだか、自分でもびっくりするくらい心が弾んでいる。そのくらい、他人と関わることに飢えていたのかもしれない。
私はどちらかと言えば、そういうのあんまり得意じゃない方だったんだけど。
なんだか、自分で自分が信じられないくらい。
たぶん今の私は、鏡を見たらにやけ面でいることだろう。あんまり人には見られたくない。
そんな想像に浸りつつ、いつの間にか10組の教室に歩いてきていた私は、どうしようかと悩む。
ここからなら保健室も近いし、1組の教室に行くにしても前を通ると思うから、とりあえず、ここで待っていようか。
もし彼が起きたら、ここに居ればそのことに気づけるだろう。
そう思って、私は窓際の自分の席に座って、窓の外を眺めていることにした。
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