習作 灰色の映画

日出詩歌

灰色の映画

 外は雪が降っていて、街の人は凍えた体を寄せ合うように数人で縮こまりながら歩いていた。

 男は年末の準備で忙しい彼らをよそに、目的もなくふらついている。彼を支えるものは誰もいなかった。

 空に向かって大きくため息をつく。白い吐息が流れて散っていく。それで何が解決するわけでもない。

 通りのウインドウは煌びやかな電飾で飾られ、どこもかしこもクリスマスの商品ばかり並べていた。その光が反射して、雪でさえ鮮やかに光っている。それを見てさらに気が悪くなる。

 毎年クリスマスは必ずやって来る。しかし、誰もが皆クリスマスを祝いたいだなんて、そんなことあり得る筈がない。

 それなのに町ぐるみでクリスマスを祝って、祝わないものはおかしいなどと、遠い目線で見やる。男はそれが腹立たしくて仕方なかった。

 男はウインドウから目を逸らす。するとその先に一軒だけ、暗い電灯をつけた店があった。

 周りの店と比べて明かりは店先の僅か2つしかなく、中を窺い知ることができない。そこそこの大きさや灰色の壁も相まって、暗いことがかえって目立っている。しかし、その陰気くささからその店に入る者は誰もいない。皆パーティの準備で忙しいのだ。

 列車に乗り込み丁度座る椅子を見つけたような気分だった。男は華やかさから逃げるようにその店の前まで歩いていく。店先の看板から、映画館だと知った。この後の用事が全て白紙なことを思って、彼はノブに手を掛けた。

 映画館のロビーはぼんやりと最小限の明かりしかついていない。えんじ色のカーペットは、よく毛羽立っていて、荒らされた形跡がない。その代わり、今日一日分の埃がついていた。表の喧騒が嘘のようなしめやかな静けさで、雪の中に似ている。入ってすぐの受付には、黒縁眼鏡の小汚い老人が新聞を読んでいた。

「いらっしゃい」老人は手に持っていた新聞を綴じると、男に尋ねる。

「今日はクリスマスだからな。他の従業員は皆休暇を取った。従業員はわししかおらんし映画も一本しかやってないよ」

 構わない、という。

「何の映画をやってるんだ」

 老人がタイトルを口にすると、男は僅かに首をひねった。知らないタイトルで、ピンとこない。

「本当なら今夜は閉めるべきなんだ。皆共にクリスマスを祝うべき相手がいる。だがわしにはいないのでな。お前さん、老いぼれのわがままに付き合う気はあるかね」

 男はゆっくりと手を伸ばし、チケットを一枚買った。

 閑散としたロビーを通り、奥の劇場に向かう。劇場は一つだけだった。

 思った通り、観客は彼一人だけ。ちっぽけな劇場に靴音がこつんと響く。

 彼は一番後ろの席の隅っこに陣取る。だが思い立って真ん中に移動した。

 しばらくして、暗い箱に一縷の光が差し、映画が始まった。

 映画は今時珍しいモノクロの映画だった。しかもトーキーではない。サイレントだ。テープもだいぶ傷んでいるのか、時折画が消える時がある。瞬きすれば次の場面に飛ぶし、劇場内には映写機の音だけが延々と鳴っている。

 しかし不思議と男の目には映っていた。ドレスは純白の白で、女優は目を引くほどの美人。それだけではなく、その声はまさに理想的なソプラノだった。

 見るもの聴くもの全てが自分の自由で、その不自由さに男は心地よい安心感を覚えていた。

 やがて映画は幕を閉じた。

 求められるものはいつだって華やかで、リアルと謙遜ないカラー映画だ。モノクロはどこまで行っても幕の内側で、過去に置き去りにされていく。この映画も、もう上映されることはないだろう。

 ロビーに戻ると、映写室から出てきた老人と鉢合わせた。

「聞きたい事があるんだが」

「何だね」

「どうしてここを閉めなかったんだ」

「お前さんのようにクリスマスでも客が来ると踏んだからだよ。どこにも行き場のない奴がな」

「どうしてこの映画を?」男が聞くと徐に老人はフィルムを取り出した。そして見つめる。長い人生の中のどこか遠くの過去に戻っているのだろう。

「さぁ…何となく、これが良かったんじゃねえかなあ」

 男が映画館のノブに触れた時、肩越しに老人が言った。

「いい映画だったろう?」

「ああ、綺麗な声だった」

「そんな変な感想を言う奴は初めてだ」

 男は映画館を去る。急に風が吹いてきて髪を煽る。辺りはすでに閑散としていて、店じまいを始めた店の電球は既に消えていた。

 夢の時間はもうすぐ終わる。大人達の暮れを隠れてやり過ごし、子ども達の夜に眼を閉じよう。それを越えれば、それぞれの朝がやってくる。

 男はコートについた雪を払って、帰路につくために歩き出した。

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