縁あれば『世界』 -2-

「申し訳ありませんでした」


 大通りまで来て、ふと立ち止まったかと思えば、カサネさんが頭を下げてきた。


「面談が中途半端になってしまいまして」

「いえ、そこは別に」


 そもそも、あのままあそこに留まっていたとしても、きっとまともな面談は出来なかったと思いますし。


「しかし、困りました……」


 頬を押さえて、カサネさんが嘆息する。


「デートといっても、なんの下調べもしていません」


 この三日は職務復帰に関する手続きや雑務に追われ、それ以外の時は僕のお見合い相手を探すために相談者のプロフィールを見るだけだったそうだ。

 カサネさんの努力は、本当に凄まじい。そういう常人離れした集中力は姉によく似ている。


 もっとも、似ているのはほんの一部だけで――


「いいじゃないですか。二人で素敵な場所を探すつもりで街を歩いてみましょう」

「二人で……、そうですね。それは、とても楽しそうです」


 こうやって笑う顔なんかは似ても似つかない。

 カサネさんの笑顔は、他の誰とも比較できないくらいに可愛い。


「あ……うっかりしていました」


 カサネさんがポケットを叩きながら眉を曲げる。

 あぁ、なんか可愛いなぁ、慌ててるカサネさん。


「むぅ……困っている時ににやにやしないでください」

「すみません」


 ここは素直に謝っておこう。


「飛び出してきたので、財布を持ってきていませんでした」


 カサネさんは貴重品をロッカーに入れっぱなしにしているそうだ。

 ちょっと不用心だなぁ。職場の人を信用しているからこそなんだろうけれど。


「なら、今日のデート代は僕が――」

「それは出来ません」


 僕は財布を持っているのでお金を払おうと思ったのだけれど、カサネさんがそれを認めなかった。


「相談員は相談者様から何かをいただくわけにはいかないのです」

「あぁ……でしたよねぇ」


 一回クリアしたんだけどなぁ、それ。

 また最初に戻っちゃったかぁ……


「とはいえ、これから取りに戻るのは……」


 と、腕を組むカサネさんの体から「ちゃりん」という音が聞こえた。

 おや? と思ってカサネさんの背後へ回り込むと、背中に大きな紙と封筒が貼りつけられていた。


 封筒には『経費』と書かれており、中には銀貨が数枚入っていた。

 そして、大きな紙には『財布を忘れて愉快なカサネさん♪』と書かれていた。


 ……弁天様。懐かしいメロディが頭の中に流れましたよ、今。



「何をやっているんですか、あの小さい所長は?」


 肩を怒らせて、背中に貼られた落書きをくしゃくしゃに丸めて地面へと叩きつけ、「ふぅ……」と一息ついた後でそれを拾って広げ、綺麗に折りたたんで胸の内ポケットへとしまい込むカサネさん。


「……ゴミは、捨てちゃダメですもんね」

「はい。現代人の常識です」


 そういうところで、すごく常識的ですよね、カサネさんって。


「ともかく、資金が出来ましたので今回のデートは当相談所が費用を持ちます」

「デートで一円も払わないのは、男としてちょっとどうかと思うのですが……?」

「これは、当相談所プレゼンツの実習だと思ってください」

「実習……ですか」

「はい。二人で素敵なデートコースを開拓するという実習です」


 分かっているのかいないのか、カサネさんはそんな魅力的なことを、僕の心を鷲掴みにするような笑顔で言う。

 そんなの、もう、抗えませんよ。


「分かりました」


 今日は甘んじて受け入れます。

 でも――


「この次は、僕にご馳走させてくださいね」


 僕だって、少しくらいいいカッコがしたいので。


「はい。では、その次は私が」

「……へ?」

「なんですか?」

「い、いえ」


 この次の、その次がある、のか?

 僕としては、思いきって次のデートの約束をねじ込むという『攻め』のつもりだったんだけど……


「未来に楽しみがあると、毎日を生きるのが楽しくなりますね」


 ……あなたは、なんて殺傷能力の高いセリフを素敵な微笑みで発するんですか。

 僕の恋心はイチコロです。全滅です。無条件降伏で無制限幸福です。


「そして、その次はまた経費で出かけましょう」

「それはどうでしょうか?」


 所長さんのOKが出るとは思えませんが……


「それでは、これからどうしましょうか?」

「まずは、大通りを歩いてみませんか? 実は僕、まだじっくりと見たことがなくて」


 大通りへは何度か来ているが、毎回おつかいでだ。

 いつも目的の店があって、用事が終わればぶらつくこともなく帰ってしまう。


 大通りをぶらぶらしたのは、仮装祭りの時くらいかな。

 でも、あの時も出店と見物客がいっぱいでじっくりと見て回ることは出来なかった。


 カサネさんとのお見合いの時に大通りを通ったけれど、レストランに入った後はすぐ動物園だったから。


「トラキチさんと大通りを歩くのは仮装祭りの時以来でしょうか?」


 カサネさんも覚えていてくれたようで、当時を懐かしむように目が細められる。


「あの時、どうしてトラキチさんは首輪をしていないのだろうと思ったんですよね」

「いえ、僕の仮装は吸血鬼ですから」


 僕が首輪をつけても面白くもなんともないですよ?


「似合うと思いますよ」

「いや、カサネさんの方が似合うでしょう」


 犬耳をつけたカサネさんは絶対に可愛いに違いなく、そんな犬耳カサネさんには特注品のオシャレな首輪がきっとよく似合う。


 そんな妄想が脳内に広がり、僕はしばし黙考してしまった。

 カサネさんもアゴを摘まむように手を添えて黙考している。

 黙考するカサネさんを見つめていると、その頭頂部に犬耳が生える様を幻視して――


 カサネさんの瞳がこちらを向き、視線がぶつかった時、思わず言葉が口をついて飛び出してしまった。



「「あのっ、一度『わんわん』って言ってもらえませんか?」」



 自分で発した言葉が、自分とは異なる声で耳から入ってくる。

 ……おや? これはいったい?


「えっと……」


 目の前で、カサネさんが小首を傾げている。

 僕も小首を傾げる。


 しばし無言で見つめ合った後、カサネさんが軽く握った拳を顔の横へ持ってきて、遠慮がちに口を開いた。



「……わんわん」



 ぐっはぁ! 可愛っ! 尊い!


「……これで、いいでしょうか?」

「………………ありがとうございますっ」


 なぜだろう。微かに涙が浮かぶ。

 言ってみるものだ。

 人生、ちょっとの勇気でいいことが舞い込んでくることがあるんですね。


「では、次はトラキチさんの番です」

「え?」

「『わんわん』と」

「いや、僕は……」

「ダメです。ズルいですよ」


 ほっぺたをぷくりと膨らませて抗議してくるカサネさんが、たまらなく可愛いのですが、僕が『わんわん』と言ったところで可愛くもなんともないし……それに僕、二十五歳ですし、さすがにキツいので……


「お腹すきましたね。どこかでご飯を――」

「…………」


 じっと見つめられている。

 ほっぺたがどんどん膨らんでいく。


 ……なんで、僕の『わんわん』なんかが見たいのか。

 はぁ……


「わ…………わんわん」


 カサネさんのマネをして、軽く握った拳を顔の横に添えて鳴いてみせると、カサネさんの顔が「ぱぁあ!」っと輝いて、僕の頭を「よしよし」と撫でてくれた。


 ご褒美があったとは!?


「では、食事に行きましょう」


 とても素敵な笑顔で言われ、頭を撫でられた興奮も相まって、僕は先行するカサネさんの手を取った。

 思わず、取ってしまった。


 なんだか、ほんのわずかでも二人の距離が離れてしまうのを惜しいと感じてしまって。


「……あの、トラキチ……さん?」

「あ、いえ、これは、その……」


 突然手をつながれ、カサネさんが困惑している。

 けれど、だからといって、今この手の中にある温かいこの感触を手放すなんて不可能だ。


「デ、デートの練習なので、手を、つなぐのは……必須では、ない、かと……」


 苦しい!

 ものすごく苦しい言い訳だ。

 けれど――


「……そう、ですね」


 カサネさんの指が、遠慮がちにボクの手を握り返してきてくれて――


「デートなら、手をつなぐのは必須、ですね」



 僕は今、この世の春を謳歌している。



 カサネさんの温もりを、恥じらうような微笑みを独占している。

 なんて贅沢、なんて幸福だ。


「私……ダメですね」


 薄く色づく頬を隠すように顔を背け、自嘲するようにカサネさんが呟く。


「デートをした経験がないもので、デートの作法がよく分かっていませんでした。……所長の言う通りですね。私は、まだまだ相談者様のことを理解できてはいないようです」


 こちらを向いたカサネさんの顔が、らしくもなく弱々しく見えて、僕は……


「そんなことないですよ」


 僕は思わず、カサネさんの手を強く握り、引き寄せて、弱々しく潤む瞳を覗き込んで、心の奥底にしまい込んでいる素直な感情を吐露した。

 声に出してはっきりと伝えた。

 カサネさんに、しっかりと届くように。


「記憶の混在が起こった時、目の前にいてくれたのがカサネさんでよかったと思っています。落ち着いた声で話を聞かせてくれて、優しく微笑みかけてくれて、とても安心できたんです」


 事故で命を落としたと思った直後、まるで知らない『世界』にいて、見たこともない姿の人間が周りにいて、それでも僕が取り乱さずにいられたのは、目の前にいたのがカサネさんだったからだ。


「記憶の混在が起こった時、そばにいてくれたのがカサネさんでよかったなって、今でも思っています」


 握った手に力を込めて、こちらを見上げてくる瞳に向かって告げる。


「カサネさんに出会えてよかった。心から、そう思います」


 ぎゅっと、カサネさんの指に力が入り、瞳が大きく揺らめいたと思った次の瞬間にはその瞳が逃げていってしまった。

 顔を伏せ、俯くカサネさん。

 小さく鼻が音を鳴らす。


 小さな頭を見つめ、少しだけその場にとどまる。


「歩きましょうか」


 少しだけ待って、そう提案すると、カサネさんは声を出さず、小さな首肯で返事をくれた。

 カサネさんの手を引いて歩き出す。

 半歩後ろを、同じ速度でカサネさんがついてくる。


「……私は、まだ記憶の混在を経験していないのですが」


 突然の告白。

 けれど、なんとなくそんな予感はあった。


「もしいつか記憶の混在が起こり、今過ごしているこの記憶がほんの一欠片でも失われてしまうのは怖いと……そんなことを考えてしまいます」


 僕は、記憶の混在によってこの『世界』に来てから混在までの記憶をすべて失った。

 もし、カサネさんの身に記憶の混在が起こったら……


「大丈夫です」


 少しでもカサネさんの不安を取り除いてあげたくて、同時に僕の中の不安に負けないように、明るい声で言う。


「カサネさんの記憶が混在した時は、今度は僕が、カサネさんのそばにいてちゃんと説明してあげます。カサネさんがどれだけ素晴らしい人なのか。この『世界』でどれだけ努力を重ねてきたのか。周りの人にどれだけ大切にされているのか」


 そして。


「僕にとって、どれだけかけがえのない人なのか」


 ……くっ、さすがに、今のは狙い過ぎたか。

 急に恥ずかしさが込み上げてきた。


「ちゃんと、説明しますから」


 誤魔化すように大きな声で言って、熱を上げる頬を見られないように前を向く。

 気持ち速足になってしまうのは照れからだが、そんな歩幅にもカサネさんは合わせてくれて、半歩後ろから小さな声で返事をくれた。


「はい。よろしくお願いします」


 息を吸い込む音がして、さらにひそめられた声が聞こえる。

 うっかりしていれば聞き逃してしまったかもしれないような小さな囁き声で。



「……それまで、ずっとそばにいてくださいね」



 泣きそうになって、声が詰まる。

 けど、ここで泣くなんてしたくない。


 折角のデートなんだから。

 こんなにも幸せな気分なんだから。

 今日という日を、最高の一日にしたい。


 そんな思いから、とびきり明るい声を大きく張り上げる。


「カサネさん、食事に行きましょう。僕、お腹すいちゃいました」


 笑ってそう言った時――



「ツヅリ。そろそろ飯にしよう。買い物はその後だな」



 懐かしい声が聞こえた。……気がした。


「え?」


 振り返ると人ごみの向こう。

 遠くてはっきりとは見えないけれど――見覚えのある人影が見えた。



 あぁ……

 よかった。


 本当に、よかった。



「トラキチさん。どうかしましたか?」


 急に立ち止まった僕に、カサネさんが声をかけて来る。


「……いえ。なんでもないです」


 声をかけたい気持ちはあった。

 けれど、彼の隣には栗色の髪を二つに束ねた可愛らしい女性が寄り添っていた。


 お邪魔しちゃ、悪いよね。


「いいご縁に恵まれて、よかったなぁって」

「ご縁、ですか?」

「なんでもないです」


 大丈夫。

 今はすれ違っても、大丈夫。


「それよりどこ行きましょうか? カサネさん、何か食べたいものはありますか?」

「そうですね。トカゲのしっぽ亭はいかがですか」

「リベンジですね」

「はい。『仏の顔は正直』と言いますし」

「混ざってますよ!? 確かに、どっちも三度ですけども」


 笑いながら、大通りを歩く。

 胸の奥に、とある確信を抱いて。



 縁があれば、いつかまた、きっと、どこかで。

 再び会えることもあるだろう――と。











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縁、結ぶ。異世界結婚相談所~現世で100連敗を喫してもなお、結婚目指して異種族婚活はじめます~ 宮地拓海 @takumi-m

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