エピローグ
縁あれば『世界』 -1-
カサネさんが相談員に復職してから三日後。
僕は結婚相談所『キューピッツ』の事務所に来て、いつもの相談カウンターに座っていた。
目の前にはカサネさんが座っていて、素敵な笑顔を僕に向けてくれている。
「トラキチさん。次のお見合いこそ成功させましょうね」
……悪魔よりも凶悪な天使の笑顔を。
「トラキチさんにもっとも相応しいお相手はいないかと、私、昨日は事務所に泊まってすべての資料に目を通したんです。凄まじい量でしたが、内容はほぼ把握できました。どのような条件を言っていただいても即時対応できると思います!」
そんな大量の資料に目を通さなくても、鏡を見ればすぐに見つけられたのに。
「カサネさん。『灯台下暗し』という言葉を知ってますか?」
「『東西摩訶不思議』? 古今東西の不思議なものが集まる催し物でしょうか? 見たことはないです」
「そんな面白そうなイベントは僕も見たことありませんが……」
灯台下暗しはカサネさんには非常に重要な言葉になりそうなので是非とも覚えてもらいたい。
おそらくだけれど、カサネさんははるか遠い先を見据えて足元に転がっている宝物を見落とすタイプだと思う。
「摩訶不思議な女性がお好み、ということでしょうか?」
そうじゃないです!
そうじゃないですが、あながち間違ってもいないかもしれない。
カサネさんは若干、若っ干ですが、摩訶不思議な一面を持ち合わせていますから。
「それではトラキチさん」
少しきりっとした声で言って、カサネさんがペンを握る。
「もう一度、トラキチさんが結婚相手に望む条件を教えていただけますか。これまでのお見合いで何度か修正したりもしたのですが、今現在のお気持ちを確認しておきたいと思いまして」
ノートを広げてまっさらな見開きのページにペン先を置く。
ものすごく書き込む気満々なようですが、そこにご自分の名前を書き込んでみてください。
それが正解です。
……なんて、まったく伝わっていないんだもんなぁ。
「そうですね……」
僕は、目の前に座る、心持ち上機嫌な美しい相談員さんを見つめて言葉を紡いでいく。
「真面目で気が利いて、とても優しくて、思いやりがあって、すごく真面目なんですけれど話してみると意外と天然で、負けず嫌いで、ちょっと子供っぽくて、でもとても頼りになって、一緒にいると安心できる人で――」
僕の挙げていく条件を真剣な表情で書き込んでいくカサネさん。
あぁ、これは全然気付いてないですね……しょうがない。
「動物が好きで、エサやり体験とかするとずっとにこにこしていて、なのに僕がすごく動物に懐かれるとちょっとヤキモチを焼いてくれたりして……」
自分で言って、ちょっと照れてしまった。
ここまで露骨に言えば、さすがに……
「動物は可愛いですからね。そのような女性は大勢いると思いますよ」
ダメかー!
たぶんですけれど、あなた以上の動物好きって、そこまで多くないと思いますよ!?
「それから、ファッションにちょっと疎くて、『ラフ』って言葉の使い方が独特だったり、『ラフ』の定義が若干ズレていたりして――」
「ふふっ。いるんですよね、オシャレに疎い女性って。まぁ、それも経験を積めば自然と解消されるでしょうけれど」
使いこなせているつもりでいるっ!?
というか、その余裕の表情は、もしかしてオシャレ上級者のつもりですか!?
カサネさん、ノートから少し目を離して事務所内をぐるっと見渡してみてください。
同僚のみなさんが「あいたたたぁ」みたいな視線をこちらに向けていますよ? 集中砲火ですよ!?
「でも、前向きでポジティブなのはいいと思います。まぁ、世間とのズレも、見ようによっては可愛く映りますし、僕はその……割と、好きだなぁ、って思います、し」
言った直後、事務所内にいた他の相談員さんたちが「おぉっ!」みたいな感じでざわついた。
……さすがに、ちょっとあからさま過ぎましたかね? 恥ずかしい。
「いえ、世間とズレているのに気付いていない人はちょっとどうかと思いますよ?」
あなたのことですよ!?
ノートに記入されたずらっと並ぶ条件を眺めて、「トラキチさん、ちょっと趣味が……」とか心配そうに呟いていますけれども、それ全部あなたのことですからね!?
この場にいる、あなた以外の全員が気付いていることですからね!?
というか、僕の気持ち、どれだけ広まってるんですか!?
ものすごい広範囲にわたって同情の視線を向けられているんですけれども!?
そんなに同情するならもうちょっと協力してくれてもいいのに!
一言二言カサネさんにそれとなく伝えるとか、出来ませんかね、同僚の皆様!?
「トラキチさん。好きな手料理などはありますか? お相手の方に作っていただきたい料理とか」
「料理は慣れですので、出来なければ出来なくていいと思っています」
「相手を思いやる気持ちは素晴らしいと思いますが、トラキチさんばかりが努力する関係はよくないと思います。最高の結婚を夢見るのであれば、女性の方も努力が必要です。努力を怠るような女性を、私はトラキチさんにはご紹介できません」
まぁ、未来の伴侶のために料理を練習する女性っていうのは可愛いかもしれない。
どちらかに負担をかけるのではなく、お互いが出来て、その上で助け合っていける関係は素敵だろう。
「ちなみに、カサネさんの得意料理はなんですか?」
流れに乗ってうまく質問できた。
これで、得意料理が聞き出せれば、「食べてみたいです」と言って、いつか手料理をご馳走になれるかもしれない。
よし! よく攻めたぞ、僕!
「美味しいベーグルサンドを――」
しばらく考えた後で、カサネさんは俯き加減で答える。
「――綺麗に盛り付けられます」
料理してなぁーい!
「……カサネさんは努力を怠っているんですか?」
「いえ、決してそのようなことは! たまたま、時間が取れないだけで!」
あぁ、嘘だ。
やろうと思い立つことは何度かあったけれど、苦手なのでついつい後回しにしてしまっていると顔に書いてある。
分かりやすいですね、本当に。
「私のことはいいんです。今はトラキチさんのご要望を聞く場ですから。思うことがあればなんなりとおっしゃってください。出来ることはなんでもお応えしますので」
自身の失態を知られて恥ずかしかったのか、カサネさんが早口で捲くし立てる。
そんなところでさえ愛おしく感じてしまうんだから、僕はもうホントどうしようもないな。
なんでも、か……。
カサネさんがそう言うのであれば、ここはもう直球で行くしかない。だから、僕は、攻めます!
「僕は、お見合い連敗記録更新中なので、勝利のイメージを掴む必要があると、思うんです、よ」
ばくばくと、心臓が鼓動を速める。
こんなこじつけ、見え透いていてバレバレなんだろうけれど、カサネさんにはこれくらい分かりやすくないと伝わらないだろうから――
「だから、デート、してくれませんか?」
「へ?」
「いえ、あの……お見合いがうまくいって恋人が出来ると、こんなに楽しいことが待っているんだと実感できれば、お見合いもうまくいく……かなぁ、……なんて?」
「いえ、でもそれでしたらお見合い相手の方とデートされる方が――」
「まったく、嘆かわしいね、カサネ・エマーソン君」
そこへ、小さな所長こと、弁天様が降臨した。
いつもの、ちょっと人を食ったような無邪気でイタズラっ子な笑みを浮かべて。
「君は相談者のことを何も理解できていない」
「それはどういう意味でしょうか?」
「そもそも、ろくなデートもしたことがない君が、お見合いでデートのプロデュースが出来るものか。会ってしゃべって食事でもすればいいと思い込んでいるしょーもない人間なのだろう、どーせ?」
「……うっ」
「勉強だと思ってデートをしてき給え」
それでも、所長さんを睨みつけて動こうとしないカサネさんに対し、所長さんはにやりと笑って挑発するように言い放つ。
「まぁ、時代遅れでカッペなカサネ君が、ダッサいデートスポットしか思いつきませんというのであれば、代わりに私が相手してあげてもいいのだがね?」
「トラキチさん、行きましょう。これから二人でとっても素敵でナウいデートを満喫してきましょう」
「えっ、ちょっ!?」
僕の腕を引き、相談所を出ようとするカサネさん。
引き摺られながらカウンターを見れば、所長さんが「にひひ」と笑い、この場にいる相談員の方々が揃って申し訳なさそうに微笑んで手を振っていた。
「楽しいデートをしましょうね」
ムキになって言うカサネさんに、僕も笑みをこぼす。
「はい」
ただ、ナウいデートって、どんなだろう?
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