重ね合う縁、これからも -3-
「お待たせしました」
「あ……、ほんと、わがまま言ったみたいで、……すみません」
おや?
また謝罪の言葉が。
見れば、カウンターを挟んでトラキチさんの向かいに所長が座っています。
……何か言いましたか、所長?
「吐いてください、所長」
「尋問がストレート過ぎるよ、カサネ君」
トラキチさんが恥ずかしそうに俯き、所長がいやらしくニヤニヤしているのです。何かあったのは一目瞭然ではないですか。
そして、悪いのが所長であることも。
「なに、私はただ、『随分攻めたねぇ』と彼を称賛していただけだよ」
「所長さんっ、……何も言わなくていいです」
「あとは『味噌汁をハーブティーに置き換えてみてはどうだい』というアドバイスを」
「所長さんっ!」
「『毎朝、僕のハーブティーを――』」
「黙れ、幼女!」
トラキチさんが腕を伸ばして所長を取り押さえようとしましたが、所長はひらりとそれをかわし、からかうように「いっひっひっ」と奇妙な笑い声を漏らします。
やっぱり所長が余計なことをしたんじゃないですか。もう。
「所長、灰にしますよ?」
「ハーブティーをうきうき気分でいれに行った女子の言葉とは思えないよ、カサネ君……」
騒がしい所長の口に粘着テープを貼りつけて、私の隣へと座らせます。
本当は所長室に隔離したいところなんですが、今日一日は見習いをするという話でしたので、自分で言い出したことには責任を持たせたいと思います。
ここで所長を所長室に押し込めてしまうのは課題からの逃亡、私の負けのような気がしますので。
きちんと一日、見習いとして教育をしていく所存です。
「ぷはぁ! カサネ君、粘着テープは酷いんじゃないかな!?」
もう剥がしてしまったんですか?
ずっと付けていればいいものを。
「余計なことを口にすると、所長のハーブティーを100度の白湯に変更しますからね」
「それは白湯ではなく熱湯というんだよ、カサネ君。飲み物にはギリ分類されない液体だ」
口数の減らない所長を一睨みしてから、トラキチさんにハーブティーを勧めます。
ティーポットの中で茶葉が開いて、今が飲み頃です。
「ど、……どうぞ」
「あ、……ありがとうございます」
なんでしょう?
一瞬、言葉が喉に引っかかりました。
「どうぞ」なんて、ありふれた言葉ですのに。
ただ、美味しいと思ってくれたら嬉しいなと、そんなことを考えたら、声が詰まってしまいました。
不思議です。
「ん、シュガーポット? あぁ、そうか。君が原因だったんだね、シオヤ・トラキチ君」
「原因、ですか?」
「うむ。ある時を境にハーブティーには必ず砂糖を入れるようになった知り合いがいてねぇ。彼女はあろうことか『これが正しい飲み方だ』とまで豪語していたのだよ」
うっ……
なぜ今、そんな話をわざわざ持ち出すんですか?
しかもトラキチさんの前で。
盛大に顔を逸らしてやりました。
知らんぷりです。
イッタイ誰ノ話ヲシテイルノヤラ。
「そうかそうか。お見合いにばかり注視していたが、打ち合わせの時にも伏線は散りばめられていたんだねぇ。これは追加で報告が必要かもねぇ」
「トラキチさん。どうぞ、冷めないうちにお飲みください。私はこれから熱湯を沸かしてきます」
「座り給え、カサネ・エマーソン君。熱湯は飲み物ではない。熱湯に比べたら、カレーの方がまだよっぽど飲み物だ」
服を掴まないでください。
席を立てないじゃないですか。
どういうわけか、今はトラキチさんの方を向けない心理状態だというのに。
「まぁまぁ、こっちのことはいいから、飲み給えトラキチ君。『お待ちかねの』ハーブティーを」
「ぐふ……っ。あぅ、……では、いただきます」
「うんうん。お砂糖も好きなだけ使うといい。へぇ~、いろんな色があるもんだね」
トラキチさんの方を向いていないので状況は把握できませんが、どうやらトラキチさんはいつものようにシュガーポットから角砂糖を取り出したようです。
……はっ!?
そうです。
トラキチさんが選ぶ角砂糖は……
大変です。
その秘密が知れてしまったら…………なんとなく、よくない気がします。
どうよくないかは、こう、はっきりとは分からないのですが、なんとなくよくない気がするんです。
特に、所長に知られるのだけは避けなければいけない気がします!
「あの、トラキチさん……!」
思いきって振り返ると、トラキチさんも顔を背けていました。
こちらを見ないようにしているかのように、不自然な角度に首を曲げて。
ほのかに赤く染まる耳がよく見えます。
いや、そんなことよりも砂糖を……と、トラキチさんの手元を見ると、摘まみ上げられた角砂糖の色は、黒でした。
黒?
いえ、今日は違います。
黒ではありません。
今日、私が穿いている色は…………なんだっていいじゃないですか、そんなことは!?
それよりも、黒です。
色が違います。
もしかして、トラキチさんがこちらを向いていないから?
私を見ていないから、色が違うのでしょうか?
疑問に頭を捻っている間に、黒い角砂糖はハーブティーの中に落とされ、その姿を消しました。
そんなこともあるのだなと。もしかしたら、これまでのはたまたま偶然が続いていただけなんじゃないかと。そんなことを思い始めた頃、所長がポツリと言いました。
「私の今日のパンツと同じ色だったね」
「ぶふぅっ!?」
トラキチさんが、口からハーブティーを吹き出しました。
盛大に咽ています。
な……
何を口走っているんですか、この小さい所長は!?
「急になんですか、所長?」
「いやね、これだけカラフルな色をした角砂糖の中から、ピンポイントで私のパンツの色と同じ黒を、それも迷いなく引き当てたから驚いたのだよ。いつ見たんだい?」
「み、みみっ、見てませんよ、そんなの!?」
「では第六感というヤツかもね。この『世界』に来て脳をいじられることで、稀に特殊な能力に目覚める者が現れるんだ。きっと君は、目の前の女性のパンツの色を察知する能力が開花したんだよ。間違いないね」
「そ、そんなけったいな能力、身に覚えがありませんよ! ね、ねぇ、カサネさん? 僕、これまでそんな素振り見せたことないですよね? たまたま……です…………よ……ね?」
トラキチさんの語尾が、徐々に弱く、消えていきました。
そうだったんですか。
『世界』への統合の影響で、そのような弊害が……
そして、目の前の女性という縛りがあるため、今回は私ではなく所長のパンツの色を当てたのですね。
なるほど。納得です。
「え……っと、あの…………カサネ、さん?」
「…………はい?」
思考に耽っている間に、なんとなく不穏な空気が流れていました。
トラキチさんが少し青い顔をしています。
「もしかして……僕、無意識のうちに、そういうこと……しちゃってました?」
「そういう……?」
「はっは~ん。カサネ君、トラキチ君にパンツの色を当てられたね?」
「――っ!?」
突然横から割り込んできた所長の声に、過去の羞恥が一気に蘇ってきてしまい、またその事実をトラキチさんに知られてしまったという事態がさらなる羞恥を生み、不覚にも平静を装うことが出来ませんでした。
「え、あ、いや、でもっ! そんなことないと思いますよ、たぶん!」
口を開けない私に代わって、トラキチさんが懸命に否定の言葉を所長に向かって発します。
「だって僕、本当に適当に選んでて、あり得ないような柄のヤツとか……そう、迷彩柄とか選んだこともあるんですよ!? カサネさんがそんな柄物を穿くわけが――」
思わず顔を逸らしてしまいました。
体ごと!
……そのことは、思い出させないでください。
「ほっほ~ぅ。カサネ君ってば、意外と……」
「なんのことを言われているのか皆目見当がつきませんので、視線を合わせることなく無視を決め込ませていただきます」
今、所長のからかい顔を見れば確実に手が出るでしょうし、トラキチさんの顔を見れば脳が熱暴走を起こしかねません。
戦略的閉じこもりです。視線逃避です。
「百発百中じゃないか、シオヤ・トラキチ君」
「そんなわけないです! たまたまです! 偶然ですよ! 外れてたことだってあるはず……いや、ハズレの方が多いですよきっと!」
とんでもないです。
百発百中でしたよ、トラキチさんの能力は。
まぁ、教えませんけれど。
「だって……っ、僕、一回、砂糖を選ばなかったこともありますし!」
……なぜ、その話を今ここで暴露する必要があるのでしょうか?
「ほっほ~ぅ? 選ばなかったことが、ある……と?」
「そうです。だから、その日は確実にハズレですよね? 選択を放棄したわけですから」
「そうかそうか…………で、カサネ・エマーソン君」
所長の小さな指が、つつつーっと私の背筋を撫で、私の耳元で悪魔のような囁きが聞こえました。
「それ、本当にハズレだったのかい?」
熱湯を沸かします!
「煮沸消毒してきますっ」
「待ち給え、カサネ君!? それはもはや飲ませるとかいうレベルを超えているよ!?」
「そして所長室へ隔離してきます!」
もう勝ち負けなんてどうでもいいです!
教育なんて到底無理です!
この小悪魔がそばにいると害にしかなりません!
打ち合わせが一切進んでいないことがその証拠です!
「分かった! 所長室でおとなしくしているから熱湯だけは勘弁してくれ給え!」と訴える所長を所長室へ放り込んで、廊下に置かれている割と大きめな観葉植物でドアの前にバリケードを築き、念のために倉庫から予備のデスクを持ってきてバリケードの強度を上げて、万全を喫すためにちょっとしたトラップをバリケードを超えた先に仕掛けてから、給湯室へ駆け込みました。
……まだ、心臓がばくばく言っています。
顔が熱いです。
ちょっと泣きそうです……っ!
所長め……
所長めぇ…………
トラキチさんの能力めぇ…………っ!
「すぅぅぅうう………………はぁぁぁぁあ」
大きく深呼吸をしてなんとか気持ちを落ち着けて、目尻に浮かんだ涙を拭います。
まったくもう、トラキチさんは……
ダメですよ、女性にこのような思いをさせていては。
注意が必要です。
指導が必要です。
教育が必要です。
そんなことじゃ、いつまで経ってもご成婚なんて不可能ですよ。
分かっているんですか?
まったく……もう。
「世話が焼けるんですから、トラキチさんは」
これは先の長い戦いになりそうだなと、そう思ったら――、自然と口元が緩みました。
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