重ね合う縁、これからも -2-

「こんにちは、カサネさん」

「ご足労いただき、ありがとうございました」


 トラキチさんがカウンターへやって来たのは、やはり待ち合わせ時間よりも随分早い時間でした。

 ふふ。

 そんなことすら、なんだか懐かしく感じます。


「あの、これ。つまらない物ですが」

「こちらは?」

「えっと、お土産の和菓子です」


 にっこりと笑って菓子折りを差し出すトラキチさん。

 困りましたね。


「申し訳ありませんが、相談員に復職しましたので、こういった物は受け取れないんです」

「あ、いえ……所長さんに」


 所長?

 トラキチさんの困り顔から察するに……


「催促されたんですか?」

「いや、まぁ……はい」


 やはりですか。

 しょぼ~んと肩を落とすトラキチさんを見ていると、申し訳なくて仕方ありません。

 トラキチさんの生真面目さを悪用するなど……


「申し訳ありません。ちょっと離席してロッカーへ……」

「先の尖った鈍器とか取りに行こうとしてませんか!? 大丈夫です! そこまでのことではありませんので!」


 なぜ、ロッカーに設置した武具の情報を、そこまで正確にご存じなのでしょうか?


「トラキチさん、まさか……超能力が……」

「ないです」


 ないようです。

 では、たまたま、でしょうか?

 謎です、トラキチさん。


「おっ、和菓子じゃないか。ふふ~ん。きちんと言いつけを守るあたり、感心だよ~、シオヤ・トラキチ君」


 トラキチさんの背後からにゅっと姿を現し、菓子折りに手を伸ばす小さな所長。

 その手をぺしりと叩きます。


「あうちっ!」

「相談員は、相談者様から贈り物をいただいてはいけません」

「私は相談員ではなく所長なのでセーフだ」


 どんな屁理屈ですか。

 責任者が一番節度を守ってください。


「あの、でしたらこれは、所長さんにいろいろお世話を焼いていただいたお礼――ということになりませんか?」

「うむ。それはいい考えだ。採用しよう」

「所長……?」

「いや、しかしだねカサネ・エマーソン君。持ってきた菓子折りを持ち帰らせるというのも、彼のメンツを傷付ける行為になるのだよ? 私が受け取り、美味しく食べてあげるのが、一番穏便に済む方法だとは思わないかね?」


 穏便というのは、『所長にとって都合がいい』という意味ではありませんよ。

 まったくもう……


「この次同じことを強要したら、没収しますからね」

「うむ。話が早くて助かるよ、カサネ君! それじゃあ、早速いただいてくるとしようかな」

「ダメです」


 菓子折りを持って、うきうき所長室へ帰ろうとした小さな所長の腕を掴みます。

 行かせません。


「補佐役が補佐を放棄しないでください」

「私に何をしろと言うんだね?」

「相談者様がお見えになったのですから、おもてなしの準備をしてください」


 おもてなしとは、言うまでもなくハーブティーです。

 美味しいハーブティーを飲みながらの方が、話はしやすいではないですか。

 そういう些細なところでも、相談者様の意思を汲み、どう動くのが最適かを考え、言われる前に自ら動いて初めてよい働きをしたと言えるのです。

 むしろ、それを想定して事前に用意できてこそ一流と言えるのです。

 お見えになってからそこに気付くようでは二流。

 言われてから動いていては三流です。

 言われても動けないのは論外です。


「えぇ~、なぜ私がそんなことを?」


 はい、論外です。


「あなたが言い出したことでしょう? 『私の下で見習い仕事をやる』と」

「カサネ君。そんなヤンデレさんみたいなドス黒い笑顔はやめ給え。メンズがドン引きしてしまうよ」

「何を言っているのかさっぱり分かりませんが、早く準備してきてください」


『やんでれ』とは一体なんなのですか?

 おそらくしようもない話でしょうから、わざわざ問い質しはしませんけれども。


「おもてなしの準備と言われても、何をすればいいんだい?」


 やはり分かっていませんでしたか。

 おもてなしの基本ですよ?

 理解していないのであれば、教えてあげなくてはいけないでしょう。

 早く覚えてくださいね。


「ハーブティーをいれてきてください」

「えっ……!?」


 声を上げたのは、トラキチさんでした。


 ……え?


「あの、トラキチさん。どうかされましたか?」

「え……あ…………いえ」


 もしかして、今日はハーブティーという気分ではないのでしょうか?

 実は、そんなにハーブティーがお好きではなかった、とか?

 もしくは、ハーブティーが好き過ぎて初心者のいれたハーブティーなど飲みたくないとか……?


「察してあげ給えよ、カサネ・エマーソン君」


 小さな所長が、非常にニヤニヤした顔で私を見上げています。

 異常なまでにニヤニヤしています。

 不愉快なほどニヤニヤしています。


 なんなんですか、もう?


「察しろ、とは?」

「にぶいなぁ~、君は」


 指をくるくる回して、神経を逆撫でする笑顔で得意げに語る所長。

 その指を私に突きつけて、こんなことを言います。


「要するに、トラキチ君は、君がいれたハーブティーが飲みたいのだよ。いや、君がいれたハーブティー以外は飲みたくないと言っても過言ではない。君のいれたハーブティーを飲むためにここに来たと、つまりはそういうわけなのだよ。なぁ、少年?」


 え……っ。


「あ、いや、あの……カサネさんがお忙しいのであれば、別に……」

「へー、そーかい。それじゃあ仕方ない、私がいれてきてやるとしよう」

「あぁ、いや、でもっ!」


 所長が意地の悪い笑みを浮かべて歩き出そうとするのを、トラキチさんが全力で止めました。

 そして、「しまった……」みたいな表情でこちらにちらっと視線を向け、すぐに視線を逸らし、またちらっと見て、顔を背けます。


「実は、ちょっと楽しみにしていた部分もありまして……その…………カサネさんのいれてくれたハーブティーは他の人のより美味しいので……あの…………出来れば、カサネさんのハーブティーがいい…………です」


 つむじをこちらに向けるように俯いて、トラキチさんがそんなことを言いました。

 言って、くれました。


 私のいれるハーブティーが他の人のより美味しくて、楽しみ……


 そう、ですか。

 そう、だったんですか。


 ……そう、なんですね。


「ふふ~ん」


 いやらしさを含む声にハッと顔を上げると、所長が癇に障るにやけ顔でこちらを見ていました。

 ……なんですか。なんなんですか、その顔は?


「相談員というのは、相談者様の意思を汲み、どう動くのが最適かを考え、言われる前に自ら動いて初めてよい働きをしたと言えるのではないのかな?」


 く……っ。

 まるで人の心を見透かしているかのように、さっき思ったことと同じセリフを……


「分かりました。私がハーブティーをいれてきます」

「あぅ……なんか催促しちゃったみたいで――」


 困ったような顔を上げて、トラキチさんが頭を掻いています。

 分かります。その後はいつもの「すみません」が出るのでしょう。

 まったく、今日もトラキチさんは謝り過ぎで……


「――ありがとうございます」

「……へ?」


 トラキチさんが口にしたのは、謝罪ではなく感謝の言葉でした。


「楽しみにしてます、カサネさんのハーブティー」

「そう……ですか。では、あの、……少々お待ちを」


 なんでしょう。

 予想と違ったからでしょうか。

 びっくりしたからでしょうか。


 胸がドキドキします。


 なんでしょう、この感じ。

 なんでしょう、この気持ち。

 なんでしょう、この、温かさは……



 ハーブティーをいれましょう。そうしましょう。



 人間、ハーブティーをいれている時は心が穏やかになるものです。

 お湯が沸くのを待つ時間。

 茶葉が蒸れるのを待つ時間。

 そんな時間に、ハーブの心地よい香りに包まれて、人の心は穏やかになるのです。


 給湯室に駆け込み、水を入れたケトルを魔導コンロに乗せて加熱し、その間にハーブティーのフレグランスを選びます。

 今日の気分に合わせて、数種類の中から適したものを。

 あぁ、いい香りです。

 心が落ち着いて……落ち着…………落ち………………

 早く沸きませんかね、お湯? そわそわします。

 ……ダメですね。全然穏やかになりません、落ち着きません。


「そうですか……」


 茶葉の入った小瓶を握り、鼻先に近付けてその香りを胸いっぱいに吸い込みます。


「トラキチさん……私のいれるハーブティーが、楽しみなんですか…………そうですか」


 おへその辺りからむずむずした抗いがたい感情の波がぞわぞわと頭に向かって上ってきて、身悶えるように体を捻ります。


「くぅ……ぅ」


 なんでしょう、この感覚。

 落ち着きません。



「嬉しい……です、ね」



 あぁ、そうですか。

 私は、嬉しいんですね。

 私の好きなハーブティーを、トラキチさんが好きになってくれて。

 それを楽しみだと言ってもらえて。


 私、どうやら、すごく嬉しいようです。


 甘い香りのする薄桃色のハーブティーをいれ、カップとティーポットをトレイに載せてカウンターへ戻ります。

 もちろん、シュガーポットも忘れずに。


 美味しいと、思ってくださるでしょうか。

 わくわくします。

 どきどきします。


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