夜の鏡は私を見つめた




 私は愛を知らない。


 そんな感傷的な言葉を鏡の前で、それも膝を折りながら、私は口付けをするように呟いた。


 私のか細い声は夜を映す鏡の中へと溶け込んでいく。きっと鏡は、皆の夜を飲み込んで美しくなっていく。


 鏡よ、鏡。美しい貴女は私の矮小な思いを聞いてくれるだろうか?


 私は愛が知りたい。





 ☆


 母は私を愛してはいないのかもしれないと、私は密かにそう考えていた。



「それじゃあ私もう行くから。鍵だけ気をつけてね。」


「うん。」


「ご飯は今日も適当に食べておいてね、今日も帰るの遅くなると思うから。」


「うん。」


「大丈夫だとは思うけど、くれぐれも変なことしないでね。普通に過ごしてくれたらそれでいいの。お母さん…仕事簡単に抜けられないからね。」


「わかった。」


「それじゃあ…あとよろしくね、澪。」



 そう言って母は家を出た。いつも通りの見慣れた光景であり、何もおかしなことはない。


 赤宮は母の旧姓だ。私に父親はいない、私が物心つく前に離婚したからだ。なぜ離婚したのかは知らない。それを聞くと母は決まって不機嫌になるので、私は今も聞けないでいる。


 朝食を済ませ、私は携帯を開いた。赤色の携帯だ。高校の入学祝いに母に買ってもらったもの。赤色が良いと言ったのは確か私だ。


『遙:今日は一緒に学校行ける?』


 新見遙からのメッセージを見て私は少しだけ考えた。そしてこう返す。


『澪:ごめん、無理かも。』


 履歴を遡ってみると、同じような会話が見えた。私はため息と共に携帯を机の上に置いた。


 そして鏡台の前に立つ。



 新見遙は私の恋人だ。バス停が同じで、それから仲良くなった。多くはないけど短くもない時間を共に過ごし、私の方から告白した。

 なぜ彼を選んだのかと言われれば、答えは不明瞭なようでしかし明確である。


 愛を知るのに、彼はちょうど良いと思ったのだ。



 睨み合うように見つめていた鏡台から少し顔を離し、私は"赤宮澪"を見つめた。

 きっと、皆から見える"赤宮澪"と、私が見る"私"は違う。だから私は作り上げるのだ皆が願う完璧な"赤宮澪"を。


 私ならきっとうまくやれる。


 ブブブと、マナーモードにした携帯が震えた。開くとそれは遙からのメッセージを知らせるものだった。


『遙:そっか…無理言ってごめんね!』


 既読をつけて、私は携帯を閉じた。


 多くもないけど短くもない時間を共に過ごし、私の方から告白した。

 だけどきっと、その関係もいずれ終わる。


 世界は変わりゆくものでできていて、不変なものなどないのだから。


「あるいは、それが愛なのか?」


 不変な愛は存在するのか?


 ポエムを口ずさみながら私は支度を済まし、通学鞄を手に持った。ふと、先程まで母が立っていた場所で私は立ち止まり、我が家を見つめた。


『普通に過ごしてくれたらそれでいいの。』


『普通に過ごして』


『普通』



 私は普通を知らない。


 だから知りたい。普遍な愛を。






 ☆


 田原仁から告白されたのはいつだったろうか?

 確か、2年の夏の終わりごろだった気がする。それからも田原仁は私によく声をかけてくるようになった。その度に私はにこやかに笑い、彼と話をするのだ。


 あの夏は、部活が忙しいながらも遙と一緒に海に行ったのをよく覚えている。確か写真も撮った。


 それでも、次第に遙と話す時間が減り、田原仁と話す時間が増えたのはきっと…




「え?あ、ごめんもう一回言って?」


 私は食堂で友達と一緒に食事をしていた。2年からの付き合いの人もいれば、1年の途中から仲良くなった人もいる。


 私の前に座る少女Fもその一人であった。


「だから…田原くんのことよ。告白されたって前言ってたじゃない。」


 少女Fがそう言うと、それに驚いたかのように少女Bが話し出した。


「え、本当!?澪田原くんに告られたの?」


「……うん。」


「いいなー!」


 少女Bは2年になってからできた友達だ。少女Fと少女Bと私、今年度は大体3人で行動している。


 食堂は混んでいた。皆がそれぞれ固まって大きな声で話すために、いくら私たちが騒いだところで誰もその話を聞く者はいないだろう。そのことがわかってか、二人ともどんどんと話を盛り上げていく。


 どうやら田原仁という男は女生徒からの評判が高く、羨望の眼差しを受けることの多い男子らしい。だから皆が田原くんに近づきたがる。


(田原くんは"いい"んだ。)


 私は目の前の食事に目を落としながらそんなことを考えた。


「いいよねー!私も付き合ってみたーい!」


「えー!F彼氏いるじゃん!」


「それでも付き合いたいのー!だって付き合うならイケメンがいいし!大体それが普通でしょ!」


「確かにねー!」



(それが普通なんだ。)



 そういえば、とBがFの方に向き直った。


「そういえば田原くんって"納谷さん"と付き合ってたよね?」


 納谷瑞稀。私は顔をよく知らないが、たしかに田原仁との噂話を耳に入れた気がする。しかし、彼らの話は噂話の域を出ることはなかった。


「え、あの二人ってまだ付き合ってるの?その話もぱったり止んだからもう終わったのかと思ってた。」


「あー…まあ、じゃなきゃ澪に告んないか。」


 納谷瑞稀はおとなしい女生徒らしく、確かめようがないという話だ。田原仁もその件に関しては何も喋りたがらないらしい。



 私は一口ずつ目の前のそれを口元へと運び、箸を置いた。すると二人がこちらを見た。


「それで結局どうするの?okするの?」


「いや……どうかな?」


「あれ?でも澪彼氏いるよね?名前忘れたけど…」


「え、あれまだ別れてなかったの?」


「まあね、一応まだ続いてる。」



 私と遙の関係は二人きりの内緒だった。お互い会う時はどちらかの家か、河川敷へと赴いた。そこでひっそりとキスをしていた。

 しかし今年の夏頃その関係が二人にバレた。どうやら私の携帯を盗み見たらしい。


 そして私は気づいた。


 私と、赤宮澪と新見遙はどうしようもないほどに釣り合ってはいないらしいということに。


『え?ニイミって誰?』


『あの子じゃない?あの真面目そうな…』


『へぇ……なんか地味だね。』


『ちょっと!』


『あ、ごめん澪…』


 地味な遙と、派手な私は釣り合わない。きっと二人はそう思ったのだ。



「へぇ〜!でもその割には話してるところ見たことないね…」


「……まあ、たしかにそうかもね。むしろ最近は田原くんと一緒にいるんじゃない?」


「あー!たしかに。え?何、本格的に乗り換えたの?」


「あーあ、田原くんも誰かのものかー!」



 まるで私と田原仁が交際することが確定したかのように話す二人を私は冷めた目で見ていた。


 きっとあの時にはもう答えが出ていたのだろう。

 あの時…遙を地味だと言い、謝罪したBに対して私はこう言うのだ。


『ううん、気にしないで。』


 肯定も否定もしない。私はその時、する価値がないと判断したのだ。


 私と遙の関係はどうやらではないらしい。





 ☆


 扉を閉めて、鍵をかけ、鞄を投げ捨てた私はリビングのソファに身を投げ出した。


 そのまま沈みゆく体を感じながら私は携帯を取り出した。ロック画面に書いてある通知。


『遙:今日は一緒に帰れる?』


 今日は携帯を見るタイミングがなく既読すらつけることができずにいた。現在の時刻はもう5:30。今更返信したところでもう遅いだろう。


「はぁ…」


 そっとため息をつくと、薄暗い部屋がより一層重くなるような気がした。私の家は背の高い建物に囲まれているため、光があまり入らない。


 携帯すら投げ出して、私はそのままソファに身を任せた。だんだんと瞼が重くなっていく。




 私は幼い頃から人とズレていた。


 なんで人を殺しちゃいけないの?なんて問うほどやばいやつではなかったけれど、その質問に抽象的な『道徳』や『心』をもって説明されたなら、ピンと来ないぐらいには多分やばいやつだった。


 それでも私はお利口だった。自己を客観的に見つめ、ズレを修正することができるほどには私は優秀だったのだ。

 だから私は他者の反応を眺めた。ズレを修正するためには他者と比較するしかないからだ。



 ある日、まだ幼い私に震えた声で母は言った。

『あなたは普通の人生を送って。』


 幼い私は考えた。きっと私は、私の父に似ている。そして母はそのことに気づいている。


 おそらく父は普通ではいられなかったのだと、私は確信していた。


 それでも父と母は結婚したのなら、父は人を愛することができたのだろうか?


 私は新見遙を愛することができていたのだろうか?


『赤宮さん。』


『澪さん!』


『み、澪…』


『澪。』 



『遙。』


 そういえば私は初めて会った時から彼を名前で呼んでいたが、彼はどう思っていたのだろうか…。


 もう関係ないけど。




「ご飯作んなきゃ。」


 私はソファから立ち上がる。コツと何かが私の足に当たった。それは携帯だった。


 先ほどと変わらず、遙のメッセージが液晶画面に映し出された。


「新見遙じゃなく、田原仁と付き合う。」


 それが普通のことなのだから、その通りにすればいい。未読のままの彼からのメッセージは、私たちの別れを示すものになるのだろう。





 ☆


「澪、きてくれたのか。」


「……うん。」


 二人っきりの教室はひんやりとした空気に浸っており、冬の訪れを予感させた。


 私の目の前には田原仁がいた。

 今日の朝、彼本人から言われたのだ。俺に気があるのなら来い、と。そして私はそれに応じた。もう後戻りはできないのだ。


「ありがとう、嬉しいよ。」


「私も、まさか田原くんとそういう関係になれるなんて思ってもなかったから。」


 田原仁と見つめ合う。

 彼の反応から見て、私は女の子らしい"赤宮澪"を演じることができているらしい。


「なあ澪。」


「何?」


「キスしたい。」


「……いいよ。」


 これでいいのだ。田原は優秀な男だ。頭も良く、体格も良く、華がある。この人を紹介すれば母もきっと喜ぶだろう。だからこれでいい。


 だんだんと近づいてくる田原。私たちはそっと唇を重ねた。



 その時、扉の音がした。私も田原もある一点を見る。そこには、新見遙が所在なさげに立っていた。



「え、遙?どうしてここに………」


「いや…キスしてるのが見えたから。」


 私が聞くと遙は依然として答えた。その立ち振る舞いには見覚えがあった。彼は傷ついても何もなかったように、あえて堂々と振る舞うところがある。


 遙に見られたという事実が私にのしかかり、私は息を荒げた。どこから見ていたのだろうか?


 そんな目で見ないで欲しい。被害者ぶらないでほしい。


「これは…………その…………」


「澪、落ち着け。」


 鳥肌が走った。田原仁が私の背中を撫でたのだ。


(気持ち悪い。)


 私は自分がそんな感情を人に向けていることに気づき、そして取り乱していることに気づき、驚いた。


(私は今、何を思っている?)


 自分でもわからなかった。

 私はそっと田原の名を呼んだ。田原の手が緩む。

 

 自分のことがわからないなら流れを読めばいいだけだ。私は今日、新見遙を捨てに来たんだ。


 私はゆっくりと深呼吸した。


 それでも、溢れ出た言葉は息も途切れ途切れなひどく情けないものだった。


「遙、話があるの。わ、私と別れてほしいの。」


 遙の顔が歪んだ。実際に見たわけじゃない。私は俯いていたからわからない、それでも遙の息を吸う音が聞こえたのだ。


「その…田原くんは、納谷さんのことはどうするの?」


 遙が問う。それに対して田原は答えるのだ。


「俺は瑞稀が好きだ。それでも澪のことも好きになってしまった。今後は3人で過ごそうと思っている。」


 私は驚いた。そんな話は聞いてない。


「澪さんのことは納谷さんは知っているの?」


 真っ白な頭でただ『違う』と、そう言わないとと思い口を開く。


「いや、それでもあいつは俺のことが好きだから、きっと許してくれるさ。」


 それでも私のか細い声は田原の往々とした声にかき消された。私はどうすればいいかわからなくなった。ただ呆然と、田原の名を呼んだ。


 皆が羨むような、普通は選択するような恋を私はしたいと思った。それでも私は動揺している。

 張り裂けそうな痛みが体の内側の脆いところにまで走っている。けたたましく鳴り響く心臓の音がそのことを明白に示していた。


 何がなんだかわからなかった。


「わかった、澪とは別れる。」


 そう告げた遙。

 その時私は初めて顔を上げ彼を見た。 



 彼からは違う女の匂いがした。



 後日、遙と納谷瑞稀が私の前に現れた。二人の雰囲気には見覚えがあった。まるで一年前の私たちを見ているようで、遙から納谷瑞稀の匂いがして。


 新見遙の顔を見つめながら、私は少女が大好きな本を閉じるようにそっと考えることをやめた。





 ☆


 そのあと、私と田原は共に帰り道を歩いた。示し合わせたこともなく私と田原は一緒にいた。


 田原仁は、目に見えて不機嫌だった。そんな田原仁を見て、私は話しかけるのをやめた。


 二人の間には何も会話がない。ただただそのことが恐ろしかった。怖かった。


 ふと、肩を掴まれた。そして強引に彼の方へと体を引っ張られ、私は


 田原仁とキスをした。

 二度目のキス、それでも心境は違う。



(気持ち悪い。)



 そう思った自分に私はやはり驚いた。


 彼を振り払い、私は逃げた。後方から私の名を呼ぶ田原の声が聞こえた。

 やめて。私の名前を呼ばないで。


 ひたすらに、脇目も振らずに私は逃げた。肺が痛み、止まれと体に呼びかける。それでも、田原が追ってきているかもと思うたびに私は死に物狂いで走った。走って走って走って、家の扉を開けて、そのまま雪崩れ込むように膝をついた。


 そして初めて私は自分が震えていることに気づいた。


「……ご飯作んなきゃ。」


 そうだ。ご飯の準備をしなければいけない。お風呂に入らないといけないし、勉強もしなければならない。やることはたくさんある。


「大丈夫だ、私は強い、やるべきことをやろう。」


 震える体を抱きしめて、口ずさんだ。



 そのあと、何分経っても、何時間経っても私は立つことができなかった。






 ☆


 何かの気配がして、私は顔を上げた。

 もう外は暗くなっていて、灯りもつかないままの玄関はより一層暗かった。


 何の気配だろうと、私は霞んだ頭で考えた。


 金縛りのように動かなくなってしまった体はいくら力を入れてもまるで雲を掴むように手応えがない。


 だから私は耳を澄ませた。何も聞き逃さないように懸命に耳を際立てた。


 そして私は聞いた。


『おやすみなさい。』


 泡のように弾けたそれは重く苦しく私にのしかかり、今何かが終わったのだと私に気づかせた。


「あ…」


「ああ………」


「あ……ああ………」


「ああ!……ああ!!…………」


 込み上げてきた何かが私の嗚咽だと気づき、私は立ち上がった。血のうまく通っていない両足を不恰好に動かし私は夜の鏡を目指した。


 真っ暗だった家の中で、夜の鏡だけは月光を反射し、新しい世界へと繋がるかのようにキラキラと光り輝いていた。


 覗き込んだ私は思わず息を呑んだ。



 私は泣いていた。拭いても拭いても涙が止まらなかった。



 泣くのはいつぶりだろうか?覚えていないということは物心がつく前だったのかもしれない。いや、それよりもずっと前だったのかもしれない。


 一体、何への涙なのだろうか?


 田原仁に唇を奪われたこと?

 親の顔をもう何年もまともに見れていないこと?

 だから、愛を知らないこと?

 愛を知らないなんて自分に酔っていること?

 "普遍の愛"を知らないなんて思っていること?

 "普遍な愛"なんて皆も知らないということに気づいたこと?

 私は他の人と変わらないただの女だったこと?



 全て違う。



 私は、新見遙好きだった人との繋がりを確かに失ったのだ。だから私は泣いているのだ。


 つまらないものに縛られて、彼への好意に蓋をして、大切なものを捨ててしまったから泣いているのだ。

 弾けた泡はもう元には戻らない。どんなに後悔しても、好きだと泣き叫んでももう元には戻らない。



 悲しくはない。いや、きっと悲しいのだろう。それでも認めたくないのだ。だって私が切ったのだ。一方的に、可哀想なぐらいばっさりと。その繋がりを切ったのだ。


 その私が今もこうやって泣いていて、彼は新しくできた彼女と今もいるのか?そんなのあまりにも惨めじゃないか。


 だから私は悲しくない。むしろ嬉しいくらいだ。



「はははっ!ははっ!ははははっ!」



 私だって泣けるのだ。ズレていても、それでも人間なのだ。人並みに傷ついて傷つけて、そしてちゃんと泣けるのだ。


 私はちゃんと、人を好きになることができるのだ。



 涙は止まらなかった。わんわんと恥ずかし気もなく、年甲斐もなく、泣きじゃくった。


 貴女は誰?




 涙が止まらない。止めたくない。




 ちゃんと人を愛せることがどれだけ幸せなことか。


 誰かに知って欲しいし、誰にも教えたくなかった。だから私は夜の鏡にそっと教えてあげたのだ。まるで二人っきりの秘密だよと言わんばかりに。


 夜の鏡はにこりと笑い、私を映し出した。



 私は赤宮澪。ただそれだけなのだ。



 夜、帰ってきた母が泣いている私を見つけた。

 心配して寄ってきた親の胸に縋りより、私はそれでもなお、赤ん坊のように泣いた。






 ☆


「魔女め!あいつも!お前も!皆俺を馬鹿にしやがって!この!」


 私の目の前で、男が息を荒げていた。


「何を笑っているんだ!やめろ!そんな目で僕を見るな!!!」


 また、田原仁が私を殴った。それでも私はヘラヘラと笑った。鼻からは血が流れ、服はもう使い物にならないだろう。


 それでも私は笑わずにはいられなかった。


 田原が立ち去った。きっといつまでも笑い続ける私を気味悪がったのだろう。


 痛む体を徐に動かして、私は洗面台へ向かう。水で顔を洗い流し、目の前の鏡を見つめた。



『私は愛を知らない。


 そんな感傷的な言葉を鏡の前で、それも膝を折りながら、私は口付けをするように呟いた。


 私のか細い声は夜を映す鏡の中へと溶け込んでいく。きっと鏡は、皆の夜を飲み込んで美しくなっていく。


 鏡よ、鏡。美しい貴女は私の矮小な思いを聞いてくれるだろうか?


 私は愛が知りたい。』



 あの夜に母は聞かせてくれた。


 父は家を出て行ったらしい。

 お前も娘も愛していない、愛することができないと叫び、母に強引に離婚届を書かせたと。


 温厚だった父の変わりように母は驚いたという。



 きっと父は隠し続けたのだ。他者から本当の自分を隠し、自分からも見えないように、自分を隠した。


 そして溜まり溜まった本当の自分が溢れてしまったのだ。



 だけど父さん、記憶の片隅で私は覚えているよ。

 夜の鏡を見つめながらあなたが泣いていたことを。


 私は知っているよ。

 その涙が、貴方が母を愛した証だということを。




 きっと私はろくな人間にはならないだろう。やはり人からズレていて、人と同じようにはうまく生きれないだろう。


 それでも私は人を愛することができる。

 自分を愛してあげることができる。


 だって私は人間なのだから。




 目の前の鏡を見て、私は微笑んだ。裂けて傷つき、腫れて青黒くなってしまったその笑顔は、私史上最高に綺麗だ。



 "普通"を追いかける私はあの夜に置いていこう。

 夜の鏡に流してしまおう。




「おはよう!」



 おやすみなさい、愛を知らない哀れな少女よ。




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かくして僕は夢から覚めた 透真もぐら @Mogra316

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