かくして僕は夢から覚めた

透真もぐら

隠して僕は夢から覚めた




人はもっと素敵で綺麗な恋をして、幸せな生活を営むものだと僕は思っていたし、そうでない人のドラマを見ては僕とこのフィクションの中の人たちは違うと、そう思っていた。





今日、僕は浮気をした。


テレビに映る芸能人の赤裸々な報道を見ては、他人事だと思い日々を送ってきた昨日までの自分とはもう違う。


きっと僕はそれらの報道を見るたびに、僕の消すことのできない先ほどの時間、黒歴史を思い出すのだろう。


体が重たい割に、意識ははっきりとしていた。

そのチグハグ具合が僕の心をなおさら痛くさせた。

夜の息は冷たくて、秋から冬へと順当に移り変わっていくことを実感させるものだった。


肌寒い、冷たくなっていくのは僕の体か?心か?

普段はこんなセンチメンタルなポエムなんて吐くタイプではないのだ、本来の僕は。


狼狽している。取り乱しているのだ、僕は。


「澪になんて言おう。」


澪は高校一年の秋から付き合い始めた僕の彼女だった。

快活な少女で、気が強いところはあったが誰にでも優しく、素直で本当に可愛らしい娘だった。


そんな彼女の思いを、僕は踏み躙ったのだ。

「最低だな、僕は。」


そんなことはわかりきっていた。

僕が一人で反省して、この夜の道で何を喚いても僕の罪は消えないし、よくて僕の心が少しだけ晴れるだけだった。

僕は澪になんて言っていいのかも分からないまま、家に帰った。

親は相変わらず仕事でまだ帰っていないみたいだ。

僕は部屋に入り寝姿に着替え、そのまま眠った。






僕は夢を見ていた。澪との日々の夢だ。


「ねぇ、聞いてる?遙。」


彼女がそう問いかける。

場所は彼女の家、テストに向けて一緒に勉強をしていたのだ。


「あ、ごめん。もう一回言って。」


「もう…………だからさー」


本当は聞こえていた。

ただ彼女のかわいい膨れっ面が見たくて、少し意地悪しただけだった。


よく二人で他愛もないことを話した。

その時間が、当時は人生で一番幸せなものに感じた。


バス停が同じだったことで知り合い、仲良くなった春。

友達にも言えないようなことを話し、その関係性の特別感に浸っていた夏。

彼女から告白され、二つ返事で了承した秋。

二人で手を繋いで新年を迎えた冬。

変わりゆく環境のなかで、変わらない互いを見て安心していた2回目の春。

二人の時間が取れないながらも思い合ってることを実感して笑い合った2回目の夏。


そして、互いに言葉を交わさない日が増えてきた2回目の秋。



そうだ。あんなに愛し合った彼女は夏の終わり頃から素っ気なくなり始めた。


理由を聞いても受け流され、やがてそういうもんなのだと自分で自分を納得させていた。


彼女の笑った顔が浮かぶ。


本当は僕は寂しかったのだろうか?


だからあんなことをしてしまったのだろうか?


澪の笑顔にそう問いかけても、脳裏に映るその顔はまるで能面のようだった。


彼女は何を見て笑っているのだろうか?


本当に笑っているのか?


その目を何となく覗いてみると、澪ではない少女の影あった。

この少女は一体誰だろう?


僕はその答えから逃げている。



そして、そこで僕の夢は覚めた。







へばりついた汗を剥がすように服を脱ぎ、シャワーを浴び、ご飯を食べ、支度を一通り済ませて家を出た。


自転車を漕いで学校へ向かう。


学校での日々は相変わらずだ。

良くも悪くもない。

悪いのは僕の心持ちだけだった。


澪は謝ったら許してくれるだろうか?

そもそも謝るべきなのだろうか?

責任をもって別れるべきではないだろうか?

それは逃げているだけかもしれない。

無責任の間違いなのか?


昨日から自問自答が頭の中を駆け回る。

僕の頭の中で勝手に遊ばないでほしいものだ。


チャイムの音が鳴った。


くだらないことを考えているうちに、いつのまにか本日のカリキュラムは全て終わってしまっていた。

余程上の空だったのだろう。

僕のノートは空白のままだった。


「起立」


級長の声が教室に響く。 僕たちは挨拶をした。


「新見、ちょっと。」

僕が振り向くとそこには、先ほどまで授業をしていた現代文の教科担任である秦野先生が立っていた。

秦野先生は、今日集めた課題を教務室まで運んでほしいという。

断る理由もないので、僕はついていった。

「サンキュー新見、助かったよ。」

「いいえ、それほどでも。それじゃあ僕は戻ります。」

「あ、おい!待て!!」

秦野先生が僕を呼び止めた。


「なんですか?」

「なんですか?は、こっちのセリフだぞ。今日の授業全く身が入っていなかったじゃないか。教務室でもお前の話がよく出ていたぞ。真面目な新見くんらしくないな、ってさ。」


"真面目な新見くん"とは一体何なのだろうか?


浮気をした僕は真面目なのか?不真面目なのか?

両方とも違う気がした。


「まあ、あれこれ詮索するのも良くないと思うから、深くは聞かないさ。

とりあえず、何かあれば相談には乗るからな。わかったなら戻っていいぞ。」

「……………わかりました。」

僕はしばらくといっても、少しの間悩んだのち、彼に何かを言うのはやめた。


大人である教師に僕の汚さを見せたくないと思った。

それに、わかってくれるとは思えなかったのだ。


「失礼しました。」



そう言って教務室を出る。

教務室は1組の先にある。

対して、僕のクラスは4組だ。




「え?」


当然僕は1〜3組を通らなきゃいけないわけで……


「なんで……………」


2組の教室の扉が少し開いていて、中が見えていた。




中には、僕の彼女である赤宮澪と、僕の浮気相手である納谷瑞稀さんの彼氏である田原仁がキスをしていた。




(何がどうなっているんだ……)


僕は混乱していた。

大好きだった澪が、違う男とキスをしている。

これは明確な浮気だろう。

しかし僕はもしそうだとしても何も言えない。

僕も同じだからだ。


瑞稀さんはこのことを知っているのだろうか?


知っていて、彼氏に振り向いてほしいが為に僕を誘惑したのなら大したものであるが、いや、考えてもわからない。


僕は今どうするべきだろうか?


教室に入った方がいいのだろうか?それとも、帰る?



僕は迷ったのち、その扉を開いた。


「え、遙?どうしてここに………」

澪が僕の顔途端激しく狼狽する。


「いや…キスしてるのが見えたから。」

僕は正直に伝えた。

はぐらかしてもいいと思ったが、その必要もないなと思ったからだ。


「これは…………その…………」


「澪、落ち着け。」


「仁君………」


田原が澪の背中をさする。

人の彼女に何をしているんだ、とも思ったが僕の言えた義理ではないので黙っていた。

いや、モヤモヤするけど。


「仁君、うん、わかった。遙、話があるの。わ、私と別れてほしいの。」


「!」


あまりにも急展開なスピードに頭がついてこなかった。


誰が誰を好きなのかわからない。

僕は一体誰が好きなのだろうか?


それよりも、田原くんは瑞稀さんをどうするつもりなのだろうか。


「その…田原くんは、納谷さんのことはどうするの?」


極めて冷静そうに話す。

取り乱しては場が面倒臭くなるだけだと思ったのだ。


「俺は瑞稀か好きだ。

それでも、澪のことも好きになってしまった。

今後は、3人で過ごそうと思っている。」


そんなのアリなの!?

いや、ないだろ。なんだこいつ。

え、なんだこいつ。


今の会話で分かったと思うが、田原仁はイケメンだ。

そのうえ、頭もいいし運動もできる。

僕が勝っているのは精々身長ぐらいだろうか。

だからこそ、自信家である彼には色々な人が集まる。

まさに陽キャである。


「澪さんのことは納谷さんは知っているの?」


「いや、それでもあいつは俺のことが好きだから、きっと許してくれるさ。」


その自信を俺にもください。


納谷さんはどっちなのだろうか?

知らなかったのか、それとも勘づいていたのか。


あの日どう言うつもりで僕に話しかけたのだろう。


「仁君…………」


澪がメスの顔をしている。

今どこに惚れる様子があったの?と思ったが、多分カップルってそういうもんなんだろうな。


「そういうわけなんだ、新見。

悪いが、澪と別れてやってくれないか?」


まじでなんだよこいつ。



澪と別れる。



あんなに好きだった澪が他の男とキスしているのを見たのに僕の心は思っていた以上に落ち着いていた。

そのことが僕は怖かった。


もう嫌だ。


素知らぬ顔で他の男とキスをして、謝りもしない澪。

自信家で、みんなが自分を許してくれると思う仁。

何を考えているかもわからない瑞稀。


変な空気に流されて人の彼女と一線を超えてしまった挙句ああだこうだ変なことを考えている僕。


何がなんだかわからなかった。


「わかった、澪とは別れる。」


僕は伏目がちにそう言って、教室を後にした。


もう恋愛はしないことにしよう。

たぶん僕には向いていないんだから。


4組に戻り、


その扉を開ける。








「遅かったですね、心配しましたよ。」


「!」



扉の先には、昨日僕が一緒に寝た人物、


納谷瑞稀が立っていた。


「何かあったんですか?」

小柄な彼女は見上げるようにして僕を見る。


「…………………なんでここに?」


「遙くんを待ってたんです。」


遙くん………前まで、っていうか昨日まで新見くんだったのに。


「あー、わかりました。仁くんと澪ちゃんの逢瀬を見ちゃったんですね。」


「!?」

知ってたのかよ!?

知ってて僕と浮気してたのは何故なのか、僕は余計わからなくなる。


「そのうえ澪ちゃんに別れ話を持ちかけられたんですね。

わかります、とても悲しいですよね。ええ。」


「!?」

だからなんでわかるんだよ!?


「それで、遙くんはなんて答えたんですか?」

納谷さんが目を見開いて聞いてくる。

驚いているわけではない。

多分彼女の癖だ。


「……………別れたよ、普通に。

僕も、その……納谷さんと浮気したし、澪も浮気してたし、もう無理だと思ったから。」


「そうですか、そうですよね。」


彼女は意味あり気に笑う。その笑みは妖艶で、


その顔を見るのは二度目だと、僕は思った。


忘れたいはずの記憶なのに、忘れさせてくれないからこその黒歴史なのだ。






僕は携帯を見る。

澪とのトーク画面を見る為だ。


『今日は一緒に帰れる?』


そう送ってから返信もないし、既読もつかない。


昇降口には、帰宅部組が帰った後の帰る人がまばらになり始めたこともあり人影はあまりなかった。


「はぁ、最近会えてないな…………」


倦怠期


と言うやつなのだろうか。

喧嘩があったとか、そういうわけではない。

ただなぜか澪は冷たくなってしまった。

いつからかと言われれば僕もよくわからない、きっとずっと前からそれは始まったような気がする。


メッセージを送ってから時間が経ち、気づけばもう5:30だ。


僕は再度トーク画面を眺めてため息をつく。


「帰ろうかな…………」


僕は靴を履き替えようとロッカーに手をかける。


「キャッ」


「え?あ!」


完全に呆けていたせいで、僕は人にぶつかってしまった。


ぶつかった女子生徒がびっくりしたようにこちらを振り向いた。


「あ、新見くん。」


「納谷さん。」


この学校は一年時からロッカーの場所は固定だ。

クラス替えが行われてもロッカーは移動しない。

納谷さんとは一年の時同じクラスだったうえに、

"新見"と"納谷"で名簿が続いていた。


その為僕と彼女はロッカーが上下になっている。

つまり僕は納谷さんに意図せず壁ドンしてるような体勢なわけで………


「あ!ごめんね!ごめん、本当にごめん。」


「あ、謝りすぎですよ。ふふ。」


納谷さんは笑う。どうやら許してくれるようだ。


ふと納谷さんがこちらを見て黙っている。


「え、何?」


「いや……………その、一人なんですね、その。」


「あ…………恥ずかしながら、ね。」


去年同じクラスだったってことは、納谷さんは必然的に澪と僕の関係も知ってる。

だからこそ、僕が一人でいることが気になったみたいだ。


納谷さんは微妙そうな顔でこちらを見上げている。


「恥ずかしいって言うなら私もですよ。

私も今日は、って言うか最近は一人帰りですよ。」


「あ……………」


そうだ。確か彼女は2組のイケメン、田原仁と付き合っていたはずだ。


それが彼女は今は一人………つまり……。


「僕とおんなじってわけね。」


「ええ、はい。」


曖昧そうに笑う納谷さん。


「…………せっかくだから一緒に帰りませんか?」


「え?あ、ああ。」


いいのだろうか?澪が見たら誤解しそうだと思った。


(まあ、やましい気持ちなんてないし、なんか聞かれたら正直に話そう。)


「いいよ、一緒に帰ろうか。駅までは一緒だったよね?」


「はい。」


僕は彼女に続いて校門を出た。


「新見くんと澪ちゃんは、いつもどういう風に過ごしてるんですか?」


「え?」


盛り上がるというほどではないが淡々と、それでも続いていた会話の最中に納谷さんは話題を切り出した。


「いや、カップルの過ごし方とかってドラマとかではよく見るけど実際のところはどうなのかな?って。

もしかしたら仁くんと私がマイナーな関係かもしれないなって。」


「は、はぁ。」


普通そんなこと考えるだろうか?

好きな人といれば付き合い方なんてどうでも良くないか?


「まぁ、僕と澪の関係なんて普通だと思うよ。

一緒に帰ったり、一緒に遊びに行ったり、寂しい時に電話したり、たまに喧嘩したり、みたいな。」


「………………」


納谷さんがこちらを見ている。


あれ?僕の思ってた付き合い方って割とアブノーマルなのか?


「いいですね、澪ちゃんは。素敵な恋だと思いますよ。新見くんは………とても優しい人です。」


「いや、そんな………」


納谷さんと田原は違うのだろうか?


「私たちのことを喋らないのは不公平でしょうか?」


「いや………別に。言いたくないならそれで……」


「ふふ、助かります。そう言ってもらえて。」


僕と納谷さんは歩く。


駅までの道は狭く。

僕と納谷さんの肩が自転車が通ったり、電柱があったりするたびにぶつかりそうになった。


「最近……仁くんが冷たいんです。」


「………………」


「少し前からですかね……LINEの返信も遅くなって。

どうして?って聞くのも重い女と思われそうで怖くて聞けずじまいで。」


正直、身に覚えがあることだった。

僕も先程まで同じことを考えていたのだから。


「ただモヤモヤして………その、倦怠期なのかな、とか。」


きっと彼女も悩んでいたんだろうな、と思った。

だからこそ、僕は黙って話を聞いていた。

僕が何か言っても、それに意味があるとは思えなかったからだ。


すると納谷さんはさらに思い詰めた顔をする。


「私、成績も良くないし、友達も多いわけじゃないし、見た目もちんちくりんで。

魅力とか、自分でも感じないし。

なんで仁くんの彼女になれたのかな、とか。

やっぱり1人だと色々考えちゃうんで、今日新見くんを誘ったんです。」


「ああ………なるほど。」


僕は納得した。

ずっと誘われたことが不思議だったのだ。


「怖いんですよ、私。本当に。」

僕は彼女が次に何を言うのか、大体わかっていた。


「……………もしかしたら浮気とか。」


「納谷さん、ストップ。」


僕も同じことを、やっぱり考えていたのだ。


「もうこの話やめない?」


だから僕は逃げた。

納谷さんからも、澪からも。


「…………はい。」


納谷さんは頷いた。


また、2人で歩く。

今度は会話もない。

ただ淡々と2人で歩いた。


僕は、きっと彼女の悩みがわかるし、彼女はきっと僕の気持ちがわかるのだ。


だから僕は彼女の自虐が嫌だった。


「さっき、」


「?」


「さっき納谷さんは、自分のことちんちくりんとか、魅力がないとか言ってたけど。

……そんなことはないと思うよ。

僕から見ても納谷さんは、素敵な人だと思うよ。」


何気なく言ったつもりの言葉だったが、彼女は突然立ち止まってこちらを見つめた。


つられて僕も止まる。


「新見くん…………ありがとうございます。」


「別に、そんな畏まらなくても……」


心なしか、彼女が距離を詰めてくる。


彼女がまた歩き出したので、僕もそれに倣う。


肩が何度かあたった。


「澪ちゃんは……本当に幸せ者ですね。

新見くんみたいな優しい彼氏がいて。」


「優しいなんて……初めて言われたよ。」


(距離が近いな。)


納谷さんは美人だ。

目立たないが、華があるといよりも、欠点がない顔をしていると言えばいいだろうか。


そんな彼女が僕を見て笑顔を向けてくれている。


(だめだだめだ。僕には澪がいるんだから。)


僕は気持ち彼女から距離をとる。


「いえ、優しいですよ、新見くんは。」


「そこまで言うならもう否定しないよ……」


そろそろ駅につくので、僕と納谷さんもなんとなくお別れする雰囲気を出し始める。


「今日は、そのありがとうございました。

色々悩み聞いてもらっちゃったりして。」


「いいよ別に。それにその、僕も割と同じ気持ちになることあるし。」


「そう言ってもらえると助かります。」


納谷さんは笑う。


僕たちの目の前にはもう駅があった。


僕と納谷さんの家は反対方向に位置している。


なんとなく、彼女の線の方が出発が早いのだと言うことを僕は知っていた。

そして、もうすぐその電車が来ることも。


"じゃあ、私はこれで"

という言葉を僕は期待していた。


「あ、あの!」


「え?」


「もう少しだけ、お話できませんか?」


だから、僕は彼女の申し出に驚いた。


「一体どうしたの?納谷さん。」


「新見くんも私と同じ気持ちになったことがあるんですよね?

それだけでも貴重なのに、それが男子だなんて相談相手にふさわしすぎますよ。」


普通は女子がいいもんじゃないのか?


そんな僕の疑問を勘づいたのか納谷さんが続ける。


「仁くんはモテますから、容易に相談なんて出来ないんですよ。」


「あ、ああ、なるほどね。」


確かに女子からは反感を買いそうだと思った。


時刻は6:30ごろ、まだ帰らなくてもいいか、と僕は思った。


「まあ、相談ぐらいなら別にいいよ。」


そういうと彼女は笑う。


「やった!ありがとうございます!」


彼女らしからぬ言葉遣いと笑顔に僕は見惚れてしまった。


「そ、それでどこで話そうか。」


「あ、そうですよね。

あそこのカフェにしませんか?」


彼女が指さしたのは見慣れたチェーン店の看板。


僕と彼女はそこへ向かった。


店に入り、注文をして、一息ついたときに彼女が語り出した。


「さっき、新見くんと澪ちゃんの話を聞いて、思ったんです。

私、仁くんのアクセサリーみたいに扱われてるんじゃないか?って。

いや、思ったっていうか、確信したっていうか。


なんか、彼のステータスみたいに見られている気がして。

こんなこと考えるのもどうかなって思ったんですけど。

1人だと余計に………。」


「………………」


「よく考えたら、喧嘩も私たちしたことないんですよ。

彼は私に何も言わないし、私はいう勇気なんてないし、

私が何も言わないことを仁くんは多分知っているし。」


「………………」


「私が好きって言っても、仁くんは好きって言ってくれないんです。

いや、言葉ではいうけど、心の底から思ってない、みたいな。」


「………………」


(やっぱり納谷さん、薄々勘づいてたけど重いな。)


納谷瑞稀は重い女だという認識が僕の中で生まれる。


さっきの、帰り道ではセーブしていた方なのだろう。



それでも、嫌悪感は抱かなかった。


(僕みたいだ。)



彼女の重くて、少し鬱陶しそうな愛はきっと、僕の中にも流れているから。

  



「………納谷さんは重いね。」


「え?」


「愛が人よりも重くて、そして大きいから、

人を愛したいという気持ちが強いから普通の人より傷つきやすいだけだよ。」


「それって………」


「でも、それでも、僕はそんな愛を受けられる田原が羨ましいよ。」


「え………」


「1人の女性から、そんな思いを与えられるなんてとても誇らしいことだと思うから。」


きっと、僕の言葉は納谷さんだけに言ったわけじゃない。


僕にも向けた言葉なのだ。


「………………私、新見くんと恋愛がしたかった。」


息を呑んだ。


やめろよ、やめろ。泣くな。泣かないで。


僕は彼女に自分を重ねていた。


本当は気づいていた。


帰ってこない返信。

既読がつかないメッセージ。

最近会えてない事実。

遠く霞んでしまった愛する人の顔。


やめてくれ、やめてくれ。


「泣かないで。泣かないでくれ、納谷さん。」


倦怠期なんかじゃない、きっと澪はもう僕のことは好きじゃない。


倦怠期なんかじゃない、きっと田原は彼女のことはもう好きじゃない。



彼女を席から立たすと、僕たちはカフェを出た。


おぼつかない手で払った小銭の感触を僕は覚えている。



そして、僕の家の反対、彼女の家までの電車に一緒に乗った。


どこか知らない場所に2人で降りた。


どこか知らないバス停を見つけた僕たちは、泣きながら、それでもお互いの重い愛でふしだらに想い合った。



そして事後、彼女は妖艶な笑みで僕を見た。


僕はもう2人で会うのはやめようと言った。


彼女はただ僕を見ていた。






納谷瑞稀は不敵に笑う。


一体何を考えているのか?

何故だろうか?変な冷や汗が出てくる。


「じゃ、じゃあ、遙くん。

今度は私と付き合っちゃったりしませんか?」



「え?」


何言ってるんだと思った。


昨日2人で合わない、って。確かに約束したのは僕だけだったけど。


「…………それは流石に無理だよ。

僕たち、ちゃんと話したの昨日が初めてだし、いやそんなことよりも、僕たち浮気したんだよ?その、少しは」


罪悪感とか背徳感とかないの?


「でも私たちも浮気されてたんだからもうなかったことでいいじゃないですかその話は。」


「いやそういう問題じゃ………」


「じゃあなんの問題があるんですか?」


「それは…………」


あるだろ。

二組のカップルが4人とも浮気しててペアを取り替えるって、そんなの…………


それに、


「僕はまだ恋愛する気になれないから……」


「どうして?」


「それは、僕はまだ澪のことが好きで……」


「浮気したのに?」


痛いところを突かれた僕は閉口するしかなかった。


「あの時の僕は…その、冷静じゃなかったから。」


「冷静な時なんて訪れる根拠はありますか?

正しい選択ができる根拠は?」


なんでそんなこと言うんだ……


「だ、だって!好きだった女の子にフラれて、すぐにまた違う女の子をすきになるなんて、そんなの」


本当の恋じゃないじゃないか。


「…………………」


納谷瑞稀は黙ってこちらを見る。

怒っているのだろうか。

いや違う、僕を見て笑っている。


「わかりました。

でも私は本気ですよ、だから明日まで返事を待ちます。

時間をとってしまってすいませんでした。

あ、遙くんが私と付き合ってくれるなら、当然私は田原をフリますから安心してください。

まぁ、多分どっちみち別れますけど。」


そこには、昨日見た僕に似た弱い納谷瑞稀はいなかった。



でも、不気味な彼女を僕はかわいいって思ってしまった。


僕は自分が嫌いになりそうだった。







僕は1人で夜の街を歩いていた。

家に帰りたくなかった。1人になりたくなかった。


学生だと言うことをバレたくないので、私服に着替え厚手のジャンパーを着込んでいた。


俯いて歩いていたので、見知った人とすれ違ったのことに僕は気づかなかった。


「お、新見じゃないか。」


「…………秦野先生。」


そこには、仕事帰りと思われる秦野先生が立っていた。


秦野先生は僕の顔を見て、何か思案したあと、強引に僕の手をとり、公園のベンチに座らせた。僕の隣に先生が座る。


僕は特に抵抗することもなく、彼の後ろを歩いていた。


「で、どうしたんだ新見、真面目なお前がそんな顔でこんな時間にあんなところを歩いていたなんて、先生なら話を聞くぞ?」


「……その真面目っていうのやめてもらっていいですか?」


秦野先生は意外そうな顔をする。


「そうか、そうだな、悪かった、もう言わないよ。」


「………………」


こうも簡単に謝罪してくれるとおもってなかったので僕は面食らった。

いや、もしかしたら理由を聞くのも彼にとってはめんどくさいのかもしれない。


「先生、本当の愛ってなんですかね?」


「んぐふぅ!?」


先生は飲んでいたコーヒーを吹き出す。


「あー、あー、なるほど、そうか、お前も男の子だもんな。うん。本当の愛ね、うん。」


聞いた瞬間、僕の中でこいつに聞いてもしょうがない感が出てきた。


秦野先生は少し悩んだ後、僕に話をするように促す。


「まぁ、話してみろよ、どうせ帰っても暇なんだろ?」



いや、秦野先生の残念さが僕にそうさせたと言う意味では良かったのかもしれない。


僕は何を思ったのか、彼にこれまでの話をしようと思った。






「僕には高校一年の秋から付き合ってた彼女がいたんです。本当に好きで、漠然とずっと一緒にいるんだと思っていました。」


「うん。」


安心した。茶化さずに聞いてくれるみたいだった。


「でも最近、彼女が冷たくなって。

倦怠期ってやつかなとか思ってたんです。…で、その」


「なんだ?言いにくいことは適当に端折ってくれてもいいんだぞ?」


「い、いや!話します!

………そんな時に、同じような境遇の子と会って、色々話を聞いているうちに、なんか自分を見てるような気がして、どうしても放っておけなくなって……それで。

…………僕、その子と浮気したんです。たった一回だけど。最低ですよね。」


「まあ、そうかもな。」


先生はコーヒーの中を覗き込んでなんともないような顔をしている。

僕としては、先生という立場もあり、何か小難しいことを言われると思っていたから驚いた。


「話はおしまいか?」


「あ、いえ、まだあります。

その子とは、互いに今日のことは無かったことにしようって言って、お開きになったんです。

でも、やっぱりそううまくはいかなくて…

僕の彼女も浮気してたんです。

嘘みたいな話なんですけど……僕の浮気相手の、その恋仲の相手と。」


「なるほどね。」


「それで別れることになって、当分そういうことからは離れようと思ってたんです。

それでも、その、一緒に浮気した子と付き合おうって言われて、俺………いや、すいませんこんな話。

一応、これで話はおしまいです。」


「ふーーーーーーん………………」



秦野先生は僕とは逆方向に顔を背ける。


僕からは彼の表情が見えないので、内心ドキドキしていた。


「新見。」


「は、はい!」


「一つ質問していいか?」


「はい………」


な、なんだ、怖い。僕の中の何かをバカにされるのが怖い。


しかし、先生の言葉は僕には予想外のものだった。


「俺は、普通にその浮気相手とつき合えばいいと思うんだが、ダメなのか?」


「え?」


「いやそんな驚くようなことは言ってないだろ?

その女の子と付き合っちゃえばうまくいくだろ普通に考えて。

まぁ、お前がしばらく恋はしたくないって言えばフっちまえばいいだけだしな。

でも、そんなに悩んでるってことは多分お前も恋はしたくないとまでは思ってないんだよ、きっと。」


「ぼ、僕は……しばらく恋をするつもりは……」


「じゃあフれよ。」


………僕はこんなに中途半端なやつだったか?

恋をするつもりはないなんて言って……

本当はしたいのか?


「まあ、逃げてもしょうがないって話よ、新見。選ばなきゃってときもあるさ。」


「それでも僕は……だって、そうでしょう?

もしここで僕が納谷さんを選んだとして!

それで幸せになったとしても、その度に僕は浮気のこととか、色々考えて」


「新見。」


先生が、僕の言葉を遮る。


先生の顔に浮かぶのは諦念か、それとも別の何かか。




「みんな、"そういうもん"なんだよ。」




「………………」


先生はゴミ箱にコーヒーの空き缶を投げる。


「先生、僕、恋ってもっと素敵なものだと思ってたよ。本当に好きな人だったら、ずっと一緒にいれるって思ってた。

ずっとその人だけを愛して、その人だけに愛されるって思ってた。


でもそんなことなかった。

僕はもっと卑怯で、意志が弱くて、汚くて、僕が本当に好きだった人だって僕をずっと見ていてくれるわけじゃなかった。」


秦野先生はベンチから立つと数歩歩き、僕の方を向く。


「新見、それは逆だよ。

みんな変わりゆくから、変わらないことなんてないから、愛も憂いも永遠じゃないから生きていけるんだ。


新見、お前は恋に夢を見て、人間に夢を見ることができていなかったんだな。」






後日、僕は納谷さんに呼び出されていた。


場所は2組の教室だった。


僕が教室の扉を開けると、そこには納谷さんと田原、そして澪がいた。


僕はもう澪を見ても何も感じない。いや、感じないわけではないが、気まずいなぁ程度のものだ。


「遙くん、来てくれたのですね。」


「まあ、ね。」


秦野先生と話していて気づいた。

僕は多分、あの日から納谷さん、いや、瑞稀のことを好ましく思っている。

それこそ、澪よりも。


「なんだよ瑞稀、こんなところに呼び出して。

そうだお前に聞いてほしい話があるんだけど。」


田原が瑞稀に近づいていく。


「仁くん。そうですね、じゃああなたの話からでいいですよ。遙くんもそれでいいですか?」


「うん。」


田原が瑞稀の肩に手を回す。

慣れた仕草だと思った。てか、その通りだろう。


「俺さ、澪のことも好きになっちゃったんだよね。いや、違うんだ。瑞稀のことも好きだぜ勿論。でも澪のことも同じくらい好きなんだ。だからさ、これからは3人で一緒に過ごそうって話。」


な、といって瑞稀を見る田原。


瑞稀は田原の顔を見る。


どういう感情を抱くのか。

もしかしたらいざ田原に別れ話をするとなってからと話してみて、田原と再縁しようとでも思っているのだろうか。

きっと僕はそれでも………


「すいません、仁くん。私はあなたのことがもう好きではないんです。」


「!?」


田原の顔が驚愕の顔に変わる。


瑞稀は田原の手を払う。


そして僕の元は来る。


「私、遙くんが好きになってしまったんです。

だから、あなたとはこれまでです。今までありがとうございました。」


「な、な!そんなの!許されることじゃないだろう。」


「遙くんは私を大切にしてくれます。

あなたからは愛を感じません。」


僕と浮気しといて愛も何もないだろう。

いや愛があったからこそ浮気したのか?


「…………わかった。」


もっと食い下がると思ったが、案外簡単に田原は身を引いた。

きっと彼は瑞稀が言っていたように彼女をアクセサリーのような何かだと思っていたのだろう。


澪の様子を見る。終始黙ってこちらを見ていた。

田原ではなく僕を。


僕と瑞稀はそれを気にすることなく、2人で教室を出た。


駅で隠れてキスをした後、僕たちは帰路についた。


SNSで、とめどない会話をしながら。

僕は今どんな顔をしているだろうか。




家に帰って、例によって、1人で寝た。


この前に夢で見た。


澪の瞳の中に見た少女の影を今僕は知る。


彼女は澪でも、瑞稀でもない。


僕が思い描いた理想の幸せで綺麗な恋の相手なのだ。


どこにもいない架空の恋人なのだ。




「おやすみなさい。」



おはよう、汚くて劇的な恋よ。


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