8.「無礼メイド」にまつわる過去を「終える」
「む。抽象的だったか?
確かにな。言い直そう。
貴様の今後の――近い将来でもいい。何らかの目標や、やりたいことを教えろ」
………。
「は?」
「全く『りあくしょん』変わらぬな。
とはいえ、命令してよいと言ったのは貴様だ。今更撤回は許さぬ」
そう飄々と言い、腰かけていたベッドの端から立ち上がると、タンスの方に向う。
こちらが放心している間に、どうやら箪笥の横辺りにしまってあった、簡易の折り畳み椅子を持ち出してきたらしく、こちらの前に設置する。「長期戦のようだからな。とりあえず座れ。これも命令だ」というご主人様の言葉に特に頭も回らないまま従い、ちょこんと座り、今度は私が項垂れた。
特にショックを受けているわけでもないし、頭が痛いわけでもない。
純粋に『怒り狂っていた』。
将来の夢? メイドの? 私の?
この屋敷に生涯縛り付けられ、この目の前の男の奴隷に等しいわが身に夢を聞く?
数週間前まで人並みの夢を持ち、大切な家族があり、それをすべて奪われた女にか?
訂正しよう。
この男、想定外にサディストだ。
一瞬家族の事もかなぐり捨てて殺してしまおうと、衝動的になる程の。
呼吸音が乱れる。
一呼吸が連続に発生して、前の呼吸を後の呼吸が追い越すかのような幻視をする程、私の感情は乱れに乱れていた。おそらくこちらのこの感情は、目の前の男に対し完全に覆い隠すことはできないだろうが、もう其れは諦めるしかない。
精々先ほどまでの気前の良い姿勢に期待させてもらおう。
主人を手に掛けるよりはまだ希望があるに違いないのだから。
ああ、馬鹿な男の滑稽な姿勢を思い出したからか、少し感情が凪いで来た。
だが次ふざけたことを発言した場合は、もう止められないだろう自分を予感しながら、それが少し伝わればいいなと儚い夢を見ながら、ようやっと言葉を返した。
「………お戯れをご主人様。
私共メイドは、将来全てをご主人様に捧げた身。そのようなものは勿論持ち合わせて――」
「ちなみに、そのうちこの屋敷は皆で脱出するぞ」
………。
………。
「貴様、まだ困惑中だというのは顔を見ればわかるが、だとしたらモップの切っ先を『とりあえず』的に向けるのをやめてもらってよいか?」
「黙れ」
「黙ろう」
静かになったところで、再度頭の中を回し始める。
回して頭に血が巡り始めたからか、先ほどはなかった鈍痛を感じられるようになってきたが、これはきっと幻肢痛と言う奴だろう。実際には存在しない箇所が痛くなる。
私の頭が存在しないという意味じゃない。私の感じる痛みが、私の頭の大きさを優に超えているからだ。
何だこの男は。
何言ってるんだ。
『この屋敷を脱出する』?
誰が?
私達はそりゃ逃げたい。安全で平和な逃げ道があるなら、とっくに逃げている。
だけどそんなものはない。
そして問題はそこじゃない。
何でこの男が逃げるんだ。
この人は自分の立場が分からないのか?
欲望の限りを尽くす一城の主だろう。もしかして女に興味がないのだろうか?
いや、色事だけじゃない。衣食住すべてにおいて、高いレベルの保証された上で、自由を満喫する事実上の貴族的存在。それがご主人様の偽らざる立ち位置だ。
3日じゃわからなかったか? 今までの生活にも大した不自由はなかった故に自由の価値が理解できなかったか?
女に格好をつける「程度」の自尊心を満たすには、全く釣り合いの取れていないその短絡的行動たるや、その低能。
怒りが真っ白に焼き付き過ぎて、感情が死にそう。
何より、こんな馬鹿な人間に、私が生まれてからこの方、渇望し続けてきた権威を無作為に与えられているこの世界の在り様に、怒りか失望か絶望か――ああ、もうむしろ笑えて来たじゃない。
こちらが自身にも全く不可解な衝動から体を震わせているのをどんな感情でこの男がみているだろう。泣いているなど例え誤解であっても反吐が出そうだ。
口から刃が出てしまいそうだ。
ああ――そして現実においても、止める暇も気持ちもなく、ご主人様はその口から戯言を垂れ流してしまうようだ。
同情してみるといい。
殺してやる。
「何を笑っているのだ貴様」
「この状況で本当に笑ってるわけないでしょうが!」
――。
………。
ゴホ。
「また『貴様』と言いましたね」
「あ」
『あ』ではないですが。
呼び名の論議にも、今は大した価値はありませんが。
大いにふざけたご主人様です。
きまり悪くこちらから目を逸らし、意味もない座り位置の確認を繰り返すご主人様を他所に、私は未だに顔を上げぬまま、主人に対する不遜を維持し続ける。
態度も、言葉も、空気も、私はずっと不遜なまま。
よく考えると、たとえ対等な相手であろうとこの態度は普通に不快だろうに。
態度は場末の酒場の主人さながらに装う彼は、接するその姿勢は馬鹿みたいに気安く、まるで、そう――まるで。
「まぁ、理解はしておる。このような口調は『家族』に向けるものではないのだろう」
こいつ私の思考を外すことに命を懸けていないか?
「――は」
「疑問形もなくなり、ただの嘲笑みたいに」
「馬鹿なことを馬鹿な顔で言うからでしょう」
「馬鹿な顔って言葉必要だったか?」
それ以外に必要な言葉がありましたか?
「言うに事欠いて――
なんと言いました?」
この世に存在する中で、極限に気持ち悪いことを、言われたと思います。
私は、私は浮ついた気持ちの隙を突かれ、思わず、そう、思いもしない言葉を、その、『友人』みたいに、とは、いや、間違えて想いはしました。それは確かに。
『家族』はキツイ。
「怖い。顔が無表情なまま詰め寄ってくるの凄い怖いのでやめてもらってよいか?」
あらいつの間に。
しかしそれは全くの些事。
質問に応えろ。
「何と言いました?」
「すいません、理解しているとか軽はずみに言いました」
「低能が、『理解している』等と、軽々しく自分を承認するなと法律で縛ったことを忘れましたか」
「いつの間に」
「そしてそれではありません」
罰としてしこたま裏拳で頬を打つ。
「痛いっ!?」
あぁ何勝手に殴り飛ばされてるんですか、一々襟元を掴んで引き寄せるこちらの身になって欲しいものです。
「何と言いましたか?」
「もうほとんどこれ接吻しておらぬか? 大丈夫?」
二撃目がご所望ですか。そうですか。
「家族に向けないとかの奴でしょうか!」
そうだよカス人間が。
「シンプルにひどい」
「どこからそんな発想がでたのですか?
まさか私を妹か何かだとでも言うつもりですか?」
「――」
「――」
ザシュっ――
「あぶねぇ! 前動作なしで斬撃繰り出すって、何らかの奥義なのでは!?」
「気持ち悪い気持ち悪い気持ち悪いああああああすっごい気持ち悪い!」
この男よりによって私の、私が唯一大事だと言える聖域に、無造作に汚らわしく下種な下心で上がり込んで、ああ本気で考えられないっ!
もういい死んでくれ。
振り下ろしたモップを無造作に横に薙ぎ払うのを、姿勢を沈めて避け「よう」とする、その初動を目の端に捉えると、向こうが沈もうとする体に合わせてさらに低くモップの軌道を修正する。
したが、その軌道をいち早く感じとったご主人様は体を後ろに逸らせ、ベッドに上で逆立ちの要領で着地し、体を縮め、すかさず追撃するモップの突き崩しから外れるように後ろに飛んでベッドの向こう側に飛び退る。
しめたものだ、その着地地点と私がモップを投擲するタイミングは完全に一致する。が、その本能に近い破壊衝動のまま右手からそれなりの速度で離れるモップを鬱陶しいことに口でキャッチするご主人様。
あのモップは廃棄処分だな。
「ストップシャオリィさん!
本格的な戦闘が始まってるこれ! 一回落ち着こ?」
お前が死んだら検討してやる。
「死んだとしても検討レベルとは」
もう普通に心の声が駄々洩れているようだが、それも些事だ。
手前のベッドに足をかけ――いや片方じゃ足りないか。
両足をかけ、腕は前足、蛙飛びの要領で思い切り蹴飛ばし押し出されるベッドを当然のように跳躍して避けるご主人様は、やはり当然の如くその後無防備な中空に浮いた自分を狙った追撃を予測してせめてもの前面の腕クロスだが、あっはっは。
私はその蹴飛ばされたベッドの上、だっ!
物理法則にしたがい捲り上がるスカートに構わず――勿論後程定価を請求するが、怒髪天を突くように直立の要領で蹴り上げる先の土踏まずが、ご主人様の意外と弾力のあるヒップにめり込むのを確かに感じた。
飽きたオモチャの様に放り捨てられるご主人様。
想定もしないその衝撃と方向に受け身も取れずそのまま壁にすごい音と共にダイブした。
あれはしばらく起き上がれまい。
そう。
私の勝ちだ。
◇ ◇ ◇
まあ、勝ってどうするという話で。
もちろんそのすさまじい衝撃音に、マリアさんは勿論美音まで駆け寄ってきて、マリアさんにはいまだ嘗て無い本気の怒りを伴った説教を受け、美音には目を回したご主人様を抱きかかえながら、涙目で睨まれてしまった。
私はどうやらこの場所でも悪者らしい。
いや、悪者だろうな。反論の余地が見えない。
私は私で、慣れない激しい運動が体に祟り、ベッドの上に倒れ伏しながら説教を受けるという大変情けない格好を晒していた。
そんな馬鹿な格好のまま感じることは、自身への強烈な殺意。
どうやら私は自ら家族の命を、自分勝手な感情のまま見捨ててしまったらしい。
結局私は何も生みだせず、大切な人たちの足を引っ張るだけの存在なのだ。
なら勝手に死ねばいいのに。なぜ私は人を巻き込んでしまうのだろう。醜悪な存在は醜悪なりに独りで滑稽に舞台から消させてもらえないのだろうか。
私は。
「シャオリィよ」
いつの間にか私への説教は止まっており、黙り込んだ説教の主を見ればこちらを愕然とした顔で見下ろしていた。
何だろうと考えていると、いつの間にか口に塩辛いものが流れていることに気が付く。
泣いてるのか、この醜悪な人間は。
馬鹿が極まる。端的に最悪。これ以上無様を晒して何が――
「何か知らんが、逆鱗に触れたのは理解した。今後気を付ける」
「やめてくださいっ」
知らぬ間に意識を回復された主人が頭を下げようとする、その挙動に心の底から恐怖し、思わず金切り声のような無様な声が漏れ出る。
――けれどそれはとても耐えられないと、そう思う。
本当に。
これ以上みじめにさせないでください。
あなたが私に歩み寄っていることはよくわかりました。
判りましたのでもう勘弁して頂けないでしょうか。
「馬鹿なメイドをこれ以上つけ上がらせないでください。
私に、ちゃんと、罰を。
ちゃんと、叱って、ください………」
私の醜悪と言うか目やにのようなものは全く止まる様子もなく、さらに同情を誘うかのようにあふれて止まらない。
反省を伝えるその言葉を端から裏切るようなこの涙は、ああ、なるほど確かに私のものだ。私らしい。
馬鹿め。私はまだあきらめてないぞ。
涙で同情を誘いながら、内心は同情票で家族の命を救う気満々だ。
見ていろ、私というチップを最大限使い捨てた逆転劇をここから――!
「わかった。ダメだぞシャオリィ。主人に殺す気で迫ったら。
『ほどほどに』な」
ああ。くそう。
――涙がこぼれる。
結局は主従共々馬鹿なのだ。
絶望の末に覚悟で張り詰めた気持ちをすり抜けるような、凪ぐようなその馬鹿みたいな言葉を、馬鹿みたいに優しい声で。
私が想像以上に「救われてしまった」と感じてしまったそれが、悔しくて。意味もない虚勢のようなプライドが本当に意味がないものだと、こんな男に粉々にされてしまったことで、理解させられたのが、情けなくて。
涙があふれる。
それが本当に暖かくて無性に惨めだ。
本当に、馬鹿にしている、この、馬鹿な――男。
傅くのは口付けの代わり 差久 @iadachi
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