7.「無礼メイド」にまつわる過去は「物騒」に


 その後、マリアさんからは30分に及ぶ、ふんわりとした説教をされてしまった。

 何が悪かったのかと言えば、それはご主人様への対応に相違ない。

 私もこの3日間で薄っすらと、私の思考が態度なり雰囲気なりで、ご主人様へと伝わってしまっているのではないかという気はしてきていたのだ。

 そしてそれは、遠からずどころか、割と普通に言葉に出ていたようだった。

 そうだとすると、それなりの事は頭に浮かべては殺していた自覚はあったので、これは普通に考えてクビに相違ないと覚悟していた。

 ここで言う覚悟とは、家族に危害が加わらないよう、クビの通達は、せめて私が家族のところにたどり着くまで、私たちを連行してきた連中には伝えないで欲しい――その望みを叶えるために払う代償についての覚悟だ。

 遅かれ早かれとは正直諦めていたものの、どうやら思いのほか早く、私の純潔は散るらしいと、他人事のように考え、自分の涙腺から感情があふれ出ない様にしていると、マリアさんからは一言、

「とりあえず、ご主人様からの伝言。

 『ほどほどに頼む』、だそうよ」

 ということづけで説教を締められた。


 ◇  ◇  ◇


 ――もしかするとうちの主人はマゾ気質なのかもしれない。


 そう、性懲りもなく思考してしまう私は私で、もしかしたら何らかの疾患を抱えているかもしれない。

 説教から解放され、休み休みで窓拭き業に勤しんだ後の爽やかな疲労感を足に引き摺りながら――実際にはたいして疲れていないため、それは単に卑しい妄想にすぎないけれど、そんな些事はともかく私はただ広い廊下を歩いていた。

 そうすると、やはりそれはそれで暇なもので、先ほどから頭をクルクル周回していた、鬱陶しい蠅音のような思考が舞い戻ってきてしまう。

 頭をあの主人カスで埋められるのは少し不快を感じないではないが、とはいえ正直に言えばあの彼の言動については、少し以上の感情で気になり始めていたのは事実であり、認めなければならない。

 『ほどほどに頼む』だそうだ。

 ピンからキリまで曖昧な業務内容で、指示を下した雇い主の人となりをよく表している。

「そもそも、何故クビにしないのかしら」

 それこそ首の皮一枚で助かった――助けてもらったわけだけど、理屈がわからない助かり方も気持ちが悪いものだ。

 理屈として優勝候補筆頭である「美人であること」はそもそも通用していない。ご主人様は私が美人であることを踏まえたうえで、私に近づくまいとしていた。

 そうそう。これも問題なのだが、私はご主人様に避けられている。

 先ほどの様にたまに声を掛けられるが、基本的にこの三日間、ほとんど接点がなかった。

 広いとはいえ、とはいうものの、引きこもっているわけでもなければ、食事の時やベッドメイクの時、リビングで寛ぐ時など、いくらでも鉢合う可能性はあるのにも拘らず、私はほとんどご主人様の顔を見ることはない。

 何か嫌われることをしただろうかと考えていた矢先に、先ほどの話だ。

 ――普通に嫌われていた。

 いや、それは嫌うだろう。私ならそれで済むか保証できない。

 ゴホ。

「………まぁ、いいけれど」

 クビにしないでもらえるのなら、こちらの都合で悪い要素は特にないのだから。

 温情に甘えよう。

 

 ちなみに私が廊下を歩いているのは、自室に戻って休むためではなく、ご主人様のベッドメイキングの仕事に向かうためだ。

 つまり目的地は――


 コンコン


「ご主人様、ベッドメイクのお時間です」

 一応主人の部屋に入る際のノックくらいは嗜む私。そろそろメイドも堂に入ってきたのかもしれない。

 確かマリアさんには、ご主人様のいない時分を見計らって欲しいと言われていたが、枕詞に「出来れば」とつけていたことだし、問題ないだろう。

 人間出来ることと、できないことがある。

 そうしていると返事があった。

「おにーちゃん………そんなの、入らないよ?」

「そんな我儘を言える立場か貴様。さっさと覚悟を決めることだな」

 そして、続けてかすかに聞こえる、心無し粘り気のある水音。

 なるほど。

 よし殺そう。


 バタム


 丁度廊下に出しっぱなしになっていたモップを、槍宜しく怨敵に差し出しつつ入室。

「そこになおりなさ――!」

「うー、不味い―」

「好き嫌いするな。

 そもそもクッキーを丸かじりしていた口が、スプーンを咥えられないはずなかろうが」

「そこは別口なんだよ……」

 そこにある情事を覚悟して見てみれば、広がっていたのはアットホームな空気感。

 なぜか、ご主人様が傅く方であるはずのメイドに手ずから野菜スープをスプーンで食べさせてあげていた。

 意味も分からず予定調和に巻き込まれたような錯覚に苛まれたまま、目の前の状況について行けない私に対し、やはりというか、当然部屋の主は訝し気に言葉を投げてきた。

「で、なにゆえ貴様はモップを片手に突撃してきているのだ、シャオリィ」


 ちなみに、美音は突撃してきた私に気付くと、小動物が危険を察知した時のような機敏な動きでさっさと部屋を出て行った。

 ………そのような態度を取られた相手の気持ちとかを考えたことはないのだろうか?

 というより、彼女はだいぶ三日前と印象が変わっている。

 そも、あんな素早い動きができることを知らなかったくらいだ。獣人族なのだから、あれくらいできて当然という事は理解しているが、彼女はその例外なのだと認識していた。

 それに、ご主人様に対しては普通に喋っているのも驚きであり、苛立たしい事実でもある。其れなりに私も彼女に対して世話をしていた自負があったので、それをたった三日だ。心を開く順番に横やりを入れられたような気分にもなろうというもの。

 まぁ、それは単に私の心が狭量なだけだが。

「私があの子供に如何わしいことをしようとしていた、と疑ったあまりの行動だったのだな。

 まぁ、その正義感は好ましいものだが、貴様の我に対するイメージが怖くて聞けぬ」

 ともかく私はこれ以上の不興を買う事を避けるべく、事実釈明を行っていた。

 行った結果、別の不興を買ったようだけど。

 仕方がない。過去おこった事実は覆せないのだから。

「過去は覆せんが、貴様の我へのイメージは覆してもよいと思うが」

「一回誤解を釈明しただけで、貰える評価を高く見積もり過ぎではないでしょうか?

 承認欲求の怪物、というイメージでも欲しいのですか?」

「いや、まったく欲しくないが。

 あの、マリアから託は聞いてもらえているか?」

 託? もしかして例の「ほどほどに」と言う奴だろうか。

 それなら勿論うかがっている。

「聞きましたので、こうやって私も譲歩をしております」

「聞いた上で………?」

 なぜかまた青褪めた様子のご主人様。もしかすると風邪かもしれない。

「ちなみに、どの辺を譲歩したのか聞いてよいか?」

「? おかしいですね。人の身であれば、何の問題もなく通じるはずですが。

 当然『貴様』等に始まる不快な発言に対し、苛立ちを表さないようにしていることです」

 不思議な質問に、けれど懇切丁寧に説明するメイドの鑑。今、「馬鹿じゃないの?」と思わせる間があったものの、不自然じゃないレベルで即答できたことは自分的にも高いポイントを付けてよいと満足する対応だ。

 次期メイド長は私かもしれない。代替わりするのかは知らないが。

「分かった。癖なのでしばらく抜けぬかもしれんが、できるだけ気を付けておく………」

 そう言い、まるで項垂れたように俯くご主人様。

 とはいえ、「気を付ける」ですか。

 この人は、ずっとさっきから――最初から、何を言っているのだろう。

 何を勘違いしているのだろう。

「………ご主人様が気を遣われる必要はありません。

 気に喰わない部分があれば、私に一言「直せ」と命じて頂ければいいので」

 従僕に優しくすることが、許すことが正しい――なんて、そんな思い違いをしているのであれば、少々面倒なことになりそうだ。

 この青年は、聞くところによると普通の村の普通の木こりをしていたらしい。

 そこでは確かに周りに優しくすることや、失敗を許すことに「益」があったのだろう。そういうルールの世界だったのだと、この主人を見ていると脳裏に思い浮かぶ。私のいた村とは違って、さぞ住みよい平和な世界だったことだろう。

 けれどここは違う。

 少なくとも、従業員の家族の安全を盾にして業務を脅すような職場なのだ。土地柄としては、私の寒村側だろう。

 周りを警戒し、罠を張り巡らし、人をだました数だけ幸せになれる。そんな価値観。

 頭がお花畑のままやっていけるなら、そうしてもらいたい。

 だが、この人もそのうち気付くのでしょう。

 この屋敷のルールを。常識を。

 その時、立場が上の人間が何をしても許される、そんな「ルール」に気付いた時に、自分の正義を放棄し、偽善者の仮面を欲望のままかなぐり捨てるその姿を見ることになるのだろう――そんな限りなく予言に近い未来に、嫌悪感と共にため息をつきたくなる。

 けれど、それが人間というもの。この場合は勝手に期待を押し付けたこちらの手落ちだ。自重してあげないと。

「さようか。

 では命令だ」

 おや、案外早い変わり身ですね。

 意外と頭の周りは悪くなかったのかもしれない。

 とはいえ私がこうむる被害が減るわけではないのだろうけど。

「貴様の夢を自白せよ」

 ………。

「は?」

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