6.「無礼メイド」にまつわる過去を「続ける」
「むぅ………やはり、メイドさんがおる………」
そんなどうしようもない言葉が、ご主人様と対面した際の、彼の第一声だった。
マリアさんに気持ち急ぎ足で案内され、柄にもなく気持ちが高揚するのを感じながら、いつも自分がベッドメイクしているご主人様の部屋に立ち入ると、まだ起きたばかりなのか、上半身だけ起こした青年、と呼ぶには少し年が経っているだろうか、男性――ご主人様がいた。
顔に生気がないのは寝起きなのだろう、どこを見るでもなくぼうっとしているその顔は、いつも寝顔を拝見していたが、目を開けている姿には多少の感慨がある。
そして、ふ、と目の黒い部分がこちら側に向いたのを見て、そんな細かい所作に気付くほど食い入るように異性を凝視していたことに気付き、自分が厭らしい存在になったようで思わず俯いてしまう。
自然ご主人様から目を逸らしたような恰好になった途端に聞こえたのが、先ほどの言葉だという事だ。
自分が毎日甲斐甲斐しく世話を焼き、この先もほぼ一生仕えることになる相手から聞こえてきたような気がしたが、若干受け入れがたい。
受け入れたく無さすぎて、顔を上げ事実と目を向き合わせるのが億劫な程。
何その爺むさい言葉遣い。個性を出そうとして痛々しい空気を放つ迷惑な人間なのだろうか。人生折り返し地点で若きを振り返り、恥ずか死ぬのだろうか。
今死ねばいいのに。
「うぉう!?
な、なんだ? なんぞ陰気な呪いの波動を感じる………」
やばい人が何か言っている。
こんな爽やかな日差しが窓から差し込む中、陰気なのは近い将来禿げるだろう貴方の頭の中だけなのに。
可哀そうな人がいたものだ。
「すまない、そこの金髪メイドさん。そっちの黒髪メイドがぶつぶつ言って怖いのと、やばいくらい不愉快な気持ちなのでこの黒髪どっかにやってもらえんだろうか」
主人の不興を買ってしまった。
何も言葉を発することもなく、不興を買うはずもない。これが所謂理不尽な職場いじめと言う奴のようだ。あの禿げ主人、そのうち下水道の水で入れたお茶をお出しして差し上げる必要があるだろう。
部屋を追い出された私は、とはいえこのままどうすればいいのか数舜迷い――すぐにそんな場合ではない状況だと思いあたる。
私の仕事はあの主人に仕える上で、不興を買うことは仕事上とてもまずい。
私の仕事
早く先ほどの件を弁明をしなければ。
けれど、何を弁明すればいいのだろう。何もしないうちに不興を買ったので、伝えるべき謝辞もわからない。いるだけで問題だったという事は、私の見た目の問題だろうか。あの主人………ブ〇専?
『すまぬ金髪メイドさん、やっぱりあの黒髪呼び戻してくれぬか?
どこにいても不穏な波動を放つなら、せめて目の届くところにいて欲しい』
『マリアで結構ですよ、ご主人様。
呼んできますね』
呼び戻された。何がしたいのか主人の性能不良を疑う所だけれど、できる女はここの勝機を見逃さない。卑しい従者に相応しい媚を売りつけなければ。
入室するなり、深く頭を垂れる。不快と思われるイメージを、凝り固まった礼節マナーで上書きして接する所存。思ったより細かいことが気になる尻の穴の小さな主人のようなので、こちらが気を遣って上げなければならない。
メイドは思ったより大変な業務のようだ。
「………それで、なんだ、貴様も我に仕えるメイドなのか?」
貴様。
はじめて言われた。思ったより不快で気持ち悪い。
その首をぎゅっと絞めたい衝動に駆られるが、おそらくダメだろう。
「ちっ」
仕方ない、私は大人なので堪えて頑張るしかない。
「………………うん。よし。名前を聞こうではないか。
いやいや、もちろん我から名乗ろう。
われの名前は『小野寺 呉次郎』という。よろしくお願いします」
はぁ。
ご丁寧に言ってこられて申し訳ないが、どうせ私が名前を呼ぶことはないだろう。たいして役に立たない情報をどうもありがとう。
「………シャオリィと申します。末永くお仕えさせて頂きます。ご主人様」
というか、先ほどのは人の名前なのだろうか。特色が際立ちすぎた
もしかするとメイドは天職かもしれない。
「マリア」
「どういたしました?」
「震えが止まらぬ」
「お気を確かに」
本当に震えている。
こんな美人で気の利くメイドに傅かれて、気でも触れたのだろうか。
◇ ◇ ◇
そんな衝撃的な対面からさらに三日。
あの後、急に調子を崩したご主人様は再び床に伏すことになり、対する私は何事もなかったように通常業務に戻った。
何かといえば、つまり定期窓拭き業なのだが。
心を無にして窓を拭くそのさ中、少し気持ちが緩むと先日の対応はあれで正解だったのかが少し気になり始める。
勿論メイドなど初めての経験で、本来どうあるべきかなどは本の中から仕入れた偏見にしか基準がない。ちなみに良く読んでいた小説のタイトルは「呪われた館~メイドは殺意の塊~」といったサスペンスの要素を取り込んだ恋愛小説。
オムニバス形式で、各話の主人公は大体死ぬ。
そのため、あれらの話を基準にしていいのか私としては不安を覚える。
なぜなら私があの主人に恋慕の感情を覚えることはないだろうから。
拒否感以前に、その感情はその成り立ちに問題がある。
人の喧嘩というのは同じレベル同士で行われるものらしい。
そう言うことだ。
「………相も変わらず、貴様は不穏な瘴気をまき散らしておるな」
そんな存在が失敗しているような人間の放つ言葉を、部屋の入口からこちらに投げかけたのは、やはりご主人様だった。
本日もご機嫌麗しく。
「麗しくあるか。
「承知しました。
人の独り言に聞き耳を立てる人間性が破綻していることは棚に上げての注意に心がざわつきますが、私はメイドです。死ね。いえ。気を付けるようにします」
「そのセリフの流れで「死ね」って出る?」
ゴホっ。
「ちっ。
申し訳ありません。以後言葉を改めるようにします」
「「死ね」って言葉を改めるとどうなるのか、個人的に興味があるが、
貴様また無理をしておるだろう。1時間以上継続した立ち仕事を禁ずると言ったはずだ」
この主人、舌打ち程度にはもう反応しなくなってしまった。
それには多少責任を感じなくはないが、おそらく咳を誤魔化すための舌打ちだと気付かれたのだろう。まさかこちらからそれをテーマにしたコミュニケーションを取れよう筈がない。恥の上塗りだ。
「………いえ。こちらの部屋で最後ですので、キリの良いところまでさせて頂こうと思い――」
「ダメだ。一部屋くらい掃除をサボろうと何か起こるわけでもなし。
勝手なことをするな」
「は? 今この広大な屋敷を維持するために何が必要なのか良く知りもせず、どこかのカスが馬鹿みたいに眠りこけていた間に寝る間を惜しんで我々メイドが苦心して考えた掃除プランを欠伸するくらいの気分で吐き捨てましたか?」「ごめんなさい」
言葉には気を付けて欲しい。
まぁ、掃除プランはほぼマリアさんが企画・立案したのでそれを破ると如何ほどの影響があるのか詳しくは私も知らないけれど。そうね、いわば私は被害者たるマリアさんの代言をしたと言っていいだろう。
「言っちゃダメよ。
ご主人様への暴言もだいぶん見逃せないけれども、それをあなたの言うところの被害者の私が、裏で糸を引いているみたいにしないで欲しいの」
マリアさん。お疲れ様です。
いいえ。遠慮もお礼も不要ですよ。
「うーん………多分本気で言ってるのよねぇ………
私侍女長としてやっていけるのか、本当に自信ないわ」
マリアさんはご主人様に対しては、一歩引いた態度だが、私達同僚に対してはある程度フランクに接してくれる。出会った当初に感じた拒絶感は薄まったことで、普段のマリアさんは謙虚で慎み深い女性だと知ることが出来た。
つまりそういう事なのだ。
「いえ。謙遜で言ってるわけではないのだけど………
うん。でもいいわ。ちょっとこの手の話面倒になりそうだから、お姉さん気にしないことにした」
そうですか。よくわかりませんが、大変そうですね。
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