5.「無礼メイド」にまつわる過去を「始める」

 私はメイド。

 御主人様に傅く卑しい女。

 名前は「シャオリィ」という。


「シャオリィ、紅茶を淹れて貰えんだろうか」

「承知しました。流し台にまだ先ほど私が一回だけ使ったお茶っ葉がありますので、使って良いですよ」

「………ありがとう」

 こんな風に、私は卑屈に頭を垂れ、言われるがまま人形のように、いや、奴隷のように付き従うだけの存在に甘んじている。

 私にはそれがとてもよく似合っていると思う。

「シャオリィ」

「何でしょう。あまり気軽に話しかけないで頂きたいのですが。仕事の邪魔です」

「………貴様って本当にメイドなのか?」

 何を言っているのだろう。

「頭大丈夫ですか? あまり馬鹿なことばかり言っていると、存在のレベルがまた下がりますよ」

 気をつけて頂きたいものだ。仮にも私の主人を名乗るのだから、きちんとして欲しい。「また………?」と言うような声が小さく聞こえてくるが、伝えてくる気が感じられないようなか細い声に、反応する必要性を感じない。

 私は仕事で忙しい。雑魚………いや、御主人様にかまっている暇はないのだ。


 今は、これでもまだ私は元気にやれている方だと思う。

 ここに来た時は、おそらく周りも見てられない程、酷い顔をしていた自覚がある。


 ――3年前のこと。


 私は寒村の生まれで、4人姉妹の長女だった。

 家は当然のように貧しく、そして当然の様に私は口減らしの対象に選ばれた。

 当然だ。私は生まれ持って心臓が弱いと言われており、労働力として全く機能しなかった。

 誤解のないように言っておくが、両親は私をちゃんと愛してくれていた。

 村長から、年に一度の祭りに来ていた、さる豪商の長男が私を見初め、その方に嫁いで行けば、この村で一生働いても買う夢さえ見れないほどの特効薬で病を治してくれるという、まさに夢のような話が降って沸いたのだ。

 両親は涙を流しながら喜びながらも、嫁ぐ条件にあった「二度と生家には戻れぬ」という話に複雑な表情をしていた。

 それでも娘の幸せは間違いなくそこにあると信じた、根っからの善人である両親は、最終的に私を嫁に差し出すことにした。笑顔で見送ってくれた。赤く腫らした目で。

 私の見目は美しかった。

 元々線が細く、肌もまさに病人に似つかわしい白さが、皮肉なことにその美貌に一役かっており、周りの男は私をよく見て、よく口説き、悉く実らずを繰り返していた。

 なので、玉の輿に乗る話自体はそれほど不自然ではないと思う。

 だけど私はその話を聞いた時に「ああ、この村長は私を売る気だ」とわかった。

 見目だけはいい、だが村の男を惑わせるばかりで労働力の足しにもならない娘の、良い使い途を思いついたのだろう。そういう嫌らしい目をしていた。

 村の長としてその判断はとても妥当だったと私は思う。

 だからといってそれに従う義理もなかったが、私がそれに特に反論もなく言われるがまま従ったのは、やっと家族に、こんな穀潰しの娘を愛してくれた皆に恩を返せるチャンスが来たと考えたからだ。

 私の家族は本当に私と血が繋がっているのかと疑わしいくらい純粋で、優しく、人を愛することができる素晴らしい人達だった。

 だから、この家族は遠くない将来汚い人間に騙され、ひどい目に遭うと確信する。事実今まで私はある程度外からの悪意のある接触から家族を遠ざけていた。それくらいしか、私にはできなかった。この家族の中にあって、唯一外の人間のように心が汚い私にできる、唯一の仕事だと誇りさえもっていた。

 そんな折、この話が持ち上がり、私は村長と裏で話をつけ、彼が受ける恩恵の半分を家族に与えることを約束させる。お金と権力というのは馬鹿にできない。村の権力者との結びつきを強めておけば、周りもおいそれと手は出せないことを私は知っていた。

 こんな時のために村長の弱みを掴んでいたのがとても役に立った。男はどいつもこいつも汚らしい。なぜお父さんのように純粋に家族を愛せないのだろうか。


 そして、奉公先に馬車で連れられ、なぜか途中目隠しをされ、とうとうイカガワシイ何かが始まるのだと、らしくもなく残酷な未来に怯え震え、耐えきれず気を失う。

 そして気がついた時には目隠しを外されており、私は見知らぬ部屋のベッドで寝かされていた。

 ここが話にきく娼館とやらだろうかと思い、娼館とはこんなに立派な屋敷みたいな物なのかと場違いに感動さえして、程なくここが正真正銘のお屋敷なのだと知る。

 まさか本当にどこかの坊ちゃんが純粋に私を見初めたのか? そんな奇跡のような「良い話」は人の無聊を慰める物語の上にしか存在しない。どんな裏があるのかと警戒し、そして私はそんな奇跡なんて目ではない、突拍子もないことに自分が巻き込まれたことを知る。

 私に与えられた仕事はこうだ。


「メイドとしてある人物に付き従うこと。これに期限はなく一生を費やすこと」


「その人物が外に目も向かないほど堕落させるか、惚れ堕としこちらの意のままにすること」


「その人物のいうことには逆らわず、絶対服従を誓うこと」


 そんなことを、その屋敷で起床したばかりの自分の近くで待ち構えるように座っていた老人に説明された。

 それが約束されなければ、つまりその人物が屋敷を出ていってしまうような事態が起これば、私の家族は村ごと露と消えるらしい。

 私から否という選択肢が抜き取られたのだと知った。


 その屋敷には私とは別にもう2人のメイドがいる。

 1人は豊満なスタイルをした、いかにも優しそうな金髪の女性だったが、初対面で私は彼女が苦手になった。目が笑っていない。笑みを常時絶やさない彼女は、心の底から笑っていないと痛感し、私は極力彼女に関わらないことを誓う。

 1人は獣人の女の子だったが、仲良くできる自信がなかった。

 目が死んでいた。

 髪はボサボサで背中も丸まって所在なさげに、自信なさげにいて、コミュニケーションが成り立つ気がしない。

 とはいえ、正直私も心境は彼女と似たり寄ったりだ。だけどそれを分かり易く外に出す必要性はない。

 私がヘタを打てば家族を守ったつもりが、逆に私が彼らを殺してしまう。

 そんなことは許されない。

 なので、特にこの獣人の少女にはもっとちゃんとしてほしいと願う。

 金髪の女性――マリアというらしいが、彼女は注意深く観察しなければただの優しく気遣いのできる女性として男の目からは映るだろう。どうせあいつらの目に映るのは彼女の前面に強調されたあれなのだろうから。

 対して獣人の少女――美音みおんは全く奉仕できる気概を感じない。この子も歳のわりに前面装備が豊かだけど、流石にそれだけでフォローできる範疇を超える自失振り。ここの主人を籠絡させるのが目的なら、なぜわざわざこんな子を巻き込んだのだろう。

 そして、その老人は去り、屋敷にメイド3人と――私が目を覚まして以来ずっと目覚めない青年、御主人様だけが残された。


 ◇  ◇  ◇ 


「ゴホッ………はぁ」

 ご主人様が目覚めないまま三日が経った。

 相も変わらず私の体は私に絶賛反抗期で、言う事を聞いてくれない。

 それでも簡単な家事や掃除は行える。

 初日、意味が分からない状況なりに、まず何をするべきかとメイド三人――というか実質二人で話し合い、まずこの館の維持を優先しようと手入れを分担して行う事にしたのだけども、少し接しただけでも私の不良品なスペックは隠し切れず、初めマリアさんに一人で全ての家事を行うと主張された。

 だが、全く納得いかなかった私の癇癪交じりの説得が功を奏し、ひとまず拭き掃除やご主人様のベッドメイク、食事の仕込み程度を勝ち取ることが出来た。

 私は小市民なのだ。家事手伝いの制服を身にまといながら何もせず、茶をしばきながら、誰かが一人広い館の中奮闘するのを横目で見る環境に、そうそう耐えきれる気がしない。

 とはいえ、ご主人様のベッドメイクは一人では手を焼くので、そこだけ美音に手伝ってもらう。

 彼女は自発的な行動は起こさない代わりに、こちらがお願いする単純な作業であれば、ある程度いう事を聞いてくれる。逆に言うと何も言わなければご飯も食べなければ眠りもせず、あまつさえトイレにも行かない。そんなこんなで、こちらが言い忘れた結果の粗相の後片付けもこちらでやるしかなく、ご主人様のお世話以上に美音のお世話には気を遣っていた。

 私は貴女のメイドをやるとは聞いてないんだけれども。メイドというか介護人の気分ではあるけれど。


 この屋敷は広い。

 木造2階建ての様だけれど、一部見慣れない材質の壁などがあり他国の技術が使われているのか、建築様式も異国情緒が溢れている。そもそも木造の家というのは初めてだ。私の知っているようなレンガ造りの硬くて冷たいイメージではなく、木の暖かさといのだろうか、家全体から「生命」を感じるこの屋敷を渡しは密かに気に入っていた。

 この屋敷の敷地がどこまでかは明確で、背の低い塀(これはレンガだった)が周りを囲み家の外と中を区切っていた。その広さは多分うちの町の全員(五百人くらいか)が十回入り込んでも余るだろう、ちょっとした町が作れそうだ。

 それに比例していうと屋敷がこじんまりしている様に見えるが、それでも大きく、三階という大きな町でしか見たことない高さに加え、一般的な住宅が十軒くらい並びそうな幅を持っている。

 それだけでも見たことないくらいの大きなお屋敷だけど、屋敷がぽつねんとしているイメージがわかないのは、屋敷を直接囲むような木々だろう。鬱蒼とするほどの広大さで、その甲斐あってか屋敷から外の風景は寂しさはなく、まるで森の中に住んでいると錯覚させる。

 ――これも外に出させないための演出なのかもしれないな。

 そんなことをつらつらと考えて、窓の外を眺められるほどには、私の仕事はそれほどひっ迫してなく、言ってしまえば早くも「飽きて」きた。

 自分の主な業務の相棒である窓拭きも、もっと使い込んで欲しがっているだろうが、私のペースは一窓2時間。間にお茶休憩を挟みながらはげむ激務となっている。

 誰かが仕事の無いことに耐えきれないとか立派なことを言っていた気がするが、もう彼女とは他人である気がしている。あの頃私は若かった。

 今からでもやっぱり茶をしばくだけの仕事にジョブチェンジさせてもらえないだろうか。


 そんな益体もないことを考えていると、この屋敷には珍しい「ぱたぱた」という少し慌ただしい足音が聞こえてきた。

 美音が慌ただしい状態は全く想像できないので、おそらくマリアさんだろう。

 そしてそれは正しく、彼女は少し呼吸を乱しながら、私が業務中の部屋の入口から入ってきた。

「………どうしました?」

 私は「これが不愛想です」と見本を見せつけるように、窓を拭く姿勢のまま首だけ振り返り、無感情に彼女に告げた。

 ただ、内心は彼女のその常にはない様子に興味が昂っている。刺激のない生活、何でもいいから新しい出来事に飢えていたのだ。

「ふぅ、ふぅ、ふー………

 あのね、シャオリィちゃん、ちょっと仕事を中断して来てもらえる?」

 そして言葉の内容も常にない、若干強制力のある「指示」。実質的に彼女が侍女長を担っており、役割的には全く問題ないが、彼女はあまり私たちに「お願い」をしないため、少し意外性があった。

「はぁ………どうしたんですか?」

 それに対する私はいつまで経っても気力が沸かない、ほとんど直前の言葉を繰り返すだけの返事だが、特に彼女は気を悪くした風もなく、というより、それ処ではないという態度で、彼女は告げた。


「ご主人様が目を覚まされたわ」

「こほっ」

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