第八話 小さな命(下)

「おお~? 久しぶりにシズカちゃんとこきたらスパイを匿ってるじゃねえか」


「この鳥はスパイじゃないですよ。ただの鳥です」師匠は軽くあしらうが、ゲージの中のピーすけはばたばたと暴れてぴぃぴぃと鳴いた。


 ――その日から、ピーすけの様子がおかしくなった。


 最初は、エサの食いつきが少々悪くなったくらいで、さほど心配はしなかった。ただのムラ食いだろう、と思ったのだ。ちょっと羽が抜けてきたのも、古い羽根が生え変わっているのだろう、と思った。


 でも、ピーすけはどんどん調子を崩してきて、エサはスポイトで飲ませ、ナッツが持ってきた栄養剤も飲ませることになった。羽ばたくこともさえずることも羽繕いすることもなくなり、じっとゲージの隅でうずくまっている。


「これは獣医さんに診てもらうべきじゃないか」とナッツは言う。獣医。そんなひとこの辺にいるんだろうか、と思ったらナッツの働く研究施設に何人かいて、鳥が専門の人もいるという。その人に見てもらおうと一門全員で研究施設に向かった。


 研究施設はすごく清潔できれいなところだった。壁や床はピカピカだし、ドアノブなんかにも汚れはないし、とても内装が整っている。その施設の一角に、鳥専門の獣医だという人が、研究室を開いていた。


「失礼します」と、そこに入る。眼鏡をかけたギザっ歯の男性がいて、どうやらこの人が獣医らしい。その人はアリタと名乗った。ピーすけを見てもらう。


「これは……おそらく、薬を飲ませるとか、そういう普通の方法では助からない」

 と、アリタ先生はずばりと言った。


「この鳥は、スパイとして送り込まれるとき、記録装置がなにかのはずみで外れてしまったのだと思います。そして、そうなるとおそらく、スパイを飛ばしていることが明らかにならないように、体のなかに埋められた時限装置が発動する」


「時限装置。それを取り外すことはできませんか」師匠が涙目で言う。


「仮に手術をしても、この弱り方では助からない……と思います」

 思わず俺は声を上げた。


「普通じゃないやり方なら助かる、ということですか」

 ざわ、と一同俺を見る。


「いや、やり方がわかるわけじゃないですよ。でも、なにか手はあるということですよね」


「――そうですね。直接、生命エネルギーを注入してやれば、手術ができるようになるほどの健康は取り戻すことができるかもしれない」


 生命エネルギーの直接注入。言ってしまえば簡単だが、その分注入する側の生命エネルギーが削られる、ということだし、そんな難しいことができる人間はそうそういない。


「できないことはないが――不安定なんだよ」と、師匠。


「師匠、生命エネルギーの注入なんてできるんです?」ハチが訊く。


「できないわけじゃない。御師様に教わった。ただ、あたしは御師様やリク兄さんと違って出力が不安定だ。それに出せるエネルギーも多くない」


「じゃあ、俺ら全員でエネルギーを注入すれば」


「それならある程度安定するし、削れるエネルギーも少ない。ただおそらく、お前らにはとんでもなく難しい」


「やります俺。ピーすけを、もとの場所に返してやりたい」


 俺はそう言って、弱りきったピーすけを見た。命を助けようとして拾ってきたものが、いま死んでしまいそうになっている。助けなくては。最初、俺はこの小さな生き物を、助けたくて拾ったのだ。


「よしきた。お前らはどうする?」


「俺やります。ピーすけはかわいい。ピーすけにだって幸せに生きる権利はある」


「俺もやります。ここまでずっと世話してきたんだ」ナッツにしてはいいことを言うな、と思った。マリーも手を挙げる。


「わたしもやる。ピーすけに死なれたら悲しいから」


「よしきた。じゃあやり方を説明するぞ。生命エネルギーは、体を動かしているエネルギーだ。それを、ぜんぶ手のひらに集中させる。お前らは手をつなげ、で、端のふたりはあたしの背中に手を当てろ」


「わかりました」というわけで全員、ピーすけを囲んで手をつなぎ、端になった俺とハチは師匠の背中に手を当てた。


「これで、エネルギー移動の準備はOKだ。いつもどうぶつ拳法を繰り出すときの、体のエネルギーの巡りを、隣のやつに触ってる手に集中させろ。ハチとレイジはあたしの背中に触ってる手だな。いくぞ!」


 師匠は、ほとんど動かないピーすけに手を振れた。こおう――と、手が明るく輝き出した。しかしそれは古くなった蛍光灯のように不安定だ。


「もっとエネルギーを流し込んでくれ! あたしだけじゃ不安定すぎる!」


 俺は、手をつないでいるマリーの手から、わずかに熱が伝わるのを感じた。手のひらが温かいとかそういうことでなく、エネルギー、つまり熱量が伝わっている感じだ。それを、師匠の背中に触れている手に流し込む感覚を探る。拳法で戦うとき、技を使う体の部位にエネルギーを送り込むように、手にエネルギーを送り込む。


 ぶわ、と師匠の手の輝きが増した。安定的に、光はピーすけを照らしている。師匠はその手で、ピーすけを撫で、やさしく翼に触れた。


 ピーすけは、閉じていた目をゆっくり開けて、

「ピィ」とさえずった。


「もうちょっとだ。もうちょっとエネルギーを送り込むぞ」


「ピーすけ! 死ぬな!」ハチが言う。俺もそう思っていた。ピーすけは静かに、目をぱちぱちさせて、ゆっくりと体を起こした。


「ピーすけ! 生きろ!」ナッツが涙目だ。師匠の手から出る光がまぶしくて見えないが、たぶんシズカ一門は全員涙目なんだと思う。


「ピーすけ……おねがい!」マリーもそう言う。ピーすけは「ピィ」と鳴いて首を動かした。


「ピーすけ……俺はおまえがすきだ! 死なないでくれ!」


 俺がそう言ったとき、師匠の手がひときわ明るく輝いた。


「ピィ!」ピーすけは力強く鳴いた。――元気になったのだ。


 そっと手を放す。師匠の手が静かに暗くなる。


「――これくらい元気になれば、時限装置も取り出せるでしょう。あとは私に任せてください」


 アリタ先生はそう言い、笑顔でピーすけを連れて隣の部屋に向かった。


 よかった。


 俺は安心した。涙が出てきた。ぼろぼろとこぼれてくる涙を拭きながら、ピーすけが助かってよかった、と心の底から安堵した。


「よかった」師匠はそうつぶやいた。よほど疲れたのかぜえはあ言っている。


 それから一時間くらいして、麻酔で眠っているピーすけが帰ってきた。ピーすけに埋められていた時限装置は、小さなカードのようなものだった。こんなものを、こんないたいけな小動物に埋めたのか。どこの文明圏かは知らないが悪趣味なやり方だと思った。


 ピーすけを酒場に連れ帰り、しばらくするとピーすけは意識を取り戻した。傷が痛いのか動きは鈍いが、とりあえず元気そうにエサを食べた。


「生命エネルギーを流し込む術って、どれくらい命が削れるんですか?」


 ナッツが筑前煮をつつきながら師匠に訊ねた。師匠は、

「今回はピーすけを助けただけだから、大した量のエネルギーじゃない。ただ、死にかけの人間を動かす、みたいなときは、それこそエネルギーを送った側が死にかねない。普通に食って普通に暮らしてればすぐ埋まるよ。ただちょっと今日はグロッキーだ。お前ら疲れてないか?」と、疲れた声で言った。


「なんかすっげー腹が減ったっす。おかわりください」と、ハチ。


「わたしも。師匠、筑前煮おかわりください」


「俺もおかわり食べます」俺がそう言って器を差し出すと、師匠は笑顔で筑前煮を器に入れてくれた。ナッツもくたびれた顔で、筑前煮をおかわりしている。


「お前ら若いんだなあ。あたしがババアなのが露呈するじゃないか」

 師匠はそう言ってハハハと笑った。


 次の日、師匠は道場にピーすけのゲージを持ち込んだ。店に置いておくと寒そうだ、という理由らしい。


 ピーすけはすっかり元気になっていた。


 ピーすけが元気になった、ということは、別れが近づいている、ということだ。

 死なれるよりはずっといい。でも、ピーすけがいなくなるのが、むしょうにさみしかった。


 まあまだ羽が生えそろったわけじゃないし、傷口の抜糸だってある。ピーすけはまだもうちょっと、俺たちの手元にいてくれる。


 何日かして、アリタ先生のところで抜糸をした。傷口はきれいにふさがっている。


「調べたらあの時限装置は洗脳装置としても使われていたんですよ」と、アリタ先生は言う。あの時限装置を埋め込まれた鳥は、どこかの文明圏を出発して、どうぶつ文明圏に飛んでくるよう、思考を乗っ取られてしまうらしい。


「ピーすけちゃんは、その洗脳でここまで飛んできて、でも記録装置を失って――それでいったんなにかのはずみで洗脳が解けたんでしょう。なんにせよ助かってよかった。もしかしたら、これで鳥を射殺しないで済むかもしれない」


「――つまり、飛んでいるスパイの鳥を捕まえて、記録装置と時限装置を取り外して野生に返す……ということですか?」師匠がそう訊ねると、アリタ先生は頷いた。


「そういうことです。ただ数が多いんでねえ。ちょっとずつ世の中が変わっていくといいんですが。あ、これお薬です。スポイトで飲ませてください」


 薬を受け取り、酒場でピーすけに飲ませる。思い切り手を噛まれて流血した。ピーすけは小鳥だが、くちばしは固くてペンチのようだ。マリーをちらりと見たが無視されたので諦めてばんそうこうを貼った。


 次の日、新聞をちゃんと見ていると、アリタ先生のコラムが載っていた。シズカ一門のおかげで鳥を殺さないで済むかもしれない、という記事だ。端末でメディアを見ると、動物愛護団体が大絶賛していた。ちょっと誇らしくなる。


 それから少し経って、ピーすけはきれいに羽が生えそろい、飛べるようになった。


 あの弱ってボロボロだったピーすけが、空を飛べるのだ。嬉しくなって、俺たちシズカ一門は、街の外にゲージを持ちだし、ピーすけにまた会おうな、と声を掛けた。


 ピーすけはよく分からない顔をしていたが、ゲージを開け放つと、しばらく雲を見つめて、一声「ピィ」と鳴き、羽ばたいて去っていった。


「またなー!」と、ハチが涙をぬぐって叫んだ。


「どこかで会おうなー!」と、ナッツが空に手を振る。


「ばいばーい!」マリーが明るい調子で大声を出す。


「元気で生きろよー!」俺はそう言って、ピーすけを送り出した。


 ……なんだか寂しくなってしまった。


「よし。レイジ、またなんか生き物拾ってこい。寂しいからな。できればお別れしないで、ずっと道場なり酒場なりで飼えるやつ」と、師匠が無責任なことを言う。


「そんな、動物飼うようなお金あります?」と訊ねたら、思いきり殴られた。

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どうぶつ拳法 金澤流都 @kanezya

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