第八話 小さな命(上)

 どうぶつ文明圏の都市は、基本的に自然にやさしく出来ている。どうぶつというものは、どんな生き物であれ、自然がなくては生きていかれないからだ。とはいえ大都市では人間の生活が重要視されるので、野生動物というものはあまり見ない。


 俺はシンボルツリーの見えるアパートのじぶんの部屋で、師匠に持たされた手製(なんとパンを焼くところから)の焼きそばパンをモグモグしていた。最近の師匠は妙に凝ったものを作る。


 このシンボルツリーは、イツキシティの中央に、どうぶつ文明が始まったころから鎮座しているものだ。枯れることなくどんどん枝を広げていくさまは、どうぶつ文明の盛り上がりを見せられているようで、なんとも幸せな気分になる。いまは冬だが、夏になると可愛らしい花をポコポコ咲かせるのも、命の躍動を感じる。


 ふと洗濯物を干しているベランダに目をやると、鳥がとまっていた。珍しいな、イツキシティみたいな都会で鳥なんて。そう思ってよく見ると、鳥の翼は羽がまばらになっていた。弱っているのだ。思わずベランダを開ける。鳥は怖がる様子もない、というか動く元気もないらしい。


「大丈夫か」そう言って家にいれてやる。鳥は無抵抗だった。


 鳥なので体が軽いのは当たり前なのだが、その軽さは紙のようだった。なにか食べさせないと。でもこの鳥、そもそもなにを食べるんだ?


 端末を取り出し、鳥の画像を撮影し検索エンジンに入れてみる。「検索結果はありません 別の画像で検索してください」と出た。何枚撮っても同じなので、どうやらこの鳥はどうぶつ文明圏の鳥ではないらしいと分かった。


「お前どこからきたんだ? なにを食うんだ?」と聞いてみる。鳥はよく分からない顔で首をかしげている。そりゃそうだ、訓練されたオウムじゃないんだから……。


 とりあえず冷蔵庫から果物を取り出し、皮を剥いて顔の前に差し出してみる。鳥はそれをかつかつと食べて、飲み込んだ。安堵する。


「よし。お前が元気になるまで、ここにいるといいぞ」


 鳥は小さく、「ピィ」と鳴いた。鳴く元気があって、ほっと胸をなでおろす。


 しかしどう世話をしたものかよく分からない。鳥なんて飼ったことがないからだ。どうぶつ文明圏で動物を飼えるのは金持ちか研究者か学校くらいのもので、庶民はせいぜい川でザリガニ釣りをするくらいだ。ちなみに動物の名前や習性などの知識は学校で教わる。


 とりあえず鳥が寒くないように、飲み物の空容器にお湯をいれて鳥のいるところにおいてやった。鳥はそれに体をすりつけて、ウトウトと眠り始めた。


 よかった。とりあえず安心する。


 鳥に名前をつけてやらねばなるまい、というところに思い至って、なんと名付けたものか、真面目に悩む。この鳥ならなんて呼んだって喜びそうだが。


 うーん、と悩んでいると、玄関チャイムが鳴った。てっきり放送局の集金がやってきたのかと思ったら、お巡りさんが変わったことがないか訊きに来ただけだった。


「変わったこと……は、特にないです。あ、ベランダに見たことのない弱った鳥がきたくらいですね」


「……それは、変わったことですね――ちょっと失礼します」


 お巡りさんはアパートの部屋に入ってきた。鳥はちょっと怯えた顔をして、お巡りさんを見ている。この数分で俺に懐いたということなんだろうか。


「確かに見たことのない鳥ですね。外の文明圏が斥候に飛ばした鳥かとも思いましたが、特に記録装置とかはついていない」


「えっ、外の文明圏から鳥がスパイにくるんですか」


「最近そういう手口がやたら多くて困ってるんです。見つけ次第撃ち殺してるんですけど、それを残酷だって言う人もいて」


 ああ、それは大変だ。平和を守るために当たり前のことをしているだけなのに、そのせいで非難されるなんて。確かに殺してしまうのは残酷なことかもしれないが、そうしないとどうぶつ文明圏の平和は保たれないのだ。


 お巡りさんは鳥になにも通信装置なんかがついていないことを確認して、帰っていった。


 俺と鳥が家に取り残された。名前を考えねばなるまい。


 名前はその人の人生を表す言葉だ、いい名前をつけてやらなければ可哀想だ。さんざん悩んで、「ピーすけ」と名前をつけた。なんのひねりもない。


「よし。お前はきょうからピーすけだ」


「ピィ」


 というかみ合わない会話ののち、俺は食べかけの焼きそばパンがなくなっていることに気づいた。ピーすけのくちばしがソースでよごれている。お前まさか焼きそばパン食べたのか。そんなもの食べたら具合わるくするんじゃないか。


 とりあえずピーすけは元気にまた寝始めた。俺も眠かったのでさっさと寝た。


 次の朝目を覚ますともう朝ではなくなっていた。ほとんど昼だ。端末には師匠からの早く来いというメッセージが溜まっていて、五分前のものは「さっさと来んと昼めしはないぞ」という脅し文句だった。あわてて家を出る支度をして、ピーすけをどうしたものか考える。


 連れていく一択のような気もしたが、街に連れ出して飛んでいってしまったらどうしよう、と悩む。しかしよくよく考えたら、ピーすけは翼を怪我している。飛べないだろう。そういうわけでそっと上着の中にいれて、道場に向かう。


 ピーすけは大人しく上着の中で暖かそうに丸まっていた。道場につくと、どうやら他流試合のあとだったらしく、マリーが伸びていた。ハチはがつがつと師匠手製の肉豆腐を食べていて、ナッツはいない。師匠は難しい顔をして座っている。


「おはようございます」


「はやくない。もう十一時だ。おそようございますだ。まあ飯を食え。なんか着ぶくれてるな」


「あ、ああ……ベランダに鳥がいて、怪我してたからうっかり保護してしまって」


 上着からピーすけを出してやる。ピーすけはキョトン顔で道場を見回し、俺の襟元から上着に入ろうとしてきた。


「ほー珍しい。野生の鳥だ。種類はわからんが――羽がずいぶん抜けてるな」


 師匠がしみじみとピーすけを見る。俺は肉豆腐を食べながら、

「このボロボロの状態でベランダにいて。お巡りさんはほかの文明圏からのスパイじゃないか、って言ってたんですけど、しかし記録装置はつけていないし」と説明する。


「ほかの文明圏かあ。いま問題になってるもんな、スパイ鳥の射殺」


「そうなんですか」俺はそれを昨日聞いたばかりだったので、おもわずそう返した。


「お前テレビは見んのか。新聞は読まんのか。動物愛護団体がヒステリー起こして、大騒ぎになってるんだぞ」


「ヒステリー……ですか」俺はしみじみと言葉を味わった。ヒステリーって。


「そうだ。金持ちのマダムどもが、鳥を射殺するなんて極悪非道、イツキシティ市警は最低最悪の組織だ、ってわーわーわめいてる。そうでもせんといつほかの文明に侵略されるかわからんのに、というのにだ」


「本当に他の文明って侵略してくるのかしら」マリーが伸びたままそう言う。


「上の認識は『いつ戦争が始まるかわからん状態』だそうだ。どうぶつ文明圏はずっと平和だったからなあ……鉱物文明圏とは和睦と同盟を結んでいるが、それだっていつ転覆するやら」


 そんなにやばかったのかぁ。しみじみそう言うと師匠にぶん殴られた。


「お前本当にテレビとか新聞とか確認しろ。力にかまけて寝てると世の中はどんどん進んでくんだぞ。あたしもハシビロコウの力に目覚めたころは寝てこそいないもののそんな感じだったが、御師様にこっぴどく𠮟られた。力に支配されちゃいけない」


 ハイ。そう答えて肉豆腐を食べた。うまかった。なんでこんなに料理の得意な師匠が行かず後家をやってるんだろうか。


 ピーすけが物欲しそうにしているので、豆腐を少しちぎって食べさせる。ピーすけはうまそうに豆腐を食べて、「ピィ」と鳴いた。かわいい。


「すんません研究発表があって遅れました」ナッツが入ってきた。ナッツは俺とピーすけを見るなり、

「鳥なんか拾ってどうするんだよ。スパイだぞ」と断定口調で言ってきた。


「ピーすけは記録装置なんかつけてなかった。それにこんなに弱った鳥、スパイになんかならないだろ」と、俺は反論した。ナッツはしばし考えて、

「それはまあ確かに」と答えた。ちゃんとものを見てから言え。


「ずいぶんボロボロだなあ……羽が抜けてるし体も瘦せてる。それにどうぶつ文明圏の鳥じゃなさそうだ。なにを食べるんだ?」


「果物とか焼きそばパンとか……さっきは肉豆腐の豆腐食べてた」


「に、肉豆腐!?」ナッツが道場の隅の食卓を見る。すでにハチが鍋ひとつぜんぶ平らげていた。ナッツは恨めしそうな顔でハチを見ると、ハイギョの骨せんべいを食べ始めた。


 肉豆腐で満腹になったハチが、ピーすけに近寄ってきた。鼻をすんすん鳴らして、

「この鳥、どこか体が悪いぞ」と言ってきた。まあ、羽が抜け落ちているところを見れば、健康体でないのは間違いなかろう。


「その鳥、どうするんだ? 一生世話するわけにもいかないだろ」と、ナッツ。


「元気になったら野生に返してやるつもりだ」と俺は答えた。


「その弱り方で元気になるかねえ……」と、ナッツの悲しいつぶやき。


「そりゃ、元気になるかは分からないが――なんもしないで死なれたら気分が悪かろうよ」


「そうか。じゃあ、ちょっと待ってろ。いいもの持ってくる」


 そう言ってナッツは骨せんべいもほどほどに道場を飛び出して、それから少しして戻ってきた。手には金属の小さな檻と、小鳥のエサ、それを食べさせるためのスポイト、鳥の健康増進剤を持っていた。


「うちの施設のお古で申し訳ないが、よかったら使ってくれ」


「あ、ありがとう」ありがたくそれらを抱えて帰ろうとすると、師匠が声をかけてきた。


「その鳥、我々みんなで世話しないか。レイジにぜんぶ任せるのはなんとなく不安だし」


「いいですね! 俺、鳥大好きです!」ハチがまるっきし犬みたいな調子で言う。


 というわけで、師匠の酒場にやってきた。檻――ゲージというらしい――を設置し、中にピーすけをいれる。ピーすけは落ち着きなくキョロキョロしてから、ゲージに入れてあった、わら製の小部屋にすぽっと入った。こういうところに入っているのが落ち着くらしい。


 エサと健康増進剤をまぜてゲージにいれてやると、ピーすけは嬉しそうにエサを食べた。しかし健康増進剤はまずいらしく、ほとんど残してしまった。


 飲み物容器の湯たんぽも入れて、これで一安心、と思った。


 次の日、道場から師匠の酒場に移動して昼飯と相成った。師匠が夜の間も丁寧に世話をしたらしく、ピーすけはとても元気そうだった。カレーライスを食べながら、ピーすけを見ると、なにやらご機嫌でさえずっていた。よかった、ちょっとずつよくなってるんだ。


 師匠の指がばんそうこうだらけなので、どうしたんです、と訊ねると、

「ピーすけ、スポイトで健康増進剤飲ませようとするとめっちゃ噛んでくるんだよ」

 と、難しい顔だ。マリーがゴロゴロヒーリングを発動させて、師匠の手指の怪我を直した。


「ゴロゴロヒーリング、ピーすけには効かないのかな」俺がそう言うと、マリーは、

「ゴロゴロヒーリングは人間にしか効かないわよ」と、さっぱりと言う。そうなのか。


 とにかく、そんな調子で、ピーすけは師匠の酒場の人気者になった。ある日夕飯をご馳走になっていると、どうやらハシゴしてきたらしい酔客が入ってきた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る