第七話 ラフターヨガ(下)

 俺たちシズカ一門は、高速鉄道でカンボクタウンを訪れていた。師匠がどうしても行きたいと言い出したからだ。


 高速鉄道の駅を出ると、のどかな山里が広がっていて、アオイタウンのときともまた違う、豊かな森林の街が広がっている。大きな樹木を取り囲むように作られるどうぶつ文明の街らしい、いかにも自然の恵みと共存しています、といった印象の街だ。


 カンボクタウン名物の川エビまんじゅうをつつき、いちばんの楽しみである自然のアクティビティをやっている森林センターに向かう。師匠はなにも迷わず、ラフターヨガを希望した。


 インストラクターは、ヒスイさんだった。あの晩に師匠が力のコントロール方法を徹底的に仕込んで、それでどうにかコントロールできるようになったらしい。今でもときどき、「アハッ」みたいに漏れたりはするそうだが、明るく笑うヒスイさんを見て、俺とハチは心底安堵したのだった。


 力を持て余す、という現象は、どんなどうぶつに目覚めても起きる場合のあるものらしい。そのせいで暮らすのが困難になることも、ごくありがちなことだという。


「じゃあ大きく息を吸って、アハハハハハハハハハ!」

 俺たちはヒスイさんのマネをして、大声で笑った。体が軽くなるようだ。


「無事に暮らしてて安心したよ」という師匠に、ヒスイさんは笑顔で、「シズカさんたちのおかげです。声をかけてくださったレイジさんやハチさんにも感謝しています」と答えた。


「そうか。もうシズカ一門の門下生と言っても問題ないな。なにか困ったら、いつでも頼ってくれ」と、師匠はご立派なことを仰る。


「そうは言いますがね師匠、師匠って困ったからって相談にいっても、『自分でなんとかしろ』って投げ出すじゃないですか」


「そうか? あたしはお前らに解決できないことなら手伝うが、お前らに解決できることなら自分でやらせてるだけだぞ?」


 師匠はそう言って笑った。


「ではもう一度大きく息を吸い込んで、アハハハハハハハハハ!」


「アハハハハハハハハハ!」


 ◇◇◇◇


 力には内側と外側がある。


 どうぶつの力を出力することを極めるのが、どうぶつ拳法である。であれば、その力をコントロールするのもどうぶつ拳法と言えるだろう。拳法と言っても殴り合うだけではないのだ。


 あの日、師匠はヒスイさんを道場に連れていき、力を抑える技術を一夜ですべて伝授した。


 力をコントロールするということは、体内から外に出ていき、世界に影響を及ぼす力を、体内にため込むことだ。その結果、俺はしじゅう眠いわけなのであるが。


「定期的に力を発散しないと、どうぶつの力に圧倒されて人間的生活ができなくなるぞ」と、師匠は帰りの高速鉄道で車内販売のアイスクリームをぱくつきながら言った。アイスクリームは恐ろしく硬いのに、師匠の持っている木べらはすっと刺さる。


「それもどうぶつの力ですか?」と訊ねると、「何がだ?」と聞かれたので、アイスクリームのへらの話をする。


「あーこれか。前から得意なだけだ。どうぶつの力じゃない」と、師匠。


 どういうスキルなんだ。訳が分からない。とにかく俺も車内販売のコーヒーをすする。


「まあ我々はいい時代に生まれたんだよ。人類がどうぶつの力に目覚めて人類滅亡ウイルスからの防御に成功したころは、おそらくみんな力を野放しにしていて、ちゃんと体系的な拳法にまとまっておらず、人類はいまより文明度の低い暮らしをしていたはず」


 師匠はアイスクリームをぱくぱく食べながらそんなふうに言う。そうか、どうぶつ文明以前は、そういう世界だったのか。


「どうぶつ文明以前の、人類共同圏文明って、どんなものだったのかしら……」


 マリーがしみじみと呟く。それにナッツが即答する。


「今の俺たちとあんまり変わらない文明のはずだ。ただ、もっと人類の生息域は広かったはず。当時の人類はこの地球をまるごと共同で治めていた、と文献にある」


 ナッツはため息をついて、窓の外をちらっと見て、それから車内販売のホヤの燻製をモグモグと食べながら、「次の手を考えている負けかけのボードゲームの選手」みたいな顔をした。


「人類は、人類滅亡ウイルスのせいで世界中に散らされたわけで、そうなるとたまたま、なにかの力に目覚めて生き残ったり自らを改造して生き残ったりしたってことで、要するに……別々の方向に進化していった、ということになるな。俺たちどうぶつ文明圏の人間は、どうぶつの力を取り入れて進化した。フロゥリィトたち鉱物文明圏の人間は、体を鉱物に置き換えることで進化した。いつぞやのエターナリアン文明は、人間を心身二元論的にとらえて、機械の体を手に入れた。それぞれ違うことをして、同じ目的に向かっているんだ」


 人類滅亡ウイルスに立ち向かうには、ずいぶんといろいろな方法があるのだなあ。


「もしかしたら、ぜんぜん違う方法で同じく人類滅亡ウイルスと戦っている種族もあるかもしれない。例えば宇宙に逃げだすとか、深海に逃げだすとか」


「でも逃げ出したんなら戻ってきたとき対抗できなくて死んじゃうだろ」と、ハチがツッコむ。


「戻ってくる必要のない暮らしをするとか、あるいは体を直接地球の大気に触れないようにするとか、手はいろいろある。まあ、そんなヤバいやつらがやってこないことを祈るばかりなんだがな」ナッツは真面目にそう答えた。こいつはウソでも研究者なのだった。


 高速鉄道は山塊の真下を通るトンネルにさしかかった。トンネルの中でも、高速鉄道の車内は明々としている。師匠は食べ終わったアイスクリームの容器をゴミ箱に捨てにいった。


「そもそも、人類滅亡ウイルスってどういうものなの? そこがよく分からないわ」

 マリーがそう言うと、ナッツはリュックサックにぶら下げている小さな砂時計を模したキーホルダーを見せてきた。中は真っ青な砂で、さらさら、きらきらしてとてもきれいだ。


「これの中身の青い砂が、純粋培養した人類滅亡ウイルスだ。正確にはその死骸なんだが、人類滅亡ウイルスは死骸になっても効力がある。あ、このガラスは超硬ガラスだから大丈夫」


「……こんなにきれいなのね、人類滅亡ウイルス」マリーがガラスの中身をさららーと動かす。


「人類滅亡ウイルスは、人類共同圏文明の時代に、どこか遠いところから突然飛来したと言われている。隕石に乗ってきた、というのが有力な説で、その隕石が激突してクレーターになったのがここ」と、ナッツはなにやら資料を見せてきた。地面がえぐれている写真だ。


「この隕石の飛来で、人類共同圏文明は崩壊したと言われている。そりゃそうだろうな、巻き上げられた土埃で空は覆われて、火山活動が活発になって、人類の生活は大きく制限された。それが収まったら、世界中に人類滅亡ウイルスが飛散していて、人類はどんどん滅びていった」


「まるで、バベルの塔とか、ソドムとゴモラだな」と、俺は呟いた。


「確かにその通りだ。人類の驕り高ぶりに、神は怒ったのかもしれない」


「――待って。いまレイジがバイブルを例に出したけど、バイブル自体は人類共同圏文明より昔からあったのよね?」マリーが大きな目をぱちぱちする。ナッツがうむむの顔になる。


「うん、まあ、確かに……なんで残ったんだ? わからん」


「人間ってのはな、本当に大事なもんは捨てないし忘れないもんだ。バイブルだって、誰かが残そうと努力してくれたにちげぇねえよ」師匠がそう言い、一発あくびをした。


「そうか……どうぶつ文明も、だれかの努力で文明の形を成しているわけで――文明を享受できることを、感謝しなきゃいけないな……」ハチが大真面目にそう言う。


「はー、眠い。久々に誰かを殴りたい。帰ったら道場で鍛えるか?」


「やーですよ。高速鉄道三時間乗りっぱなしで足がパンパン。岩盤浴いかなきゃ」と、マリー。


「温泉ならカンボクタウンでさんざん浴びたろ。殴る! 蹴る! 叩きのめす! それがどうぶつ拳法ってもんだ。穏やかが過ぎてあたしゃ疲れたよ」


「穏やかが過ぎた、って……いちばんラフターヨガ喜んでたの師匠じゃないすか」と、俺。


「だって弟子が独立して頑張ってるんだぞ。ヒスイさんはまぎれもなくあたしの弟子だ」


「そんな、弟子バカがひどい」ハチが呆然と言う。師匠はハチをぶん殴った。


「ばーかやろう。あたしゃお前らをずっと見ていて、ずっといい弟子だと思ってる。べーつにヒスイさんだけにバカなんじゃない。お前らにもとんでもなくバカだ」


 師匠が弟子を可愛いと思っているのが何とも意外で、全員アホの顔で師匠を見つめる。


「な、なんだ。何か文句あっか。お前らもな、ちゃんと自分の才能を磨くちゃんとした弟子だ。大事に思ってるよ、もっといい方向に育てたいと常々思ってるんだからな」


「師匠、顔に似合わないです」俺がそう言うと、師匠は俺をぼこっと殴った。すぐ腕力に訴えるクセは治したほうがいいと思う。また殴られそうなのでそれは言わないでおいた。


「だいたいだぁ、可愛くなかったら、あんなせっせと屋台でメシ奢ったり店の料理のあまり食わしたりはしないだろ。お前らはいつもあたしのいい弟子だよ、四人ともみんなな」


 師匠は金属質の瞳で俺らを見回した。若干顔が赤い。


「わかってますって。俺らだって師匠が俺らに優しい人だって知ってますよ」と、ナッツ。


「優しく、かつ厳しく、っていう師匠だってずっと思ってます」と、マリー。


「俺も師匠の作るメシが大好きです!」と、ハチ。ヨダレをすすっている。完全に犬だ。


「俺も……師匠の弟子でよかったと思います」俺も言う。


「よ、よせよ……まぁたお前らに食わすものを作りたくなるじゃないか……」


 師匠は見事なまでに照れていた。


 さて、山塊を抜けて高速鉄道の社内は日差しを浴びていた。まぶしい。大穀倉地帯のあたりを走っていて、野菜や穀物が風に揺れている。


「ま、たまに一門で旅行にいくのも悪くなかろ。またそのうち折を見てどっかいこうか」


「師匠、それで道場と酒場の経営のほうは大丈夫なんです?」俺がそう訊ねると、師匠はまたしても俺をぶん殴った。痛いが加減してあると分かる。


 この師匠と仲間たちと一緒なら、どんなことだってできる気がする。ヒスイさんが力をコントロールするすべを知ったように、俺も力を自在に操りたい。

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