第七話 ラフターヨガ(上)

 師匠が女将をやっている酒場「十斗」で、俺たち門下生は夕飯をご馳走になっていた。まあお昼ご飯といっても昨日の余りのおでんと白い米だ。しかしそれがめちゃめちゃに旨いんだから困る。


 ヴァルハリアン騒動が落ち着いたイツキシティは、ずいぶんと穏やかになった。ぜんぶクラテスがついた嘘だと露見して、ヴァルハリアンというものを誰も気にしなくなった。しかしそれだけで平和になったわけではない。まだこの思想を全否定するのは早いのだ。外界の異なる文化圏から侵略者がくる可能性は大いにある。


 まあそんなことはともかくおでんが旨い。師匠は料理の腕だけはたしかだ。型の美しさではトップクラスのハシビロ拳法使いという上に、料理が得意という属性まで盛ってどうするのだろうか。


 よくしゅんでいる大根をモグモグかじりながら、酒場の隅に置かれたテレビをちらりと見る。


「逮捕されたクラテス容疑者は」

 師匠がチャンネルを変える。


「逮捕されたクラテス容疑者は」

 師匠が顔をしかめてチャンネルを変える。


「逮捕されたクラテス容疑者は」

 師匠はテレビを停めるとリモコンをへし折りたい顔をして、

「どーこに回してもクラテスばっかしだ。なんかマシなテレビはやっとらんのか」と、そう唸った。


「こどもテレビならなんか違うのやってるんじゃないすか? 科学とか数学とか割と面白いっすよ」と、ハチ。こどもテレビというのは、小さいお子さんのいる家庭で観られることを前提に作ってある、子供向け番組ばかり放送しているチャンネルだ。


「おーそれは名案だ! ちょっと見てみるか」師匠はリモコンをいじった。画面に、着ぐるみショー的な着ぐるみと、うたのお兄さんお姉さんが映し出された。ガチの幼児番組である。


「……さすがにこれはなあ。まだ科学の番組とかなら見るんだが」


「確かに……番組表どうなってます?」


 そういうナッツにリモコンが渡される。番組表を表示すると、この「どうぶつといっしょ」という幼児番組のあとは、小学生向けの「どうぶつファイターズ」という、子役さんが出ていろんなことに挑戦する番組をやるようだ。どちらにせよお呼びでない。ほかのチャンネルはぜんぶ特別編成でクラテスの悪事を報じるようだ。


「しゃーない。テレビ停めるか……」

 師匠がテレビを停めた。


「ま、メシ食いながらテレビ観んのも行儀が悪い。なんか楽しいこと話そう」


「楽しいこと……ですか」俺がそう言うと、師匠は頷いた。


「そもそもお前ら、なんであたしの門下に入った? 詳しく聞きたい」


 うぬぬ。難しい話題が始まってしまった。


 ハチがはい! はい! と手を挙げる。さすがいぬいぬ拳法……人格まで犬になっている。

「よーしハチ、しゃべってみろ。なんであたしの門下生になった?」


「俺は、道場斡旋所で師匠を紹介されて。行ってみたら気さくそうなお師匠さんだったんで」


「いやハチ、どうして道場斡旋所に行ったかを言うところから始めてくれ」


「え、そこから? 俺は単に、どうぶつの力に早く目覚めてみたくてです」


「よーし上等。次はだれだ?」


 マリーがすっと目線をずらした。師匠は、「じゃあマリー言ってみろ」と言う。


「わたしは単純にダイエット目的です」マリーは嫌々、という顔で答えた。


「そんな、お前ダイエットする必要ないだろ……次はナッツだ」


「俺は頭ばっかし使ってると疲れるので、ジム感覚で」


「よーし。じゃあ、レイジ。言ってみろ」


「俺ですか、俺ですね。うーんと……なんでだっけ。忘れました」


 みんなで、喜劇のようにずっこけた。


「お、お前なあ……忘れんなよ……」師匠がうめく。


「いやあ、ナマケモノの力に目覚めてから妙に忘れっぽくて困ってるんです。一日十時間くらい寝てるからっすかね」


「ナマケモノ拳法パねえな?!」師匠がぞんざいな口調で驚く。


「あら、わたしもそれくらい寝るけど特に物忘れはしないわよ」と、マリー。


「ねこねこ拳法もパねえな?!」


「師匠。口調がぞんざい過ぎます」ハチがツッコむ。師匠はため息をついて、

「お前ら本当に面白いな。楽しそうで大変よい。いい弟子を持ったよ」と呟いた。


 夕飯を結構遅い時間までゴチになって、俺たちは解散した。ハチはこれからコンビニで夜勤らしい。コンビニまで方角が一緒なので二人に歩いていく。


 川にかかる高架橋の上を歩いていると、なにやら女の子が、手すりによりかかって川を見おろしていた。なにやら思い詰めた顔をしていて、俺とハチは顔を見合わせた。


「あの、どうしたんです?」と、ハチが声をかけると、その女の子は後退り、

「な、なんでもないです!」と答えた。俺が、「なんでもない人はそんな思いつめた顔しないよ」と声をかけると、女の子はすごく悲しそうな顔をして、長いまつげを伏せた。


「どうしたんです? 俺ら、ハシビロ拳法の使い手のシズカっていう人の門下生なんだ」


 ハチが唐突なイケボでそう言った。女の子は服の裾をぎゅっと掴むと、

「拳法を勉強されている、ということですか?」と訊ねてきた。


「そういうこと。どうしたんです? なにか悲しいことでもありました?」


「あぅ……」女の子は言葉に詰まった。その数秒後唐突に、

「アハハハハハハハハハ!」と甲高い笑い声を上げた。俺とハチはびっくりする。


「ご、ごめんなさい。驚かせてしまいましたよね。私、ワライカワセミの力に目覚めてしまって、ときどき突然笑ってしまうんです」


 ワライカワセミ。そりゃあなかなか難儀などうぶつの力に目覚めてしまったものだ。俺は、

「どうぶつ拳法の鍛錬は、どうぶつの力をコントロールするすべを学ぶことだから、突然笑っちゃうのを抑えられるかもしれない」と、その女の子に言った。


 ハチはコンビニの仕事をサボれないので、俺がとりあえず師匠の酒場にその女の子――ヒスイさんを案内する。師匠はイワシを煮ていた。醤油の香りが食欲をそそる。


「どうしたぁ? もうお前らに食わすただ飯はないぞー」


「いや、師匠。ちょいと相談したいことがあってですね」


 と、ヒスイさんを店に入れる。師匠はふむふむとヒスイさんを見て、

「なにか手に余る力に目覚めてしまった、とかか?」と聞いてきた。


「はい。私。ワライカワセミの力に目覚めてしまって……ときどきでっかい声ですごい笑い声を上げちゃうんです。それで職場を解雇されて、特殊どうぶつ年金ももらえなくて、婚約を破棄されて、アパートを追い出されて、かれこれ二日ばかしなにも食べてなくて……」


「そいつぁー大変だ。腹減ってるだろ。イワシ煮たやつならあるぞ」


 師匠が煮ていた、店の料理であるイワシを皿によそってヒスイさんに出す。ヒスイさんはおいしそうにそれを食べて、「おいひい」と涙をこぼした。


「で、師匠。ワライカワセミの力ってコントロール可能なんです? 師匠も鳥系の力ですよね」


「うむ。ハシビロコウの力は『無限にじっとしていられる』力だ。だから力に目覚めたころは、ひたすら動かなかった。動かないのも程度問題で、どうぶつの力に目覚めたとはいえベースは人間だから、足がパンッパンにむくんで困ったもんだ。で、そのお嬢さんの力は、そういうかわいいレベルでなく、生活に問題をきたす、ということだな」


「そうです……」ヒスイさんはため息をつく。


「しかしなんで特殊どうぶつ年金が降りないんだ? 生活に困窮してるっつうのに」


「窓口の人に訊いたら、寝てしまうとか動けないとか、そういうのじゃないから、降りないそうなんです」ヒスイさんはそう答えた。


「うーむ。なかなか難しいもんだ。で、うちの門下生になるのか?」


「いえ。月謝が払えないので」


「ううーん……力のコントロールを覚えるには時間がかかる。なにかいい手段はないだろうか……ちなみに辞める前の仕事はなにをしてた?」


「小学校の教師です」


「おわっと。そんなちゃんとした仕事だったかぁ」


「師匠がちゃんとしてないだけでみんなちゃんとしてるんですよ」と言ったら殴られた。


「レイジ、お前だって特殊どうぶつ年金貰ってどうにか食いつないでる生活だろ。あたしは労働しているぞ」


「いや俺は単に燃費がよすぎるだけなので、師匠が食べさしてくれるものだけで生きていけるだけです」


「よし決めた。明日からレイジにはなにも食わせない」


「そんなあ」俺がそう言うと、ヒスイさんはクスクスっと笑った。


「……冗談だよ。そうだなあ……なにかいい方法……ううん、思いつかん……」


 そうやっていると、店の入り口からお客さんが入ってきた。


「おーいシズカちゃん。やってるかい?」


「やーデバさんお久しぶりです。相変わらずボチボチですー。あ、いまちょっと弟子と弟子の拾ってきた困ってる人が来てて」


 デバさんと呼ばれたお客さんは、禿げ頭で出っ歯のおじさんだ。


「困ってる人? なにに困ってるんだい?」


「アハハハハハハハハハ!」


「……なるほど。このお嬢さんは力を持て余してる、ってところか」


「そうなんですよー。なんかいい就職のクチありません? できればまかないと、防音の寮がついたような」


「そこまで好条件の仕事はなかなかないねえ……それこそシズカちゃんの一門に入れちゃえばいいじゃないか」


「月謝が払えないそうで」


「シズカちゃん、なかなかの銭ゲバぶりだね?」


「銭目当てじゃありませんよ。ボランティアで教えてもあたしが食っていけないだけです」


「この店で雇ってやったら?」


「この店はかなりギリギリの経営なんで、賃金を出すのは無理ですよ」


 ううーむ。


「――シズカちゃん、きょうはテレビつけないのかい?」


「いやあどのチャンネルに回してもヤブ医者のニュースばっかじゃないですか」


「もういつものバラエティーの時間じゃないかい」


 師匠はテレビをつけた。ようやっとクラテス医院のニュースは終了していて、「一度はいきたい! どうぶつ文明圏の観光地!」というのんきな番組をやっている。


 タレントがなにやら自然の豊かな場所で楽しそうにしている。なにかのアクティビティらしい。専属のインストラクターが、すうーっと息を吸い込み、

「アハハハハハハハハハ!」と大笑いした。


「このカンボクタウンではラフターヨガが大人気です!」


 ラフターヨガ。どうやら不満を叫んだり大笑いすることで健康を整える、というものらしい。


 ラフターヨガの映像を、みんなでぼーっと見て、それから俺ははっと気が付いて、

「これだ!」と叫んだ。


「これなら、ヒスイさんに向いてる仕事じゃないですか?!」

「で、でも。私は笑いをコントロールできないから、仕事の時だけ都合よく笑えるわけじゃないので」


 ……そうなのであった。俺は自分の軽率さを恥じた。


「じゃあ笑いをコントロールできれば、この仕事に就ける、ってことだね?」と、師匠。


「……そう、ですね」


「よぉし。じゃあレイジ、店番は頼んだ。あたしはヒスイさんに稽古をつける」


「ええ?! 俺に酒場の店番をしろと?! 俺もう眠いっすよ?!」


「後ろの棚にエナドリ入ってるから適当に飲め。そいじゃ」


 そう言って師匠はヒスイさんと店を出ていった。俺とデバさんが残された。


「……ついてないね、きみも」と、デバさんに慰められてしまった。

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