第六話 デマゴーグ(下)
「ヴァルハリアン……もう侵略を」
と呟いたところで、並んでいたおばちゃんにとっ捕まってしまった。おばちゃんは早口に、
「ヴァルハリアンは猛毒のガスを出すのよ。政府は隠匿してるけど、もう街の中に当たり前にいるんだから。ガスを浴びるとやけどみたいになって、そこから体を乗っ取られるのよ」
と、明らかに陰謀論にハマっていることを語った。そのおばちゃんも、肘のあたりがマリスさんの手とおなじような傷になっていた。
べつのおばちゃんが、俺の指を見て、
「あらあなた、ヴァルハリアンのガスを浴びてるじゃない! クラテス先生に治してもらいなさいよ!」と言ってきた。これはきのう即席めんを作ろうとして作った小さなやけどだ。どう考えてもそんな恐ろしげなものではない。
ほかの面々をみると、「がんばれ!」の顔をしている。
しょうがなく、俺はクラテス医院に並ぶことにした。
クラテス医院の中は、具合の悪そうな人で混んでいた。ずっと咳をしている人や、やけどをしている人ばかりで、やけどをしている小さい子供がわんわん泣きながら親にさっきの薬を塗られている。咳をしている人は高価そうな容器に入ったハチミツを噎せながらなめている。
それを端末でナッツに連絡すると、すぐ返信がきた。
「たぶんそのハチミツは帝王ミツバチから採れるとんでもなく高価なやつだ。さっきの薬といい、もしかしたらクラテス医院は不法に高価な薬を売りつけて稼いでいるのかもしれない」
なるほど。だからヴァルハリアンの侵略が存在するように見せかけているのか。そもそもいないわけだから追い出しようがない、つまりいつまでもヴァルハリアンのデマで稼げるということだ。そしてデマが広がれば、やけどをヴァルハリアンの侵略と勘違いする人も増える。
怒りがめらめらと燃え上がってきた。
「レイジさん中待合室にどうぞー」
呼ばれたので中に入る。中待合室は小さなベンチの置かれた、ちょっと狭い部屋だ。雑誌が置かれている。「病気にかからなくなる食事オススメ100選」とある。病気にかからない人が増えたら病院は商売あがったりになるのではないだろうかと思ったが、要するに「当院は健康な人が一人でも多くなることを願っています」というアピールなのだろう。
「はーい次の方ー」
看護師さんの明るい声。俺は診察室に入った。
もっとこう、標本とかが並んでおどろおどろしい感じなのかと思ったら、いたって清潔、シンプル、実用的な診察室だった。
「やけどみたいな傷ができたんでしたっけ」
カバを思わせる見た目のクラテス先生は、優しい口調で語りかけてきた。俺は指を見せる。
「うん、これはヴァルハリアンの侵略だ。手当てのあとお薬を出します」
手当て、と言われて出てきたのは、鋭いメスだった。ぞくりと恐怖する。
「あの」
治療の前に思ったこと知ったことをぜんぶ伝えてみる。
「知り合いの知り合いが、ここにかかってて。傷口に、ふつうの皮膚病には使わない、難病の高価で危険な薬を塗らされてて」
「そりゃあヴァルハリアンの毒は強力だから、それくらいの薬で対抗しないと治らないさ」
「で、その知り合いの知り合いが働いてる喫茶店に、融和政策反対のポスターがいっぱい貼ってあって」
「そうだよ、ヴァルハリアンは危険だ。それに鉱物文明圏やエターナリアン文明圏が安全という証明はないわけだからね」
「なんかおかしい気がするんです。そんなヤバいものが世の中にまぎれているなら、もっと政府とかも注意喚起すると思うんです」
「……ここだけの話、いまの政府はハッキリ言って無能なんだよ。国民を守ろうという気がないんだ。もしヴァルハリアンが侵略していることがバレたら、国が叩かれるんだから。さ、手当てをしないと」クラテス先生は笑顔でそう言って、ぎらりと光るメスを手に取った。
やばい。そう思ってから一瞬間を置いて、窓ガラスがぶち破られて誰か入ってきた。飛び散る窓ガラスがクラテス先生の手に刺さり、「うぐっ」と悲鳴を上げる。
「おらおらおらクラテス! まぁたインチキ商売やってんなぁ!」
師匠だった。おそらく仲間たちが呼んだのだろう。
「な、なんだシズカ。私は医師として当然の」
「おめーのインチキ商売のおかげでな、こちとら睡眠不足なんだっつうの! そいつのやけどは、ヴァルハリアンとかいうインベーダーの作ったもんじゃなくて、せいぜいカップ麵作ろうとしたかコーヒー沸かそうとしたかでできたもんだぁ!」
「……そうなんですか?」クラテス先生はそう訊ねてきた。
「はい。仲間とここの外を見ていたら、並んでたおばちゃんたちに引きずりこまれまして」
「……」クラテス先生は黙ってしまった。
「弟子から連絡があった。不法に高い薬を売りつけて稼いでいると。調べてみたら保険適用外の、体が腐る病気の塗り薬と、貴重な帝王ミツバチのハチミツをシノギにしてるって話じゃないか。それからこれ」
師匠はくだんの週刊誌をクラテス先生に突きつけた。
「これで語ってる『関係者』ってのは、クラテスだろ? ヴァルハリアンは猛毒を出すって」
クラテス先生はしばし言葉を選んでから、
「なんでそう思うんだ? 久しぶりに会うんだ、もうちょっとおだやかに話そう」と言った。
師匠は鼻をすんと鳴らして、クラテス先生の顔を覗き込むと、
「どう考えても、イツキシティでヴァルハリアンの噂を広めて儲かるのはお前だけだからだ」
と、真面目な口調で言った。クラテス先生――もはや先生ではないな――は、
「……そうだよ。この噂で一儲けしてやろうと思った。ちょうど、他の文明圏への不安が広がっていたからそれに乗じたんだよ。バカな人間というのは実に御しやすい」と開き直った。
直後、警官隊がなだれ込んできた。あっさりと、クラテスは扇動罪で捕まってしまった。
「師匠、クラテスとはどういう関係なんですか」
「関係もなにも、イツキシティの著名人つながりの知り合いだ。お前らが思ってるよりあたしゃエラいんだからな」師匠は端末の通話を切った。さっきの話は警察に聞こえていたらしい。
その次の日、端末のニュースではクラテス逮捕の話題が広まり、週刊誌はお詫びの記事を掲載し、オンラインアーカイブのヴァルハリアンについて書かれた記事を削除した。
そのことはあっという間に街じゅうで話題になり、みんなヴァルハリアンが侵略してきている、なんてことを信じなくなった。陰謀論を聞くこともなくなった。
嘘だと証明されればあっけないものだ。呆れるほどあっけないものだ。
稽古のあとみんなで師匠手製のルーロー飯をつついて、今回のMVPはだれか、ということを話した。ナッツだと思う、と俺が言うと、ナッツは「いや。実際に敵の目の前に行ったレイジがMVPだ」と言った。そして、ナッツは意外なことを語った。
「侵略してきているというのは大噓なんだけど、実を言うとヴァルハリアンを名乗る人間の進化系との接触の記録はあるんだ。その民族は、人類滅亡ウイルスから宇宙に逃げた民族で、体は重力の強い惑星での生活のため屈強で、言葉も発声器官の構造の違いから、簡単に交渉できる相手じゃないそうだ」
なるほど。そんな可能性はないわけじゃないのか。
「まあ毒を出すっていうのは噓っぱちだと思うよ。そんなのモンスターだ」
そんなことを言ってから、ナッツはまた喫茶店「それいゆ」に行こう、と言いだした。なんでまた、と聞くと、マリスさんにもシズカ一門がニセ医学を叩きのめしたことは伝わっていて、それならタイミングよく食事に誘えるんじゃないか、という下心ピュア100パーセントの理由だった。
喫茶店「それいゆ」は、店内に貼られていたポスターを撤去し、落ち着きを取り戻していた。マリスさんはすっかり傷が回復していて、忙しそうにオーダーをとってまわっている。
「あ、ナッツさん!」マリスさんは俺たちに話しかけてきた。ナッツはちょっと緊張した顔をして、
「あ、あの、マリスさん、こんど一緒に」と、頑張って言葉を絞り出した。
「ありがとうございます、これで結婚式を挙げられます。傷のせいで先送りになってたんです」
予想外の反応。ナッツは目を点にしてしばらくあうあうしたあと、
「コーヒーがしょっぱいぜ……」と言ってコーヒーをすすった。
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