第8話 最後の勇者の最期

 LIVE FOR HUMAN 外伝~生きとし生ける者~の最終章です。




 『勇者』としての使命を全うしたラルフは、今度はただの『人間』として人々を救う旅に出ていた。


 旅の途上で出会った運命の人。待ち受ける『人間』としての試練と戦い。そして最後の勇者だった者の最期。彼の最後の想いは――――




 ラルフの物語は、LIVE FOR HUMANはこれにてひとまず完結いたします。




 ここまで読み進めていただいた方は、どうぞ最後まで見届けてください。


 キャラクター紹介


 ラルフ……宝玉『憎悪の泪』奪還一行のリーダーで、この世界で『最後の勇者』となった青年。


 憎悪の泪から蘇った魔王を仲間と共に打ち倒し、世界を救った後、消息を絶つ。

 勇者だった頃は常識家で冷静。勇者特有の光の英気を纏い、不屈の闘志で潔い、強靭な精神を持つ青年だった。


 年齢は二十歳だが、勇者にとって年齢や性別は飾りのようなもので、意味を為してはいなかった。原初の勇者・トライズを父祖と思い、尊敬している。


 トライズ……この世界に現れた『原初の勇者』。太古の昔に人々を魔王から救う為に立ち上がった人間。二十歳。


 だが、魔王を倒した後、人間の醜い本性を目の当たりにし、人類に絶望。彼の心は憎悪で満たされ、新たな魔王に取って代わってしまう。


 宝玉『憎悪の泪』に封印されていたがラルフたちの前で蘇り、死闘の末、敗れ去る。

 彼自身は死ぬ瞬間まで魔王を自称していたが、凛々しく、潔いその精神は紛れも無く『勇者』であった。

 勇者だった頃に『聖域』で秘術を施し、人類に危機が迫ると、異世界より半永久的にトライズの分身が召喚され、世界を救い続けてきた。だが、最後の分身であったラルフに倒されたことで、二度と『勇者』はこの世に召喚されなくなってしまった。




 最後の勇者の最期






 砂塵が舞う荒野。俺は人里を目指し、彷徨い続けている。


 何故か?


 




 ――――人々を救う為。


 ただそれだけの為に世界を彷徨い、歩き、生き続けている。


 俺は今、少なくとも……その使命感のみに突き動かされて、生きている。





 …………この世に遣わしてくれた天の為に。





 俺の父祖であった原初の勇者・トライズの為に…………。





 『憎悪の泪』の一件の時、俺は人類にとって最悪の災いである『魔王』と戦った。





 そして、原初の勇者・トライズと、悠久の時を超えた邂逅を果たした。





 俺は『勇者』であった時まではトライズの姿見と志を写した分身に過ぎなかった。



 この世界に危機が迫れば、『聖域』を介して天より召喚されて危機から人々を救うべく旅に出かけ……そして危機が去れば再び天へと還る。




 ただそれだけの存在だった。




 人間の姿をしていても、性別や肉体的な年齢はあっても、『人間』にはなれなかった。


 言ってしまえば、危機が迫れば世界を救う。危機が去れば消え逝く。



 そんな機械のような存在だった。





 だが、『魔王』と化した原初の勇者・トライズと出会った時、彼は救うべき対象――――人間へのはげしい憎悪に包まれていた。



 彼が立ち向かった災厄・『魔王』。それは他でもない、人間の精神が作り出した存在だった。





 人間がこの世に生まれてから未来永劫。決して尽きることの無い――――悪意。





 憎悪に始まり、虚栄、偽善、堕落、悲哀、傲慢、嫉妬……人間の持つありとあらゆる負の情念が形を成したモノこそ『魔王』だった。






 それは、突き詰めれば破滅への願望。




 人間が互いに傷付けあい、滅ぼしあう死と殺意の塊。





 人は、自らの意志で人を滅しようとしていた。





 トライズは、一度は人の為に生き、人の為に立ち上がったが……当時の魔王を倒した後に、人間の本性を垣間視た。




 負の情念に染まり、愚かな行ないを未来永劫、完全に滅びるまで続けようとする人々。



 トライズは深い絶望と失望に駆られた。





 そして……彼はその魂を継承し、新たな魔王となってしまった。魔王と化して、人間を速やかに無に還す。


 それが己に出来る、せめてもの人間への『救い』と信じてしまった。




 そして『憎悪の泪』に封印された後、時が過ぎ……勇者が人間を救うというシステムは伝承されつつも、俺の代で魔王と化したかつての勇者・トライズを打ち倒した。





 勇者に代々伝わる光の英気オーラを以て、トライズの憎悪で膨れ上がった悍ましい力を浄化した時、彼はかつての勇者へ戻った。




 だが、人間への憎悪は尽きること無く、彼は剣を取り、たった独りで人類を滅ぼすという意志を変えなかった。



 だから、俺は彼を止める為にとどめを刺した。







 俺は苦悩した。






 衰弱していたとはいえ、あのまま生かしておけば、トライズは再び魔王となり、人に仇なしたかもしれない。





 かといって死なせてしまえば、勇者の伝承術、つまり半永久的に人類を救うシステムは完全に消滅し、もう人を守る存在は無くなってしまう。





 俺は、人の可能性を信じ、後者の行動を選んだ。





 人が憎悪に屈せず、自らの意志で自らを守る僅かな可能性に賭けた。





 俺は、勇者としてのトライズを誇りに思っている。






 彼がどんなに『魔王』を自称しようとも、人間へと戻った状態の彼の潔さ、意志の気高さは『勇者』のそれだったからだ。





 何より、俺はトライズが好きだった。






 俺を含め、機械のように生まれくるトライズより後に召喚されし勇者。それは生殖能力も無いし、老いることも出来ない。そんな存在に果たして『家族』『祖先』という概念があるかはわからない。




 それでも、俺は信じたかった。




 トライズこそ俺の父祖なのだと。




 俺をこの世に産んでくれた原点なのだと。





 俺はトライズとの邂逅を果たした時、それまでの彼の全てを感じ取り、知った。



 勇者としての精神はもちろん、魔王としての精神や人間への絶望も。





 それでも、俺は……人間の業の深さを知りつつも、魔王にはならなかった。





 俺はまだ、人間を信じていたい。





 『憎悪の泪』の一件で出会った仲間たちは、皆とても人間臭かった。





 悩み、苦しみ、過ちを犯し、誰かを呪い……それでも、必死に生きていた。





 人間は愚かだ。それはトライズ同様肯定する。





 だが、俺はその仲間たちの生きる姿を見て、とても愛おしく思えた。






 人の持つ悪意。傲慢さ。弱さ。脆さ。ずるさ。度し難く醜い本性。





 それらを抱えながらも生き続ける勇気。ひたむきさ。




 その姿こそ、俺は何よりも美しいと感じた。



 トライズとは違い、幸運なことにその体験があったから俺は人間を信じたくなった。人間を愛したくなった。





 守らなければならない。俺は、俺自身が愛したいと思った、人間たちを。






 そんな俺の願いが天に通じたのか、俺は今、荒野を歩いている。




 勇者として永遠に消え去るのではなく……俺が愛するべき『人間』として再びこの世に生を受けて、歩いている。





 何故システムごと消え去るのではなく、人間に生まれ変われたのか? 




 それは俺にもわからない。




 だが俺はこう考えている。





 天は、父祖であるトライズは、俺を愛してくれている。





 と、同時に試されている。





 俺が真に人間を愛し、人間の為に生きられるのかを。





 その為に天は勇者の身体ではなく、人間の身体を俺に与えてくれた。だから、俺も人間の為に生きねばならない。





 人間として、人間を救う。




 その為に、何処へでも世界を流れていきたい。











 ――――しばらく歩き続けていると、砂塵の中に影が横たわっていた。





 近づき、よく見ると……それは旅装束を着てフードを被った女だった。



 意識が無いのか、動かない。




「大丈夫か? しっかり!」




 俺は女を抱き起こした。



 息がある。



 だがよく見ると全身傷だらけ。すぐに治療すれば間に合うかもしれない。




「待ってろ。……ヒール!」




 俺は使い慣れた回復魔術を唱えた。癒しの光が女を包む。





「……!?」

 




 だが、癒しの光はすぐにかき消えてしまった。



 再度、ヒールを唱えてみた。




 やはり、十分に力が表れず、効き目がまるでない。





「何故だ? まさか……いや、ともかく治療だ。これなら!」








 俺は道具袋から特級傷薬を取り出し、女の患部に使った。特級傷薬は高価だが、瀕死の重傷を負った人間をも回復できる文明の利器だ。





 みるみるうちに傷は癒え、出血は止まった。




 女の口から小さな声でうわごとが聴こえる。






「う……うう……み……ず……水…………う…………」





「水か。待ってろ」






 俺は水筒を取り出し、残っている水を全て女に飲ませた。




 これで回復してくれると良いのだが…………。





 数十分が経った。俺は砂埃が舞わない木の下で女を横に寝かせ看ていた。






「うう……こ、ここ……は…………」





 意識が戻った! 




 俺は顔を覗きこみ、女の手を握って声をかける。




「聴こえるか! もう大丈夫だ。俺の顔が見えるか?」





 女は静かに目を開き、俺を見た。徐々に目に精気が戻っていく。






「あなた……誰……? 私を助けたの…………?」




「ああ。大事にならなくて良かっ――――」






 すると、我に返った女が飛び起き、俺の手を振り払った。





「な、何をする? 急に起き上がるのは危ない――」





「どうして助けたの!? 私なんかを……う……」





 女は目眩を起こしたのか、そのまましゃがんだ。






「無理をするな。さっきまで近くで行き倒れていたんだ」






 俺は女の背中をさすろうと手を伸ばした。しかし――――







「……何故、そのまま死なせてくれなかったのよ……! 生きていても、もう仕方がないっていうのに!」





 そう言いながら、俺の手を振りほどいた。





「……なんだと? どういうことだ」






 俺は戸惑いながらも、静かに会話を続けた。






「……この近くに私の町があるわ。でも、もうあの町には二度と戻りたくないの」





 女は額に手を当てながらも、厳しい語調で続ける。





「……私はあの町が嫌で、何とか逃げ出してきたの。でも、駄目だった。十分な旅支度も出来ないまま抜け出してきたから……すぐに行き倒れるとわかった。でも、あの町に残るぐらいなら、もう死んだ方がマシだと思っていたの。なのに、助けるなんて」





「……しかし、君は確かに助けを求めていた。『水をくれ』と言った」




「嘘? 私がそんなことを? ……死んでも構わないって思ってたはずなのに…………」





「……君の本心は生きたがっているんだろう。それとも、生存本能かもな」





 女はフードを取り、髪を掻きむしった。



 ――美しく長い黒髪が露わになる。




 苦渋に満ちた顔をしながら、改めて俺の顔を見る。





「……あなた、名前は?」





「俺はラルフという。君は?」





「……私はサンサーラ。……助けてくれたことは、ひとまず礼を言うわ。ありがとう、ラルフ」





 言いながらサンサーラはゆっくり起き上がる。






「……でも、無駄よ。私はきっと死から逃れられない。多分、あなたも」





 サンサーラは悲しみに伏した目で語る。






「……私の町には……悪魔が来るのよ」





「……悪魔?」





「そう。悪魔。度々襲ってきては、町から食糧も、お金も、女子供も何もかも奪っていく。逆らった人はみんな殺されたわ」





「……それで逃げ出そうとしていたわけか」





「……あなた、旅人か何かかしら? 前の町までどのくらいの距離?」





 俺は、俯き、答えた。





「……かなり遠い。食糧も水も、とても足りないな」




「やっぱりそう。死ぬ運命から逃れられないのね。私も、あなたも。……どうする? ラルフ」





 俺は立ち上がり、迷わず答えた。





「決まっているさ。その、悪魔に脅かされている町に行く。行って、町を救う」





 サンサーラは驚き、俺の顔を見た。






「……無理よ。奴らは集団で来るのよ。町には刃向かえる人なんかいない。殺されるわ。あなた独りで勝てるとでも?」






「勝てるさ。救ってみせる」



「馬鹿言わないで! この……命知らず!」



「救えるさ。俺は――――」




「……何?」




「……いや。旅人だ。だが腕に覚えはある。一矢報いて見せるさ」




「……?」

 




 俺はこう見えても世界を救った勇者だ。



 そう言いかけてやめた。俺はもう勇者ではない。ただの人間だ。



 だが、戦い方まで忘れたわけじゃあない。




「例え俺が悪魔とやらを撃退できなくても、君たち町の人はその隙に外へ逃げるんだ。囮ぐらいにはなってみせる」




「どこにそんな自信が……しかも、私たちだけでも助けるって? ムシが良すぎない? そんなことをしてあなたに何の得があるの……英雄にでもなるつもり?」




「……英雄……なんて、大層なものじゃあないさ。だが、俺は人を救わねばならない。行き倒れていた君を助けたようにな」





「…………はあ……」




 サンサーラは溜め息を吐き、歩き始めた。




「何処へ行く?」





「……私の町へ。どうせ死ぬのなら、やっぱり故郷がいいわ。……ついでに、命知らずの旅人の望みを叶えに」



 ――――

 ――――――――

 ――――――――――――



 サンサーラの案内で、彼女の町に着いた。


 彼女が道中悪態混じりで言っていた通り、寂れて廃墟のような町だった。




 歩き回って見ると、町の人々の反応は皆冷ややかで、すれ違う度に鋭い一瞥を向けてくる。


 虐げられた者が、そうではない者に向ける懐疑や嫉みのような情が篭った目のように感じた。




「あなたが、ワシらの町を救う、ですと?」




 町の人と同じく、冷たい目を俺に向けて町長は言う。




「そうです。俺がこの町を脅かしている悪魔とやらを撃退します。例え撃退出来ずとも、時間稼ぎぐらいにはなってみせます。皆さんはその隙に、この町からありったけの水と食糧を持って逃げてくれ」





 俺は毅然とした態度で答えた。町長の家にいる人々は、町長を囲んで何やらひそひそと話し合っている。





「……わかりました。わざわざ旅の御方が身を呈してワシらをお救いくださるとは……感謝いたします。助けていただいても、何も差し上げられないのが残念ですが……そ、そうだ! 見事悪魔共を退治してくれた暁には、我らの町の名誉民として称えまする。永遠に、この町の勇者としての待遇を約束しますぞ!」





「……礼など、何も要りません。この町の皆さんを救えればそれで結構です。……悪魔が来る頃合いはわかりますか?」





「週に一度……ちょうど、明日の夜明けと共にこの町になだれこんで来るでしょう」




「わかりました。では、俺はそれまで準備をします。皆さんは荷物を纏めて逃げる準備を」




「おお。かしこまりました。早速、宿の手配を……」





「私の家でいいかしら?」





 町長が町の者と話し合おうとしていた瞬間、ずっと後ろで壁にもたれて話を聞いていたサンサーラが言った。




「サンサーラ? いいのか? 俺は別に宿でも……」




「おお。サンサーラや。この御方を泊めてくれるのか。それはありがたい。では、頼むよ」


「……ふん」




 サンサーラは愛想の無い表情で鼻を鳴らし、手招きして町長の家を出た。




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 そうしてサンサーラの誘いで、彼女の家まで来てしまった。ここも寂れて貧しい家に見えた。



「……本当に、いいのか? 俺は宿屋でも良かったんだぞ。わざわざ君の家に泊めてもらわなくても」



「泊める理由があるからよ。あなたに警告する為にね」




 そう呟きながら、サンサーラは壁に掛けてあった狩猟用のボウガンを取り、俺に向けて構えた。



「……町長と取り巻きの話を聞いたのよ。あなたは悪魔たちに勝っても負けてもここで死ぬ」




「…………」





「この町の人は皆、卑怯者よ。あなたを担ぐだけ担いで、用済みになったら殺すつもりなの。もちろん名誉民にする気なんてない。何処かへ逃げる気もない」




「……そんな気がしていた。この町の人々の目。あれは誰も信頼しない人間の目だ。……トライズはあんな目をした人間を嫌と言うほど見たんだな…………」





「トライズ? 誰かしら、その人?」





「あっ……いや…………」





 思わず、父祖の名を呟いてしまった。俺の中のトライズの精神の残り香が、彼の体験した『愚かな人間』の記憶をちらつかせたせいだ。





「……話せば長くなる。俺の言うことを信じて、話に付き合ってくれるか? 俺自身と、俺の祖先のこと……」






 それから俺は、武具の手入れと技の確認をしながら、サンサーラに全て話した。






 俺が『勇者』であったこと。



 『勇者』がこの世を救い続けてきたシステム。



 原初の勇者トライズのこと。




 そして、俺のトライズへの想いと、俺自身に課した使命…………。




 サンサーラは初め、信用した様子も無く緩んだ顔のまま聞いていたが、次第に真剣な眼差しで俺を見ながら聞いてくれるようになった。




「……だから、俺は人々を救いたい。『勇者』としてではなく、ただの一人の『人間』としてだ。それが、俺たちに祈りと共に、呪詛を遺して逝ったトライズの為にもなると俺は思う」





「…………そう」





「これは俺が俺自身へ課した義務だ。試練でもある。天が何の意味があって俺を『人間』へと生まれ変わらせてくれたか……その答えを確かめたい。俺は人の為に生きて……人の為に死にたい」





「そう……例え、その願いが果たされないまま、ここで死んでも?」





 サンサーラは、厳しい語調で俺に訊く。





「それでも、本望だ。志半ばで倒れようと……それが俺の天命だったのなら……」


「……馬鹿馬鹿しい」




 彼女は、顔を背けて言い放った。





「……俺の言うことが信じられないならそれでもいい。俺は使命を果たすまでだ。君は今からでも荷物を纏めて――――」





「あなたの言うことが嘘だなんて思わない。うわついた理想を語って人を扇動しようとする人間が……行き倒れた女を助けたり、そんな真剣な目で基礎訓練をしたりするとは思えない。何より、あなたの想いは真に迫っているし。でもね――」





 サンサーラは歩み出て、俺に詰め寄った。




 ……なんだ? そんなに悲しいモノを見る目をして……。





「――――あなたは、欠片も『人間』らしくない。そんな生き方は人では無いわ」







「…………なんだと?」




「あなたがかつて『勇者』だったことはわかった。聖者のような穢れの無いその志も」




 サンサーラは俯いて続ける。




「あなたはご先祖様と尊敬するトライズと出逢えて、同調シンクロ出来たはず。なのに……本当にわからないの?」





「……なんのことだ?」





「トライズからの教訓よ。本当に人間を、それほど愛するモノに値すると思うの!? 人間は、あなたが思うほど綺麗で尊い存在なんかじゃあないわ!」





 サンサーラは怒りにも似たような感情で……我が子の過ちを叱るような声と表情で言う。





 俺は……そんなに間違っているのか?







「……それは、君から見た主観に過ぎない。君が生きてきた環境がそう思わせているだけだ。俺は人間を救うに値する存在だと信じている。他ならぬ人間そのものになれたからこそ――」






「それこそ、あなたの生きてきた環境よ。『勇者』として生き続けてきたあなたには、『人間』の心や、闇などまだわからないのよ!」






「……!」





 俺が……まだ人間を理解できていない? 人間が救うに値しない?






 それは、『勇者』ではなく、まるで――――






「……俺は意志を変えない。……もう日が暮れるな。さあ、サンサーラ、君は町を出るんだ」




 サンサーラは唇をぎゅっと噛んだ後、目を伏して小さな声で答える。




「…………どうしても、やると言うのね。……もう、わかったわ。少ないけどあなたの分の食糧は残しておくわ」




「ありがとう」





「……寝心地、悪いと思うけど……ベッドは私のを使って。どうせ独り暮らしだし」





「いいよ。俺は床で寝る。すぐに起きて、悪魔たちに対処出来るようにな」





「…………そう」









「サンサーラ――――幸せに」










 そのやり取りを最後に、日が完全に暮れた頃、サンサーラは水と食糧を纏めて出て行った。






 ……俺は、サンサーラが使っていたベッドを見遣った。





 ベッド以外は砂埃だらけなのに、ベッドはとても綺麗だ。





 どうやら、俺が戦いの準備をしていた間に丁寧にベッドメイキングをしていたようだ。




 俺が、ここで休むと思って…………。






 長旅で疲れた俺の身体。自然と一歩、寝床に近づいた。




 だが、さっきの彼女の言葉がよぎった。






「……人間の心がわからない、か……ふっ、確かにそうかもな」






 俺は進めた歩を戻して、玄関の扉の裏に座り、気を研ぎ澄ましながら仮眠を取った――――







 ――――

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 常闇で座り込む俺に、何やら声が聴こえてくる。



 聴き慣れたはずでは無いにせよ、よく俺に馴染む声。




 この声は……トライズか。

 




「本当に人間などの為に戦い、そして死ぬのか。『勇者』……いいや、『人間』ラルフよ……」





 ――我が父祖、トライズよ。それが俺の答えです。



 人を愛することをやめたあなたの代わりに……俺が人間を愛します。




「……愚かな。せっかく私の記憶も精神も読み取ったというのに、まだ理解できぬのか。お前は人間を知らない」

 




 確かに、俺は『人間』を始めて日が浅いです。だが、学んでいくつもりです。




 あなたを父祖として敬っている。





 だが、飽くまで俺は『人間』として生き……己が信じる『人間』の為、天命を全うする。






「……その結果、その身を滅ぼされても、か。やはりお前は馬鹿息子だ。愚直で、冷静に自分と他者を見ようともしない。…………かつての私以下だ」





 かつて人間の身で身体を鍛え抜き、精神を高め抜き、人としての臨界を極め『原初の勇者』と成れたあなたほどに成れるとはとても思いません。





 だが、それでも構わない。




 それで誰かを救え、誰かの為に死ねたのなら、それで天命を終える覚悟です。





「……それがそもそもズレているというのだ。それでお前に、どんな救いがもたらされる」






 何も要りません。人の為に死ぬことが救いです――――






「欲の無い『人間』など、もはや『人間』ではない! このままではお前は――――」




 ――――

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 ――――――――――――



「……はっ」



 気がつくと、声は遠ざかっていった。周りを見渡す。




 サンサーラの家だ。扉の裏に俺は座っている。





「……夢、か…………」





 窓の外を覗き見た。




 夜明け前だ。間もなく、悪魔共はやってくる。






 そして、サンサーラの言った通りなら、ボウガンを構えた伏兵が、悪魔が疲弊した頃合いを狙って俺ごと撃ち殺すつもりなのだろう。







「……行くか」






 俺は静かに立ち上がり、そして身体を入念にほぐし、戦う為に身体を整えた。





「むっ」





 俄かに、外から物音が聴こえはじめた。馬が駆ける音だ。






 ……? 




 悪魔は、馬など使うのか?







 いや、人間の利器や家畜を扱える魔物は少なからずいる。






 疑問に思っても仕方ない。行こう――――






 俺は剣を抜き、扉を開け放った。






 砂埃を巻き上げながら、黒い影の群れが村の入り口から駆けて来る。









「止まれ!」





 俺は道の真ん中に出て悪魔の群れに向けて叫んだ。ひらけた空間、声は十分に響く。






 すると、すぐに悪魔の群れは馬を徐々に止め、俺を確認するように眺めている。





「貴様、何者だ。この町の者ではないな」





 群れの先頭の悪魔が、くぐもった声で俺に呼びかける。





「何者かなどどうでもいい! 俺はただ助けるのみだ! 悪魔に侵されるこの町をな!」




 俺は剣を構え、悪魔に答える。





「用心棒でも雇ったか……愚かな町の衆め。破壊し尽くされねば気が済まぬようだな」






 徐々に砂埃が晴れてきた。悪魔の群れの姿が鮮明に見えてくる。






 悪魔は、黒く禍々しい紋様の刺繍が施されたローブを纏う、なるほど悪魔か死神を想起させる姿をしていた。皆、手に手に剣や槍や弓などの武器を持っている。薬品の類も持っていそうだ。数は三十体ほどだ。





 ――――勝てる。






 戦闘の経験を積んだ者ならば、敵対する者の力量は推して解る。



 数は多いが……俺の奥義、勇者の光の剣技を以てすれば十分に勝算はある。





 俺と悪魔たちの間にビリビリ、と緊張感、そして殺気が高まる。






「もの共、かかれ! この男を見せしめに、この町を完全に支配するのだ!」





 先頭の悪魔が振り下ろした手の合図と共に、後列の悪魔たちから弓矢が放たれる! 



 俺はすかさず身を翻して矢をかわす。そのまま勢いを殺さず、民家の屋根の上に駆け上った。


 悪魔たちは剣や槍を持った前衛と、術や道具の扱いに長けていそうな後衛が俺の後を追う。



「ぜあーッ!」



 先陣の剣使いが裂帛れっぱくの気合と共に俺に斬りかかる。

 俺は自分の剣で受け、そのまま重心を流して剣使いのバランスを崩し、逆袈裟に切り裂いた。


「ぎゃあッ!」



 まず一体。地面に叩き落し撃破。




「野郎ッ」



 後に続いてきた剣と槍使いが五体、一度に襲い来る。これは防御しきれない――――


 俺は敵の初撃に呼吸を合わせて前方にジャンプして縦に回転、五体の悪魔の背後を取って着地し、その背を一度に薙ぎ払った。血を流して絶命、これで六体。



 突然足元が爆発した。遠距離から悪魔が術を撃ってきたからだ。

 バランスを崩す俺を見て、さっきの弓兵部隊が弓矢を射り、遊撃手が無数のナイフを投擲する――――こいつら、なんて無駄の無い連携だ! 仲間が死ぬことも計算に入れた上で動いている。



「うおおおおおッ!」


 俺は放たれた矢とナイフを剣で弾き飛ばす。ぎぎぎぎぎんっ、と金属の鈍い音と共に火花が散る。


「ぐっ」

 


 弾き切れなかった矢とナイフが腕と脚をかすめる――――痛みに呻くものの、大した傷ではない。


 俺は周囲を見る。


 いつの間にか、俺は十体もの悪魔に囲まれていた。一気呵成に剣を持った悪魔が突撃してくる! 




 落ち着け。これは防ぎきれない。




 だが、好機だ。一網打尽にする俺の奥義を――――




「喰らえッ! 輝刃レディアントブレードッ!!」




 俺の奥義・レディアントブレード。光の英気を臨界まで高め、剣圧に乗せて広範囲の敵を薙ぎ払う必殺剣の一つだ。俺の身体から眩い光が放たれる。俺を囲んでいる悪魔たちは注意し、一、二歩退く。




 しかし――――




「!? な……何!?」



 俺は思わず驚嘆した。



 何故なら、いつもなら淀みなく放たれるはずの光の英気が、ふっ、と掻き消えてしまったからだ。当然、剣圧は出ない。


 悪魔たちが再び一斉に突進してくる。




「……くっ!」



 俺はジャンプして敵の頭上を飛び越えてギリギリで攻撃をかわし、路地裏に着地、一旦身を隠すべく走り出す。




「逃がすな! 追え!!」




 敵の猛攻を避けつつ、俺は自分の手を見て……一つの疑問を抱いていた。




「まさか……くそっ」




 その疑問を晴らす間もなく、爆音が辺りを包む。



「多少町を傷物にしようと構わん! 爆薬と術を惜しまず投じろ! ネズミを逃すな!!」



 リーダーらしき悪魔が命令を下す。




「そこまでするか。くっ」

 



 俺は吹き飛んでくる瓦礫を避け、もしくは剣で弾きつつ奴らを迎え撃つ。



 路地裏を抜けたところで、奴らがひと塊で待ち構えていた。薬品を扱う奴と術を使う奴だ。




「はああああーーーッ! 六重神風ゼクスシュツルムッ!!」



 もう一度、光の剣技を使う。



 ゼクスシュツルム。レディアントブレードと同じ光の英気を剣の切っ先に集中し、音速を超える速さの突きのラッシュで敵を叩く必殺剣だ。これは『魔王』との戦いでも使った。



「!?」




 やはり、技を撃てない。微かに光が身体から出るが、すぐに掻き消えてしまう。


 その間にも敵は攻撃してくる。




「ぐっ! うああッ!!」




 敵からの術と爆薬の集中砲火。剣で防ぎきれず、避けることもままならない。爆風を喰らい、俺は大きく吹っ飛んだ。




「く……くそ……やはり、そうか…………」




 全身から血が滴り落ちる中、俺はようやく理解した。




 ――――もう、勇者の力は使えない。






 勇者の光の英気は無くなってしまったのだ。




 考えてみれば、行き倒れていたサンサーラを助けようとした時にも理解し得たはずだ。勇者として最初から備わっていた技や術は、原初の勇者・トライズを倒した時点でもう使えないということに。




 今の俺は、本当に多少剣技を使える程度の『人間』だ。




 ――――くそっ! 迂闊だった! 何故こんなことに気付けなかったんだ。




 ……あるいは、信じたくなかったのか。自分に『勇者』の力はもう無いということを。




「いたぞ! 仕留めろォー!!」




「ぐっ…………うおおおおおおおーーーーッッッ!!」



 俺は破れかぶれで咆哮し、己の肉体の感覚だけを頼りに悪魔たちに突撃した――――





 ――――

 ――――――――

 ――――――――――――




どれくらい時間が経ったのか。




辺りは気が付けば黄昏空。夕刻だった。




俺は、膝をつき満身創痍になりながらも、数える余裕など無いものの、二十体近くは倒した。




「まさか、これほどの手練れが来るとはな……同胞を…………よくもここまで殺してくれたものだ……!」




 リーダー格の悪魔が怒気を込めて呟く。



 俺は残った十体ほどの悪魔たちに完全に追い詰められた。そこに、逆上した一体の悪魔が斬りかかって来た。




「よくも、よくも仲間を! うおおおーーッッ!!」




「ぜえっ……ぜえっ……でやああああーーーッッ!!」

 



 俺は息も絶え絶えになりながらも、斬りかかって来た悪魔を斬り捨てた。




「ぐあああッ!!」




「!?」




 絶命する悪魔。





「…………そんな…………まさか…………」





 俺は、とんでもないことに気付いた。気付いてしまった。











「……こいつらは…………人間だ…………悪魔ではない…………」






 ――――悪魔たちは、人間だった。それも、年若い者がほとんどの。







 俺は、最も守りたかったモノを、この手で殺していたのか――――








「ついに貴様の最期だな! ……かかれ――――がっ!」






 突然、リーダー格の男が号令を発しようとした瞬間、呻き声と共に馬から崩れ落ち、絶命した。






 その男の喉を――――ボウガンの矢が貫いていた。







「旅の御方。よくやってくれた。ここまで数を減らしてくれれば、もう十分だ」






 伏兵と共に、町長が悪魔――――否、人間の賊たちの後ろから現れる。






「き、貴様、町長! これを狙っていたのか!?」





 賊の一人が訊く。







「左様。もっとも、ワシらが倒しきれないほどしか頭数を減らせないようなら、もう少し潜んでいるつもりだったがな。もう大丈夫。もう用済みだ。悪魔共も……ラルフ。貴様も」






 町長と、伏兵たちがボウガンで俺と、賊たちに狙いを定める。






「冥土の土産に教えよう、ラルフ。この悪魔共は、かつてのこの町の住人…………何の楽しみも無いこの町に嫌気が差して賊に身を落とした若造共じゃ。ワシらを厄介者として搾取してきたのじゃ。今こそ、悪魔共を根絶やしにする時!」




 賊たちがざわめき、口々に叫ぶ。





「何を言いやがる! 町にいた頃は散々俺たちをつまらねえ労働にこき使いやがって!」



「そうだぜ! 若い俺らがこの町に住んで何が悪い!?」



「死ぬのはてめえらジジババ共だ! 俺たちにこの町を譲りやがれッ!」





「ええい、黙れ、黙れ! 勝った者が正義だ。消えるのは貴様らならず者共だ!」











 ――――飛び交う怒声。











 自分たちのエゴをぶつけ合うのみ。











 行動原理は力で互いに支配したがる一念のみ。











 ――――俺は…………こんな人間を救おうとしていたのか?











 こんな身勝手な連中を…………。

 










 ――『ようやく理解したか。ラルフよ』




 頭の中に、トライズの声がこだまする。




 「如何にお前が愚かだったか、わかったであろう。


 人間とは……これほどまでに業が深い生き物だ。救えぬ。救うに値せぬ」











 そんな……違う…………人間全てがこんなはずは――――











「救うに値すると決めた人間を百歩譲って救うのは良しとしよう。

だが……ただ救われるだけ、施されるだけの人間が如何に脆く、弱いモノか。お前は人間を『救う』だけで、『導く』ことを考えなかった」











 違う……俺は…………そんなわけが――――




「何も違わぬ。人間の多くは助けを請うばかりで何もしない。人は正しく、清く治めてもやがて自滅する――」











「ぐうぅっ! があああッ! でやあああ!!」











 俺は無我夢中で剣を振り、賊たちの間を押し通り――――そして限界が来て、倒れこんだ。





 町長率いる町の老人の群れと、かつて町にいた若者たちの群れに挟まれる形になった。










「はあっ…………はあっ…………はあっ…………」







「ほほう? 今更、その悪魔共を救うのか、ラルフ? いいだろう。ならば望み通り、貴様から先に――――」











「哀れだな、ラルフよ。それがお前の最期か。人はたった独りでは誰も、何も救えはせぬ。

お前はもう『勇者』では無いのだ。我が『勇者』の力に依り縋っていただけで、お前は慢心しておったのだ。


口惜しいか。切ないか。憎いか、ラルフよ。ならばお前は――――」











「…………みんな、もうやめて!」











 町長側の群れから女が――――サンサーラが飛び出し、俺をかばった。




「サンサーラ。何をする。お前もこうなることはわかっていたじゃろう」





「この人は関係ないでしょう! だったら、もう見逃してあげてよ!」

 





 サンサーラは両手を広げ、嘆願する。





「この人はただ助けたかっただけよ! こんな町を! こんなにも醜い私たちを! 何の罪も無かった! そんな人を……こんなのって…………無い…………」





「情に駆られたか。今更、世迷言を……お前は若い娘。ワシらに尽くしてくれるじゃろうから見逃してやった恩を、フイにしおって」


 









 俺は――――無力だ。



 誰も救えない。




 もう、勇者にもなれない。











「何がこの町の為、よ! 互いにいがみあって……傷付けあって……悪魔なんて、私たちのことじゃない! 人間じゃあないわ、私たち…………!」











「そうだ。ラルフ。お前はもう『人間』ではない。だから私と同じように――――」












「俺は……もう『人間』になれないのか…………『救う』者などどこにも居はしないのか」




「ラルフ!?」







 俺の身体から覇気が消えた。



 同時に、赤黒い邪気が立ち上り始めた。





 俺の目から、真紅の眼光が放たれる――











「な、なんじゃ、こいつは!? まさか、こいつこそ本物の悪魔じゃったのか!? ええい、撃て! 撃ってこの――」











 サンサーラはボウガンを撃った――――町長の胸に。心臓に直撃だった。











「ラルフ! 駄目よ! 『魔王』なんかになっちゃ駄目!!」











「…………」











「あなたの信じる勇者は誰!? トライズでしょ? 魔王なんかじゃあない! あなたは――――人間よ! 私と、同じ!」











「……サン、サーラ…………魔王……トライズ…………勇者…………人間…………」











「ひいい! 何だ、あの化け物は!? まるで、本物の悪魔じゃあねえか!」




「こんな悪魔がいるなんて聞いてねえ! やっぱり、この町は呪われているぜ、悪魔に!」




「どうせ、こんだけ派手にぶっ壊したんだ。今更この町に居る必要なんてねえ!」




「そうだ!」





「もうこんな町なんざ、要るもんか! 逃げるぞ、みんな!」





 町の老人たちと、賊に堕した若者たちは共に蜘蛛の子を散らず様に町から去っていった。











「そうよ。去りなさい。さようなら――――悪魔共」






 サンサーラは町を去った人間たちに悪態を吐いた。






「……『悪魔』は去ったわ。あなたは人間を殺してしまった。……でも、もう、私も一緒よ」










「サン、サー、ラ…………」










「だから――――戻ってきて。『人間』として生きるのよ!」






「……あ……あ…………」









 徐々に意識が遠のく――――











 ――――

 ――――――――

 ――――――――――――




 気がつけば、薄暗い中、民家の天井が見える。





 ここは――――サンサーラの家か。俺は包帯を巻かれてベッドの上に横たわっている。





「ラルフ! 気が付いたのね!」





 台所からサンサーラが駆け寄ってきた。






「……サンサーラ…………」





 俺はゆっくり身体を起こした。





「うぐっ……」





 傷が痛む。



 ……外は……夜明け前か。




「丸三日以上眠り続けていたのよ。……ラルフ。私たちの為に戦ってくれて、本当にありがとう…………」










「……俺は…………何の為に戦ったんだ…………俺は、ただ……守るべき人を殺しただけだ」






「違うわ、ラルフ!」










「サンサーラ…………教えてくれ…………」




「………………」





 俺は顔を手で覆った。











「俺は……何なんだ……『勇者』か。『悪魔』か。それとも…………全てを憎む『魔王』かな…………?」











 サンサーラは俺の手を取り、強く握り締めてこう言った。











「あなたは――――『人間』よ! 私と同じ!」






 サンサーラの涙が、俺の手に落ちて流れる。










「『人間』は救えない善でも悪でも無い! ただ、間違いを繰り返してしまうだけ! 『人間』は間違いを犯すの! あなたも! 私も! だから――――」











 ――――サンサーラは、俺を強く抱き締めた。











「――――一緒に…………生きましょう。生きていきましょう。この町で、あなたと私の二人で…………幸せになりましょう!」







「サンサーラ……でも、俺は……トライズの意志を受け継いで――――」




「人は、幸せになることで『人間』の……人の為に生きたことになるのよ! 私、あなたに言われて気付いた」





 サンサーラは俺の目を真っ直ぐ見ている。





「世界の……全ての人を救えなくたって、いいじゃない。自分と、自分の大切な人と一緒に、幸せを目指して……手を取り合って生きていく。それが『救い』よ。少なくとも…………私にとって――――」







 サンサーラは、もう一度強く俺を抱き締めた。






「サンサーラ…………」






 俺は、サンサーラを抱き返した。












 ――――生きよう。



 この腕の中の人の為に。





 俺を抱き締め、そして抱き返している――――『救い合い』『救われ合う』人の為に。








 ――――窓から射し込む朝日の光が…………まるで救いの光のように俺たちを照らしていた――――











 ――――

 ――――――――

 ――――――――――――




 怪我が治ってから俺はサンサーラと共に生きることにした。





 まずは、食糧が尽きる前に畑を耕し、牛馬を馴らすことから始めた。元々土壌が貧しい土地。作物を育てるのは苦労する。




 だが、二人で生きるには十分な広さの町だった。






 毎日、食事を彼女と共に摂った。











 そして初めて知った。











 誰かと共に生きることが、剣を取って敵と戦うよりも――――世界全体を救うことよりももっと、温かで、充実していて――――幸せなのだと。






 町を修繕した後は、新たな町の住人を探した。



 旅人を誘い、時には遠くまで出かけていって。




 家畜や生活に最低限必要なモノもあちこち駆けずり回って何とか集めていった。






 何年も……何十年もかけて…………大事なことは全てサンサーラと共にこなしていった。






 徐々に町の住人は増え始めた。











 俺とサンサーラの間に……『勇者』の身体では作れなかった、子供も産まれた。





 町がコミュニティとして機能し始めてからは、みんなで知恵を出し合って、町を住みやすくする為に福祉や施設、教育や産業を作る為に全力を尽くした――――












 ――――――――

 ――――――――――――――――

 ――――――――――――――――――――――――――――











 時が流れた。






 長い長い年月が流れた。











 俺は、サンサーラと過ごした家のベッドに横たわっている。





 俺はもう寿命を迎えていた。



 顔中、シワだらけだ。両手はごつごつと荒れ果てている。何十年も汗を流して働き続けた結果の手だ。



 年下の町の人たちは『勤労の証。美しい手だ』と言ってくれる。





 時には町を守る為、剣を振るった。だが、賊が攻めてきても可能な限り争いは避け、説得を試みてきた。



 金目の物を渡して退かせたりもした。




 どうしても襲い掛かってくる相手は、戦う力を削ぐ程度に傷め、そして町への定住を勧めてきた。多くの者は納得してくれて、腕力を町の人々の為に役立てることを約束してくれた。





 ――――どうあっても他者を傷付けることをやめない者もいた。集団でかつての賊たちのように攻め入る者たちもいた。



 その時は町の人間全員で『人間の壁』を作り、退けてきた。幸い、今も何とか町は存続している。





 町の人が病気や怪我で死んでしまった時は、俺とサンサーラは進んで葬儀を催し、死んだ人の親類と共に涙を流した。











 ――――そして、俺も送られる側になろうとしている。






 外からばたばたと走りながら騒ぐ子供たちの声が聴こえる。そして勢いよく玄関の扉を開けて飛び込んできた。










「――――ラルフおじいちゃん! 来たよ!」





「こら、マルコ。騒ぐんじゃありません。――――母さん。とうとう……来てしまったんですね。この日が……」




 俺を「おじいちゃん」と呼んでくれた子…………孫は心配そうな顔をして、その母、俺の娘は悲哀に満ちた顔をしている。




「マルコ。よく来てくれたわね。おじいちゃんも喜んでいるわ。――――あなた。わかる? 親類はこれで全員よ。町の人たちも沢山来てくれたわ。」











 サンサーラも歳を取った。







 しわくちゃの両手で、俺の手をずっと握っている。










 町医者も傍にいるが、もう手は十分に尽くしてくれた。『共に生きる』という俺の意志が……ここまで生きながらえさせたのかもしれない。





「ラルフさん。私はこの町に来て三十年。まだ借りを返し切れていません。本当にすまな……いや、ありがとう」






「サンサーラおばあちゃん。ラルフおじいちゃん、どうしたのー?」




「おじいちゃーん」











 ――――数え切れないほどの人々が……俺たちと共に生きてくれた人たちが、集まってきている。











 ――――俺の臨終を見る為に…………。




「……ラルフは、もうご臨終がすぐそこまで迫っています。皆さん。しっかりと傍に居て……見守ってあげて」




 共に年老いてきたサンサーラが促し、沢山の人がベッドに横たわる俺を囲んで、見守ってくれている。











 黄昏の陽が射し、辺りを温かく包んでいる。











 ――――俺は、とうとう天へと還るのか。




 いや、それとも…………この世界の大地で土になるのか。











 ……我が魂の父祖トライズよ。











 あなたは天へ行けたのか? 











 それとも、まだ俺の魂と共に在るのか?











 ……もしも、共に在るならば…………『勇者』でも『魔王』でもなく、『人間』として病に伏せられて……




老いることが出来た俺の周りを見渡してみてください。








 どうでしょうか? 







 あなたへの『救い』の為に十分、俺はやれたでしょうか?






 本来ならば、あなたが手に入れ……俺が手に入れられるはずもなかった宝物が、ここにあります。











 もう少しで、俺もあなたと共に旅立ちます。肉体は朽ち、魂はここに居る全ての人たちの中に在ります。











 あなたと俺が『ただの人間』として生きた証は、この町で生まれた子の中に残り続けます。











 どうか、最期にしっかりと見渡してみてください。











 これが……あなたが憎み……そして、俺が愛した人間たち…………。












 俺の…………。












 俺たちの……家族です…………。












「サン……サーラ…………みん、な…………本、当に…………今まで…………ありが……と……う…………」












 そう呟いた瞬間。俺は幻を見た。












 窓辺にとまる、白鴉はくあの影に…………トライズの面影を見た。











 トライズは、頷き、微笑んでくれた。


 










 俺は――――静かに目を閉じた。











 心地良い温もりに抱かれ、眠りに就いた。












 白鴉は楽しそうに歌いながら、やがて飛び立っていった。












 町を飛び出し、この世界のどこまでも蒼い、空へ――――



 最後の勇者の最期 END

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