Break the rules-04



 時間はもう9時。日付変更線でも跨がない限り、電話を掛けても迷惑にはならない。顔を合わせているから、私の事は覚えてくれていると思うけど。


 もし、エミーさんが亡くなっていたら。私はなんて言えばいいの?

 ルーカスが泣いていたら、ご両親が泣いていたら。いっそ不倫を暴かずにいてくれたら……そう言って私は責められない?


『どうした』

「……相手の状況が分からないのに、何と言われるか」

『病院に電話すればいい、教えてくれなければ病院に行くかだ。受付で見舞いだと言えば、入院中かそうでないか、病室が何号室かくらいは教えてくれるだろう』

「……そうね、病院に行く」


 病院への電話の方が簡単なのは分かる。だけど「エミーさんはどうなりました?」なんてとても聞けない。

 家に電話してもお葬式を済ませていたとすれば、今更何? と思われる。

 親しいはずなのに、葬儀に出ていないなんて怪しすぎる。


 それに目覚めてくれてたとしたら、それはそれで……説明できない事態になっちゃう。

 アレックスさんの件で考えると、エミーさんはきっと私に関する記憶がない。

 ルーカスやご両親は分かるだろうけど、エミーさんの知り合いじゃないと分かれば不審者扱いされそう。


「プス、あなたはお留守番。いい?」

「……」

「沈黙は肯定よ。そこに水がある、ミネラルウォーターだから安心して。キャットフードはあんたがカリカリしか食べないからいつものやつ」

『雷が鳴っているというのに、大丈夫か』

「大丈夫なわけないでしょ」


 雷なんて、音だけでもダメ。昔は稲妻を写真に収めようと、1時間スマホを構えて待ち続けてたというのに。

 でも就職活動が上手くいったとして、今日は雷が鳴っているからお休みします、なんて聞いてもらえるわけがない。


 克服しないと、私は雷に撃たれる前より不幸な人生になってしまう。


「私以外の他の人に落ちる事を願うばかりよ。……って、今までの私なら言ってた」

『……進んで自ら撃たれようというのか』

「まさか! 私は自己犠牲論大嫌いなの。他己犠牲大歓迎」

『……』

「じゃなくて! 他に落ちるところがあるでしょ? 不倫した男とか、潰れたテーマパークの観覧車とか! それを全力で願いながら歩く!」





 * * * * * * * * *





「……はい、チップも合わせて20ドルで」

「おい、シートが濡れちまうだろ、早く降りろ!」

「はぁ? 濡れるのを気にするくらいなら、このきったないシートをなんとかしてから言えば?」


 家から出てバス停まで傘を差して歩くつもりだった。だけど辺りが光り、雷が鳴った時点でもう駄目だった。

 結局すぐ近くのタクシーに飛び乗り、病院へ。


 この2週間程はずっと余計な出費の連続。でももう慣れたというか、吹っ切れた。きっとこれは今まで掛けてこなかった優しさの金額。まだ払える金額で良かったわ。


「もう、バスなら2ドルくらいだったのに!」

『それくらい、恋人が目を覚ませば取り戻せる』

「ええ、そうね。ディヴィッドの親が改心して、私が恋人の座に戻れたら、帳消しどころか追加料金まで払ってやるわ」


 今日はさすがに雨だからブーツにしたけど、中途半端に濡れた紺色のハーフスカートを見て、パンツにしなくて良かったなと思った。

 土砂降りの雨の中、濡れたジーンズを穿き続けるのは不快だし。


 前回来た時は、ルーカスと外のベンチで待っていたっけ。病院の建物には入らなかった。


 中に入ればエントランスの奥に受付があり、受付前の椅子には老人がいっぱい座っていた。


「病院が憩いの場になってるのか知らないけど、ああいう会話はどうなんだろう」

『ん? 何か聞こえたか』

「今日はあの人を見掛けない。雨だからか、それとも病気でもしたのか、ですって」

『こいつらは何しに病院まで来ているんだ』


 今日は病気だから病院に来られない? どんなジョークなの。


「すみません。あー……ちょっと入院している友人のお見舞いなんですけど」

「はい? どなたの」

「エミー・ブラウンさんです。数日前に来たんだけど、病室を忘れてしまって」

「少々お待ち下さい」


 ナースが調べてくれたのは、外科棟の2階だった。案内図を見ると、私達が座ったベンチを見下ろせるような場所。


 節電なのか、ちょっと薄暗い廊下を歩けば、1218号室はすぐ見つけられた。


「……エミーさんのリミットは過ぎているわ。死んでいないという事は目覚めたって事よね」

『そうなる。そこまで分かればいいのではないか』

「ううん、せっかくだから話をしてみる」


 私はエミーさんの病室をノックし、そっと扉を開けた。聞こえてきたのは聞き慣れた女性の声。


 そこにいたのは白い肌、金色の髪の女性。ルーカスと一緒に見た写真の儚そうに微笑む女性と同じだ。でも、実際に会ってみると、私の記憶力を疑うくらい元気そうな女性だった。

 ベッドに入っておらず、私服でベッド脇の椅子に座っている。入院中とはとても思えない。


「はい、どなた?」

「あ、あの……はじめまして、ですよね」

「え? ええ。何か?」


 やっぱり、エミーさんは私を覚えていなかった。

 予想通りとはいえ、やっぱりちょっと残念。でも、事態は残念でしたで済むものじゃない。


「……ルーカス君やご両親から、私の事を聞いていませんか。ジュリア・カイトと言います」

「あっ、あなたが」


 エミーさんは私の事を聞いていたみたい。まあ、夫の不倫を暴いた女の存在をご両親はともかく、ルーカス君が黙っているとも思えないし。


「ルーカスが言ってたの。おねーちゃんが助けてくれたって。誰? 何を? って聞いたら、お父さんの事を教えてくれたって」

「え、ええ。ごめんなさい、先に謝っておきます。あなたの友人だと、嘘をつきました。なぜこんなことをしたのか、説明させていただけるなら」

「……もちろん。こっちはお礼を言う立場だから。明日退院なんだけど、もうすることもないし、この雨じゃ両親も来ないわ」

「あの、ルーカス君は……」

「うちに両親が来て見てくれてる。夫は追い出されて義実家」


 エミーさんは事態に付いていけないとでも言いたそうに困った笑顔を見せる。私は正直に全てを話して聞かせた。


 エミーさんは終始疑わしそうな顔をしていたけれど、犬の話になった時には目の色が変わった。


「誕生日に犬を飼ってあげようかという話は確かにしていたの。夫は全く覚えていなかったみたいだけど。ルーカスには秘密にしていたし」

「……あなた本人から聞いたんです。旦那さんの不倫を知ったのもあなた」

「目覚める事の出来ない私が、あなたに旦那の不倫を暴いてくれと頼んだ……そんな事が。目覚めたのはちょうど50日後だし、確かに辻褄は合う……けど」


 ルーカスとは、来週犬の譲渡会に行くんだって。旦那の不倫については流石に知らされて驚愕したと言ってたけど。

 ルーカスに残した手紙の事、稼ぎをベッドの下に隠していた事、それら全てを明かしたら流石に信じてくれた。


「私、意識がない間、そんな事を……実感は全くないけれど、色々有難う。旦那とは離婚するつもりよ。私が大変な時に女を作って見舞いにも来ないなんて許せないし」

「それは意識がなかった時のあなたの決断と変わりません。いいと思います。あなたは魂を刈らず、自分の力で目覚めたの、私は何もしてない」

「支えてくれたのはあなたよ、優しいのね。あなたの恋人もきっと目覚めるわ」

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