Break the rules-02



 少しだけ、時が止まっていたのかもしれない。

 私もブラックも、事実が何を意味するのかを理解できていなかった。


 死神になってから50日が経てば、肉体は死を迎える。

 死なないためには愛する誰かに死神の鎌を振り下ろすか、その他の5人に鎌を振り下ろし、魂を手に入れるかしかない。


 まさか、アレックスさん……誰かの命を?


「ブラック、どういう事?」

『分からない。というより、ジュリアがその死神を助けた時、俺は傍にいなかった。状況が分からない』

「傍にいたのに分からない私は一体何なのよ」


 娘のレベッカさんが嘘を付いているとは思えない。彼女が言う通り、アレックスさんは目覚め、退院できるくらい回復したんだと思う。


 でも、そうなると死神の言っていた事と矛盾するよね?

 どうして誰の魂も刈っていないのに目を覚ますの?


 いつの間にか子供の姿はなくなり、視界は薄紅色に染まっていた。

 アイスクリーム屋のワゴンが噴水の前を通り過ぎ、公園を出ていく。もう間もなく良くない子や良くない大人の憩いの場になる。


『他の者達はどうなんだ』

「えっ? 他の……人?」

『何人かは家族に会っただろう。聖アンナ中央病院にも1人いたはずだ』

「アンナって名前は聞きたくない。だってエミー……エミーさん、どうなったかしら」


 エミーさんのご両親の電話は分かる。私のスマホから掛けたから。もしかしたら……?


『俺が病室を確認して来ようか』

「病室聞いてない。写真はチラッと見たけど、エミーさんの顔を見ても分からないの。明日家に行ってみる」


 ブラックは嘘をついてない。他の死神も、魂を刈る事が生き返る唯一の方法だと信じている。


 って、……信じさせてるのは、誰?


 2つの事を同時にやるのは得意じゃない。考えながら夕食なんて作ってたら、どんな怪食になるか。

 私はプスをいったん家に置きに帰った後、ファストフード店でハンバーガーとサラダを買った。


 段ボールのままだった荷物はすっかり片付いた。ルームシェアだったから私物はそんなに増やしていなかったし、服も結構処分したから、やる気を出せば1日で終わっちゃった。


 テーブルに皿を置き、ハンバーガーにかぶりつく。サラダ用のフォークでベーコンを突いていると、昔ディヴィッドに言われた事を思い出した。


「私さ。ディヴィッドと付き合ってすぐの時、ハンバーガーを食べに行ったの」

『それで』

「私、その時は可愛い女だと思われたくて。頼んだのはサラダとヨーグルトだった」


 ディヴィッドは顔良し、スタイル良し、性格良し。当時経済力までは分からなかったけど、他人からはどうせ分からない。

 私は周囲の誰もが羨み妬むような立ち位置を手に入れていた。


 最初に声を掛けてくれたのはディヴィッドだった。だけど、私の方が彼を好きだとハッキリ言えるくらい、私は必死だった。


 ディヴィッドの好みに合わせようとしたし、とにかくいい女でいたかった。少なくとも私が思い描くいい女は、小食で健康志向で、口を大きく開けて食べない。

 上品で、物腰が柔らかく、思わず守りたくなるような女。


 そんな女を演じるためには、ハンバーガーじゃなくサラダである必要があった。

 でも、元々上品じゃないから、発想だって貧相なもの。


「サラダに美味しそうと微笑んだ私に、ディヴィッドは噴き出して笑った」

『笑われるような事をしたのか? 続きが聞きたい』

「何で笑われてるのか、全然分からなかったの。訛りもないし、サラダの盛り付けは雑だったけど、おかしなほどじゃなかった」


 ディヴィッドの笑いは、困ったような、呆れたようなものでもあった。私はそれにちょっとイラっとしたっけ。


「女は最初のデートで必ずサラダを食べる決まりでもあるのか? 儀式か? ですって」


 私と出会う前に何十人と何百回デートをしたのか分からないけど、ディヴィッドの前で初心な女を演じた私は、見事に失敗した。

 そう、彼はサラダを好んで頼む女性を大勢知っていて、別れていて、もはやそれが何のアピールにもならないって事。


「私はその瞬間、おしとやかで可憐な女である事をやめた」

『まるでそれまでおしとやかで可憐だったとでも言いた……おい、睨むな』

「ディヴィッドと絶対上手くいってやる、いつかは結婚! なんて思いが一瞬で吹き飛んでた」

『でもその後も付き合っていたのだろう』


 その時を見ていないブラックには分からないでしょうね。

 あの事件は、私が他の女のように短期間で捨てられない事が決まった瞬間でもあった。


「私はディヴィッドに文句を言った。好きな男に好かれようと必死な女に対してその言い方? ってね。文句言って愛想尽かされても、それはそれで仕方ないと思った」


 実際はもっとひどかった。


 どれだけモテても、結局何十人と上手く行かなかったんでしょ? 女心を学ぶ気にならないなら、私もその上手く行かない女のひとりでしかない。


 そう言って、私はサラダをディヴィッドに渡し、ディヴィッドのハンバーガーを横取りした。


「肉を頬張る女より、小食でサラダをちまちま食べる方が絵的に綺麗でしょ? 彼氏として、上品な女の方がいいでしょ? って言ったら、ディヴィッド何て言ったと思う?」

『……答えをどうぞ』

「俺のためにサラダを食べてくれて有難う、と言えばいいのか? ですって!」


 その時はホントムカついた。でもその言葉で、なんとなく分かった。


 ディヴィッドは色んな恋人や友人から、ずっとアピールされ続けてたんだ。好意を押し付けられてきたんだって。


 周りの思い込みと、ディヴィッドの望むものは違ったって事。


 オレンジ色の長椅子、向かい合って座る私達。午後のちょっと薄暗い店内、お客はまばら。あの静かな店内を今でも覚えてる。


 多分、私とディヴィッドの声が一番大きかった。


「そこで、私は作戦を変えた。この人、上品とか可憐さとか、女にそういうの求めてないんだって思った。だから、本当の自分でいる事にした」

『そうしたら、どうなった』

「自分磨きはするべきだ。でも俺の為だと言って勝手な我慢をされても困る。そう言われた。女心全否定でガックリ」

『何で女はサラダを食うのかというのは、多くの男が思っていそうだ。俺もそう思っている。同じ値段でチキンを食えるじゃないか、どうせ無理しているんだろと』

「うっそ!?」

『末永く一緒にいたいなら、我が振りを直す努力は必要だろう。でも相手を欺く必要はない』


 言ってる事は分かるけど。男心って難しい。


「だからハッキリ主張して、感情を隠さないようにした。そしたら分かり易くていい、ですって。私の二十数年は何だったの」

『……幸せだったんだな』

「ええ、そうね。幸せだった、それはディヴィッドの名誉のために言っておく。私は彼にとっても幸せを与えてもらった。そうじゃなきゃ、今こんな必死になってない」


 ……そうだ、聞かなくちゃいけない事があるんだった。


「あー、ブラック。色々聞きたい事があるの。答えられない事もあるだろうけど……」

『俺の昔話なら断る』

「話してくれると思ってない。ねえ、どうして死神は魂を刈らないと生き返れないと思ってたの? まさか、私のサラダ事件みたいに勝手な思い込み?」


 死神とは魂を刈るものだ、って。


『……死神には俺達のような奴の他に、俺達を束ねる真の死神がいる。そいつに言われたんだ。……そうだな、ちょっと話を聞いてくる』

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