Operations-10



 エドワードの顔色が変わった。真っ青どころか、まるで土色。私の口から出るはずのない名前だと思っているんでしょうね。

 座っている私を見下ろしたまま、その眼には恐怖の色さえ浮かんでる。


「な、何の事だ」

「あら。エミーさんどころかルーカスも知っている事よ。あなたが若い女と不倫しているって」

「はぁ? そんなの言いがかりだ! 証拠はどこにある!」

「スマホ、見せられるよね。SNSのアカウントとメール、やましい事がなければ見せられるはずよ」


 エミーさんに事情を聞いてて良かった。確証があると思わせる発言が出来るもの。

 完全にバレている、言い逃れは出来ない。それを思い知って貰わなくちゃ。


 目の前の男は明らかに焦ってる。酷い顔色、震える唇。ふふっ、今この付近にいる人の中で、一番病院に相応しい。


「お前に何の関係がある! 他人に見せる必要はない! 不倫などするわけないだろう!」

「来月はルーカスを留守番させて旅行? 奥さんは入院中だってのに」

「る、ルーカスを喜ばせるためのサプライズさ。元々妻とそういう話をしていた、だから家族旅行を計画していたってのに」

『してない。夫がPCでチケットを予約したのは大人2枚。ルーカスは大人じゃないし、同乗者名のアンナ・ミラーは私の名前じゃない』


 ああ、もう! 嫌になる!


 どうして自分を守る言葉ばかりそんなスラスラと出るわけ? 目の前にいるルーカスに、ごめんねとか、お母さんの所に行こうとか、そういう言葉は1つもなし?


 目の前に守らなきゃいけない人がいるのに! ……あーその、エミーさんは見えないとしても、ルーカスを大事にするべき時なのが分からないの?


「ルーカス、帰るぞ」

「おねえちゃん……」

「早く来い愚図め!」

「ちょっと、子供になんてこと言うの!?」


 自分の子に向かってなんて言い方! 私だって、こんな私だってそんな罵り方はしないわ!

 そりゃ性格の悪さには自信があるし、相手に文句や悪口を言うのは得意よ? 自分に嫌気がさすくらいにね。


 けれど、私は少なくとも卑怯者じゃないわ。このクソ男みたいに、守るべき人を見捨てて嘘を纏うような真似は、絶対にしない。


「……チケット、2枚しか取ってないよね。大人2枚だよね」

「あ、う、お……お前、何を、どこまで知って」

「そんなの関係ないのよ! エミーさんは夫の優しい声掛けを待っていたの! ルーカスはね、パパがいるから安心だぞって、そう言って貰いたかったの! それが……最後の希望だったのに!」


 ああ、ムカつく! 他人のために頑張ってる、らしくない自分にもムカつく!


「エミーさんの願いよ、ルーカスは絶対に連れて行かせない」

「あ、あんた何かを勘違いしているんだ。来月の旅行にはルーカスも連れて行く、もちろんだ。サマースクールの予約をしてやらなかったのは悪かった、でもその代わりに」

「はーっ。あんた、本当に父親? もしかして人攫いか何か?」


 みんな、私とエドワードの言い争いを遠巻きに見守ってる。まあ、傍から見ればどっちがおかしい人物か分かんないでしょうし。

 もしかしたら、どっちもおかしいと思ってるかも。


 でも……私は許せなかった。私の中にいる私は、まだ良心を持ち続けていた。今この場で私が諦めたら、ルーカスを守ってくれる人はいない。

 周囲の人も事情が分からないから、きっと父親に子供を預けてしまう。


 この場でエミーさんとルーカスを守れなかったら、私はディヴィッドの事も守れない気がする。そんな私は、きっと生きていく事に絶望する。

 エドワードを絶望へ道連れにするのはいい。だけど、ルーカスの手は放してもらう。

 この男がルーカスの事をほんの少しだって思っていないって、分かってしまったから。


 エミーさんが嘘を付いている可能性も、ちょっとだけ考えてた。だけど今のエドワードの態度と発言で、どちらが正しいか結論が出た。


 ハッキリとね。


「ルーカスも? も? って言った? ルーカスのために行くのですらない? あんたそれでも親?」

「何だ。言葉尻で突いて責めて、何がしたいんだこのバカ女!」


 エドワードがベンチの背を蹴り飛ばした。ベンチが僅かにズレて、ルーカスが恐怖のあまりガタガタと震える。

 私は立ち上がり、エドワードを今まで以上にしっかり睨んだ。


「来月、計画、ルーカス。並べて、あなた何も気づかない?」

「なんだ、旅行が嫌なら遊園地にでも行けばいいのか? それとも仲良くお見舞いってか。ああ、いいとも。来月は病室で親子3人水入らずだ」


 ルーカスは泣いている。そりゃ、そうだよね。


「来月、ルーカスの誕生日が来るのを忘れてるの?」

「らいげ……」


 思い出した、って顔ね。

 この男、あといくつ顔色を持ってるの。勝負したらカメレオンが無色になりそう。


「来月は夏休み初日からルーカスの誕生日。計画したのは犬のプレゼント。家族は3人、チケットは大人2枚。それがルーカスのため? 犬を連れて旅行? 飛行機で? 犬を連れてどこに泊まるの? ねえ」

「……うるせえ! あいつはどうせもうすぐ死ぬ! そうすればチケットは2枚で足りる、犬なんか後でいいさ! どうだ、それで何か文句があるか!」

「ごめんのひと言もなし? 奥さんに向かって、どうせ死ぬですって? 酷すぎる」

「何日目を覚まさないと思ってんだ、このまま金だけ払い続けろってか! どうせならこいつも一緒に」

「あっ」

『あっ』


 私が思わず声を上げた刹那、エドワードが私を付き飛ばそうとしたその瞬間。


「あっ」


 ルーカスの声と同時に、エドワードの左頬が誰かに殴られた。


「お前、なんて事を……」

「ルーカス、大丈夫? もう安心だからね」

「おばあちゃん、おじいちゃん……」


 エドワードはよろけた後、殴った人物を見て固まっている。その人物は白髪の男性だった。


「もしかして、エミーさんのご両親……間に合ったのね。良かった」

『いえ、違うわ』

「え? だって、ルーカスはおじいちゃん、おばあちゃんって」


 え、どういう事?


「ぱ、パパ……」

「可愛い俺達の孫の前でなんて事を言いやがる!」

『エドワードの両親よ』


 おじいさんは怒りで拳を震わせ、固まっているエドワードの頭を杖で思い切り殴りつける。おばあさんは涙を流しながらごめんねと繰り返し、ルーカスを抱きしめた。


「えっと……どういう事?」

「家の呼び鈴を鳴らしても誰も出てこないから困ってたの。そうしたら隣の人が、日中は誰もいませんよって」

「エミーは入院、この時間ならルーカスもお見舞いだろうって言うじゃないか」

「入院だなんて……それなのに不倫して出て行ったなんて大嘘ついて!」

「ち、違うんだママ!」

「何が違うって言うんだい! それもルーカスの目の前で!」


 ……この男、自分の両親にまで嘘を付いていたのね。


 私は興奮した老夫婦に事情を全て話した。2人はエドワードを滅多打ちにし、エドワードは鼻血に青あざ。ほんと病院が良く似合う顔になった。


「あら……これは、どういう事?」

「君が電話をくれた女性だね。その、この状況は」

『この2人が私の両親よ』


 暫くして、エミーさんの両親もやってきた。怒りと戸惑いが交錯する2人に対し、私はもう1度、事態の説明を始めた。

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