Operations-08
エミーさんは職場に行く途中で事故に遭った。早朝から近所の人と立ち話なんてするはずもない。ルーカスはそれも確信しているんだと思う。
母と自分の2人しか知らない会話。私はもちろんその答えを知らない。でもエミーさんには分かる。
『学校に行ったら、必ずウィリアム君に昨日はごめんねって言いなさい』
「学校に行ったら、必ずウィリアム君に、昨日はごめんねって言いなさい。そう書いたって」
ルーカスの目がまた大きく見開かれた。と同時に、涙が滝のように流れ始める。
「な、何で、何で知ってるの」
「……あなたのお母さんに聞いたからよ。落ち着いて聞いて。今だけ信じて欲しいの。今、あなたのすぐ横に、お母さんがいるわ」
ルーカスは驚き、首を左右に捻るだけでは足りず、ぐるっと一周まわって視界を目いっぱい確認した。
当然、エミーさんの姿は見えない。見えるのなら、毎日だって寄り添っていたはず。
「おっ、お母さん、何、っく、何て、言ってる?」
『急にいなくなってごめんなさい。愛しているわ、いつも見ていたのよって』
「急にいなくなってごめんなさい、愛しているわ、いつも見ていたのよって言ってる。一語一句変えてないわ」
「う、うあぁーん、おかあさーん!」
ルーカスの泣き声で、プスがびくっと跳び起きた。目をまんまるにして耳を立て、じっとルーカスを見つめている。
ルーカスは必死に指や親指の付け根で涙を拭おうとする。私はハンカチを貸して、しばらく背中をさすってあげていた。
この子の父親は、こんな時でも寄り添ってあげていない。目を覚まさない母親の分まで働くなどと嘘をいい、ルーカスを騙している。
ルーカスを抱きしめてくれる人は、遠くに住んでいる祖父母だけ。それも週に1度。
「エミーさん。あなたの息子、いい子ね」
『ええ、自慢の息子よ。ちょっと反抗期が早いけどね』
「今、おかっ、あ、さんと、話、した?」
「ええ。自慢の息子だけど反抗期が早過ぎたって」
「おねーちゃん、お母さんが見えるの?」
「ええ、見えてるわ」
ルーカスは必死に涙を拭い、目を赤くして首を左右に振る。私はエミーさんが立っている場所を指さし、手を出してごらんと伝えた。
「お母さんが手を握ったよ。分からないと思うけど。あのね、信じて聞いて欲しいの」
ルーカスは私の言葉にしっかりと頷いてくれた。これから、私はエミーさんの代わりに残酷な事を伝えなくちゃいけない。
「お母さんはあなたを心配してる。このまま目を覚ます事が出来ないかもしれないの」
「えっ」
「だから、どうしても伝えたいって。私の言葉じゃなくて、お母さんの言葉としてしっかり聞いて」
私はルーカスの目をしっかり見て、エミーさんの思いを真剣に伝えた。彼女はルーカスが孤独にならないよう、最後まで親として守ってあげたいと言っていた。
「お母さんは、あなたのためにお金を残してる。金遣いが荒いお父さんに内緒で」
「へそくり、って事?」
「うん。掃除のお仕事で貯めたお金。そうね、どこにあるのかはエミーさんに教えて貰おうか」
私はプスを床に下ろし、エミーさんに黒いコートのほつれた裾を持ち上げるように言った。
『どうするの? 私が指し示すなんて出来ないのは知ってるはずよ。教えるからあなたが伝えて』
「ううん、それは駄目。あなたが伝えるの。ほら見て、その裾のほつれた部分をプスが目で追ってる」
そう、猫は死神の姿をちゃんと認識してる。多分、声も聞こえてる。猫が紐にじゃれる性質を利用して、エミーさんを追わせたらいいのよ。
「ルーカス君。プスにはお母さんの姿が見えてるの。今からお母さんがソファーに乗るわ、よく見ていて」
私がそう告げると、エミーさんがソファーに乗った。プスは黒くヒラヒラ揺れるほつれに興味津々で、おしりを振ってソファーに飛び乗った。
「う、うわ、プスがお母さんを……追いかけたの?」
「ええ。じゃあ次はお母さんがプスを使って案内するから。お願いプス、あなたの責任は重大よ」
エミーさんがゆっくり移動し、プスが身を低くして構える。尻尾とおしりを振って飛び掛かろうとし、あっという間に部屋の隅まで移動した。
「その扉の先よ、開けてあげて」
「うん」
ルーカスが扉を開けると、プスが勢いよく走っていく。廊下の先にあるのはエミーさんの部屋だ。
「なんで、お母さんの部屋が分かるの?」
ルーカスがエミーさんの部屋の扉を開けると、エミーさんはベッドの下へ潜り込んだ。プスもそれを追い、更にルーカスが追う。
「あ、何かある」
ルーカスが何か箱を引っ張り出した。何の変哲もないお菓子の白い箱。1辺が30センチくらい、高さ20センチくらいの長方体。開けてみるとそこには新品の白いタオル。
「え、タオル?」
「その下を見て、って」
ルーカスがタオルを取り出した。そこには分厚く茶色い封筒が6つ。中身は10ドル札、20ドル札、50ドル札、100ドル札も。
代わりに数えてあげたら、なんと合計で2万と500ドル! エミーさんはそんなに貯まってたっけと笑う。
10歳のルーカス少年がこんな大金を見た事などあるはずもない。驚きですっかり涙が止まってる。
「すごい、お母さんがこれを?」
「ええ。それと……え? プスで実験?」
『確か、ルーカスのアルファベットの勉強用のマットがあったはずなの。探させてくれない?』
「あのね、アルファベットの書かれたマット、あったら持ってきてって」
そういうと、ルーカスは「あるよ!」と言って走って取りに向かった。それを広げると、今度はルーカスにペンと紙を持たせるように言われた。
エミーさんがプスを手招きする。猫の気まぐれで時間が掛かったけど、プスは黒い紐が垂れた場所を肉球でタンっと叩く。
「Y? ……Pじゃない、そこはOかな」
エミーさんは根気よく紐を垂らしてアルファベットを指し示し、プスは時間を掛けつつもその場所をバシッと叩く。
たまにプスが宙を掴もうとするけど、ルーカスの書き取りは確かに進んでいた。
「Your happiness matters the most to me.《あなたの幸せが、私にとって何よりも大切なのよ》 I love you.《愛してるわ》」
20分程掛けてやっと出来上がった文章。所々プスが間違えてタッチしたけど、ルーカスはそれを近い場所のアルファベットで判断した。
それは何の変哲もない、どこの家庭でも親が子供に伝える言葉。
今のルーカスが一番欲しい母の言葉。まさかプスが偶然で伝えられるものじゃない。私が仕掛けを施すまでもなく、このマットはこの家にあったものだし。
「ホントに、本当にいるんだ! お母さん!」
「最後に、もう1度私を信じて。いい?」
「うん。次は何をするの」
「あなたのお爺さんとお婆さんに電話を掛けて。あなたが私の事を伝えてくれたら、私が代わりに話すわ」
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