第3話 猛禽類の目 ★



 彼の言う『隙』が一体いつの事なのかは、その場に居合わせたジェームスにも分かった。


 王の前で交わされた承認が『私の近くに侍る事』だったと言ったアリティーに、セシリアは頑なな姿勢を崩さなかったあの時だ。


「王から頂いたのは、あくまでも殿下と『仲良くする権利』だ。決して『侍る事を承認』されたわけではない」


 そう主張した彼女に、殿下は「両者は同義ではないか」答えた。

 そしてあの時、ジェームスも同じように思った記憶がある。



 そんな記憶を思い出した所で、芋づる式にまるで言葉遊びをするかの様な回りくどさで主人に異議を唱える彼女の様を思い出した。

 お陰で感情が逆なでされ、再び苛立つ。


 だから。


「……あれは言い訳がたまたまハマっただけでしょう?」


 告げられた言葉は少々つっけんどんになってしまった。



 主人もジェームスも、あの時点ではあの言葉がそんなに重要だとは思っていなかった。 


 主人の言葉を疑うわけではないが、私達が気付かなかった事にあの女はいち早く気が付いていたなどという事はあり得ない。

 否、ある筈がない。



 認められる訳がない。

 だって無礼なあの女が、もしもソレに気付いていて後の布石を意識的に打ったのだとしたら。


(それは状況を先読みし、先回りしたという事に他ならないじゃないか)


 最初から「与えられた『権利』を拒否する」というゴールへと行きつく為に。



 状況の読みで、無礼なあの女に主人が負けた。

 そんなの、許せない。

 許してはならない。


(まぁ我が主人に対して策謀を巡らせ盾突くあたり『ただの無礼な女』よりも数段質(たち)が悪い事は間違いない。その質の悪さは認めてやって良いが)


 そんな風に思い至った時だった。


「オルトガン伯爵家は、伯爵家の中でも3強と呼ばれている家だ。だからと言って別に何かを優遇されているという訳では無いが、かの家が周りに対してそれだけの影響力を持つ家であるという事だけは確かだ」


 主人のそんな声に、ジェームスはハッと我に返る。


(いけない、今は殿下と話し中だった)


 聞かねば。

 心の中でそう自分を諭しながら彼へと視線を向けてみれば、いつの間にか真面目な表情になっていた主人が視界に入る。


「当主の領地経営の手腕は言わずもがな、夫人の社交手腕も大したものだと聞いている。その手腕だけで言えば、侯爵家に迫る勢いだとも。加えて最近はその息子や娘も学校内で名が通り始めているし」


 執務机に両肘を突き、顔の前で両手を組む。

 それが彼の熟考スタイルだ。

 

 おそらく今、彼はあの女の周辺情報を頭の中で総浚いしているのだろう。


「この状況下でもしも彼女があの『権利』を行使したら、名実共に侯爵家に匹敵する発言力を持つ家へと成り上がれるだろう」


 そんな主人の言葉に、ジェームスは深く頷いた。

 

 そう、あの女の家にとって、殿下の贔屓になる事は決して悪いことではない。

 むしろ良いことだろう。

 それなのに。


 そう思ったジェームスだったが、次の言葉を聞いてそんな考えは覆された。


「……かの家は、昔からずっと厳格に中立の立場を取っている。そのお陰もあって、他の中立の家は勿論『保守派』『革新派』共に幅広く顔が利く。そんな家が力を持つというのは即ち――」


 彼が言わんとしている事が分かって、思わずゴクリと唾を飲み込んだ。


「第三勢力の擁立、ですか」

「或いは、彼女はソレを危惧したのかもしれない」


 彼女のあの言動を受けて考え直し、私も初めて気づいた事だけどね。

 そう言った彼は、「或いは」とは言っているものの確信に満ちた顔になっている。



 未だ10歳にも満たない、殿下に盾突く様な『出来の悪い』小娘だ。

 そんな思慮深さを持つとは到底思えないが、そう思う一方で「しかしもしそうならば、殿下の言葉を固辞した理由としては納得できなくもない」とも思えてしまう。


「そう、ですね」


 ジェームスは不服半分で頷いた。



 そもそも主人の言を疑う余地はない。

 しかしそれならそれで例えばその旨を殿下に伝えるとか、もうちょっと交友的なやり方があった筈だ。

 そういった手段を取っていない以上、彼女が無礼である事には変わりない。


 それでも頷いたのは、おそらく主人は『「思慮深い」彼女とのやり取りを楽しんでいる』と思ったからである。



 常に監視されるような周りの目があり、極端に娯楽が少ない。

 そんな彼なのだ、せっかく出来た楽しみに水を差すような真似はしたくない。



(――俺はただ、主人の希望を叶える為に動くだけだ)


 その為になら、何でもする。

 自分の感情だって、横に置く。

 全ては側に仕える事を許してくれている彼に感謝し、受けた恩に報いる為に。

 


 目を伏せて、そんな風に心中で言葉を噛み締める。

 そしてゆっくりと瞼を上げて、感情の凪いだ瞳に主人を映して口を開いた。


「では、今後は『彼女のその懸念を払う』という事で良いのでしょうか」


 彼は先日、『今後は彼女の外堀を埋める』と言っていた。

 その方向性を確定させるためにそんな質問をすれば、彼はまるで悪戯を思いついた子供の様な無邪気な笑みを浮かべてみせた。


「そうだね。勿論お前にも手伝ってもらうよ、ジェームス」


 主人のその声に、ジェームスは無言のまま敬礼を向けた。



 そんなジェームスを満足げに眺めながら数秒を置いて、彼は組んだ指で口元を隠しながら呟くようにこう言った。


「……今度は、逃がさないさ」


 いつもより、ワントーンほど下がった声。

 頭の上にふわりと振ってきたその声に敬礼を続けながらも彼の表情を盗み見れば、そこにはまるで獲物の狙う猛禽類のような楽しげな目があった。



 執務室という限りなくプライベート空間に近い閉鎖空間でさえ、彼が自分の感情を表に出す事は極めて珍しい。


(……余程彼女をお気に召したらしい)


 この時、ジェームスは彼女が彼の心に火をつけた事を確信したのだった。





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 当該話数の裏話を更新しました。

 https://kakuyomu.jp/works/16816410413976685751/episodes/16816410413991678663


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