第20話 魔法医、集落で目を覚ます


 大精霊クオレルの説得のその後、エロースの手際は実に見事だった。


 驚くべきことに、エロースは集落に戻るとほぼ休む間もなく、症状が重い患者から順に治療をはじめた。そして病の正体と治療法を知ったいまでさえレリアには到底真似できないその圧巻の技術で、あっというまに次々と患者を癒やした。


 集落の誰よりもつかれているのは間違いないのに、それでもそれを一切見せることなく、それこそ不眠不休の治療であった。


 そしてひととおりの患者の処置を終え、生死をさまよっていたすべての患者の容態が安定したところで、とたんに彼は倒れた。


 だがそれは疲労によるもので、睡眠をとれば問題なかろうと思われた。


 無理が祟ったというか、エネルギーが切れたというか、すべてをやりきって安堵したというか、まあそんな具合だった。


 まさかその後、そのまま三日も眠ったままになるとは思わなかったが。



 とにもかくにも。


 これまでレリアや“七聖”ふくめた聖協会のヒーラーが、どれだけ力を尽くしても癒せなかったその難病――“魔素熱”。


 集落をむしばむそれをエロースというこの旅のヒーラーは、ほんの一日足らずで癒しつくし、完全に解決してしまったのだ。


 奇跡を起こした彼のヒーラーとして実力を心底尊敬するとともに、レリアは返しきれぬ恩を彼に受けたことをあらためて理解した。


 アマゾネスは義理堅い種族。

 受けた恩は忘れない。


 救われたこの恩は、集落をあげて全力で返そうと心に決めるのだった。



 そんなこんなで――


 エロースにどのように恩を返すかを集落のものと話しあい、患者の経過観察をしていると、すぐに三日が経った。




「……あ、起きたのん? 調子はどう?」


 そこは宿屋“女神の安息亭”。


 レリアがエロースの様子見がてら、寝室に花を活けていたときだった。


 ベッドから物音とうめきが聞こえ、レリアは振りかえりもせずに訊ねた。


 アマゾネスは人の気配に敏感だ。


 人が起きれば、そのわずかな呼吸音や気配だけでそれを察せられる。エロースが起きたのはあきらかなことだったのだ。


「うむ……最悪だな」

「え、なにか問題でもあったのん!?」


 レリアは何事かと慌てて振りかえり、そしてすぐに問題を把握する。


 なんとエロースの顔のうえには、毛玉のようなものが乗っかっていた。


 大精霊クオレルが、子犬の姿で丸まっているのだ。妙にくぐもったような声だと思ったら、あの毛玉が口をふさいでいたらしい。


(でもちょっとうらやましい……いや、うらやまけしからんのん)


 レリアはクオレルを抱きあげ、呼吸困難になっているエロースを救助する。


 クオレルは変わらずもふもふとしていて、抱き心地抜群であった。ちなみに熟睡中で、抱きあげても起きる気配はない。


「助かった。だがこの毛玉は、役に立つと言っていたはずだが……それどころではないぞ。危うく俺の息の根をとめるところだ」

「そんなこと言っちゃだめだよ? クオちゃんはご主人のそばを離れないんだって、ずっとずっとそこにいたんだから」

「そのせいでなにか息苦しい悪夢を見た気がする。ありがた迷惑だ」


 エロースはそう言いながら立ちあがり、自身の灰色の外套を羽織った。


 そしてすぐさま寝室を出ていこうとする。


「どこに行くつもりなのん? ごはんだったらすぐに用意するけど?」

「飯はいい。長いこと寝ていたようなので、患者の経過を見たいだけだ」


 クオレル起きろ、といまだ眠っているクオレルに声をかけるエロース。


『……むにゃむにゃ、主さま? 主さま、ついに目を覚ましたのか!』


 クオレルはそのつぶらな瞳を見開き、レリアの腕から抜けだす。


 それからエロースの胸に跳びついてその肩によじのぼり、尻尾をすさまじい速さでぶんぶん振りながら、エロースに頬ずりした。


「患者の経過観察ならぼくも一緒に……」

「いらん、ひとりでいい」


 レリアが声をかけるも即答し、エロースはさっさと病室を出ていった。


(まあいいか)


 彼の体調は逐一チェックしていたが、もう健康そのものであった。病室の後片づけをしたあとに見に行ってもいいだろう。


 レリアはエロースの使っていた毛布を取りあげると、ぴんと伸ばす。


 それからじっと毛布を見つめ、さきほどの彼の無愛想な顔を思いだした。


(寝顔はかわいかったんだよなあ)


 ちょっとだけ、ちょっとだけと。

 そう思いながら頰をわずかに紅潮させ、少しだけ匂いを嗅いでみる。


(むむ、クオちゃんの匂いしかしない……)


 三日間ずっと寄りそっていたためだろう。獣臭がこびりついていた。


 少し残念なような、これはこれで悪くないような、複雑な気持ちだった。


 レリアはため息とともにくすりと笑い、毛布を折りたたむのだった。




 ✳︎




「え、エロースが来てない!? いったいどういうことなのん!?」

「わたしに聞かれても困る、わたしは起きたのも知らなかったのだからな」


 宿屋“女神の安息亭”、大広間。


 手際よく患者の世話をしていたシャムシーが、レリアに肩をすくめてみせる。


(いったいどこに行ったのん?)


 エロースの寝室を片したあと、まもなく彼をさがしはじめたレリアなのだが、彼の姿がどこにも見当たらないのだ。


 レリアは病室の後片づけをしたあと、すぐに重篤患者の病室を見に行った。彼がまず見に行くとすれば、そこだと思ったのだ。


 だが彼はそこには来ていなかった。


 だから続けてここにやってきたが、また当てが外れてしまったらしい。


 まだ大広間の患者たちも完治したわけではないが、病が治りつつあることもあって、皆すでに笑顔を取りもどしていた。おかげで大広間はにぎやかな状況だが、そのどこを見渡しても彼の姿はない。


(まさか……!)


 しばしあってレリアはひとつの考えに思い至り、慌てて駆けだす。


「レリア!? どこへ行くつもりだ!?」

「うん、ちょっとあの人をさがしに!」

「それならば、いま仕事もひと段落ついた! 我々も手伝おう! 」


 シャムシーがそう言うと、看護師として働いていた幾人かのアマゾネスの衛兵たちが、うんうんとうなずいた。


 みなエロースに面と向かって礼を言いたいというのもあるのだろう。


 レリアはそれを了承し、シャムシーたちとともに宿屋を飛びだした。



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