第19話 魔法医、話を丸くおさめる
舞いあがった土煙により、レリアの視界は完全に白く覆われる。その土煙の量が、クオレルによる攻撃の激しさを物語っていた。
(お願い、無事でいて……!)
じわじわと晴れていく視界に目を凝らし、ただただ祈るレリア。
そんな祈りが通じたのか、晴れた視界の中心には、二本の脚でしっかりと大地を踏みしめるエロースの姿があった。
彼が無事だったことに安堵しつつも――
(あの魔力は……なに?)
エロースのまわりに、異質な魔力がただよっていることに気づく。
それは彼を守るかのように、彼のまわりをぐるぐると浮遊している。人間のものとも、そして魔物のものとも違う魔力だった。
それがなんなのか疑問に思っていると、
「ハア、ハア……このバケモノが」
ふいにエロースがそう毒づく。
だが強気な言葉とは裏腹に息はあがり、一見して彼が限界だとわかった。
全身は傷だらけで、至るところから流血している。どうにかさきほどの一撃には耐えたようだが、これ以上の戦闘は無理だろう。
(これ以上クオレルさまの攻撃を受けたら、本当に死んじゃうのん……!)
レリアはごくりと唾をのむ。
しかし最悪の結末を鮮明に想像はしたものの、それからいつまで経っても、クオレルからエロースへの追撃はなかった。
『エロースというその名、そしてその全身灰色の装束……覚えがあるぞ。まさか……まさか、汝は“灰色の聖者“なのか?』
クオレルは攻撃する様子もなく、エロースにいぶかしげにそう訊ねた。
「なんだその名は? 知らんな」
クオレルの気分次第で自身の生死が決定する状況だというのに、エロースは相変わらずぶっきらぼうな口調でそう言う。
だがクオレルはそんなエロースの態度に苛立つでもなく、その深淵なる瞳でエロースを品定めをするように思案する。
『いや……その人間離れした強大な魔力と不敵な振るまいは、仲間より伝え聞いているその特徴と同じ。そして我の一撃から汝を守ったその異質な魔力は、我らが精霊の女王の加護に違いあるまい』
「……精霊の女王の、加護?」
どういうことなのん? と眉をひそめながらエロースを見やるレリア。
だが疑問に答えたのは、クオレルだった。
『人間の時間にして数年前のこと……我ら精霊の王女は不治の病床にあった。そのとき王女を救ったのが、“灰色の聖者”と呼ばれる人間のヒーラーだったのだ。女王は王女を救われた感謝の印として、その人間に特別な加護を授けた。女王の加護を授かった人間などほかにはいまい。その加護に守られていることこそが、汝が“灰色の聖者”である証だ」
クオレルは淡々と、しかしわずかに興奮をにじませてそう言った。
「せ……精霊の王女を救った!? どどど、どういうことなのん!?」
確かに人並み外れたヒーラーだとは思っていたが、精霊の王女を救ったなんて、話がぶっとびすぎている。意味がわからない。
「精霊の、王女? 知らんな、救った患者のことなどいちいち覚えていない」
「さ……さすがに精霊の王女を救ったなら覚えておいてほしいのん!」
本当に覚えがない様子のエロースに、レリアは即ツッコミを入れる。
そんなこんなのやりとりをしているうちに、気づけば大精霊たる白銀の狼が、エロースに深々と頭を垂れていた。
雄々しかった姿はどこかしょんぼりとしていて、耳も伏せてしまっている。飼い主に怒られたペットの犬のようである。
『我ら精霊は……人間にも、そしてその営みにも興味がない。だが恩は決して忘れぬ。王女を救ってもらった恩人に対し、信じられぬほどの非礼を働いてしまった。いや、女王の加護がなければ、我は恩人である汝を殺めてしまっていただろう。申し開きのしようもない。となればこの身の消滅を持って、罪を償わせてもらえないか?』
精霊の消滅とは、つまりは死だ。
死に対する精霊の認識は不明だが、とにかく死をもってクオレルは今回の件を償わせてほしいと言っているようだ。
精霊は――というかクオレルは、想像以上に義理がたい存在らしい。
「おまえに消えてもらっても俺にはなんの得もない。ここから出ていけ。俺が求めているのはそれだけ。それでちゃらだ」
『いや、しかし……今回のことはその程度で許されるべき罪ではないのだ』
「俺がいいと言っている。俺の意思以上に尊重されるべきことがあるのか?」
エロースが淡々とそう言うと、クオレルはハッとしたように目を見開く。
それから迷うように視線をさまよわせ、
『……寛大な心には、感謝する。だがたとえ汝が許そうとも、同胞たちは我を決して許すまい。これほどの罪をおかした我を受けいれてくれる場所は世界のどこにもなかろう。もちろん、精霊界にも帰る場所はない。我は消滅するほかないのだ』
「居場所がないというのならこれからさがせばいい、それだけの話だろう」
『だが罪をおかした精霊の居場所なぞ世界のどこに見つかるというのだ』
くうん、と。
不遜な態度は鳴りをひそめ、クオレルは悲しげな獣のように鳴く。
精霊の社会というのは、想像以上に厳粛らしい。こうなってしまうと、クオレルがさすがに可哀想になってしまう。
エロースはしばし顎に手をそえ、それから面倒臭そうに息をついた。
「ならばこの俺についてこい、おまえの居場所が見つかるそのときまで、この俺が居場所になってやる。それでいいだろう」
エロースがそう提案すると、クオレルはぎょっと目を見開いた。
『我が汝とともに……? いいのか……?』
「何度も同じことを言わせるな、俺がいいと言っているのだ。しかしこんなにでかい獣を連れていたら、目立ってしかたない。まともに旅もできなくなりそうだから、その図体だけはどうにかしろ」
感謝する、と。
頭を垂れるクオレルの瞳には、わずかに水滴が浮かんだ気がした。
『これならば……どうだ?』
そして次の瞬間、なんとクオレルの巨大な獣の体がみるみる縮みはじめた。
そして最終的に子犬のような姿に変身すると、ぴょんとエロースの肩に飛びのり、どうだと言わんばかりにふんぞりかえる。精霊にはいろいろな力があるということはもちろん知っていたのだが、このような変身もできるとは驚きである。
それはともかく、クオレルはさきほどまでと同じ尊大な態度をしているのだが、姿が子犬になったため、まるで威厳がない。
というか、とても――
「――か、かわいいいいいい!!!」
実はかわいいものが大好きなレリアは、もふもふの子犬になったクオレルの姿を見ると自分の欲望が抑えられなくなってしまい、ついついそのような状況にそぐわない声をあげて悶絶してしまう。
さらにはエロースの肩のうえから子犬となったクオレルを強引に奪取し、むぎゅっと心ゆくまで抱きしめてしまう。
「わあ〜! すごいもふもふしてるのん!」
『こら人間! 気安く我に触れるな!』
「よちよち怖くないでちゅよ、えっとクオレルさまだからクオちゃんかな!」
『な……仮にも精霊である我にクオちゃんなどと!? ぶ、無礼な!』
クオレルは不服そうに言って暴れるものの、レリアは構わずクオレルの体を心ゆくまで抱きしめてもふもふする。
こうなると大精霊もかたなしである。
『んんぐっ、ふがぁあぁあ……!』
クオレルはたまらずレリアの腕から飛びだし、エロースの肩に戻る。
エロースは呆れたように目を細め、やれやれとため息をついた。
『とにかく今日からは汝が我が主だ。このクオレル、今回の恩はこれから必ずや返していく。汝の役に立ってみせよう』
「……役に立たなくていいから邪魔はするなよ。とりあえず重い」
クオレルは自慢げにふふんと鼻を鳴らす。
ブンブンと尻尾を振り、エロースの気だるい声に気づいてもいない。
(とにかく丸くおさまってよかったのん)
一時はどうやることかと思ったが――というかクオレルが怒りをあらわにしたときは絶対に命はないと思ったが、どうにかこうにか予定したとおりに魔素熱の病原をとりのぞくことができたようだ。
ホッと胸をなでおろすレリアなのだった。
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