第11話 魔法医、借りを返しにくる



「――【ナチュラルヒーリング】」


 レリアが呪文を唱え終わると、患者の表情が次第にやすらいでいく。


 そこは宿屋“女神の安息亭”の一階大広間。


 ふだん酒場兼宿泊客の食堂として使われているその場所には、いま大勢の結晶病患者が苦しげに横たわっていた。


 二階の個室には重症化した患者が収容され、結晶化がそこまで進んでいない軽症の患者はこの大広間に集められているのだ。


「少しだけ……楽に、なりました。若長、いつもありがとうございます」

「どういたしまして、よかったのん!」


 弱々しく微笑む患者を励ますように、レリアは力強く微笑みかけた。


(……あと、何人いるのん)


 一方で、その力強い笑みとは裏腹に、レリアの内心は穏やかではない。


【ナチュラルヒーリング】は人の自然治癒力を促進する魔法。即効性こそないものの、原因のわからない今回のような病の進行を食いとめるのには最適な呪文だ。現状で結晶病にはっきりと効果があると言えるのは、この呪文だけだった。


 幸運にもそれほど魔力を消費する呪文ではないので、結晶病流行当初から患者すべてにこの呪文を順にかけてまわるのが日課となっているのだが、さすがに患者の数が増えすぎてしまったらしい。


「ハア、ハア……」


 ひとりでの治療は、すでに限界だった。


 まだ半分程度しか呪文をかけ終わっていないにもかかわらず、レリアの魔力はすでに底をつき、マインドロストで気絶寸前。


 初期の頃はまだ患者数も少なく、レリアひとりでもどうにかなっていたのだが、患者の数は爆発的に増加。いまでは初期の数十倍にもおよぶ患者がいるため、すべてを治療しきるのは不可能だった。


(その場しのぎ、か)


 いまにも飛びそうになる意識を必死につなぎとめながら、レリアはエロースというヒーラーに言われたことを思いだす。


 彼の言うことは、まさにそのとおりだ。現在行っている治療は、ただの延命にすぎない。それはレリア自身もわかっていた。


(でも、やらなきゃ……)


 その場しのぎであっても、治療を続けなければ患者の死は早まる。


 根本的解決にならないとわかっていても、そうしない選択肢はないのだ。


 たとえ終わりなきこの苦痛の果てに、絶望しか待っていないとわかっていても、すべてが無駄になることがわかっていても、ムーランの若長として、唯一のヒーラーとして、民を支える義務がある。


「……、」


 だからレリアは治療を続けた。


 自身もまた結晶病に罹患していようと、高熱と魔力不足で意識が朦朧としていようと、笑顔で呪文をかけつづけた。



「――若長、大変だ!」



 ふいに慌ただしい声が大広間にとどろく。


 駆けよってきたのは、ともに患者の世話をしてくれている看護師の女だった。


 疼くように痛む頭を押さえながら、レリアはよろめくように立ちあがる。


「どうかしたのん?」

「エリシア族長が急に苦しみだしたんだ! 危ないかもしれない!」


 瞬間、レリアの心臓が跳ねあがった。


 エリシア族長とはつまり、若長であるレリアの実の母親に当たる。


 彼女もまた結晶病におかされ、この仮設治療院で治療を受けていたのだ。


 そして患者のなかでは、かなり病状が進行している。レリア自身もそろそろ危ないのではと思っていたところだった。


「……!」


 レリアは返事すらせず、エリシアのいる二階の個室へと一目散に駆けた。


 いくら覚悟をしていようと、なにしろ自身の母のことだ。実際に危険な状態だと言われ、冷静でいられるわけもない。


(お母さん、死なせないよ……!)


 重篤であるエリシアは、別室で寝ている。結晶が内臓にまで影響をおよぼしたとすれば、手遅れになるかもしれない。


 レリアは疲労で朦朧とする意識をつなぎとめ、エリシアのもとに急いだ。





 ✳︎





「……おかあさん!」


 レリアは病室に飛びこむと、ベッドに横たわる母エリシアに声をかける。


 だがエリシアはその声に反応しない。


 いや――反応しないというよりは、もはやそうする余裕がないのだろう。


 エリシアの呼吸は浅く、そして速い。


 まるで過呼吸におちいっているようだ。酸素の薄い場所で必死に酸素を取りこもうとするように、必死に口をぱくぱくと動かしている。そしてその様子は、時間が経っても解決されることはない。



「――【ナチュラルヒーリング】!!」



 レリアは欠乏ぎみのなかで必死に魔力をかきあつめ、呪文を唱える。


 するとしばしあって、


(よかった、落ちついてくれたのん)


 呪文の効果が出たようで、エリシアの呼吸はだんだんと落ちついてくる。その表情も、ふだんのやすらかな母の顔に戻っていく。


 しかしレリアが一息つき、呪文をかけるのを中断したそのときだった。



「……うっ、ぁああっ!」



 とたんにエリシアはまた苦しげにうめき声をあげ、身をよじりはじめる。


 うめき声は大きく激しくなり、やがて容態は完全に振りだしに戻った。


「若長まずい……このままじゃ!」


 となりで看護師があせった声をあげるが、それはレリアもわかっていた。


 エリシアの体の大部分は、すでに結晶に覆われていた。そしてその紅の結晶は初期の透明な輝きと異なり、黒ずみはじめている。


 それは病が末期に至っている証だった。


(くっ、わかっては……いるけれど)


【ナチュラルヒーリング】はしょせん、自然治癒力を上昇させる魔法。


 病の進行を遅らせることはできても、それだけだ。根本的に病を治せるわけではない。やはりその場しのぎにしかならない。


 そして末期へと至った結晶病に対し、それはあまりに無力。すでに進行してしまった病には、なんの効果も与えられない。


(どうすれば……)


 不安と焦燥だけが大きくなっていく。


 必死に考えようとするが、レリアの頭のなかはまっしろになっていた。


(どうすれば……いいのん)


 これまでもレリアは、エリシアのような末期患者を何人も看取ってきた。


 こうなった場合に手の施しようがないことは――エリシアがもはや助からないということは、自分が一番よくわかっていた。そんな避けようのない現実が、否応なくレリアの両肩にのしかかってくる。


(また……ぼくは救えないのん)


 苦しむ母の姿が、亡き父の姿に重なった。


 レリアが幼い頃、父は当時の流行り病で亡くなった。幼いレリアの目の前で、苦しみながら逝ってしまったのだ。



 ――集落にもしもヒーラーがいれば、助かったかもしれないのに。



 そのとき、集落の誰かがそんなことを言っていたのをレリアは耳にした。


 集落には当時ヒーラーがたったのひとりもいなかった。だから実際ヒーラーさえいれば、父は助かった可能性が高かった。


 そのときだったはずだ。レリアが本格的にヒーラーを志そうと思ったのは。


 また大切な人を失わないように、仲間が大切な人を失わないように。大切な誰かを――今度こそ自分自身の手で救えるように。


 その一心でレリアはヒーラーを目指し、そしてヒーラーになったのだ。


 なのに――


(……誰も、救えやしないよ)


 ヒーラーになれば、今度こそこの手で守れると思ったのに。大切な人を失わずにすむのだと、そう思っていたのに。


「……ぼくなんかが、大精霊さまの怒りをどうにかできるわけないじゃん」


 無理だよ、と自分の無力さを噛みしめるように弱音を吐くレリア。


 大精霊という規格外の巨大な存在を前に、自分はなんとちっぽけなことか。人間という存在は、なんとちっぽけなことか。


 最初から立ちむかえるはずもなかったのだ。最初から自分ごときに、誰ひとりとして救えるわけがなかったのだ。


 大切な人を守りたいなんて――救いたいなんて、あまりに高慢だったのだ。


「誰か……」


 それでも、レリアはつぶやかずにはいられなかった。これまで溜めてきた感情が、あふれだしてとまらなくなったのだ。


「ねえ、誰か……」


 レリアはひとりでがんばってきた。


 ヒーラーとしてまだまだ未熟だという自覚はあったが、ムーランの集落にはヒーラーはレリアたったひとりだけ。ほかの誰にも頼ることはできなかった。未熟でもレリアがやるしかなかったのだ。


 若長ということもあり、弱音すらも吐けなかった。長老である祖母ハムラムはすでにリーダーシップを発揮できる齢でなく、さらには族長である母エリシアが倒れたいま、集落の皆にとって自分が心の支えにならねばいけなかったからだ。


 そんな自分が弱音を吐けば集落の皆もきっと不安になる。混乱におちいってしまう。それがわかりきっていたから、自分を欺いてでも笑みを浮かべつづけるしかなかった。浮かべつづけてきた。


 ずっと。


 ずっとずっとずっと。


 ずっとずっとずっとずっとずっとずっと。


 ひとりで患者たちに向きあい、華奢な両肩に重荷を背負ってきたのだ。


 まともな治療方法もわからないまま、患者を看取ることしかできないまま、なにもできない自分の無力さに打ちひしがれながらも、希望の見えない闇のなかで偽りの笑顔を必死に浮かべつづけて。


「お願い……」


 そして、そんな地獄の日々に必死に耐えつづけてきた結果がこれである。


 苦しかった。


 哀しかった。


 悔し、かった。



「……誰か、助けてよ」



 誰も助けてくれるわけがないことはわかっていた。わかりきっていた。


 聖協会のあの“七聖”でさえも匙を投げた患者を、誰が救えるというのだ。大精霊の怒りだと言われているこの不治の病に、誰が立ち向かえるというのだ。そんな人間はどこにもいやしない。いまここに現れるなんて絶対にありえない。


 だけど自分ができうることはすべてやっていて、自分にはもはやどうすることもできないことがあきらかだったから。


 だからそうやって、居もしない誰かにすがることしかできなくて――



「……馬鹿者、それは大精霊の怒りなんて高尚なものじゃない」



 ふいに背後から、そんな声がかけられる。


 それは力強い男の声だった。


 なぜだかその声は、幼き日に自身を守ってくれた強い父を思いださせた。

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