第9話 魔法医、衛兵の不意を打つ
(ひとまず、大丈夫だな)
ベッドで規則正しく胸を上下させるレリアをながめ、エロースは息をつく。
その場しのぎの応急処置をしただけだが、とりあえず落ちついたようだ。少なくともすぐに命に関わるということはなかろう。
そこはアマゾネスの集落、ムーランの宿屋“女神の安息亭”の一室だった。
この集落最大の宿屋であり、現在は特別措置として結晶病の大勢の患者を収容する施設となっている。隔離というほどではないが、一応はほかの村人への伝染を避けようという措置なのだろう。
エロースが一息ついたところで、シャムシーが心配そうにのぞきこんでくる。
「若長は……大丈夫なのか?」
「大丈夫ではなかろう、不治だという病におかされてしまったのだからな」
「き、貴様……言い方があるだろう!」
シャムシーが激昂するが、エロースは特に気にすることなく言葉を続ける。
「言い方なんぞ気にしても、事実が変わるわけではあるまい。しかも病状は想像よりも悪い。体を目視でざっと診ただけでも、結晶化がかなり進行している。結晶病についてそちらから伝えられた情報、そして彼女の症状を考えあわせると、相当前からひどい痛みと苦しみにさいなまれていたはずだ。誰も気づかなかったのか?」
エロースの問いかけに、シャムシーは悔しそうに歯を食いしばる。同胞の苦しみに気づけなかったことが悔しいのだろう。
「……おぬし、エロースと言ったか? レリアの治療、わし直々に感謝する」
そう言ったのは、しわがれた老婆だった。
治療に集中していたので気づかなかったが、いつのまにか部屋に入ってきていたようだ。しかも偉そうに座っている。
「誰だこのバアさんは? 病室に勝手に部外者を入れるな。死ぬぞ」
「な……貴様、ハムラム長老になんと無礼な! そもそも部外者は貴様だろう!」
声を荒げるシャムシー。
なるほど、集落の長老だったらしい。
ハムラムはシャムシーを制すると、そのしわがれた顔に微笑を浮かべた。
「細かいことはよい。レリアとエロース殿は患者とヒーラー……となると、病室において部外者はわしらじゃからな。重ね重ねになるが、孫のレリアの治療を感謝する。こやつが無理をしているのに気づけなかったのは、わしらの過失じゃ」
「まったくもってそのとおりだ、いったいこいつのなにを見ていた?」
ずけずけと物を言うエロースに、シャムシーがふたたび顔をゆがめる。
しかしハムラムはやはりそれを制すると、あらためてため息をついた。
「レリアまでも倒れてしまうとは……やはりこれはクオレルさまの呪いなのか」
「クオレルさま? 誰だそれは?」
これまでに聞き覚えのない名を耳にし、エロースは眉をひそめる。
「はるか昔からこのムーランを守護してくださっている森の大精霊さまじゃ。かつてこの集落がバグビアの侵略にあったときには、森の精霊たちを総動員して集落を守ってくださった。昨今では水不足で大規模な飢饉に見舞われたときに、大地に地割れを起こして自身の住まう魔霊山からこの集落へと川を引いてくださった。守り神さまじゃよ」
「この結晶病は……そのクオレルとかいう大精霊のせいだというのか?」
ハムラムはそのしわがれた顔をさらにしわくちゃにして、うむとうなる。
「断言は……できん。だがこれほどの奇病を幾人もの民に流行らせられるのは、大精霊さまぐらいのものじゃろう。バグビアのこともあり、昨今この集落もたびたび戦火に巻きこまれている。戦のたびに森には火が放たれ、木々は打ちたおされている。クオレルさまは以前からそれにお怒りになっていた。だから、わしらに呪いをかけたのじゃろう」
「大精霊の……呪い、ねえ」
ありえない話ではない。
かつてその大地を守護していた精霊が怒り、そこに棲まう民を滅ぼしてしまったという話は、確かに聞いたことはある。
急速に広がった不治の疫病、次々と失われていく仲間の命。大精霊の呪いだと思ってしまう気持ちも大いにわかるのだ。
だが――とエロースがさらなる思考をめぐらせようとした、そのときだった。
「……うっ」
ベッドのレリアがうめき声をあげた。
「若長!? 気がついたのか!?」
シャムシーの声にこたえるように、レリアは目を開けて弱々しく微笑する。
それから頭痛をこらえるように額を押さえ、ゆっくりと身を起こした。
「若長、まだ起きては……!」
「いや……ぼくはもう大丈夫。まだ大して進行してないのん。ちょっと寝すぎたみたいだし、早くみんなのところに行かないと」
そのまま立ちあがろうとするレリアを、慌ててシャムシーが制止する。
「まさか……その体で患者を診るつもりか!? 無理してはダメだ、若長! もう若長も患者なんだから寝ていないと!」
「シャムシー……わたしはいいから。寝ていたところで、これは治らないのん、だったらみんなを少しでも楽にしてあげたい」
シャムシーの制止を強引に振りはらい、レリアはベッドから立ちあがる。だが足取りはおぼつかず、いまにも倒れそうだ。
エロースは柔軟をするように首をぐるりとまわし、やれやれと肩をすくめた。
「……待て、まだそこまで体力は回復しきっていないはずだ。担当したヒーラーとして、まだベッドから動いてもらってはこまる」
「エロース……だっけ。きみが治療してくれたみたいだね、感謝するのん。本当は巻きこみたくなかったんだけど、結局ぼくのせいで巻きこんじゃったね。でもいまからでも遅くないよ。結晶病にかかる前にやっぱり早く集落を出てったほうがいいのん。シャムシー、集落の外へ送ってあげて」
レリアが微笑とともにそう言うと、シャムシーはどうすべきか迷うように、レリアとエロースのあいだで視線を行き来させる。
レリアをとめるべきか、エロースを送るべきか決めあぐねている様子だ。
だがしばしあって、やはり部外者のエロースでなく、若長のレリアに従うことにしたようだ。エロースの腕をつかんでくる。
そのあいだにもレリアはハムラムに頭をさげ、病室から出ていこうとする。
「……レリア、待てと言った。その場しのぎに患者に【ヒール】や【ナチュラルヒーリング】でも使うつもりか? それではなにも解決しないのは、患者を診てきたきみが一番わかっているだろう」
「……」
レリアは振りかえらず、よろめきながらそのまま病室を出て行った。
「……悪いが、そういうわけだ。貴様には集落を出ていってもらう」
シャムシーはそう言いながら近くに待機していた衛兵に目配せし、二人でエロースの両腕を拘束すると、強引に連行していく。
エロースはひとまず抵抗はせず、シャムシーたちと大人しく病室を出た。
✳︎
「エロースと言ったか……悪かったな」
宿屋“女神の安息亭”を出ると、シャムシーがそう声をかけてくる。
エロースは意外に思った。
シャムシーは自分を敵視しており、間違っても謝罪を口にするとは思わなかったのだ。しかも、かなりしおらしくしている。
「それは……なんに関しての謝罪だ?」
「諸々だ。おまえが集落を訪れてからのわたしの失礼な物言いと、わざわざ足を運んでもらったのに追いだすことへの謝罪だ」
エロースは肩をすくめる。
「気にするな。職業上、ヒーラーというものは他人にあれこれ言われるものだ。ときに患者自身の過失を押しつけられることもあれば、いわれのない誹謗中傷を受けることもある。正直、おまえ程度の物言いなどかわいいものさ。後者に関しても、俺に謝罪することはなんらない。足を運んだのは俺の意思であり、そして俺は――」
エロースはそう言いながらも人気のない脇道に入ったところで、ちらりとシャムシーとその仲間の衛兵の様子を確認し、
「――集落を出るつもりはないからだ」
【テンポラリスリープ】、と。
手慣れた様子で眠りの呪文を唱えた。
「な……!?」
気づいたときには、もう遅い。
エロースを連行していた二人は、エロースが放った煙のようなものに襲われ、ともに意識を失って同時に倒れこんだ。
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