第2話 魔法医、少女に助けられる
「……!?」
ジュウウウ! というなにかが焼ける音で、エロースは覚醒した。
目を開けると、そこは森だった。
無数の木々の枝葉が視界に入り、そのあいだからは青空が見える。そこで自身が仰向けに寝かされていることに気づく。
続いて、肉が焼ける香ばしい匂いに鼻腔をくすぐられてそちらを見やる。
すると焚き火と煙、それにあぶられる骨付きの獣肉が目に入った。
「……っ」
ひとまず身を起こそうとするが、とたんに体の節々に痛みが走る。
落下したときにどこか痛めたのだろう。
「まだ動いちゃだめなのん」
声のほうを見やると、少女がひとりいた。
かわいらしい褐色の肌の少女だった。
小柄で幼い顔つきではあるが、年齢は15前後か。比較的露出の多い衣の上に、冒険者風のライトアーマーをまとっている。褐色の肌からは活発な印象を受けるが、顔にはこちらを安心させようとするような柔らかな微笑が浮かんでいる。
「きみが助けてくれたみたいだな」
「助けたってほどじゃないのん。ただちょっと……手当てをしただけ」
少女は水袋から木皿に水をそそぎ、「はいどうぞ」とエロースに手渡してくる。
エロースは遠慮なく受けとり、その水をグイと一息に飲みほした。
(魔力が……濃いな)
喉が渇いていたのでありがたいとは思いつつも、水にふくまれる魔力の濃度が、自然のものよりも多い気がした。
毒でも盛られたのかと一瞬考えるが、すぐに冷静になって否定する。
自分は気絶していたのだ。害するのにわざわざ毒を盛る必要はない。このあたりの水にそういう傾向があるだけだろう。
王国では貴族による毒殺が相次いでいたから、深読みしてしまった。
「それで……きみは何者? なんでこんな森で倒れていたのん?」
焼いた肉をおもむろにエロースに手渡しながら、少女が訊ねてくる。
エロースはやはり遠慮なく肉にかぶりつきながら、しばしうむと思案したあと、素性を隠す必要はないと判断する。
「エロース・ユリファー、ヒーラーだ」
「へえ……ヒーラーなのん? でもなんでこんなところにヒーラーが?」
エロースの名乗りに対し、少女はこれといって特に反応を示さなかった。
自惚れているわけではないが、エロースの名は大陸中に轟いている。名を知らぬのは奇妙だが――まあそれはそれでよかろう。
「魔法でこの森の上空に転移させられ、落下した。【レビテーション】を使ったが、勢いを殺しきれなくてな。地面に叩きつけられ、あえなく意識を失った。そしてきみに救われ、いまに至る」
「魔法で……転移? なんで魔法でこんな場所に転移させられるのん?」
エロースは訊ねられ、思考する。
国王の陰謀については、下手に他言しないほうが身のためだろう。
「旅の途中、パーティーが古竜に襲われた。窮地におちいったところで、仲間のソーサラーが【テレポーラ】で逃してくれたのだ。とっさのことで座標指定もできず、ここへと転移してしまった」
「【テレポーラ】っていうのが呪文の名前なのん? 初めて聞いたけれど」
「ああ、新しい呪文だから知らなくても無理はない。空間転移の上位呪文だ」
「なるほど、ね」
エロースの話を鵜呑みにしたわけではなかろうが、特に詮索する必要もないと判断したのか、ひとまず納得したようだ。
「ぼくはレリア。このルメールの森のアマゾネスの集落で治療院を開いているのん」
レリアという少女は、そう自己紹介した。
エロースは眉間にしわをよせる。
そんな森の名は聞いたことがなかった。
(そしてアマゾネス……ということは、ここはオートラリア大陸ではないのか?)
アマゾネスという種族のことは、知識として知っている。生まれてくる子はみな女で、外から婿をとって血筋をつなぐ種族だ。
だがアマゾネスは、エロースの住んでいたオートラリア大陸には存在しない。
たしかアマゾネスがいるのは確か――
「ここは、ユグラシア大陸なのか?」
「? 当たり前でしょ。まさか別の大陸から飛ばされてきたとでも?」
レリアはからかうように笑いが、まさにその通りなので笑えない。
「おそらくな。俺はこの大陸の人間ではない。オートラリア大陸の人間だ」
「ふふっ、冗談を言う人とは思わなかった」
レリアはくすりと笑うが、まるで信じていないようだ。だが特に問題はないので、無理に弁解しなくてもよいだろう。
「とにかくそろそろぼくは集落に帰るから、きみもさっさとこの森を出たほうがいいよ。この森はヒーラーがひとりでうろつくにはとっても危険なのん。森を出て、街道沿いに行けば町があるから」
「いや……待ってくれ。もう少しだけ話を聞かせてくれないか?」
この大陸のことにしろ、このあたりの地理にしろ情報が少なすぎる。
ここでこのまま放っていかれるのは困る。
だがレリアは困り顔で首を振り、
「ぼくも暇じゃないから。事情はわからないけど町で話を聞くといいのん」
「集落に戻るというなら、俺がきみの集落についていくというのはどう――」
「――それはだめ!!!」
提案しようとすると、レリアはいっそう強い口調でエロースの言葉をさえぎる。
それから我にかえったように苦笑し、
「……ごめんね、いま集落は問題を抱えているから部外者は入れないのん」
「いや、こちらこそ無理を言って申し訳ない」
彼女には彼女で事情がありそうだ。これ以上ごねても結果は変わらないだろう。
「とにかく助けてくれてありがとう、これだけでも受けとってくれ」
「これは? きれいな宝石だけど……」
せめてもの礼にと、手元にあった緋色の宝石をレリアの手に握らせる。
「故郷の近くの鉱山でとれた魔法石だ。換金すればいい額になるだろう」
「ありがとう、でもお金はいらないのん」
しかし、レリアはそれを迷うことなくエロースに突きかえしてくる。
そして「ぼくにはたぶん使う機会がないから」とつぶやき、身をひるがえした。
「それじゃあねん!」
「わかった……それでは、いつか別の機会にこの礼はするとしよう。またな」
「うん……また、いつか」
歩きだした少女の背を見送りながら、エロースはひとつ息をつく。
まったく無欲な少女だ。
この魔法石を売れば、かなりの年月を遊んでくらせるというのに。
(しかし、気のせいか……?)
別れ際、少女が哀しげな顔をしたのは。
その表情の意味を推察しようとしたが、エロースにはなにも掴めなかった。
ふと腹部がうずくように痛み、目をやる。
(きれいな包帯だな……治療院を開いていると言っていたが、ヒーラーだったか)
エロースの腹部には、魔力によって生成された輝く包帯が巻かれていた。
魔力によって包帯を生成するのは、ヒーラーのなかでは基礎技術だ。
これほどきれいに包帯生成できるのだから、ヒーラーで間違いないだろう。包帯自体の出来栄えも、その巻き方も丁寧で、患部に優しいものになっている。素人ではない。オートラリアに残してきた弟子たちに見習ってほしいぐらいだ。
ヒーラー志望者はあっというまに傷を癒やす治癒魔法に憧れがちだが、最後に物を言うのはこういう地味な基礎技術なのである。
(けっこう傷口が深かったようだな)
包帯を解いてみると、腹部の傷跡はかなり大きかった。おそらく地面に尖った岩かなにかでもあって、肉をえぐられたのだろう。
まだ傷跡こそ残っていたが、血が流れぬように傷口はきれいに処置してある。
傷が深かったため、【ヒール】で治しきれなかったのだろう。これほどの傷を治すには、練度が要求されるからしかたない。
(優秀なヒーラーは多ければ多いほどいい)
あの若さでこの処置ができるのなら、いずれは高名なヒーラーになろう。
少女の未来に想いをはせながら――
エロースは一瞬で自身の傷を跡形もなく癒やし、町を目指して歩きだした。
自身と同じく、少女にも幾年もの未来が約束されていると疑うこともなく。
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