第3話 魔法医、瀕死の少女に出会う



(さて、どうしたものか)


 レリアと別れたあと――

 エロースは森をさまよい歩きながら、これからの方針を考えていた。


 まず第一に考えたのは、故郷の弟子や孤児院の子らの身の安全だ。


 自分が逃げのびたことで、愚王が彼らに危害をくわえる可能性がある。


 あの愚王のことだ。


 たとえば彼らに危害をくわえてエロースを誘いだそうとする、といった姑息な手段を使うことも十分に考えられる。


 なので、できれば早期にオートラリアに戻って現状を把握したいのだが――


(さすがに遠すぎる)


 このユグラシア大陸は、オートラリア大陸はあまりに遠い。大陸間交流はなく、魔導船でも行き来には月単位の時間がかかるのだ。


 もはやいまから帰路についたところで、すべては手遅れの可能性が高い。


(いや、そもそも……船で帰るのはいまの俺の身銭では現実的ではないか)


 長期間の航海をするには、莫大な費用が必要だ。身ひとつで放りだされたエロースに、さすがにそれほどの財はない。


(優秀な魔法使いソーサラーをさがすほうが、まだましな気はするものの……)


 ここに送られてきたのが転移魔法ならば、転移魔法で帰るのが時間的にもいちばん効率的で、確実な手段には思える。


 だがそれにも、大きな問題が2つ。


 まずそもそも【テレポーラ】を使えるソーサラーがいるのかという問題だ。


 オートラリアは世界的にかなりの魔法先進国だった。そのなかで【テレポーラ】は最新の呪文で、なおかつ詠唱は最高難度だ。実際、さきほどのレリアは【テレポーラ】の存在すら知らなかった。このユグラシアに使用できるソーサラーがいない可能性がある。


 次に術者がいたとしても、オートラリアに正確に転移できるかという問題だ。


 術者が行ったことがない場所への転移は至難。事前に周到に準備をしたとしても、正確な座標への転移はほぼ不可能だろう。


 ちゃんと帰れるかはギャンブル。最悪の場合、死に至るかもしれない。


(……もはや帰るのはあきらめ、気ままに旅でもするのが現実的なところか)


 あのときあの愚王が言っていたように、エロースがいなければ国に内乱が起こらないのは事実だ。そして自身の地位と命がもはや脅かされないとわかれば、あの愚王も次第におとなしくなろう。


 残してきた弟子たちもバカではない。


 エロースが消息不明のままならば、愚王を丸めこんで生きのこれるはず。孤児院の子らのことも、うまく助けてくれるだろう。


(まあ一応はソーサラーをさがしつつ、ここで安住の地を求めるのも悪くない)


 そんなふうにエロースがこれからの行動方針を決めた――そのときだった。



「――きゃああああああああああ!」



 悲鳴が、森の静寂を切りさいた。


 続いて耳に届いたのは、怒声と剣戟の音。


 それらはこれまでエロースが何度となく耳にしてきた音――の音だった。


(人間、戦からは逃れられぬようだな)


 考えながら、音のほうへと脚を速める。


 やがて目に入ったのは、豪奢な馬車。そしてそれを襲っている魔物たちと、それに抗戦している護衛の騎士たちの姿だった。


 魔物は、合計30体弱のゴブリンの群れ。


 アークゴブリン1体、ホブゴブリンが3体、残りはただのゴブリンだ。ゴブリンメイジがいないため、群れとしてはさほど脅威ではない。熟練のパーティーであれば、想定している相手だろう。


 だがいかんせん数が多い。

 旅でこれほどの数に遭遇するのは、まったく不運としか言いようがない。


 一方で騎士側は総勢10名強。


 ソーサラーの姿もあり、騎士ひとりひとりの腕も悪くない。数に押されてはいるものの、一体ずつ確実に屠っている。


(手を出さなくても大丈夫そうだ)


 ひとまず静観することに決めるエロース。


 下手に手を出せば、騎士たちの隊列が乱れてしまうかもしれない。逆に足を引っぱることになりかねないからだ。


「……」


 ゴブリンの数が減ると、やはり戦況は騎士たちの側に一気に傾いた。


 完全に狩る側にまわった騎士たちは、次々とゴブリンを屠っていく。まもなくゴブリンたちは一掃されることだろう。


(終わったか)


 しばしあって、魔物の群れは一掃された。


 だがエロースの想定よりも、時間がかかったように思う。理由はわからないが、騎士たちがどこか浮き足だっていたのだ。その戦いぶりや実力を見るに、決して初陣というわけではあるまいが。


(気がかりでもあったのだろうか)


 そんなエロースの疑問に答えるように、ひとりの騎士の声が響いた。



「――隊長、ウェンディさまが!」



 その差しせまった声音に、騎士たちの表情がそろって険しくなる。


 傷を負っている騎士もふくめ、みなが慌てて馬車のほうへと急いだ。


 エロースが近づいていくと、馬車のそばにはひとりの少女が倒れていた。


「ウェンディさま! お気を確かに!」

「だ……大丈夫ですから。そんなに怖い顔をしないで、ソラード」


 ウェンディと呼ばれた少女は、ソラードと呼んだ巨漢の騎士に微笑みかける。


 しかし彼女の呼吸は荒く、顔色も悪い。

 容態はよくなさそうだ。


「くっ……傷が深すぎる! わたしの治癒魔法ではどうにも……!」


 ソラードが懸命に【ヒール】を唱えているが、治癒が追いついていない。


 彼の【ヒール】が未熟というわけではない。傷が深すぎるのだ。


 旅には不似合いな豪奢な少女のドレスには、大量の血がにじんでいた。ゴブリンにまともに斬りつけられたのだろう。


 このまま出血が続けば、まず助かるまい。


「……くそっ! このソラードがついておきながら、なにもできぬのか……!」

「た……戦うことを選んだのはわたしですから、貴方が気に病む必要はありません。馬車から羊皮紙を持ってきてください。貴方たちは全力を尽くしてくれたと、お父さま宛に一筆したためます」


 微笑みかけるウェンディを見て、ソラードは感極まったように破顔する。


 大男が肩を震わせ、男泣きである。


(ふむ、器の大きい少女のようだ)


 護衛対象であろう少女が命を落とせば、騎士たちはその責に問われる。そうならないように、少女は死の淵で一筆したためようというのだろう。自身が生死の境にあるというのに、騎士たちの身をあんじるとは、そうできることではない。


 ……まあ無関係のエロースにとっては、正直どうでもいいことではあるが。



退け」



 そんな感動的なシーンに、しかしエロースはずかずかと踏みこんでいく。


 感涙にむせびなく騎士隊長を押しのけ、少女のかたわらに寄りそう。


「な、貴様は何者だ! いつのまに……! ウェンディさまに近づくな!」

「俺はエロース、旅のヒーラーだ」


 エロースを拘束せんとしていたソラードはその言葉を聞き、目を見張る。


 それからエロースへと身を乗りだし、勢いよくその肩をつかんできた。


「なに!? ヒーラーだと!? 聖協会の免許は!? 免許はあるのか!?」

「そんなものはない」


 なんのことかは知らないが、この大陸に来たばかりで持っているわけもない。


 ソラードはがっくりと肩を落とす。


「……ヤブヒーラーごときでは無理だ。初級とはいえ、聖協会の正免許を持つわたしでさえどうにもならぬのだからな。得体のしれぬものをウェンディさまに近づけるわけにはいかん。離れろ!」

「……っ!」


 乱暴に腕をつかまれ、しかしエロースは頑としてその場を離れない。


 そして逆にソラードをにらみつけた。


「離れるのは俺ではなく、おまえだ。このままだと、この娘は死ぬぞ?」

「そ……そんなことはわかっている! だがらわたしがいま懸命に治療しているのだろう! 無免許のヤブヒーラーに下手に触れられて悪化してはかなわん! 治せるわけがないのだ……離れろ!」


 どうやらこの大陸では、聖協会という組織が権威を持っているらしい。


 だがそんなのは知ったことではない。


「……馬鹿者、誰にものを言っている?」


 ソラードの腕を強引に振りはらうと、エロースは小さく笑う。



「俺はエロース、世界最高のヒーラーだ」



 その宣言は――いまは亡き大切な人間との誓いであり、救えなかったものたちへのエロースなりの鎮魂歌であった。

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