そのヤブヒーラー、世界最高の魔法医につき 〜優秀すぎると命をねらわれた元宮廷魔法医、新天地を気ままに旅する〜
少年ユウシャ
第1話 魔法医、国王に命をねらわれる
――エロース・ユリファー。
現在に至るまで、幾万もの命を救ってきた世界最高の
彼の【ヒール】はどんな深手の傷もたちどころに癒やし、彼の【クリアメント】はあらゆる体の腐敗や毒も浄化して取りのぞいた。
そして彼が卓越しているのは治癒魔法だけではなく、世界中のあらゆる知識を持ち、不治の疫病の治療法すらも数日で発明した。
彼に治せぬ傷は、呪いは、病は存在しない。そんな噂がまことしやかに流れるほどの生ける伝説的なヒーラーであった。
そんな世界最高のヒーラーがいま、これまでにない窮地に立たされていた。
*
「王よ、これはなんのつもりだ?」
エロースは息をつき、国王に訊ねた。
エロースは隣国との戦に参加し、いま王都に帰還したばかりだった。
すさまじく疲労していたにもかかわらず、すぐに玉座の間に呼びだされたのだ。
……まあ、到着直後に呼びだされただけならば特に疑問には思わない。この国の王はそういう男だと知っていたからだ。
だがこの状況は――
「……」
自国の騎士に取りかこまれ、剣を向けられているこの状況はなんなのだ。
エロースは今回の戦だけで、幾百ものこの国の民の命を救ったし、これまでに救ってきた命は千をくだらない。
いわば、この国の英雄なのだ。
それがなにゆえ、このように無数の剣を向けられねばならないのか。
「エロース、ぬしは我が民を救いすぎた」
国王は仄暗い微笑を口の端にのせると、淡々とそう告げた。
そしてエロースはその一言だけで、おおむねの事情を察してしまう。
「俺が邪魔になったか」
訊ねると、しかし国王はなにも答えず目を細め、やがて忌々しげに舌打ちする。
「……もうすべてを悟ったか、エロースよ。ぬしは誠に優秀な男だ。この国で……いや、世界で最高のヒーラーであると余も認めざるを得ない。だがぬしは優秀すぎた。その優秀さが命取りになったな。ぬしの名声はいまや余や教皇すらも凌駕している。余を王位からしりぞけ、ぬしを王に立てようという動きがあるのは知っておろう」
「俺は王位になど興味はない」
それはエロースの偽らざる本音だった。
しかし国王は鼻をならし、首を振る。
「しかし民は……まわりはそうは思っておらぬ。戦で疲弊した民はぬしのような英雄を求めておる。そして一部の貴族はその民意を利用し、内乱をくわだてておる。このままでは内で争いが起きる」
「そんなのは俺の知ったことか。国王であるおまえの努力不足だろう」
「黙れ! 余がどれだけ努力をしてきたかもわからぬのに、知った口をきくな!」
国王は声をあらげ、語調を強めた。
エロースはやれやれと肩をすくめる。
民がエロースを支持しているのは、なにもエロースのせいばかりではない。
国王が無能だからである。
賢王と呼ばれた先代と比べると、現国王はあきらかに劣る。国王自身もそれを知っていて、民意を集めんといくつも策を講じた。そこまではよかったのだが、そこからは考えうるかぎり最悪だった。
国王は想像を上回る無能だったのだ。
講じた策は愚策ばかりで、すべてが失敗に終わった。厳しい戦が続いたこともあり、民意は完全に離れてしまった。
この状況ではエロースが新王に望まれるのもいたしかたないことである。
「愚かだな王よ、努力など……結果が出せぬならばしていないのと変わらん」
世界最高のヒーラーであるエロースは、そのことを誰よりも知っていた。
かつて、身をもって学んだことだ。
国王は吐き捨てるように笑った。
「ふっ、そうか。ぬしがそう思うならそうなのだろう。余とは違い、ぬしはあらゆるものを持っておるからな。明晰な頭脳も天賦の才も、民からの尊敬と信頼も。余もそんなぬしと議論するつもりはない。議論したところでこれから起こることは変わらぬ。ここでぬしが不慮の”急病“によって命を落とし、天界へと旅立つということはな」
「急病によって命を落とす、か。間違いではないな。ただし急病なのは俺ではなく、我が国の王だがな。精神を病まねば、これまでこの国の民をさんざん救ってきた俺を抹殺しようなどとは思うまい」
「貴様ァ……愚弄しおって! もういい、ただちに処刑せよ!!!」
国王は額に青筋を走らせ、騎士に命じた。
「……おまえらはそれでいいのか? この愚王にしたがい、俺を殺すと?」
国王を無視し、エロースは周囲の騎士たちに問いかける。
騎士たちの多くは、エロースとともに戦にも参加したことのある戦友だった。
彼らは王に忠誠を誓ってはいたが、善悪は判断できるものたちだ。自分を抹殺するこの愚策に素直にしたがうのは不自然だった。
騎士たちはどこか気まずそうに目をそらし、やがてうつむく。
「すまぬ……ユリファー殿、すまぬ」
そしてエロースと親交のあった騎士隊長が、苦しげにうめいた。
追いつめられたようなその瞳には、血のように濃い涙がにじんでいた。
かつてエロースは戦に同行したときに彼を死の淵から救ったことがあるのだが、そのときですら彼はこのような苦しげな表情をしなかったはずだ。自身が生死をさまよっていたときでさえ、だ。
つまりこの状況には、彼の命よりも大事なものがかかっていることがうかがえる。
彼の命よりも大事なものが、いままさに窮地に立たされているのだ。
「なるほど、妻子を人質にとったか。下衆め」
騎士が自身の命よりも大切にするものなんて、それぐらいしかあるまい。
騎士たちは国王に家族を人質にとられている。だから逆らえないのだろう。
それを肯定するように、国王の顔には下衆な微笑が広がっていた。
「騎士たちの妻子ばかりではないぞ? ぬしの大切なものたちの元へも、余の刺客が放たれている。ぬしが抵抗しようものなら、いつでもその心の臓をつらぬいて息の根をとめられるようにな」
「……なるほど、入念なことだ」
弟子たちや自身が建てた孤児院の子らの笑顔が、エロースの脳裏によぎる。
それから抵抗しようと手のひらにひそかに集めていた魔力を静かに霧散させた。
(愚王にしては考えたようだな)
これでは抵抗できない。
国王は残忍な男だ。抵抗した瞬間、人質は確実に殺されるだろう。
国王は勝ちほこった表情をつくり、合図するように手をあげた。
「――さらば、英雄エロース・ユリファー」
直後。騎士たちが一斉に動きだした。
一切の躊躇なく、全方位からエロースへと無数の剣が突きだされる。
(ふっ、自ら救ったものたちに殺されるか……我ながらくだらぬ最期だ)
エロースは微動だにせず、ただただこれ以上ない自嘲の笑みをうかべた。
エロースは世界最高のヒーラーであり、優秀な
だが――
「……」
エロースはなにもしないことを選んだ。
エロースが抵抗すれば、エロースや騎士たちの人質が死ぬことになる。
世界最高のヒーラーとして、みすみす人を死なせる選択はできない。
それがヒーラーとしてのエロースの行持であり、信念であり、覚悟だった。
そして次の瞬間。
無数の剣がエロースへと達し――
「――――【テレポーラ】!!!」
「……!?」
肉体をつらぬく直前だった。
空間転移魔法とおぼしき詠唱が、突如この玉座の間にとどろいた。
詠唱者は玉座の間に飛びこんできた何者かだったが、それが誰だったのかをエロースには知るすべがなかった。
「……っ!?」
詠唱完成の瞬間、エロースはすでに落下しはじめていたからだ。
真下に生成された転移穴。
エロースはそこに引きこまれ、内部の虹色の空間を落下しつづけた。
【テレポーラ】はこの異空間を通ることで、空間の瞬間移動を可能にした魔法。自分を異空間に飛ばし、助けてくれたのだろう。
この呪文を唱えられるのは、魔法先進国であるこの国でも多くはない。
一握りの宮廷魔術師や賢者、あとはエロースの弟子ぐらいだ。確認できなかったが、弟子が駆けつけてくれたのかもしれない。
(おかげで死をまぬがれたようだ、が……)
エロースは異空間を落下しながら、呑気にもあぐらをかいて考える。
【テレポーラ】の使用には、ふつう周到な事前準備が必要だ。正確な転移先を決めていなければ、なにしろ世界のどこに転移するかわからず、転移先が火山の火口や海底ということもありうるからだ。
今回の転移に事前準備がなされているわけもないので、もしそういった危険な場所に転移してしまえば、エロースは転移直後に命を落とすことにもなりかねない。というか、その可能性は高い。
(まあ……なるようになる、か)
楽観的にそんなことを考えていると、ふいに虹色の空間がとぎれる。
そしてエロースが放りだされたのは――
「は?」
空、だった。
地表のはるか上空、目の前に雲がただよっているほどの高度。エロースはそんなところに身ひとつで放りだされた。
落下の勢いはとどまることを知らず、加速を続ける。実は気をつかって毎日セットしている髪が、問答無用で舞いあがった。
(髪型なんぞ気にしている場合ではない)
頭部に伸ばした手をとめ、地上を見下ろす。
目測で地表との距離をはかり、落下速度と合わせて一瞬で計算する。
「――【レビテーション】!!!」
直後。浮遊呪文を唱えた。
このままの勢いで落下して地面に叩きつけれれば、まず助からない。
この勢いを軽減できればという期待を込めた【レビテーション】だった。
【レビテーション】は飛行呪文【フライト】の下位呪文に値するのだが、今回は【レビテーション】が適しているはず。
計算通り、みるみるうちにエロースの落下速度は落ちていった。
(ああ、やっぱり無理か)
だが計算通り、ぎりぎりのところでやはり間にあわなかったようだ。
落下の勢いは殺しきれず――
「……っ!!!」
瞬間。エロースは地表はと到達し、激しく地面に叩きつけられる。
はるか上空から叩きつけられたあまりの衝撃で苦痛を感じるまもなかった。
信じられぬほどの衝撃がエロースの脳をゆさぶり、意識を消しとばした。
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