とけていく

 放課後、体育館横で白木先生を見つけた。自販機をじっと眺めている人がいて、誰だろうとよく見たら白木先生だった。

 部活時間の体育館は賑やかで、大きな声が外にまで響いてくる。それなのに先生の周りだけはしんと静かな空気が流れていて、俺たちの世界とは違う場所を生きているような感じがした。

 そばを通る生徒たちは帰りの挨拶すらせず、怪訝そうな目を向けながら素通りしていく。それすら気にせずに、先生は自販機を見つめたまま動かない。

 そんなんだから怖がられるんだよ。

 俺は後ろから先生に近づいた。

「何してるんですか、そんなとこで」

「わ、びっくりした」

 平坦な声と動かない表情。どう見ても驚いているようには思えない。眉の間に皺が寄っていて、怒っているようにすら見える。

 ……また怖い顔してる。

 こんなときでもいつもと変わらない白木先生を見て、頬が緩みそうになった。口元にそっと力を入れる。

「ああ、なんだ」

 細い指先に摘まんだ二百円が見えて、買うものを悩んでいたのだと分かった。

「俺のおすすめはこれです」

「こんなに暖かいのに?」

「だからですよ」

 小銭を奪って、コーンスープのボタンを押した。ピ、という間抜けな音に続いて、大きな音が響く。

 俺が缶を取り出すまで、先生は俺をじっと見ていた。先生の視線が、俺に向いている。そう考えるだけで、手をどうやって動かせばいいのか分からなくなりそうだった。

 はい、と手渡すと先生の白い指がそれを握った。先生の手のひらは、思ったよりも大きい。

「どうせ冷たいものばかり飲んでるんでしょう。たまにはそういうの飲んだほうがいいですよ」

「言うようになったね、きみも」

 歪んでいた口が柔らかく開いて、缶にそっと触れる。大きな喉仏が動いて、スープが溶けていった。



 あの日から、ずっと考えている。

 先生はいつもにこにこ笑っていないといけない生き物だと思う?

 そう白木先生に言われて、俺は何も言うことができなかった。先生はいつも笑っていないといけないなんて、俺は思っていない。笑わない先生なんてたくさんいるし、それでいいんだと思う。

 でも白木先生が笑わないのは、どうしても気になった。先生という仕事が嫌いなんじゃないかと考え始めたら止まらなくて、不安で、たまらなく確かめたくなった。

 俺はきっと、嫌な気持ちを抱えたまま白木先生に授業をしてほしくなかったんだと思う。俺が生徒として存在している場所を、白木先生には嫌いになってほしくなかった。



「それ、似合わないですね」

 そう言うと、白木先生は俺をちらと見下ろした。缶に口をつけたまま、目元だけを少し緩めたように見えた。

 白木先生はブラックコーヒーのほうが似合うと思う。苦くて真っ黒で、良さが分かるまで時間がかかる。そういうところが先生に似ている。

 この時期には、なかなか売れないコーンスープ。きっと梅雨がやって来る頃には、取り出されてしまうんだろう。

 先生の手のひらに、少しでも温かさが移ればいい。そう思いながら、コーンスープの缶を見つめた。






※2023/11/08

下記の企画に投稿した内容を加筆修正しました。


尼崎文学だらけ テレ旅→ブックス

#444書 参加作品

お題:スープ



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笑った顔が見たい みたか @hitomi_no_tsuki

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