第16話 Ex=ReD 帰宅ダブルス フラッグメント編 9

 街を、一切止まることなく走る鉄雄。


 視界の先には、徐々に距離を開けられつつある手塚の姿。このまま5分も走れば、相手にフラッグは取られてしまう。

 それでも、手がない訳ではなかった。


 確かに、遮蔽物の無い直線での勝負であれば、勝てる要素はまったくないだろう。だが、街中であれば。

 ブーストシューズの加速は最大限に発揮されず、テクニック次第で巻き返せる可能性もでてくる。


「まずは、住宅街だな……!」


 立ち並ぶ家と家。

 その隙間にある空間へと、躊躇いなく身をすべりこませる。街中にある、抜け道という抜け道は、すべて頭の中に入っている。

 高校入学前に、幾度となく町を散策していたからだ。思わず自嘲するように笑みがこぼれる。


「競技帰宅に興味はない……か」


 それは先日、万里に対して放った一言。それがおおよそ的はずれであったことを、今更ながらに思い出した。


「心にもないことを言った」


 とん、とんとブロック塀の上を駆け、街の隙間を縫っていく。

 大きな通りに出た時には、手塚よりもフラッグに近い場所にいた。


「よし、巻き返した。そしてここから……!」


 駅から少し離れたオフィス街に入る。

 もちろんここでも速度は緩めない。後ろから追ってくる手塚との距離が少し近くなるが、振り切るように目の前のオフィスビルに入る。


 1階部分が通路になった雑居ビルを抜けて、そのまま別側の道路へと出る。

 何も、道路だけを行くのが帰宅ではないのだ。


 そこでさらに差を開けて、フラッグまでの距離は残り僅か。

 純粋にスピードの勝負になるが、得たアドバンテージはある。


 徐々に差を詰められるが、ギリギリのところで鉄雄がフラッグを取った。息を切らせながら情報を登録する。

 ほぼ同時にポイントについた手塚のブーストシューズからは、白煙が上がっていた。


「こんだけ距離があったってのに……やるな、お前」

「どういたしまして。これで、4対1です。あとは帰宅タイムと合計して勝負ですね」


 実際には、まだ万里の帰宅ルート上にあったフラッグが残っていると鉄雄は思っているので、勝負に勝つためのブラフを張る。ここからブーストシューズで最後のフラッグへ向かわれてしまっては、さすがに追いつけない。


「まあ、うちのパワーサイクルはとっくに家についてるからな。帰宅タイムではうちの圧勝だ」

「だから、フラッグでの勝ちに懸けるしかなかった」

「タイム差によっちゃあ、まだ分からねえがな。後は個人戦みてえなもんだ。じゃあな、後輩。楽しかったぜ」

「ええ、いい勝負でした」

「ちッ、短時間で使いすぎたか。オーバーヒートしてやがる」


 手塚はシューズを吹かすことなく、自らの足で駆けて去っていった。

 鉄雄に残されたミッションは、残るフラッグの回収と、帰宅ルートから外れている万里の救援だった。


 確かにフラッグは4本取ったが、さすがに帰宅タイムが遅くなりすぎれば負ける可能性はある。

 息を整えて、再び走る準備をした。




   〇   〇   〇




 万里は、同じ道を何度も行き来していた。

 ただあてもなく歩きまわっているわけではなく、根拠あってのことである。


 確かに、フラッグの地点から元の道へ戻るルートは分からない。

 だが、分からなければ探せばよいのだ。


 彼女は持っているコマ地図ノートの新しいページに、コマ地図を追加しながら既存のコマと一致する場所を探していた。

 交差点一つ進めば一度戻り、枝分かれの数だけ1区画ずつ進めていく。それは気の遠くなるものではあったが、いつか必ず正解が見つかる方法でもあった。


 感覚に頼らず、確実に帰宅できる方法を。と考えた故の結論だった。

 確かに効率は悪く、今にも叫びだしそうになる。自分の不甲斐なさを呪いたくなる衝動を無理やり押さえつけて、彼女は作業とも呼べるその方法を敢行していく。


「……ここは!」


 帰宅コースから外れ、フラッグを取りに行った数分。それを取り戻し、元の道に戻ってくるまでおよそ20分。

 だが、彼女は戻ったのだ。自分の力で。自分だけの力で。


 またも涙が溢れそうになるが、ぐいとこらえて家へと向かう。




   〇   〇   〇




 入れ替わるようにして5つ目にフラッグへとたどりついた鉄雄は、すでにフラッグが取得されていることに驚く。そして、万里が帰宅コースに戻っていることに、さらに驚いた。


 万里は、自力でフラッグを取り、コースへと戻ったのだ。

 つい先日まで、三歩歩けば道に迷っていたようなあの万里が、である。


 であれば、鉄雄にできることはもうない。声もかけない。彼女は、一人で帰宅したのだと、そう感慨にふける。

 あとは、急いで家に帰って、勝負の行方を見るだけである。




   〇   〇   〇




 屋敷の門が見え、万里の歩みが自然と速くなる。

 門の向こう、屋敷に至るまでの庭の通路に、彼女のよく知った丸いフォルムが佇んでいた。


「おかえりなさいませ、お嬢様。すべて、見ており申した」

「根亀……!」


 抑えていた感情が、ついに目からこぼれる。涙声になりながら、たどたどしく万里は言った。


「ただ……い、ま、ですの……!」


 そして、最終帰宅者である万里が帰宅したことで、Ex=ReDダブルスの終了を告げるブザーが、デバイスから響いた。


 フラッグ数、4対1。それだけ見れば、圧倒的な勝利である。

 ここに、帰宅タイムが加味され、総合的な勝者が決まる。


 根亀と寄り添い、結果が表示されるのを待つ。

 ぐ、と息を呑み、その次の瞬間。


 手塚率いる、相手チームの勝利が表示された。


「負け……」

「試合には負けですが、お嬢様の意思、しかと見届けましたぞ。たとえ部員が集まらずとも、拙者はどこまでもお嬢様についていく所存にて」

「……ありがとう、根亀」


 ふたたび、万里の目から涙がこぼれた。




   〇   〇   〇




 翌日、昼休み。

 視聴覚室に鉄雄は呼び出された。


「なあ、何で視聴覚室に呼びだすんだろーな」

「……さあな」

「なんだよ、元気ねーな。負けたもんはしゃーねーだろ」


 勇吾は横に並んでついてくる。

 試合に負けはしたが、試合後にドローンの映像を確認し、万里の行動を把握した。彼女は、彼女なりにできることをやろうとしたのだ。


「俺は、万里さんを低く見ていた。それが、申し訳なくてな」

「それは間違いねーな。最後のフラッグの場所に行かずに帰ってりゃ、多分タイム差でも勝ってたと思うぞ」

「敗因は俺だ。どんな顔をして万里さんに会えば……」


 ゆるゆると、だが確実に視聴覚室の扉は近づいてくる。

 深く息を吸い込んで、覚悟を決めて扉を開ければ、二人の視界に映ったのは土下座をしている万里の姿だった。


「な、なにをしているんだ万里さん」

「昨日の負け、わたくしのせいですの! わたくしが余計なことをしなければ……!」

「いやいや、ちげーって、万里ちゃん、鉄雄が悪いよありゃあ」

「その通りだ、俺がもっとタイムを縮めていれば……!」


 そんな様子を見て、根亀はけらけらと笑う。


「似た者同士でありますなあ」

「おー、根亀ちゃんもそう思う? 今ちょーどそう思ったトコ」


 なおも収まらぬ謝罪合戦に、勇吾が割って入る。


「まあまあ、別に部としてデメリットはなかったんだからいいんじゃねえ?」

「それは……そうですけれど」

「それに、あの帰宅を見て、新しい部員が増えるかも知れねーじゃん」

「確かに、元の目的はそうだったな」


 両手の親指で、ビシィッと自分自身を指す勇吾。


「そ・こ・で・だ。このボクちゃんが入部するってのはどうだ? 実力、コミュ力、共に申し分ない優良物件だろ? 健闘の成果ってことで、な?」


 言葉を失う鉄雄と万里。


「ん? どうした? 感激のあまり声も出ねえ?」

「勇吾殿。勇吾殿」

「どした? 根亀ちゃんまでそんな全てを悟ったチベットスナギツネみたいな顔して」

「勇吾殿は、すでに入部済みでござる」

「……は?」


 事情の説明を求めるとばかりに周囲を見渡すが、誰も彼と顔を合わせようとはしなかった。

 視線をそらしたまま、万里が言う。


「じ、じつはその通りですの……」

「いつ!? いつの間に入部させられたの俺!?」

「……ダブルスの試合が決まった日ぐらいだな……」

「言えよぉ! なんかネタが滑ったみたいになってんじゃねーか! 許可をとれよぉ!!」

「まあま、拙者も勝手に入部させられていたクチでござるゆえ」

「納得いかーん!!」


 賑やかに、新たな競技帰宅部がここに発足した。

 前途多難な帰宅の道は、まだ始まったばかりである。

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最強最速の帰宅部 三衣 千月 @mitsui_10goodman

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