リリーガンの手紙

ブーカン

リリーガンの手紙

お母さまへ


 今の私には、何の気ない、親愛な内容にすべきお手紙に、お母さまへ、と宛て名することにもひどく罪深いことのように思われます。なぜならば、この手紙はエンジ教館での私の朗らかな生活や選出課程教練の経過などといった、そんな内容のものでは決してないし、場合によってはお母さまは顔を覆って床にふせってしまうことにもなりかねません。

 あの、私の秘密をはじめて知らせたときのように。

 すべての真実を、ただ否定して。

 もしかすると、もとより、これまでお母さまに宛てた手紙なども、お母さまには届いてなどいないのかもしれません。

 ならばいっそ、私も何の躊躇もなく、この筆を進めることができるでしょう。

 前回の手紙では、私の片割れとなるべきエルを失ったことをお伝えしたはずです。

 「はず」、などとあいまいなのも、まさか手紙に控えなどするわけがなく、また、そのときの私の心持ちを思い返せばその内容までをもつぶさに覚えておくことなど不可能なことから、憶測となるのです。

 では、その心持ちなどといったものは、今は落ち着いているのか、というと、そんなことは決してありません。

 エルを失って生まれて初めて得た、この、名状しがたい激しい情念は、夜を迎えるたびに私の身を焦がし、悶えさせ、何度私の意識を霧散させようとしたのか量り知れません。私は自分が眠っていても、覚めていても、同じように何度も何度も何度も襲い来るものに目を背け、口を噤み、布団を頭から被って耐えるのみなのです。そうして迎えた朝、カーテンから漏れ出でる陽光は、私にとっては希望の始まりなどではなく、また無為な世界の一日がはじまったことをただただ告げるものと成り果てました。私は、その、低くたれこめた灰色の雲の下で、決してまばゆいなどとは言えないながらも、弱々しく告げられる朝の光の瞬間にこそ、最も絶望するのです。

 そうやってまるで鍋の中に放り込まれでもしたように、煮詰め続けられた私の意志は真っ黒になって、たったひとつの純粋な解決策を得ました。

 エルを殺した者への復讐です。

 私から、大事な半身を奪ったあのアルフォンを、その輝きの最も強い瞬間を奪ってやるのです。彼女の輝く瞬間、などといったら、もう十中八九、間違いがないでしょう。彼女が「エンジ」に選ばれたその日に、「八月一日」に彼女の命を絶ってみせる。

 今の私には、その夢想だけが、毎日襲い来る絶望に耐えるためのたった唯一の武器なのです。

 ただ、私は、自身で決したその意志を少し呪いたくもなってきました。今、はっきりと自覚したことですが、この手紙は、お母さまへの報告というよりは、私自身の慰めのために筆が進められているのです。それほどまでに、この意志を全うする道程はひどくおぞましく、身の毛もよだつ行為に他なりません。

 エルを害した張本人がアルフォンであることを、エルはエルと私の共通の秘密を介して教えてくれたけれども、万が一、そうでなかった場合を考慮すると、無策でいてはいけない、とアルフォンに近づいて、気を許す素振りを見せたのがそもそもの発端だったのです。

 あれは、月曜日の、運動教練の時間でした。私は生まれながらの不向きさと、連日の寝不足が祟り、教練の時間に倒れてしまったのです。気がつくと私は休憩室のベッドの上で寝ており、傍にはアルフォンが控えていました。

 私はあんなにも近くにアルフォンがいたことにひどい驚きと焦燥を感じましたが、ちょうど前日の夜に件の決意に至っていたので、それを彼女に気取られぬよう、努めて平静を装って彼女に状況の説明を求めたのです。

 彼女は運動教練中に私が倒れたこと、それを介助して運んできたこと、少し前に調理教練中に私と衝突したことを謝りたくてしばらく様子を見守っていたことを語りました。

 部屋には私とアルフォンの二人きり。大声でエルについて罵倒したくなる内心をぐっとこらえ、なんとか取り繕った笑顔で彼女の許しの請願に応じると、彼女は本当に綺麗な、素敵な笑顔を見せてくれました。

 エルのことさえなければ、彼女のその笑顔こそ、この地上で唯一の美しいものだと本気で感じ入ってしまいそうなほどにまばゆい微笑。けれど、次の瞬間には、アルフォンに垣間見た神性などは私の中から全く消え去っていました。

 アルフォンは不意に私にキスをしてきたのです。

 私は一瞬体を強張らせ、反射的に彼女の身体を押し退けて拒んでしまいそうになりましたが、あの、エルの仇を、アルフォンに復讐を果たすという強大な目的を持つ、私の中でどろどろに真っ黒になった意志が、アルフォンを払い除けてしまう寸前で押し留めてくれました。そうすると、むしろその瞬間、私には全ての合点がいったような気がしたものです。

 つまり、アルフォンなどという神性をもつ少女などはいなかったのだ、と。

 私の唇を貪るアルは、その合間に私の運動服に手をかけ、するり、と脱がせてしまいました。その所作に、私は彼女がこういったことに慣れているのだ、と判断がつきました。

 こういった行為がもちろん教会の教えにはなく、公的な場では忌避されがちながらも、公然の秘密として、ある種の娯楽として一部の教徒の間に存在することは私自身も知ってはおりました。ですが、いざ自分がそういった状況にあるのだ、と自覚して、何かしらの感慨を、あるいは判断を得る前に、目の前の神性を喪失したアルフォンによって、次々と事態は進められていき、リリーガンという女は、アルフォン自身の渇きを埋めるためだけの存在となっていたようです。

 一瞬だけ、彼女は私の肌に埋めていた顔を上げ、先ほどの調理教練の件とは別種の、懇願するような顔つきを見せました。

 私は、私自身がその彼女の求めに対してどのような顔で応えたのか、まったく知る術がありません。ただ、内心では、さきほども書きましたとおりの妙な納得と、事態の進展についていけていない虚無の心、そして、正直に申し述べると、少しばかりの快楽を得ていた、まさにその時だったように思います。

 私の、生涯における最も許されざる罪は一体なんなのだ、と問われるのであれば、この瞬間に、あの真っ黒で純粋な想いも、エルのことも、綺麗さっぱり失ってしまっていた、ただその一点だと言いつくすことができるでしょう。

 事が終わると、いや、私には何が終わりの合図なのか、まったくもって見当もつかなかったのですが、アルフォンにはその判断がつくようでした。彼女は何度もキスをしてきて、それも止むと、また慣れた手つきで私に服を着せ、布団を綺麗に掛けなおしてくれました。自身も服を着直すと、ただ美しいばかりの笑顔を浮かべ、「リリィ、ありがとう」、などと言うのです。

 この時になってようやく、私にまたあの黒い意志が戻ってきました。

 部屋を出ていく彼女の背中を見ながら、ああ、いまこの想いが鋭い刃となって、彼女のあの背を貫いてくれたならどんなに楽なことだろう、と涙が流れたのです。

 このアルフォンの趣味のことを、どれだけの人が知っているのでしょう。

 私には、これがひどく重要な意味をもつ気がしてきています。

 というのも、今日、またもアルフォンの求めがあって、私がそれに応じたときのことです。

 正直に申し述べると、寮の空き部屋に呼び出された私に、アルフォンとの行為に、私の黒い意志に順ずるものとは別種の期待がなかったとは言い切れません。

 しかし、今日は、前回と違うことがありました。

 彼女は、前回と同様、自身の渇きをなんとしてでも満たそうとするように事態を進めていくのですが、その最中、不意に私の首に手をかけてきたのです。

 アルフォンの高揚に追従できず、覚束ずに身を任せる私でも、さすがにこれには体をびくりとさせました。

 それに気付くと、「ごめんなさい」とアルフォンは言って、私の喉元からその手を離しましたが、彼女の様子がこの瞬間より一変したのは明白でした。

 後は彼女の気もそぞろで、彼女自身がちっとも満足していない様子で行為は終わりとなりました。ひどく沈んだ様子で、ともするとこちらもひどく悪いことをしたかのように錯覚させられてしまいそうなほどです。

 今日の一連の秘密は、私に、確信を与えてくれました。

 エルの首に残った痕。あの何とも痛ましい、可哀そうな死の痕跡。

 そして、アルフォンの、破廉恥な行為の中での、危な気ある行為の片鱗。

 アルフォン、彼女こそは私のエルを奪ったまさしく全くの張本人である、という真実を、私自身の身でもって今日、確かめられたのです。

 とすると、私にはひどく哀しい事実もまた、浮かびあがるのです。

 エルと私には、その共通の秘密を介して強固な絆があったはずなのです。なのに、彼女は、エルは、もしかすると、今の私のような、アルフォンの慰み者になっていたのに、それを打ち明けてはくれなかったということなのでしょうか。

 それとも、彼女は自ら進んで、アルフォンとの行為に興じていたのでしょうか。

 もしエルが今もとなりにいてくれて、私が同じ立場になっているのであれば、どちらにしても私は包み隠さずにすべてをエルに伝えていたことでしょう。

 私が思うほどには、エルは私のことを思ってはくれていなかったということなのでしょうか。私は、私の心髄をひどく、大きく揺さぶられているのを感じます。

 突如として押し寄せてきたこの空しい問いに、私はただただ首を振ることしかできず、どうか、この想いが薄れることなく、「八月一日」まで強固に、より濃くなって私を助けてくれるように、願うばかりなのです。

 今、読み返してみて、やはりこの手紙はお母さまに見せられるものではない、ということを確信いたしました。

 この手紙を読んだたちまちのうちに、暗がりの居室で、ベッドに臥せってしまうお母さまの姿が、私のまぶたのうらに容易に描きだすことができます。

 どうか、「八月一日」までの堅固な契りとなってくれるよう祈りを込めて、封をして、この手紙は私の文箱の奥底にしまっておくことにいたします。奮い立つために。


リリーガンより、お母さまに。健やかにおられますよう。

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