覚醒~目覚めの時~

かなた

不夜城の朝

 眠りにつくことを知らない享楽の都、エルグレアス。


 南洋に浮かぶ小島コルシカ島のほぼ全域を占め、至る所に遊興施設が立ち並んでいることで有名な街である。


 元々は南の島特有の風景と美食を求めて人が集まる観光地だったが、そこに巨大な遊興施設が建ったことで更に人と施設が集まっていき、最終的にこの都で満たせない欲望はない、と言わしめるほどの壮大な規模の歓楽街へと成長した。


 あらゆる快楽を求める人々が集まり暮らすこの街は今、ちょうど朝の光が差し込む頃合いだ。


 常に賑やかな繁華街からはまだ楽しげな声や音楽が流れてくる。


 しかしこの時間帯だけは少し特別だった。街全体が緩慢に移ろおうとしているからだ。


 ある者は楽しんだ今日を思い返しながら眠りにつき、またある者はこれから得る悦楽を待ちきれず夢から覚める。そんなそれぞれの一日の終わりと始まりをそれぞれがゆったりと過ごしていく。


 誰もがみな、その生活に満足し、疑問に思うことなどなかった。


 それは例えるならこの街のシステムという蜘蛛の糸に絡め取られたエサのようで。


 しかしそんなこの街に、一筋の光が差そうとしていた。


 エルグレアスをあまねく照らす朝日にも似たそれは救いなのか、或いは――



 ◇◇◇◇


「ふわぁ、もう朝かぁ」


 カーテンの隙間から目を射る光に、少年は目を細めながら重い体を起こした。


 少年の名は、ユート。

 小さな掘っ建て小屋に独りで暮らしている。

 エルグレアスの外れに経つその小屋は、この巨大な街の恩寵を受けることはない。


 いつもと変わり映えしない気だるい毎日に退屈する日々。


 あの街で遊べるほどの大金があったなら。

 そんなことを考えるのはもうとうの昔にやめてしまった。


 街で遊び呆ける大人達は、誰もが皆、醜悪な本能を晒しているようで、あんな風には絶対になりたくなかった。


 そうだ、なりたくなどない。怠惰と快楽を貪るだけの大人になどは。


 肥大していく嫌悪と、湧き上がる疑念、そしてほんの少しの羨望。


 自身の病みを自覚しながら今日を消化していく。


 ――変わりたい!!!


 強く、それでいて漠然とした願いは、いつだって届かない。


 そう思っていたけれど。


 ――その朝、天使が舞い降りた!――


 まるで至近距離で太陽の光を浴びたかのような圧倒的眩さにユートはたじろぐ。


 まだ起きたばかりの頭もすっかり冴え、何が起こったのかを観察しようと必死だ。


 光の氾濫が収まると、そこには一人の女性が佇んでいた。


 後光を負った背には一対の翼。ゆったりとした貫頭衣に編み上げサンダル。


「誰…?」


 警戒しながら問うユートに、女性は答える。


「私はこの世の理の管理者に仕える使徒。あなたに力を授けに来ました」


「力?なんの?」


 唐突に降って湧いた話に困惑しつつ再度問う。


「この街を微睡みから呼び覚まし、惰性と堕落から救い出す力です」


 使徒は柔らかく微笑みながら答えた。


「なぜ僕に?」


「あなたの抱える病みこそが、この街を照らす目覚めの光となるからです。いつでも現状を打破するひかりを生むのは、強い闇なのです」


 そこで使徒は1度言葉を切り。


「あなただけがこの街に不満や疑念を抱ける正常な思考の持ち主です。あなたこそがこの街の救世主なのです!」


「この街の、救世主…」


 突然降って湧いた話に戸惑いつつ、心のどこかでこの状況を歓迎してもいた。


 正直な話、この街の連中がどうなろうとユートの知ったことではなかった。が、彼らに救世主メシアと呼ばれるのは悪くない。


「では早速始めます!」


 使徒は有無を言わさず力の付与を開始した。


 使徒の手元に顕現した杖からあたたかい光が放たれ、ユートを包み込む。


 まるで水中にふわふわと心地よく漂うような感覚がしばらく続き――何かが弾けるような感覚と共に意識が一点に収束していく!


 ――!!


 なにか強い衝撃を受けたように感じた、次の瞬間。


 先程と同じ場所に先程と同じように立っている自分がいた。


『力の付与、完了しました。』


 どこからか、確かに使徒の声がした。


 姿は、ない。


「これから、どうしたら……?」


 半ば独り言のような問いかけに、使徒は答えた。


『この街で1番高い所を目指しなさい。そこで力を解放するのです。』


「力を、解放する……?」


『そうです。やり方はその時に自然とわかるでしょう。』


 それを最後に、ぱたりと声は聞こえなくなった。


「この街で1番高い場所――エアリアルタワーの屋上か……。」


 そこは常時誰にでも解放されている場所だ。

 エレベーターもある。

 辿り着くのは簡単だが、何となく人目を避けなければいけない気がした。


 あの場所から人気ひとけがなくなる時間帯といえば。


「早朝、それも夜明け前がいいな。」


 そうと決まれば善は急げ、だ。


 ユートは夜更けを待ってエアリアルタワーの屋上へ向かう。


 深夜から早朝へと移り変わるその時間、タワーの中層あたりまではまだそれなりに人とすれ違ったが、屋上となると静かなものだ。


「ここで合ってる、はず。」


 眠らないこの街が誇る、宝石箱のような夜景。ユートに言わせれば、宝石箱の中身を無秩序にぶちまけただけだ。だが、無秩序だとしても確かにそれは美しかった。


「さて、始めるか。」


 ほかに誰もいないのを確認して、独りごちる。


 言ってみたものの、どうしていいかも分からないので、とりあえず精神を集中させてみた。すると――


 ゆっくりと暖かい力が湧き上がってくる。誰かが見ていたら、ユートが少しずつ光を纏っていくように見えただろう。


 しばらくその心地良さに身を任せていたユートだが、次第にとある異変に気づく。


「?! 力が?! 抑えられない!!」


 最初は自分の意思で集中していたはずの力が、今にも溢れて爆発しそうだ。


『さあ、今こそ、その力を解放するのです。』


 使徒の声が聞こえた。


 言われなくても最早ユートの意思で力の爆発を止めることなどできなかった。とても危険だ、と本能が告げている。けれど、辺り一面を包み込む激しい光と共に力は容赦なく開放された!!


 ――うわあああああああああああぁぁぁ


 ユートの絶叫とともに。



 ◇◇◇◇


 ユートが意識を取り戻すと。見渡す限り何もなかった。


 ただ、地平線がどこまでも続いている。


 そして、使徒。


 使徒の隣には一人の少女。


 ユートはすぐさま使徒を問いただした。


「何が起きたの?! 一体これはどういうこと?!」


 使徒はゆっくりと口を開く。


「この街の救済がなされたのです。穢れが浄化されました。」


「穢れ……ってこの街に住む全員?!いくらこの街の大人やつらが気に食わなくても。死んで欲しいなんて思ってなかった!!」


「怠惰と快楽に溺れたこの街の滅びは必然です。遅かれ早かれ別の形で滅んでいたでしょう。あなたはそれを早めたに過ぎない。そしてそれは早い方がいいのです。」


「ちっとも分からないな!」


 ユートは吐き捨てるように言った。


「さあ、これからは創造の時間です!」


 そんなユートを半ば無視するかのように使徒は続けた。


「この少女と共にこの街を1から創造し直す――それこそがあなたの真の使命なのです。彼女のことは知っているでしょう??」


 少女はこちらを向いて微笑んだ。


 !!


 確かにユートは少女を知っている。

 何故ならその少女は――


「ユート、これからはずっと一緒よ。愛しているわ。」


 そう言って妖艶に笑う彼女は……


 いや、違う。

 これはユートが密かに恋した少女ではない。

 確かに姿形は彼女だ。しかし。


「ミザリーはあんなふうに妖艶に笑わない!それに――!!」


「あなたは、創造を拒否する気なのですか?!」


 信じられない、とでも言いたげな使徒に、ユートは言い放つ。


「これ以上、望みもしない破壊や創造に付き合わされるのはごめんだ!!」


 すうっ、と使徒の目が細まった。


「我が主、この世界の管理者に背くと言うのですね…ならば、仕方ありません。」


 そこで1度言葉を切り。


「この世界の管理者、そしてこの世界の意志そのものに逆らうことがどれだけ愚かな事か、その身をもって知るがいい!!」


 使徒の手に錫杖が顕現した次の瞬間。


 ユートの意思は何者かの意図に押しつぶされそうになった。


「これが…この世界の意志?!」


 世界を破壊した罪悪感を煽られるような。

 目の前の少女を汚したい衝動に駆られるような。

 自分の意思が押し流されていくような。


 そんな感覚を覚えながら、必死に耐えた。


「僕は!! 僕だ!! 世界の意志なんて知らない!! それが僕を壊そうとするなら世界の意志だって壊してやる!!」


 ユートの強い意志は、一筋の光となって立ち上がる!!


 再び辺りが光に包まれ。


 もうそこには、何も無かった。ただ、1人の少年だけが佇んでいた。


 少年はその名がもう意味をなさないと知っていた。


 なぜなら、彼の名を呼ぶべき誰かは、もうこの世界には誰一人としていないのだから。


 世界と、その意思を破壊した少年は、ただ1人、残りの時間を、生きる。


 彼の寿命が尽きた時、この世界は完全に滅びるのだろう。


 けれど。


 それでいい。


 己の過ちを背負って、残り少ない時間を精一杯、生きる。


 世界の意志に唆されて破壊した街。


 失われた命の全てを背負って、生きる。


 気がつけば、夜明けの光が差し込むところだ。


 何も無い世界にも、朝は来るのだ――。


 この街を滅びへと導いた光は、少年の目覚めの光だったのかもしれない――



 ~完~

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