第23話 謎解き座敷② 推理の糸を辿る

 薄雲うすぐもの微笑む目に促され、隆正たかまさは茶碗を手に取った。作法ではどのようにすべきだったか、と迷っていると、小さな頷きで良いから、と告げられる。野暮な若造の無作法は気にしないということらしい。恐る恐る茶碗を口に運べば、細かに泡立った茶は口当たり良く、ほのかな苦みが脳を落ち着かせてくれる。茶を啜りながら彼は薄雲の言葉を吟味し――首を、傾げた。


「それは……そこまでは、それがしにも予想がついたことだ。青海あおみ屋に後ろ暗いことがあるゆえ、信二しんじの口を塞ごうとしたのだろう、と。だが――そなたは悪事の中身まで最初から分かっていたようではないか。なぜよりにもよって、偽の骨董作りだ、などと飛躍したのだ?」


 隆正が考えを纏める間に、薄雲はまた茶筅ちゃせんを手にしている。おぼろも命じられるまでもなく湯と茶と椀を用意して姉花魁に渡す。今度は自らのための一杯をてるのだろうか、茶筅が奏でる軽やかな音がまた座敷に響いた。それに、薄雲の涼やかな声も。


「そもそも、信二が徒手で逃げたのなら、青海屋が焦る理由がありいせん。店を逃げた奉公人が、厳しい仕打ちを恨んで根も葉もないことを、とでも言えば良いのでありんすからなあ。奉公人が噂をするほど店主が荒れたのだとしたら、信二はきっと悪事の証拠を掴んで出奔したのでありんしょう」

「証拠、か……」


 隆正が呟くと、薄雲はあい、と頷いた。すずが信二の後任の奉公人から聞いたという話のことだ。信二のせいで青海屋主人が怒って大変だった、とか。信頼して仲間に引き入れようとした奉公人に裏切られたとしたら、それは確かに焦るだろうか。だが、それだけで肝心の証拠をどう見当をつけたのか、と――隆正が考えるより先に、薄雲が筋道を立てていく。


「まず、銭ではありいせん。青海屋はそもそも大店おおだななれば、大金があったからといって、あくどい手で稼いだものと言い張るのは難癖と言うもの。では、書状の類かというと、これも怪しい。証拠というなら、企みの相手や細かな内容を記したものでもあるやもしれえせんが、そのように懇切丁寧に書き残す悪人がいるはずもなし――何より、下っ端の奉公人が、悪事の中枢に関わるやり取りを、何通も盗み出せるかというと、これもまた……」

「つまり、証拠とはモノだということになる、のか……?」


 隆正は、稲荷いなり神社で見つけた偽の油滴ゆてき天目てんもく茶碗とやらの風体を思い返していた。古びた箱に、雨で滲んだ書付は、実はみん代の何々年間だとか、真っ赤な嘘の由来を記していたらしい。恐らく、詳しい者がよく調べれば、茶器自体は最近のものだとは分かるはず。となれば、確かに贋作詐欺の証拠にはなる、かもしれない。しかし、そう思えるのは、全てが明らかになった今だからこそ、ではないのだろうか。


「だが、青海屋が器屋だからといって――」

「おや、ぬしさんが手掛かりを教えてくれたのではありいせんか」

「む……?」


 訝る隆正を前に、薄雲は二杯目の茶を口に運んだ。満足のいく味だったのか、あるいは隆正の不明が面白いのか――朱い唇が、三日月の形に弧を描く。


「主さんが青海屋を訪ねた折、手代てだいが由緒ある品があるとか申したとか。まさか一見いちげんの客、それも役人に贋物を売りつけることはないでありんしょうが、とにかく青海屋ではその類の骨董も扱うということ。そして、まいない代わりにも使う倣いが染みついていたと、そういうことではありんせんかえ?」

「それは……分からぬが……」


 あの時のやり取りを思い返そうとして、隆正は唸った。一切興味がないこと、しかも手代の白々しさに少なからず気分を害していたから、相手がどういうつもりだったかまでは正直考えていなかった。というか、何を言われたかさえ、今の今までほとんど忘れていたかもしれない。


「それに、お鈴が伝えた信二の言葉でございんす。さかえ屋におろした器を褒めたところ、信二はこう申したとか。作った人も喜ぶだろう、と」


 しかし、彼にとっては曖昧なことも、薄雲はしっかりと覚えているようだった。隆正が首を捻っている間に、またひとつ、ごくささやかな伝聞でさえもこの女には手掛かりになっていたことを教えられる。


「つまりは、青海屋は器を作る者――かまとも付き合いがあったということでありんす。それも、作った器を右から左に商うのではなくて――栄屋の求めに応じて、意匠を凝らすこともしていたと、そうでありんしたな?」

「うむ……信二は、確かに言っていたな……」


 今度は納得の意を込めての唸りだった。とはいえ隆正の頭に浮かぶのは鈴から伝え聞いたことではなく、つい最近、事件の調べの中で本人から直接聞いたことだ。

 手当を受け、まともな食事を与えられた信二には体力も心の余裕も戻ったのだろう、あの若者は、店の仕打ちに対してひどく憤っていた。それも、自身に加えられた責めについてではなく、骨董と偽られた焼き物や、それを作った職人のためにこそ、怒っていたようだったのだ。


『栄屋さんのご注文に、やりがいがあると喜んでいた職人もいたそうなのです。腕のある人たちです。作ったものが使ってもらえれば、工夫を認めてもらえば嬉しい人たちなんです。あの茶碗だって、贋物として売られるとは露とも思わず、技法を試したくてやっていたのかも。なのに、名前も出せず、使われることもなくしまい込まれるだけなのかと思うと、それも悔しくて……!』


(そうか、信二も鈴を好いていたからな……)


 理屈よりも感情によって、歯車がかちりと噛み合ったような気がした。好いた女の言葉によって、仕事への張り合いも誇りも生まれたのだろう。そこへ打ち明けられた悪事だったからこそ、信二にとっては余計に許せなかったのかもしれない。身の危険も顧みず、告発しようとするほどに。


「――だから、信二は偽の茶碗を持って逃げた……が、本人だけ捕らえられたとは、なぜ……?」

「まるでもともといない者だったかのように振る舞えたのは、信二が決して他所から現れることはないと承知していたからでございんす。尋ねる者がいたとして、盗みを働いたらしいと察すれば、裏切られたゆえに関わり合いになりたくない、とでも良いように考えることでありんしょうし」


 薄雲のこの説明は、まことにもっともなことだった。まさに、鈴の父――栄屋の主人がそうだったのだから。あの男は、真面目な若者だったのに、と惜しみつつも、娘には忘れるようにと諭していた。信二を知る者でさえそうなら、ましてよく知らない者なら青海屋の言い分を信じ込んでしまっただろうか。


(俺も、鈴に会っていなければ分からなかったかもしれぬな)


 自戒を込めて、隆正は密かに胸に刻んでおく。彼も、最初は薄雲を物見高いだけの女と蔑みかけたのだ。物事は一面からだけでは捉えられぬもの、と――此度の事件は様々な角度から彼に教え込んでくれるかのよう。


「そして証拠も諸共に抑えたんなら、ただの盗人として訴えれば良いでありんしょう。信二が何を言ったとて、罪を逃れるための嘘八百と断じれば良いのでありんす。それができないということは、青海屋は証拠を取り戻せないままだったということ。まあ……既に口を封じられていた恐れもありんしたが。それはこの際、考えてもしようのないことでありんしたからなあ」


 だからこそ薄雲は、手遅れでなければ良いが、と言ったのだ。青海屋が信二を亡き者にしていたかもしれないと考えていたから。そして仮に信二が生きていたとして、その命を繋いでいるのは、茶器の在処を明かさないというか細い糸一本でしかなかった。それも、閉じ込められて責められ続ければ、いつ途切れるかも分からない。


 本当に、危ういところだった。そうと改めて気付かされて、隆正は深く息を吐いた。薄雲の頭を覗き見て、みっしりと詰まった情報の密度に疲れもしたのだろう。同じ座敷で同じ時間を過ごしたはずなのに、この女はゆったりと構えた裏で、これほどの思考を巡らせていたのか。


 言われてみれば分かる、気もする。そして事実その通りにもなった。だが、隆正としてはどこか欺かれたような気分がしてならなかった。どうして何もかもが上手く行ったのか、やはり納得がかない、というか。あえて言葉にするならずるい、だろうか。座敷にいながらにして、全ての謎をするすると解いてみせるなど、あまりに鮮やかに過ぎて。


「理屈は分かる……分かる。筋が通っているとも思うが……あまりに薄氷を踏むようなというか綱渡りをするかのような、というか……」

「あい。全てはわちきの頭の中だけでこしらえたこと。ゆえに、あの夜はこれこれこうと、はっきりと言うことはできいせんでありんした」

「うむ……」


 子供の駄々をあやすように笑まれるのも、それに頷くしかないのも、決まりの悪いことだった。あの夜、彼ははっきりと語らない薄雲を疑い、不満にも思った。だが、全てを知らされたところで、あの時点では到底信じることはなかっただろうとも分かってしまうのだ。何もかもこの女が見透かした通りだと、認めるのは業腹なのだが。


「だからそなたは、証拠を集めさせようとしたのだな? 青海屋を問い詰めるに足る証拠を……」


 信二が盗み、隠した茶器に、栄屋を襲った破落戸ごろつきども。いずれも、深夜に青海屋に踏み込む絶好の口実になってくれた。


(上手く行けば一度で済むやも、とも言っていたな……)


 隆正をまんまと操って、青海屋に襤褸ぼろを出させたのも薄雲の手腕だ。そしてまだまだ聞きたいことがある部分でもあった。全て上手く運ぶとは思っていなかった、などと――女狐の真っ赤な嘘に決まっているのだ。

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